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プロフィール

竹田直哉 (vib)
Jazzヴァイヴラフォン奏者。 本格的なBeBopSTYLEを駆使したリズミカルなプレイは、業界内かつリスナーの間にて、高く評価されている。 現在は約2年間の休業から来年の本格的復帰に向けリハーサル、新曲制作などに取り組む日々を送っている。
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2007年12月30日
2007年の締めくくりは「A−1」出場
明日、再び闘いに挑む。 俺とは比べ物にならないくらい大きな敵を目の前に怯まずにいられだろうか? 開始前の段階で、威圧に屈しなければ、フルタイムの闘いになろうとも余力を残して終えられるだろう。 ただ現段階にて、いまだ勝算を見出せなく、それを敵に見透かされた暁には秒殺されかねない…それだけ手強い。 年末締め括りの"A−1,こと単発アルバイト…… 『Kimuchi Kids』 なる人気(両刀)男性アイドルDuoが東京ドームでカウントダウンのど自慢と洒落込むことから僕はオコボレの年越し切符切りに参加できることとなった。 自分の時間を売ることでシノギを得る。 その有様は売春活動と同等、もしくはそれ以下の待遇である事がほとんどである。 昨今、幼少の頃を思い起こす事が頻繁になっている。 何故あんなにときめけたのだろうか? ためらいなく笑顔でいられたのか? そして…今の自分を想定できてもそうあれただろうか? さすがに笑うこともできない心境にあるんだ。

2007年12月27日
Uguisudani On My Mind
『鶯谷』 JR山手線外回りだと日暮里の次、 上野駅よりひとつ前にJR鶯谷駅は存在している。 僕自身、JR鶯谷駅で下車したことは、 数えられるくらいしかない・・・ 先日、山手線で移動している最中に車内の JR線路線図を眺めていて気が付いた。 突然なるきわどき発言お許し願いたい旨にてのべるのだが、 僕にとっては 「煩悩」 を満たす目的でしか利用した事がなく、 それ以外の事に関して、全く頭に浮かぶ事のなき土地なのである。 哀しいかな今や力一杯過去形の出来事でしかなくなってしまった だけに、こうして綴れる事にさらなる虚しさをも感じている。 「駅を出て徒歩0分」 なるラブホテルが多数聳え立つその風情は、文化財として保存 する価値は充分にある。 それらの歴史ある類の建築物を女性と利用している自分を夢見 ることと希望にしてきたことでモチベーションを高め続けたティ ーンエイジャー時代。 『ディズニーランド』 アトラクションにおいて万遍なく駆使するイルミネーションを、 僕は類に漏れることなく大好きにあるのだが、 性に目覚め始めた頃から電車の中から窓越しに見とれていた モーテル群の電飾看板が放ちだす華麗なる妖艶さと比べると 夢を与えてくれる在り方としては、まだまだ 『鶯谷』 の足元にも及ばなくある。 それらは己を含む当時の若人達に 「大人サイコー!」 と叫びたくなる思いと同時に、多大なる淫靡なる夢と希望を与えて くれた。 最後に、散々文化財的な在り方として綴ってきたので訂正して おくが、今現在においても鶯谷はリアル・ナウである。 まちがっても都内七福神めぐりと同じ思いにて足を向けようものなら 後悔するはず。 愛に生きている幸せ者達よ! マイ・ルームや近場のシティホテル等で愛のミーティングをするのは 勿論楽しき時であることだろうが、愛のバリエーションをひとつ増や してみるつもり位のノリで、是非『鶯谷』に足を向けてみてほしい。 そこでは赤線全盛期から残り続けている風情(エロティズム)を全身で 感じられるんだ。 そこから得られた情感は、間違いなくあなたにとって生きていく上での 新たな活力となりうると僕には思えるよ・・・・

2007年12月24日
アルバイター復活!
先週からアルバイトを開始した。 予定は12月初頭からはじめるつもりだったが、性質悪き風邪にやられてしまい、半月も遅れてしまった。 まずは今の自分にはどのような業務内容があっているかを探らなければならなくあることから、短期の仕事が豊富にありそうな人材派遣会社に登録をした。 そことは違うセレモニー専門の人材派遣会社から受けた葬儀場の駐車場係りの仕事でのろしを上げ、夜勤のコンサート会場舞台設営補助員も体験してきた。 まだそのふたつしかこなしていない状況であるのだが、 既に僕の中で "思うところ" "考え込んでしまう" は尽きなくなってしまった。 現段階で確信を持って言える事は、自身が憶測していた以上に世相は善くなき状況に至ってしまったようで、その職場に浸かっている9割以上の社会人達は、コミュニケーションにおいて他人解放に勤めようともしていなかった。 もしかすると、する術すら知らないのかもしれない。 駐車場係も舞台設営補助員も期待とは裏腹な答えとなった。 今後それらを引き受けることはまずないことだろう。 僕にはお金さえ貰えればそれでいいという考え方ができない。 かといいながら喜びを得ようとも思っていない。 「ハツラツと取り組める」 これがえられさえすれば、是非続けようと思うに違いない。

2007年12月20日
久々のロンリー雑談です。
風邪がなかなかとんでくれず、そのまま年末憂鬱病も併発し、現在に至ってしまいました。 慢性孤独病もいつになく激しさを増し、結構手におえません。 そんなこんなで完璧に自身のペースを崩してしまった僕は、建て直す術も見つけられぬまま…やっぱり現在に在ります。 今、このロン雑をラッシュの地下鉄の中で綴っています。 近年稀な寒波にある冬… 寒さを完全防備にて防ごうとするのも問題あるなぁ、などと自覚せざるえない現状。 ズバリ!汗だくです。 とおっても恥ずかしい状態をどう振る舞ってよいか解らず、ロン雑に手わ出したのでした。 あしからず……。

