2024年07月13日
沖縄県名護市 沖縄北部 道の駅 許田で地元グルメを堪能する 2024年4月1日来訪
地元の銘菓や特産品がそろう、沖縄第1号の道の駅、「道の駅 許田」です。
沖縄北部をドライブ中、国道58号沿いを走り、名護市のやんばる物産センター「道の駅 許田(きょだ)」に到着。
敷地は決して広くはないものの、地元民や観光客でにぎわいを見せていた。
実はこの場所、宝くじの名所として有名で、毎年高額当選が多数出ているのだそう。
その恩恵にあずかろうと、沖縄県内のみならず、全国各地から宝くじを買い求めにくる人が後を絶たない。
今日もしっかり行列ができていた。
長いドライブで、身体が空腹を訴える。
道の駅 許田施設内のパーラーには、種類豊富な天ぷらが並び、購入を手招きしていた。
好きな天ぷらを選んでトレーに乗せ、レジへ運ぶ。
ここにあるのは、最近の物価高傾向にもかかわらず、1つ100円台で買い求められるリーズナブルな天ぷらの数々。
数ある天ぷら食材から、もずく天ぷらといも天ぷら、そして魚天ぷらを選んだ。
本州のサクッとした衣の天ぷらとは違い、沖縄の天ぷらはもちっとしていてボリュームがある。
沖縄の美味しい天ぷらを、共同のイートインスペースでゆっくり味わい、幸せな軽食タイムを過ごす。
人気のまんじゅう屋「えびす」。
名護土産の定番「えびす饅頭」は、20個で360円という財布に優しいお手軽価格。
黒糖の生地に餡がしっかり入っていて、非常に味わい深い。
地元民に聞くところによると、発売当時1個10円であったことから、地元では「10円まんじゅう」と呼ばれているのだそう。
食べやすく、お土産にも喜ばれるえびす饅頭。
ぜひ一度ご賞味いただきたい。
名護特産推奨品に選ばれた銘菓、「チョコもち」を買い求められる「チョコもち工房」。
売り場からガラス越しに製造工程を見られるようだ。
今回はたまたま終わっていたのか、見る機会にあずかれず残念。
味が気になるチョコもち、½カット1個210円を買って口に頬張る。
ガトーショコラを思わせる見た目のチョコもちだが、とてももちもちとしていて、濃厚なチョコレート風味が感じられる品。
食べ応えたっぷりで、満足度は高い。
沖縄県北部の12市町村の名産品やお土産品を販売しているコーナー。
地元の野菜や果物、そしてその食材を使用した調味料など、数多くそろう。
マンゴーやパイナップルを始め、島らっきょうやゴーヤ、シークワーサーを使ったドレッシングやジュースなどが売られており、正に沖縄食材の宝庫だ。
商品を購入するとそのまま自宅などに郵送できるサービスもあり、観光客にとっては荷物にならず、大変ありがたい。
お土産屋というより、地元の市場のような雰囲気が、買い物に訪れる客を楽しませる。
買い物を楽しんだ後は、「おっぱジェラート」でミルクジェラートを注文し、まったり時間を過ごす。
おっぱジェラートは、沖縄県今帰仁村の乙羽岳(おっぱだけ)にちなみ名付けられたという、「おっぱ牛乳」を使用したジェラートだ。
さっぱりした甘さの中に、牛乳のコクをしっかりと感じられる。
ほかにも、紅いも、ゴママース(ごま塩)、黒糖など、沖縄ならではの数あるフレーバーが色取り豊かにそろう 。
太陽がサンサンと降り注ぐ中、沖縄の海を眺めながら、ジェラートに舌鼓を打つ至福の時間。
この時間は何にも代えがたい。
道の駅 許田には道路情報ターミナルが併設されており、2階の連絡通路を歩けば、反対側の海岸沿いへ移動できる。
広い駐車場から見える海の絶景と心地よく当たりつける潮風が、癒しの時間を創りあげ、長いドライブの疲れを吹き飛ばす。
地元グルメが楽しめて沖縄土産も数多くそろう上、エメラルドグリーンの美しい海も堪能できる、沖縄内外から深く愛される道の駅 許田。
また沖縄北部に行く際には、必ず立ち寄りたいと思わせられる、素敵な場所であった。
改稿・編集 会長HT
詳しくは以下のリンクを参照してください。
道の駅許田 https://www.yanbaru-b.co.jp/
有限会社おっぱ乳業 https://www.oppanyu.jp/
2024年07月06日
京都府宇治市・京都市 晩春に 桜が咲き残る京都の名所を訪ねる 2024年4月9日来訪
晩春の京都を歩く、名所に映える桜 見納めの旅です。
日々変わる桜の開花予報をにらみながら、京都へ花見に行く、ふさわしい日を見定める。
寒の戻りから、当初の予報より遅い開花予想日となった、京都を彩る今年の桜。
同じ京都府内でも、名所ごとに桜の開花時期は異なるので、事前にしっかりリサーチして訪問したい。
最初に訪れたのが、宇治にある世界遺産「平等院」。
平等院にある「鳳凰堂」は、我々日本人にとって、10円玉硬貨のデザインでお馴染みの堂宇だ。
小雨が降りしきる中ひらひらと舞い散る花びらは、苑池をピンク色に染め、新たな季節の到来を予感させる。
平等院 鳳凰堂は、1053年(天喜元年)平安時代後期に、時の関白 藤原頼通により阿弥陀堂として建立された。
極楽浄土の光景を再現した平等院庭園、宝池の中島に、鳳凰堂が浮かぶ。
国宝に指定されている鳳凰堂は、屋根に一対の鳳凰が据えられ、建物を正面から見た姿は翼を広げた鳥のようで美しい。
「羅漢堂(らかんどう)」前の枝垂れ桜。
手前左の桜を、バランスよく画角に収め、シャッターを切る。
お堂を華美な色合いの桜が彩り、耽美的な一枚となった。
羅漢堂は、茶師 星野道斎(ほしのどうさい)が宇治茶の隆盛を願い、1640年(寛永17年)に建立したものだ。
羅漢とは、悟りを開いた高僧を意味する。
和様式である平等院の中にあって、禅宗様式の珍しい建物である羅漢堂。
主要部材のほか、鏡天井に描かれた彩色画の雲龍図など、保存状態が良く貴重な堂宇だ。
通常公開していない内部は、特別公開の期日を待ち、拝観したい。
「上賀茂神社(かみがもじんじゃ)」境内の、二の鳥居隣で咲く「風流桜」。
正式名称を「賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)」という上賀茂神社は、芝生広場に咲く「斎王桜」や「御所桜」など、桜の見どころが多い。
