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2013年03月04日

古代日本は唐に占領された (1)

「ヒエタノアレモコロサレキ」(稗田阿禮も殺されき) 
古代日本は唐に占領された ― 漢字文化に抹殺された眞實 より転載


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http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/848.html

紀元前の日本史と世界史の虚構が暴かれる!

 さて、『契丹古伝』が私たちに垣間見せてくれる太古日本の歴史は、その内容があまりにも
通説とかけ離れているため、これまで欧米や中国の学者たちが流布してきた世界史の常識に従
えば、まったくの空想としか思えない。

 が、『契丹古伝』によれぱ、私たち日本人と契丹人の共通の祖先である「東大神族(シウカラ)」

(『契丹古伝』では「東大古族(とうたいこぞく)」とも記される)の歴史は、過去三千年にわたってエジプト、シュメール、インダス、黄河の地を次々に侵略してきたアッシリヤ人、つまり中国で漢人(あやひと)として知られる欧米の支配階級アーリヤ人の手で抹殺され、改竄(かいざん)されてきたという。

 つまり、私たちがこれまで教わってきた紀元前の日本と世界の歴史、とくに・漢帝国、ロ
ーマ帝国以前にカラ族=東大神族が地球の各地で都市文明を興した史実を抹殺した世界史はこ
とごとく虚構
である、というのが『契丹古伝』全体を貫く基本テーマとなっている。

 私たちの祖先の真実の歴史、カラ族(クル族)と呼ばれてきた東大神族がかつて地球のすみ
ずみに築き上げてきた輝かしいムー文明(太古日本の宇宙文明)の歴史は、アトランティス人
(漢人/アーリヤ人/アッシリヤ人)の手で巧妙に流布されてきた歴史の通説にひそむ大ウソ
を暴かないかぎり明らかにすることはできない
、と同書は訴えているのである。
 
 
 「漢字の発明者・蒼頡(そうきつ)」の碑文がいまだに解けない漢字国・中国の謎

 たとえば『契丹古伝』は、紀元前の国大陸の主人公はあとからやって來た漢民族ではなく、
もともとそこに住んでいた日本人の祖先だった
、と記す。

 そこで、これから述べることは拙著『超古代世界王朝の謎』(日本文芸社刊)のなかですで
に紹介したことだが、きわめて重大なことなので再び取り上げながら、目を中国自体に向けて
みよう。

 中国の歴史の記録は、前漢の武帝が司馬遷に命じて編纂した『史記』に始まる。

この『史記』の記録に基づいて、これまで紀元前の中国には、夏(か)とか殷(いん)、周(しゅう)(西周)という王朝があったとされ、やがて秦という強大な王朝が台頭して中国全土を統一した、ということになっている。

秦による中国の統一以前の歴史は、一般には次のようにいわれている。

 すなわち、紀元前七七〇年頃から東周の時代が始まり、諸侯の一つであった大国の晋(しん)が紀元前四〇三年頃に分裂したあと、戦国時代になった。そして紀元前五世紀に始まる戦国時代から、斉(せい)・晋・楚(そ)などの覇王の戦いが激しくなっていった。

そして、戦国諸国を統一したのが秦の始皇帝である、と。

 しかし、このように教えられてきた中国の歴史がはたして真実だったのかどうか、日本の場
合と同様、考え直してみる必要がありそうだ。

 その好例として、中国の西安郊外に碑林(碑文の林)というところがある。
その碑林に、漢字の発明者といわれる蒼頡(そうきつ)という人物が残した碑文がある。

 漢字を発明したのがほんとうに中国人であるとしたら、この蒼頡碑文はとっくに中国の学者
が読み解いていていいはずだが、いまだに中国では謎の碑文として、未解読のままなのである。

 しかし、そこに書かれている文字は、101ページをご覧になればわかるとおり、日本に伝わっ
ている北海道異体文字(アイヌ文字)とそっくりである。

また一部、トヨクニ文字に似ているものもある。

そこで、この蒼頡碑文を、日本の北海道異体文字とトヨクニ文字の混用文として
読んでみるとどうだろう。

  死後に富むを得
  幸い 子々孫々まで
  満たしめよ
       いわ    ん
  とくれぐれ言はれけむこと
       つつしう
  たみたみ慎み思ふ

 ここには、古代の日本語として意味をなす、すばらしい文が刻まれているのである。

そこで疑問となるのは、なぜ古代の中国に日本の神代文字で書かれた碑文があるのか、ということだ。

これは大問題である。

もしかしたら漢字の発明者と伝えられる蒼頡という人物は、中国人ではなく、古代の日本人ではなかったか。こんな途方もない想像さえ生まれてくる。

 
 
 中国・戦国時代の斉(せい)は出雲の国の事だった!?