2007年12月12日
(-_−#)俺が竹田っス!(10)
僕がヴァイブラフォンを奏でようとすればするほど、比例し発生するノイズは隣人だけではなく町内会においても問題視されていることを知りました。 まさか自身が騒音公害の源となっていようとは夢にも思っていなかっただけに、傷つき、落ち込んだりもしました。 防音対策をするにもそれを考えるべく資金などあるわけがなく、自暴自棄になった僕は再び地元の最寄駅前周辺にてタムロする日々をはじめました。 「やはり家族のバックアップなくして音楽家になろうなんて、無理なのだろうかぁ・・・」 考えてみれば、自分勝手に音楽家になろうと思っていただけで、その道の先進に才能を認められた事などなかったことに気づきました。 全てが自身の思い上がりに過ぎなかったのです。 「やっぱり・・・・ダメかねぇ・・・」 初めてギブアップすることが脳裏をよぎった瞬間でありました。【続く】

2007年12月11日
また風邪かよぉ!
昨晩、咳こみはじめて自覚した。 「ウッソォ−!か…風邪?」 先々週から先週にかけて寝込んでいた事から、風邪は根治したものと心の底から信じていた。 インフルエンザの予防接種を受けてから3週間以上経過している。 先週の月曜日に病床から抜け出した瞬間までの健康状態を遡るように思い起こしてみた。 「そういやぁ…胃がムカついていたよなぁ…」 症状がでる度に甘い物を食べたせいだぁ〜食い合わせが悪かったんだぁ〜よく噛まずに食べたからだぁ〜とパケットで理由付けをして納得してしまっていたがぁ!… 今になってみると、その度に飲んでいた胃薬が今ひとつ効かなくあるなぁともさりげなく思ったりしていたんだ。 「まさか!治っていなかったとは…」 そう納得すると同時に首筋に悪寒を感じ始めた。 「こ!?…今度はぁ、発熱かぁあ−!」 風邪のせいではなく、精神的に目の前が真っ暗になった。 (気をしっかり持つ為に必要な希望なるもの皆無であるこの俺様がぁ…何故ゆえにこのような目にあわねばならぬのだぁ…無念…) そして今朝受付開始を見計らって行き着けの小児科を訪ねた。

2007年12月07日
(-_−#)俺が竹田っス!(9)
叩けば誰が弾いても音がでる… 管楽器は音が出るようになるまでが大変なのだと思うのです。 それだけにウ゛ァイブは楽勝であろうと思っていました。 ……完全に舐めていました。 その後、師匠の口から放たれた教えは一生忘れないでしょう。 『簡単に音が出る楽器ほど、真なる音となるまで時間を要する』 この言葉を頂戴した時から20年以上の年月が起ちました。 その間、その言葉の持つ意味を何度となく実感させられてきました。 そしてこれから先の音楽人生においても、それを実感してゆくことでしょう。【続く】

2007年12月05日
(-_−#)俺が竹田っス!(8)
プロ志望の初心者として3度目のスタートを切った自分に、ヴァイブラフォンを手に入れるべく経済力など皆無にありました。 幸いにも学生時代にバイトをさせてもらっていたレンタルレコードSHOPの店長からマリンバを貸りることができました。 ヴァイブラフォンの代わりとしては厳しくはあったのですが、打楽器を扱うのが初めてである方向から考えると充分ありがたく感じられました。 しかし執念とは凄まじきものでして、数ヵ月後には小型ながらヤマハのヴァイブラフォンを手に入れる事ができました。 「ヤタッ!これで完全に俺様のペースだぜぇぇい!・・・ククッ・・・・」 よもやこの楽器でJazzを奏でることにおいて自身の右にでるものはいないに違いないなどと思ってしまったほどの勢いでした。 しかしながら現実はそう甘くない訳で、すぐさま鼻っ柱をへし折られることとなりました。 毎日、朝から晩までガキンゴキンパキンピキッ!と叩きまくっていたある日のこと。 隣接している家の娘さんが僕を訪ねてきました。 娘さんから発せられた言葉は 「母が以前から竹田さんのお宅から聞こえてくる金属音が原因で頭痛を訴えていたのですが、ここ数日深夜になると突然実際に鳴っていない金属音が聞こえると言って頻繁に目をさますようになり、その睡眠不足の蓄積から日常生活をもおぼつかなくなってしまったのですが・・・・・」 自分が放っていたものは音楽とは程遠いノイズでしかなかったと知り、一気に自信を失う運びへとなりました。【続く】

2007年12月04日
風邪をひいてしまった。
チキショー!風邪をひいて一週間も寝込んじまったぜぇぇい。 かといいながら、何もやることねえんだけどさぁ。 楽器の練習もやる気がしないのはいつからのことか? メタボリックなボディもなんとかしおようって気にならず・・・いくところまでいってしまうのか・・・。 かぁなぁりぃ見た目ヤバくなっているのがよく解るのだけど、 痩せた向こう側にある希望ってものが全くみえないのだからやる気もしない。 俺・・・このままやもめで人生を終えてしまうのであろうか・・・ありうるなぁ。 音楽も盛り上がらないわけだよなぁ、これじゃさぁ。 もういいよ・・・。


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