風流桜は、その名の通り、上品で優雅な雰囲気が印象的な八重紅枝垂れ桜だ。
境内散策中、空を埋め尽くすどんよりした雲から、突然雨が降り出した。
陽光に恵まれない天候であったが、雨水を受けた桜の花びらが艶やかな色合いを見せ、風情ある光景を楽しめた。
翌日の天気は打って変わって快晴。
抜けるような青空が気持ち良い。
徳川家康が京の宿館として建てた平城、世界遺産「二条城」へ足を運んだ。
案内看板「城内案内図」を取り囲むように、淡いピンク色の花を咲かせた、見事な枝ぶりの枝垂れ桜に魅了される。
驚くほど広大な城内の各所では、開花した桜の木々が訪れる者を待ち受け、観光の目を楽しませる。
正式名称を「元離宮二条城」という二条城は、15代将軍 徳川慶喜が大政奉還を行った場所としても有名だ。
重要文化財である桂宮御殿を移した本丸と、国宝である豪壮な二の丸御殿からなる二条城。
二の丸御殿の絢爛豪華な建築と障壁画には、目を見張るものがあり、拝観客が漏らすため息が館内に響く。
国内では城郭に残る唯一の御殿群となる、見応えたっぷりの二条城。
城内を彩る桜の花見と併せ、時間の許す限りゆっくりと巡りたい。
JR東海のキャンペーンCM「そうだ京都、行こう。」で、2017年に撮影舞台となった、まだ記憶に新しい「東寺(とうじ)」。
1993年の清水寺から始まった「そうだ京都、行こう。」は、昨年秋で30周年を迎え、毎年提起される京都の風景に多くの人が魅了されてきた。
正式名称を「教王護国寺(きょうおうごこくじ)」という東寺は、木造としては日本最大55mの高さを誇る五重塔が必見で、迫力ある存在感に息を呑む。
写真撮影時、枠に絡めたいのが手前広場に咲く桜の木。
桜の背後にそびえ立つ五重塔の景観は、華やかな桜に重厚感がある五重塔がバランス良く収まり、撮影欲がかきたてられる。
東寺を始め、京都の名所では、期間を定めて夜にライトアップするイベントも行われている。
京都の魅力を満喫できるよう、事前に下調べをして、計画的に京都へ訪れたい。
詳しくは以下のリンクを参照してください。
世界遺産 平等院 https://www.byodoin.or.jp/
賀茂別雷神社 https://www.kamigamojinja.jp/
二条城 世界遺産・元離宮二条城 https://nijo-jocastle.city.kyoto.lg.jp/
東寺−世界遺産 真言宗総本山 教王護国寺 https://toji.or.jp/smp/
2024年06月29日
東京都港区・千代田区 魅惑の観光スポットを求めて東京を歩く 2022年12月3日来訪
師走に訪れた、魅惑の東京 観光スポットです。
東京メトロ 六本木駅から5分ほど歩き、「国立新美術館」に到着する。
冬の澄んだ青空に、黒川紀章(くろかわきしょう)設計の、カーテンを思わせる美しい曲線の建物が際立つ。
館内に入ると、逆円錐形の空中カフェや有名デザイナーが手がけた椅子が並び、異世界の様相に好奇心が刺激される。
開催されていたのが「DESIGN MUSEUM JAPAN展」。
日本全国で生活の中に溶け込んで当たり前になっているものに焦点を当て、そこに隠れている、優れた「デザイン」を紹介するものだ。
NHKが勧めている全国各地の生活文化リサーチプロジェクトに伴走するもので、第一線で活躍するクリエーターたちにより、さまざまな現場でリサーチされた「デザイン」が展覧会で表現されている。
有名デザイナーの作品だけでなく、身近にあふれた「デザイン」の作品にも触れられる国立新美術館。
「人々がさまざまな芸術表現を体験し、学び、多様な価値観を認め合うことができるアートセンター」をコンセプトにした美術館で、さまざまな作品をじっくりと鑑賞したい。
国立新美術館から歩くこと15分。
のんびり街歩きを楽しみながら、「赤坂サカス」へ向かう。
赤坂サカスは、TBS放送センタービルを中心に、商業施設や劇場が集まっている場所だ。
毎朝見ている情報番組で目にする広場や、掲示されたアナウンサーやドラマのポスターを前に、気分が高揚する。
今日は12月の上旬。
クリスマスのイルミネーションが街行く人の目を楽しませる。
赤坂サカス内にある劇場「TBS赤坂ACTシアター」では、「ハリー・ポッター」の舞台が上演されていた。
2022年から「ハリー・ポッターシアター」に生まれ変わった劇場は、どこにいても物語の世界を感じられる空間となった。
赤坂サカス全体でハリーポッターの世界を感じられ、さながらイギリスを旅行しているような気分に浸れる。
宿泊場所として選んだのは、赤坂サカスから歩いて5分の「変なホテル東京 赤坂」。
東京メトロ複数の駅や、六本木ヒルズ、東京ミッドタウンなどの観光スポットにも近く、とても立地条件が良い。
受付で出会えるのが、最先端のAI接客ロボットだ。
人間そっくりのAIロボットに、「いらっしゃいませ」と挨拶され、楽しくスムーズにチェックイン。
ロボットは、日本語のほか、英語、中国語、韓国語を話すことができるそうだ。
ロボットが担う仕事が増え、人間が働く場所が少なくなってしまうのではないかと、少し心配になる。
客室にはホームクリーニング機が設置されていたり、最新VR機の貸し出しが行われていたりと、最新のテクノロジーを体験できる変なホテル東京。
寝る間も惜しんで楽しんでしまった。
翌日向かったのが、「サンシャイン水族館」。
東京メトロ 東池袋駅から歩いて3分の場所にあるサンシャイン水族館に、入場料2,700円を支払い入場する。
ビルが乱立し、多くの人であふれる大都会の真ん中に、水の生き物を楽しめる世界が広がっていた。
サンシャインラグーンと呼ばれる大きな水槽の中は、南国の浅い珊瑚礁を思わせる景色が作られ、訪れる客を魅了する。
透き通った青い海と白い砂浜の海底が、青と白の絶妙なコントラストを見せるサンシャインラグーン。
生命力あふれた小さな魚たちが素早く動く中、エイが優雅にゆったりと泳ぐ姿を見て楽しめる。
ほかにも、たくさんの浮遊するクラゲに囲まれて海の底にいるかのような体験ができる水槽など、工夫された展示を楽しめた。
一番気に入ったのは、「天空のペンギン」だ。