 古代中国に日本人がいた!?しかもこの日本人は漢字の発明者らしい。
 
 私は不思議に思って、改めて日本神話と斉の国の神話を読み直してみることにした。
 
 するとどうだろう、これまで誰も考えつかなかったような、もっとすごいことがわかってき
たのである。

 それはプロローグにも記したが、本神話と斉の国の記録のなかにみられる「国譲り」の話
が驚くほどよく似ている
ことだ。かいつまんで話すと、こうなる。
 
斉の最後の王である王建は、秦の始皇帝に国譲りをしている。

一方、出雲神話のなかにもオオクニヌシがニニギノミコトに国譲りをしたという話がある。

 そこに登場するオオクニヌシの祖父はサシクニヲホといい、母はサシクニワカヒメという。

この二人の名前を北海道異体文字で表わしてみると、105ページ図10のようにそれぞれ、「敫(きょう)」
「君王后(くんこうおう)」という字になる。

 もうお気づきだろう。斉の最後の王、王建の祖父と母は、オオクニヌシの租父および母と、
ピッタリ一致してしまうのだ。

 ということは、出雲神話のサシクニヲホとサシクニワカヒメが、それぞれ斉の国の?と君王
后という人物にすり替えられた、ということではないだろうか。

 そう思って、ほかにもいろいろ調べているうちに、それを裏づける証拠が次々と出てきた。
 
 まず、それぞれの国譲りをした場所と、そのあと移った場所について、さきほどのようにし
て調べてみると、これまたピッタリ一致することが判明した。 

すなわち、日本神話のイナサノヲバマが斉の「荊」に、タギシノヲバマが「松柏」という字になるのである。

  このことは何を意味しているのだろうか。これは、中国大陸を舞台とした出雲のかつての真
実の歴史が、のちに漢字に書き改められ、中国の歴史にすり替えられてしまった、ということ
を意味していないか。

 さらに、この頃(戦国時代)の貨幣を調べてみると、戦国諸国が現在の中国大陸にあったな
ら、当然、それぞれ独自の貨幣をもっていたはずなのに、どれも斉の貨幣と同じものを使用し
ていたことが判明している。

しかも奇妙なことに、その貨幣にはすべて、たとえば「アマフユキヌ」のように、当時の出雲の王の名が神代文字で刻まれているのだ。


 この事実からも、戦国時代の斉の正体は、日本神話でいままでその実在性が疑問視されてき
た出雲の国だったことがよくわかるのである。が、決定的なのは次の事実だ。

 出雲を神代文字で表わし、それを組み合わせてみると、なんと斉≠ニいう字になる。

これをみれば、中国の歴史がすり替えられたことは一目瞭然である。


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漢字を発明したのは、日本人の祖先だってことか!

日本の古代文字で中国の古い碑文が読めたり、中国の貨幣に日本の神代文字がきざまれていた!

古代人はバイリンガルだったのか??? (゚∀゚) 


posted by ぷちそれいゆ at 10:50| History

2013年03月02日

日本人とユダヤ人の祖先は 同じ「クル族」

自然の力による「世直し」の軌跡 より転載

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日本人とユダヤ人の祖先は 同じ「クル族」
http://amba.to/Zy00pm

ヘブライ人の名前が何故、日本語で書かれていたのか?

それは、日本人の祖先とユダヤ人の祖先が同じクル族であったからなのです。

古代イスラエルのあったサマリアは、もともとは「カルクー」や「クルクー」と呼ばれていました。

クーは国を意味するので、カルクーはカラ族の国、クルクーは、クル族の国となります。

つまり、ユダヤ人と日本人は、その昔カラ族と呼ばれた「日経(ひふ)る民」(ヘブライ人)から分かれた兄弟民族だったのです。

日本の神代文字で書かれたアンデスの黄金碑文に、ユダヤ人が長い間捜し求めてきたクルの宝、即ち地球大異変で滅び去った「太古日本の宇宙文明の遺産」のありかが記されていたと見られるのです。

ユダヤ人ロスチャイルドも人を使って必死に捜し求めており、神代文字

に異常な関心を寄せているのです。その宝とは何か?

日本人の祖先が世界を治めていた時代に使っていた「ヴィマナ」と呼ばれる空挺なのです。

地球の上空だけでなく、惑星間飛行も出来た航空機の構造と材料、性能、建造法、操縦法などが具体的に書かれた古文書「ヴィマニカ・シャストラ」が存在するのです。

太古日本の科学者は、重力の問題を解決し、あらゆる形の飛行機械を造れただけでなく、住いや都市、巨大な島さえ宇宙空間に浮かべることが出来たのです。

現代の地球科学より、数段進んでいた時代があったのです。

それがある時全て失われ、縄文時代に戻ってゼロからやり直したのです。

・縄文・弥生時代の遺物から発見された「古代文字」

話を本題に戻して、日本の考古学会では、今まで日本で発掘された縄文時代や弥生時代の遺物に書かれたものを、文字とは見なさず、「文様」だとして取り扱ってきました。

「文字らしく見えるもの」については、解読していますが、何故そのように読めるのか、その根拠は示されないままなのです。

例えば愛媛県・樹の本古墳から出土した「獣帯鏡」に記された九個の文字を、今までは「長・相・思・母・口・忘・楽・未・央」と読んできましたが、意味は不明であり、円形である為どこから読み始めるのが正しいのかも不明でした。