ペンギンたちが泳ぐ姿を水槽の下から観察でき、水槽の先に映るビル群と合わせ、ペンギンが天空を飛んでいるかのように見えるその光景は圧巻。
何分も見入ってしまうほどであった。
最後に訪れたのが、「東京駅 丸の内駅舎」。
壮大なレンガ造りの駅舎は、辰野金吾(たつのきんご)設計の建築物だ。
駅前広場から、複合商業施設「KITTE丸の内(きってまるのうち)」6階の屋上庭園から、そして駅舎の真正面に走る行幸通りからと、さまざまに角度を変えて駅舎の景観を堪能する。
国の重要文化財に指定されている東京駅 丸の内駅舎は、1945年に3階部分などが空襲で失われたが、2012年10月1日に1914年開業当初の姿へ「復原」した。
縦長の窓が印象的なビクトリアン・ゴシック様式に、ドーム屋根がイスラム建築を思わせる独特の建築様式。
レトロな雰囲気は、時代を越えて変わらない美しさを放つ。
屋上庭園からは、東京駅構内を発着する新幹線や電車、行き交うたくさんの人々もよく見える。
皇居へ向かう行幸通りから見ると、横幅のある東京駅の全体がよく見渡せた。
行幸通りは皇室の行事などにも使われ、格式高い雰囲気で整備が行き届いており、先ほどまで過ごした六本木や池袋と比べると街の雰囲気が随分と異なる印象だ。
東京は実に色々な顔を持ち、さまざまに観光客を楽しませてくれる。
魅惑の大都市 東京に、また新たな観光スポットを求めて訪れたい。
改稿・編集 会長HT
詳しくは以下のリンクを参照してください。
新国立美術館 https://www.nact.jp/
akasaka Sacas 赤坂サカス |TBSテレビ https://www.tbs.co.jp/sacas/
変なホテル東京 赤坂 https://www.hennnahotel.com/akasaka/?gad_source=1&gclid=Cj0KCQjw6auyBhDzARIsALIo6v9_rzNXioTiPjMGi6K0I91sieAUYFB-1R86JvxVSKbJA5ynht0XMYYaApSMEALw_wcB
サンシャイン水族 https://sunshinecity.jp/aquarium/
東京駅&丸の内ガイド
https://www.gotokyo.org/jp/destinations/central-tokyo/tokyo-station-and-marunouchi/index.html
2024年06月22日
山形県山形市・岩手県磐井郡平泉町・宮城県宮城郡松島町 みちのく四寺廻廊に松尾芭蕉の足跡を追う 2024年6月9日来訪
松尾芭蕉が「奥の細道」で訪れた、みちのく四寺廻廊 巡拝の旅です。
最初に訪れたのが、通称 山寺と呼ばれる「宝珠山 立石寺(ほうじゅさん りっしゃくじ)」。
境内で最も高い「奥の院」まで、山門から1,015段ある石段を上る。
参道を登山口から登り始めて40分、荒くなった息を何とか落ち着かせ、目の前にたたずむ奥の院に向き合う。
左側に大仏殿を構える奥の院は、正式名称を「妙法堂」といい、慈覚大師が中国で修行中持ち歩いていた釈迦如来と多宝如来をご本尊としているらしい。
立石寺は、慈覚大師により開山された天台宗に属する寺。
860年(貞観2年)開山の折に本山延暦寺から分灯された不滅の法灯が、根本中堂堂内にて、今も灯され続けている。
翌日向かった先が「毛越寺(もうつうじ)」。
特別史跡、特別名勝と、国から二重の指定を受けている毛越寺は、仏堂と苑池を配した浄土庭園が類い稀なる美しさを見せる寺院だ。
珍しく、かつ読みにくい寺名の、由来が気になる。
慈覚大師が東北巡業の折にこの地にさしかかった時のこと。
一面に霧が立ち込め、前に進めなくなった。
足元に落ちていた白鹿の毛が気になってたどると、そこには白鹿がうずくまっており、近づくと白鹿に代わり白髪のご老人が現れた。
ご老人の、「ここに堂宇を建立せよ」とのお告げを薬師如来の化身によるお言葉と感じ、嘉祥寺を建てたのが毛越寺の始まりだ。
読み方は、「もうおつじ」と呼んでいたのが、変化して「もうつうじ」になったとか。
今では火災で消失した数ある堂宇の場所を、遺構である礎石が残る中で、白い角柱の標が静かに指し示す。
その中で特筆したいのが、「金堂円隆寺」跡。
毛越寺の中心伽藍で、藤原二代 基衡が万宝を尽くして建立した勅願寺だ。
本尊は雲慶作、丈六の薬師如来。
東廊先端には鐘楼が、西廊先端には経楼が付属していた。
『吾妻鏡』には、「毛越寺本堂の金堂は円隆寺といい、金銀を沢山用いて、紫檀や赤木などを使用し、多くの宝物で彩られていたこと」、「雲慶による丈六薬師如来像と十二神将像が祀られ、玉眼入りの仏像としては最初の例だったこと」が記されている。
比を見ない豪華なお堂を思い、想像が無限にかき立てられる。
毛越寺と同様、850年(嘉祥3年)に、慈覚大師円仁により開山されたと伝わる「中尊寺(ちゅうそんじ)」。
藤原初代 清衡(きよひら)が造営した中尊寺は、毛越寺から1.5qほどの距離にある。
1,000円の拝観券を購入し、「讃衡蔵(さんこうぞう)」で奥州藤原氏の残した3,000点余りの文化財を拝観したあと、東北の名だたる観光スポット「金色堂(こんじきどう)」へ足を向ける。
参道から確認できる金色堂を示す建物は、金色堂を囲い守る覆堂だ。
実物のお堂は覆堂の中にすっぽりと収められている。
まだ見ぬ至宝への期待から高鳴る鼓動を抑え、覆堂の入口に足を踏み入れる。
薄暗い覆堂の中に入ると、眩い黄金の輝きが目に飛び込んできた。
中尊寺創建当初の姿を今に伝える、唯一の建造物である金色堂。
今年は、金色堂が上棟されて900年になる。
奥州藤原氏初代 清衡公の、極楽浄土の有り様を具体的に表現したいという切なる思いが、当時可能な工芸技術の粋を集めた。
仏具を含めた内外全てが金で覆われ、夜光貝を用いた螺鈿細工や、象牙や宝石による装飾が光り輝き、見る者を魅了する。
初代清衡公を始め、二代基衡(もとひら)公、三代秀衡(ひでひら)公、四代泰衡(やすひら)公の亡骸が、棺に納められて今も安置されているという。
金色堂を内包する覆堂内は一切撮影禁止。
讃衡蔵館内に設置されてあった記念写真撮影用の背景ボードに、金色堂が写っていた。
こちらの写真で、金色堂の実像に思いを巡らせていただきたい。
一山寺院 中尊寺の中で中心となる建物「本堂」。
お堂の中へ上がると、ご本尊丈六の釈迦如来が、慈悲深い穏やかなお顔を見せていた。
像の高さは約2.7m、台座や光背を含めた総高は5mに及ぶ。
天台宗の東北大本山である中尊寺本堂には不滅の法灯が護持されており、ご本尊の前、左右にその法灯を確認できる。
祭壇ろうそくの火は、毎朝この不滅の法灯から灯される。
四寺廻廊の巡拝4つ目は「瑞巌寺(ずいがんじ)」だ。
参道の入口「総門」を抜けると、目の前に広がるのは、参道に沿って無造作に点在する杉の木。
空いた場所には、杉の木を伐採した跡である切り株が残り、寂しい景観の印象は否めない。
地元の観光ガイドが、写真を片手に説明する。
時の分岐点は2011年3月11日。
東日本大震災が起きた日だ。
瑞巌寺前に広がる松島海岸も、震動や津波により諸島が崩壊し、海水による塩害で松の木も次第に枯れていった。
津波は瑞巌寺境内にも浸水したとのこと。
境内参道両側に、びっしりと生い茂っていた杉の木が作る過日の光景は、ガイドが手に持つ写真でうかがい知れる。
月日の経過とともに杉の木が枯れていき、伐採を余儀なくされたらしい。
伐採された杉の木、その数、実に700本余り。
ガイドの発言に言葉を失う。
津波による浸水は堂宇には到達せず、建物は奇跡的にひびが入った程度の影響で済んだ。
伊達政宗公の創建で、5年の歳月をかけて1609年(慶長14年)に完成した瑞巌寺。
「本堂」は、10室からなる大規模な建物で、国宝に指定されている。
各部屋は、相応しいテーマに沿った目を見張る絵画や彫刻で装飾されており、部屋ごとに造りが異なっている天井も併せて拝観したい。
「上段の間」には、伊達政宗公等身大の甲冑倚像がレプリカで飾られており、ご本人を目の前にしているようで見応えがある。
明治天皇が東北御巡幸の折に一夜をお過ごしになられたという「上々段の間」では、天井の格子が花菱格子となっているなど、趣向を凝らした室内の造りを拝見できる。
松尾芭蕉の足跡を追う中、中尊寺の金色堂など創建時から大切に残されてきた物がある一方で、戦争による火災や自然災害で失われてしまった国の宝が数多くあることを知った。
万象に変化をもたらす時の流れを越えて、芭蕉が詠む俳句の心情は、未来永劫伝えられていくに違いない。
詳しくは以下のリンクを参照してください。
宝珠山 立石寺 https://rissyakuji.jp/
天台宗 別格本山 毛越寺 https://www.motsuji.or.jp/
関山 中尊寺 https://www.chusonji.or.jp/
国宝 瑞巌寺 https://www.zuiganji.or.jp/
2024年06月15日
静岡県伊豆の国市・伊豆市 『鎌倉殿の13人』の舞台 伊豆の国市を訪ねる 2023年1月3日来訪
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の舞台ともなった、北条家ゆかりの地 伊豆の国市を訪ねる旅です。
正月三が日の最終日、伊豆へ観光に訪れる。
向かった先は、静岡県 伊豆の国(いずのくに)市にある「伊豆パノラマパーク」。
ロープウェイに乗り込めば、葛城山(かつらぎやま)頂上に構える魅惑の展望台、「碧テラス(あおてらす)」が観光客を迎えてくれる。
伊豆の国市は、2022年のNHK大河ドラマ、『鎌倉殿の13人』の主人公 北条義時が生まれ育った町。
源頼朝が、14歳で流罪になり、34歳で挙兵するまでの20年間を過ごした場所でもある。
移動中のゴンドラから、伊豆の国市や富士山の眺望を楽しむ。
今でも伊豆の国市では、長閑な田園風景が広がる。
かつて田舎の豪族から、鎌倉幕府の執権にまでなり、頼朝亡きあとも政治の実権を握り続けた北条家。
その強かさに、感服しないではいられない。
山頂エリアでは、展望デッキを始め、おしゃれなカフェや丸太アスレチック広場、葛城神社など、多様な観光スポットが訪問客を待ち構えていた。
葛城神社は、平安時代からの歴史を誇る、葛城山の名を生み出した神社。
葛城山で鷹狩をした源頼朝も、今と変わらない富士山や駿河湾の景色に囲まれる中、自身の幸運を願い参拝したに違いない。
展望広場 碧テラスでは、展望デッキに数多くのソファーやベンチが配され、見晴らしの良い伊豆の景色を堪能しながらゆったりと過ごせる。
冬晴れの中、澄んだ山の空気が気持ちいい。
浅く水を入れた大きな水盤が、水面に周りの景色を映し込み、美しい幻想的な空間を創り上げる。
富士見の足湯を利用し、富士山の絶景を前に、爽快な気分を味わうのもいいだろう。
次に訪れたのが、鎌倉幕府二代将軍の源頼家と、源頼朝の弟である源範頼が流された修善寺(しゅぜんじ)。
修善寺は、2004年4月1日に合併されて伊豆市が誕生する前、田方郡にあった町である。
温泉街の中央を流れる桂川に沿って、レトロな建物が立ち並び、散策道が整備されている。
夏目漱石や川端康成などの文豪に愛され、執筆活動中によく散歩をしていた場所として有名だ。
静かな自然に囲まれて、好きなときに温泉に浸かれる環境は、執筆するのに打って付けなのだろう。
桂川沿いには源頼家が入浴中に暗殺されたといわれている場所、筥湯(はこゆ)と呼ばれる温泉もあり、歴史好きにとっては興味をそそられる。
桂川の散策道を進んでいくと、背の高い竹林の中に走る、石畳の道を迎える。
「竹林の小径」は、伊豆の小京都とも呼ばれる、修善寺を代表する観光スポットだ。
京都嵐山にある「竹林の小径」と比べると規模は小さいものの、たまらなく風情があり、修善寺を観光する上では欠かせない。
竹林の真ん中には、竹製の大きな円いベンチがある。
観光客が、座ったり寝転がったりと、思い思いに時を過ごしていた。
静けさに包まれる中、そよそよと竹の葉が揺れる光景は、眺めているだけでとても心地よい。
ほかの観光客を真似てベンチに寝転がり、見上げた青空にそびえる竹の葉を、写真に収める。
寝転がって見える景色だけに、普段はなかなか見れない特別な景色。
日常生活を離れ、新たな視点から自然の魅力を発見してほしいという、ベンチ作成者の思いを感じとる。
見方を変えることで、人は新たな世界を発見していけるのかもしれない。
散策道から少し脇に入った場所には、「指月殿(しげつでん)」という経堂がある。
経堂とは経典を納めておく建物。
伊豆最古の木造建築である指月殿は、北条政子が源頼家の供養のため、修禅寺(しゅぜんじ)に寄進したものだ。
お堂の中、中央に安置されている釈迦如来座像のお姿を拝見。
本来の釈迦如来座像は手に何も持っていないそうだが、この釈迦如来座像は、右手に蓮子の花を持っている。
蓮子の花は、極楽浄土の花とされている。
蓮子の花を持つ側、参拝者から見たお堂に向かって左側には、頼家の墓がある。
北条政子は尼将軍と呼ばれ、強くて冷たいイメージを持たれがちだが、蓮子の花に息子頼家の冥福を祈る気持ちが表されているようだ。
北条家の権力を守るために息子を見放したともいわれている北条政子。
指月殿にて母の愛を知り、深く感銘を受ける。
改稿・編集 会長HT
詳しくは以下のリンクを参照してください。
伊豆パノラマパーク https://www.panoramapark.co.jp/
修善寺温泉 https://www.shuzenji-kankou.com/
2024年06月08日
静岡県静岡市 全国東照宮の創祀 久能山東照宮に 家康公を訪ねる 2021年4月11日来訪
徳川家康公がご祭神として祀られる 久能山東照宮です。
新東名高速道路から新静岡ICを出て、日本平(にほんだいら)山頂の「日本平夢テラス」を、車で目指す。
新緑が作るトンネルの景色を楽しみながら、日本平パークウェイを進めば、35分ほどで目的地に到着。
標高300mの丘陵地である日本平夢テラスから望めるのは、駿河湾越しに仰ぎ見る富士山の絶景だ。
施設内3階にある「展望フロア」、そして屋外にある1周約200mある展望回廊からは、眼下に伊豆半島まで見渡せる駿河湾のパノラマビューが楽しめる。
展望回廊のデザインは、隈研吾建築都市設計事務所が手掛けたものである。
隈氏は2020年、東京五輪のメイン会場となる新国立競技場の設計を担当した、日本を代表する建築家。
地元静岡県産のヒノキ材をふんだんに使い、周囲の自然と調和したデザインは、訪れる観光客に安らぎの展望時間を与えてくれる。
屋外回廊を支える、木材が複雑に組み合わさった、隈研吾デザインの建築構造。
見ていて飽きが来ない。
日本平夢テラスを後にし、向かった先が、徳川家康公をご祭神としてお祀りする「久能山東照宮(くのうざんとうしょうぐう)」。
全国にある東照宮の創祀である。
久能山東照宮へは、日本平山頂からロープウェイに乗って移動する。
往復1,250円のチケットを購入してゴンドラに乗り込み、5分ほど下降すれば、境内前のロープウェイ久能山駅に到着だ。
久能山東照宮への参拝は、久能山の麓から、1,159段ある石の階段でできた表参道を登る方法もある。
昔の人は、階段段数の数字から、「いちいちごくろうさん」としゃれを言いながら登ったそうだ。
石段は曲がりくねっていて、傾斜が厳しいと所もある。
足腰に自信のない人は、ロープウェイを使っての参拝をお勧めしたい。
日本平ロープウェイ久能山駅から100段ほどの階段を上ると、久能山東照宮の「御社殿」が現れる。
色鮮やかで華やかな彫刻や壁画に、視線が釘づけになる。
装飾には、徳川家康の願いや哲学が表わされているようで、中国の故事を引用した物語も垣間見れて興味深い。
久能山東照宮 御社殿は、日本平夢テラスの建造物とはまた違った、独特の存在感がある。
重厚で豪華絢爛。
さすが国宝といった印象だ。
無数に張り出した垂木の先には全て同じ紋章が描かれてあるようだが、その中で、1つだけ逆さまに葵の御紋が描かれてあるのを見つけた。
神社が未来永劫残り続けるように、あえて未完成にさせているためであるとか。
縁起を担ぐ古人の心意気が知れて面白い。
境内に掲げられている、徳川家康が残した言葉が記された「東照宮遺訓」。
この言葉は将軍退任の際に書き留められたもので、後継者へ人生の指針を示したものである。
「人の一生は重荷を負ひて遠き道を行くが如し 急ぐべからず」から始まる遺訓。
「人生は重い荷物を背負って長い道のりを歩き続けるようなものなのだから、焦らずゆっくりと進みなさい」という意味の1文に心を掴まれる。
戦国時代を勝ち抜き、江戸幕府を築き上げた将軍だけに豪快な印象の人物像だが、遺訓からは地に足が着いた謙虚な人柄がうかがえる。
家臣に慕われていたというのもうなずける話だ。
家康の生き様を表した遺訓は、現代を生きる私たちにも通じるものがあり、ぜひとも心に留めておきたい。
久能山東照宮の石段を、麓から登り切った場所に、「一ノ門」と呼ばれる門がある。
この門をフレームにして見る駿河湾の絶景に、息を呑む。
駿河湾の海面が魅せる青く眩い景色を眼下に収めれば、階段を延々と登り続けて溜まった疲れも、一気に吹き飛ぶことだろう。
4月上旬ではあるが、強い日差しで身体が汗ばむ今日の気候。
門周りに作られる木陰のオアシスで、絶好の景色を眺めながらしばし休憩する。
門を通り抜ける爽やかな風が気持ちよい。
一ノ門より足を踏み出し、外を覗くと、急な石段が下へ長く続いていた。
神社になる前は、久能城という武田氏のお城であった久能山東照宮。
一ノ門は久能城 大手門の跡地だ。
難攻不落の山城として、久能城周りの急勾配が敵の侵入を困難にしていた事実は、想像するに難くない。
紅葉の季節を待って迎える再訪の日、今度は石段を利用し、先人たちが歩き続けた過日を思いながら参拝したい。
改稿・編集 会長HT
詳しくは以下のリンクを参照してください。
日本平夢テラス https://nihondaira-yume-terrace.jp/
日本平ロープウェイ https://ropeway.shizutetsu.co.jp/
久能山東照宮 https://www.toshogu.or.jp/
2024年06月01日
和歌山県伊都郡高野町 高野山にて 弘法大師 御入定の聖地 奥之院を歩く 2024年4月13日来訪
弘法大師 空海が永遠の瞑想に入っている聖地、高野山 奥之院です。
高野山観光の足 南海りんかんバスに乗り、「一の橋口(いちのはしぐち)」で下車。
高野山「奥之院(おくのいん)」への正式参拝ルートは、この「一の橋」からスタートする。
弘法大師 空海が即身成仏となって入定し、今も瞑想しながら救いの手を差し伸べているといわれる「弘法大師 御廟(こうぼうたいし ごびょう)」まで、約2kmの参道を歩く。
樹齢千年に及ぶ杉木立が魅せる「奥之院 参道」には、20万基を超える供養塔や墓石が立ち並ぶ。
厳かな霊気に満たされた参道を道なりに進むと、「姿見の井戸」がひょっこりと現われる。
井戸の中を覗いて自分の顔が映らなかった者は、3年以内に死ぬという言い伝えがある姿見の井戸。
恐る恐る井戸の中を覗いてみれば、そこに映るのは紛れもない自分の顔で、ほっと一安心。
果たして、今まで自分の顔が映らなかった人はいたのだろうか。
姿見の井戸は「こうや七不思議」のひとつに数えられており、その真偽はともかく、高野山の伝説が観光客の関心を集めているようだ。
一の橋から御廟橋へと向かい進む中、その中間点に当たる「中の橋(なかのはし)」を越えると、なだらかな階段が現れた。
「覚鑁坂(かくばんざか)」は、この先の密厳堂に祀られている、覚鑁上人の名に因んで名付けられた坂。
覚鑁上人は、真言宗の祖・弘法大師 空海に対して中興の祖・興教大師 覚鑁と呼ばれ、真言宗の発展に尽力して大寺院 根来寺(ねごろじ)を建立した人物だ。
別名 三年坂と呼ばれるこの坂にも言い伝えが残されており、もしも坂の途中で転ぶと、寿命が3年もたないといわれている。
「こうや七不思議」のひとつである覚鑁坂に、またまた怯えさせられながら、43段ある石段をゆっくり慎重に歩く。
43の数字は、42に1を加えて、「死に」を乗り越えた縁起を担いだものである。
無事、転ばずに石段を上り切って安堵する。
普段であれば、何でもない、階段を上るという行為。
これほど集中したことはかつてなかっただろう。
墓地の中で、ひときわ目立つカラフルなお地蔵様を発見。
「お化粧地蔵」と呼ばれるこのお地蔵様は、知る人ぞ知る、「このお地蔵様にお化粧をすると美人になる」というユニークな言い伝えがあるお地蔵様だ。
道行く人が、口紅や頬紅を塗って差し上げ、手を合わせる。
これはぜひやってみたいと、自分の持っている化粧品を使い、お地蔵様へのお化粧を試みる。
滅多にない体験にドキドキしながら、愛らしいお地蔵様に向き合い、お顔に手をかける。
美人になるかは分からないが、お地蔵様と情が通じたようで、喜びが込み上げた。
奥之院 参道では、皇室や各宗派の開祖、戦国武将など、実に様々な階層の人々が大師様に寄り添い墓所を作っている。
空海のそばで眠りたいという先人たちの願いが反映されているようだ。
織田信長 墓所を案内する標を見つけた。
延暦寺を焼き討ちした、仏教の敵である織田信長も、極楽往生を願ってここに墓を作った。
その信長への反逆者 明智光秀も同じ地に供養されており、仏の下では誰もが同様に救済を求める気持ちが垣間見れ、実に興味深い。
ほかにも石田三成、武田信玄、豊臣秀吉、武田信玄などの墓があり、戦国武将ファンにとってもこの参道は聖地であるに違いない。
約2kmほどの参道を歩き通し、ようやく御廟橋の麓へたどり着く。
御廟橋を渡る手前右横には、玉川の清流を背にして、15体の金銅仏が並んでいた。
15の尊像は「水向地蔵」と呼ばれるが、川で禊をする参拝者の代わりとして、仏様に水を手向けて供養する慣わしが由来となっている。
仏様の足元へそっと水をかけ、手を合わせる。
御廟橋を渡ると、いよいよ出会えるのが弘法大師 御廟だ。
この水向地蔵より先は、撮影が一切禁止の神聖なエリア。
お堂までの道のりには、霧のかかった冷たい空気が立ち込めていた。
研ぎ澄まされた霊気が漂う中、弘法大師 空海の息づかいが聞こえてくる。
弘法大師 御廟の拝殿に当たる、「灯籠堂(とうろうどう)」の中へ入る。
お堂の中で目にするのは、天井に吊るされた無数の灯籠。
祈親上人(きしんしょうにん)が献じた祈親灯と、白河上皇が献じた白河灯は、1000年近く燃え続けているといわれる。
灯された火の温かさを感じながら、地下へ降りる。
地下には灯籠に加え、「身代わり大師」といわれる小さな弘法大師像が多数並び、その荘厳さに息を呑む。
まさに金剛峯寺 奥之院が魅せる創造世界の真骨頂だ。
さらに通路を進むと大きな数珠と五鈷杵が置かれており、実際に触れ、弘法大師の恩徳を頂く。
通路一番奥にあるのが弘法大師の肖像。
数十メートル手前の祭壇より、心静かにお参りさせていただいた。
厳粛な空気で満ちあふれた聖なる弘法大師 御廟を後にし、清々しい気持ちで寺務所へ向かう。
奥之院 参拝の証となる御朱印は、こちらで拝受できる。
弘法大師 空海様とのご縁の記録を手にして、旅の感動を心に深く刻み込んだ。
寺務所近くの休憩場所で歩き疲れた身体を休ませ、お茶を飲み、ほっと一息つく。
魅力にあふれ、見どころ満載の高野山。
奥之院へは、高野山の魅力を感じる観光名所として、一生に一度は訪れたい。
今旅では、生と死、俗世と浄土が交わる特別な空気を感じ、生を希求する感情があふれ出した。
「今ある命に感謝して人生を全うしよう」
心からそう思い、貴重な体験ができた高野山の旅を終えた。
改稿・編集 会長HT
詳しくは以下のリンクを参照してください。
高野山を巡る|高野山真言宗 総本山金剛峯寺 https://www.koyasan.or.jp/sp/meguru/
世界遺産|わかやま歴史物語 http://wakayama-rekishi100.jp/heritage/
南海りんかんバス株式会社 http://www.rinkan.co.jp/mb/
高野町|こうや七不思議 https://www.town.koya.wakayama.jp/bunka/history/693.html
2024年05月25日
第3回 『旅行記 執筆 友の会』食事会 を開催!
第3回 食事会を開催いたしました。
お集まりいただいた会員の皆様、ありがとうございました。
記念すべき第3回を数える今回の食事会にて、話し合われた内容をお知らせいたします。
今回は、我がサークルの理念や会員の概念について、より深く思想的に思索する時間を持ちました。
以下が話し合われた今回の議題です。
「我がサークルがイメージする『会員』の世界観」
「執筆する上で注意したい文章表現の例」
旅行記を通して感動体験を共有する、その先に見える世界とは何か。
世界的な視野から我がサークルの活動目的を見つめ直し、会員同士の仲間意識を深めました。
今後も会員の皆様が関心を寄せる議題を提起して、話し合いを行っていきます。
我がサークルを共に盛り上げていきましょう。
和歌山県伊都郡高野町 観光列車 天空に乗って 世界遺産 高野山を訪ねる 2024年4月13日来訪
観光列車 天空で行く 世界遺産 高野山への旅です。
なんば から南海電鉄 高野(こうや)線で揺られること50分、和歌山県にある橋本駅に到着。
ここから真言宗の総本山 金剛峯寺(こんごうぶじ)を目指し、こうや花鉄道の観光列車「天空(てんくう)」へ乗り込む。
天空の乗車は事前予約制となっており、お手軽な価格の座席指定券520円で、快適な鉄道の旅が堪能できる。
座席の配置は、どの位置からでも車窓の景色を楽しめる工夫がされており、どの席を選ぶかといった心配はご無用だ。
席は、早めに予約したからか、運良く先頭展望席を確保する。
橋本駅から天空の終点 極楽橋駅までは約40分。(橋本〜学文路〜九度山〜極楽橋)
軽食を味わいながら、車窓に流れる美しい自然の風景に没頭し、幸せな鉄道時間を過ごす。
車内アナウンスでは、各停車駅の見どころや、野生動物の出没エリアなどを教えてくれる。
窓ガラスを通して見えるのは、緑が生い茂る長閑な景色。
やがて、急勾配や急曲線が目立ち始め、山岳らしい険しさを見せるようになる。
道中の変わりゆく景色も、高野山(こうやさん)へ向かう旅の見どころだ。
天空の終着駅「極楽橋駅」で下車し、次はケーブルカーに乗り換えて高野山駅を目指す。
極楽橋駅すぐ近くにある「極楽橋」は、聖域である高野山と俗世を分ける、境界に当たると言い伝えられているそうだ。
駅では「はじまりの聖地、極楽橋。」というコンセプトの下、宝来天井絵を楽しむことができる。
「宝来」とは、弘法大師 空海が中国からもたらした、様々な縁起物がかたどられた切り絵。
日照時間の短い高野山では古くから稲作ができず、しめ縄の代わりにこの絵を飾る風習があった。
ケーブルカーに乗るまでの道のりでは、乗客皆が天井を見上げ、宝来絵の美しさに魅了されていた。
長い鉄道の旅を終え、いよいよ高野山駅に到着する。
ここで南海りんかんバスの一日フリー乗車券(1,100円)を購入し、路線バスに乗車。
金剛峯寺前で下車し、高野山散策の旅を始めた。
「金剛峯寺 主殿」の入口左右を、まだまだ見頃な枝垂れ桜が綺麗に飾る。
その前に集まるのは、カメラを手にしてレンズを向ける人々。
春の澄んだ空気の中、美しく咲き誇る桜が忘れられない光景を見せてくれた。
金剛峯寺 正門をくぐると、主殿がお目見えする。
右手に見える鐘楼に、向かい合う囲いがされた入口が「大玄関(おおげんかん)」、その1つ先にあるのが「小玄関(しょうげんかん)」だ。
正門、大玄関は、天皇や皇族、高野山の重職だけが出入りを許されていた。
金剛峯寺という名称は、弘法大師が「金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経(こんごうぶろうかくいっさいゆがゆぎきょう)」というお経より名付けられた、高野山の総称だそうだ。
境内は、総坪数48,295坪という実に信じられない広さ。
広大な敷地内では、僧侶が厳かに歩き、仏様へ手を合わせて献身的に務める姿を垣間見れる。
神秘的で清々しい雰囲気が満ちあふれている。
金剛峯寺 主殿を発ち、15分ほど歩くと、「奥之院(おくのいん)」と並ぶ高野山二大聖地の「壇上伽藍(だんじょうがらん)」に到着する。
壇上伽藍は、弘法大師空海が開いた真言密教の根本道場で、19もの諸堂が立ち並ぶ。
入口に当たる中門(ちゅうもん)をくぐって最初に姿を見せる建物が「金堂(こんどう)」だ。
ここはかつて講堂と呼ばれ、高野山の総本堂として重要な役割を果たしてきた場所である。
度重なる火災などで、現在の建物は7度目の再建によるものだそうだ。
本尊の薬師如来は、木彫の近代化に貢献した高村光雲仏師によって造立され、江戸時代までの木彫技術に洋彫刻の写実主義を取り入れている。
歴史ある建築の中に、近代アートのような要素を取り入れているのはとても興味深い。
金堂の先、北東に位置するのが、真言密教のシンボルとされる「根本大塔(こんぽんだいとう)」。
まずはその大きさに驚く。
高さ約48.5mと、とても大きな建物であるため、全体像を撮影するにはお堂からかなり離れた場所からカメラを構える必要がある。
シャッターを切ったあとは、早速、気になるお堂の中へ。
堂内には立体曼荼羅が作られていて、参拝者は、仏が説く真理や悟りの世界に包まれる。
高野山は、観光列車 天空で道中からワクワクするような体験ができ、下車後も広く神秘的な山内を時間の許す限りたっぷりと楽しめる場所である。
外国人観光客やお寺好きには宿坊体験も人気で、様々な宿泊可能な寺院があるようだ。
お寺に宿泊して心身ともに浄化し、空海が開いた聖地でゆっくりと過ごす。
高野山への旅は訪問者次第で様々に楽しめる。
1日では味わい尽くせない、まだまだ魅力溢れる高野山。
ぜひとも足を運び、自身で高野山の魅力を発見したい。
改稿・編集 会長HT
詳しくは以下のリンクを参照してください。
南海電鉄高野線 天空 https://www.nankai.co.jp/koya/tenku/index.html
南海りんかんバス株式会社 http://rinkan.co.jp/
高野山 https://www.koyasan.or.jp/
2024年05月18日
京都府京都市北区紫野今宮町 晩春の京都に 厄神を祀る今宮神社を訪ねる 2024年4月12日来訪
晩春に訪れる 厄神を祀る 京都の紫野 今宮神社です。
地下鉄烏丸線の北大路駅から歩くこと約25分、京都 紫野(むらさきの)にある「今宮神社(いまみやじんじゃ)」に到着。
参道には今宮の名物「あぶり餅」の名店が並ぶ。
その中で、参拝道に行列ができる有名店「あぶり餅 本家 根元 かざりや」の暖簾をくぐった。
一人前600円のあぶり餅は、柔らかい餅と甘い味噌のタレがとても味わい深く、歩き疲れた心身に染み渡る。
古民家の雰囲気が心地良い店内から、今宮神社 本社へ続く風情ある参道の景色を望み、これから始まる参拝時間への期待に胸を膨らませる。
あぶり餅の名店が向かい合う通りを過ぎると、東門が見えてくる。
その奥に見える小さな赤い橋が、神橋「元禄の遺橋」だ。
周りの木々が放つ緑色に、橋の朱色が美しく映える。
日差しがたっぷり降り注がれ、初夏を思わせる暑ささえ感じられた晩春の日。
神聖な雰囲気に包まれた空間は心身を引き締め、涼しさを運んでくれる。
門の前で一礼をし、神域を目の前に高鳴る気持ちを抑えながら、境内に足を踏み入れる。
境内を進むと、見えてくるのが大きな拝殿。
中央に位置する舞殿形式の拝殿は、柱は角柱で、四面いずれも建具がなく吹き放ちになっている。
奥に望めるのが、幣殿、そして本殿だ。
登録有形文化財に指定されている拝殿は、毎年5月1日、「今宮祭(いまみやまつり)」の「神輿出し」が行われる場所。
出卸する神輿3基が倉から拝殿に上げられる。
四方を囲うようにして吊るされている提灯からは、邪気を払う、賑やかな祭りの雰囲気を感じ取れる。
機会があれば、今宮祭の祭礼にも立ち会いたい。
屋根だけが確認できる幣殿奥の本殿に向き合い、守られた旅の道中に感謝し、祭神の3柱に頭を下げた。
祭神は、大己貴命(おおなむちのみこと)、事代主命(ことしろぬしのみこと)、奇稲田姫命(くしなだひめのみこと)。
今宮神社の本社に向かって左側には摂社の「疫神社」があり、こちらでは素盞嗚尊(すさのおのみこと)が祀られている。
境内西側には摂社や末社が数多く存在する。
拝殿に向かって左手前にあるのが「紫野稲荷社(むらさきのいなりしゃ)」。
鳥居を抜けて小高い石垣の上に立つと、小さいながらに神聖な霊気を放つお社を目の前にする。
紫野稲荷社の祭神は伏見稲荷大社と同じ宇迦御魂命(うがのみたまのみこと)である。
右側には「織田稲荷社(おだいなりしゃ)」が並列しており、ここに織田信長公とその家臣が祀られているようだ。
境内石畳の参道を進み、途中待ち構える坂を踏み越えていくと、道中にいくつかのお社が現われる。
坂の途中に現れた「地主稲荷社(じしゅいなりしゃ)」へ立ち寄ってみる。
登録有形文化財に登録されている地主稲荷社は、倉稲魂大神(うがのみたまのおおかみ)、猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)を祀っている。
天孫降臨に関わる神が、今宮の地を守護する地主神として祀られているようだ。
今宮神社は別名を「玉の輿神社」という。
元々八百屋の娘であった「玉」さんが、徳川家光の側室となり、のちに徳川綱吉を産んだことから大奥で将軍の生母として権威をふるうようになった。
晩年には従一位の高位にまで昇り詰めたお玉さん。
故郷西陣の今宮社が当時荒れているのを嘆き、途絶えていた「やすらい祭」を復活させるなどして、大いに復興のために努めた。
かつてお玉さんと呼ばれた「桂昌院(けいしょういん)」は、神社中興の祖として今日でも遺徳が讃えられ、境内にある「桂昌院レリーフ」でその亡き面影を拝観できる。
「玉の輿」という言葉は、桂昌院が歩んだ女性としての類まれな生涯が起源ともいわれる。
授与所では、御朱印と共に、桂昌院にあやかった「玉の輿守」なる名前のお守りを授かる。
若い年齢層の参拝客が目立つ今宮神社境内。
玉の輿のご利益が若い人の心を掴んでいるようだ。
桜の見頃を過ぎ、その多くが散り始めた晩春の京都。
未だ咲き残る今宮神社境内の桜を目にし、恵まれた日差しの中で春の景色を楽しむ。
境内東側で、「力石」なる名所を発見。
写真左下に写る石の塊は、見るからに重量感があり、人間の力で持ち上げるのは難しそうだ。
試しに持ち上げてみようと手を掛けるも、びくともしない。
今宮神社境内は、広い敷地に多くの見どころを抱える。
厳かな空気が漂う神域の中にあっても、誘発される遊び心で崇高な神社との距離が縮まる。
玉の輿守 に 力石。
神社が、我々一般人にとって身近な存在であることに、心より感謝してやまない。
改稿・編集 会長HT
詳しくは以下のリンクを参照してください。
紫野 今宮神社 http://www.imamiyajinja.org/