高橋さんは、古代人が方位や時刻を表す最初に使った「子(北)」の位置から読み始めました。そして見事に解読に成功したのですが、その結果は、「ニニギヲ タテマツロ」となったのです。

今から二千七百年前に、神武が権力を使って天皇になった時、天皇の祖先は、九州高千穂に天下った「ニニギノ尊」とし、それまでの歴史である伊邪那岐の時代を消し、天照(アマテル)天皇の時代を消し去ったのですが、その「ニニギを奉ろう」と書かれているのです。

東京国立博物館に保管されている「単圏銘帯鏡」の表面に、八つの渦巻文の間に、八個の文字が刻まれています。


帝国大学の権威者は、これを「見・日・之・光・天・下・大・明」と読みましたが、意味不明です。

高橋さんはこれをイズモ文字とトヨクニ文字の混用として解読しました。

その結果、「ヒツキヲアタヘム」となりました。

ヒツキとは、日継と同じで古代人の日月信仰に根ざした王位・王権を表しているのです。

従って、それを与えんとは、古代の日本を治めた天皇によって、各地諸侯の支配権を保証するものとして、与えられたということを意味しているのです。


このような鏡は、韓国、中国からも出土しているのです。

古代日本人が日本列島だけでなく、朝鮮半島、中国大陸でも活躍していた証拠が、次々と明らかになってきているのです。

このアヒルクサ文字は、今から三千数百年前まで遡ると言われている殷の甲骨文字の草書体であるということも発見されました。

しかし、肝心の日本でこのような文字が発見されない「理由」は何か?

奈良時代以前の歴史を封印した力、古代文字を否定し、漢字しかなかったかのように仕向けた力は、何か? 

そこにヒントが隠されています。

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1分間勉強法ホームスタディ講座
posted by ぷちそれいゆ at 02:02| History

2013年03月01日

日本の「天皇」が 世界を統治していた

自然の力による「世直し」の軌跡 より転載

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日本の「天皇」が 世界を統治する
http://amba.to/V4LGG3

超古代には、今以上に文明が進歩しており、日本の天皇を中心とした世界の統治が行われていたのです。

私達が学校で習ったように、腰蓑を巻き、竪穴を掘ってバラックを建てて住んでいた原始人が、我々の祖先であると信じきっていますが、真実は全く違うようです。

恐らく、その歴史事実は、核戦争などで人類が文明を跡形も無く破壊した後の姿だと考えられるのです。

天皇は、天空浮き船に乗って、世界各地を巡回し、その地区の統治者を「王」として任命していたということです。

日本語が世界各地に残っているという証拠とも附合するのです。

反重力を利用したUFOのような乗り物から現代のジエット機のような乗り物も存在したようです。

羽とか、飛鳥という言葉は飛行場を意味しており、日本各地に羽(ハネ)のついた土地が存在するだけでなく、世界にも残っているのです。

羽田は言うに及ばず、地上絵で有名なペルーのナスカ高原も「飛鳥」から来ている古代の飛行場なのです。

UFOの形は、日本に現在使われている「お神輿」の形にも使われています。

「皇」という文字も、上部の「白」はUFOの形から来ており、その下に王という文字を配置したのは、まさに、これに乗って移動する王を、皇と表現したということです。

アメリカ合衆国は、コロンブス以後、アングロサクソンの人種が多く住んでいますが、本来はアメリカインディアンの世界であり、日本人が彼らのルーツであり、日本の天皇が治めていたのです。

宣教師と共に乗り込んだイギリス人は、飴と鞭でインディアンを奥地へと追い詰めていきました。

西部劇映画は、インディアンを野蛮な悪者に仕立てて、白人を英雄として描いたものが全てですが、インディアンこそ日本人がルーツであり、同胞なのです。

約束しては裏切り、手段を選ばぬ殺戮をインディアンに仕向け、土地や住いを奪い取り、奥地へ奥地へと追い詰めていったのです。

そのカルマは今もアメリカ人に残って消えません。

日本人は信義を守り、酷い仕打ちを受けても耐える民族ですが、インディアンも同じです。

彼らの言葉の中に日本語が多く残っている事、部族名は、全て日本語から付けられていることを、高坂和導さんは発見したのです。

例えば、ホビ族のホビは、天皇家の穂日命の流れをくむ部族という意味から名付けられています。アパッチは、ああ、ばっちし、見事な部族、

コマンチエは、困ってしまう部族、
モヒカンは、墓碑が環状にある所の部族、
セネカは、山の背中に住む部族と言った具合です。

十六世紀にヨーロッパ人が入ってくるまで、アメリカインディアンは、日本語を使い、自然と共生する社会を築いていたのです。

インディアンが名付けた地名が、現代のアメリカに残っています。

例えばミズリーは、水売りから来ています。

マイアミは、箕網から、イリノイは、入りの江から、カンザスは、かんざしからと言った具合です。他にも沢山あるのです。

アメリカインディアンのナバホ族には、「あっち」「こっち」「汝(なんじ)」「じょこう(徐行)」などの言葉が今でも使われているのです。

ちなみに、メソポタミヤに最初に文明を築いたのは、天皇が派遣した十六人の皇子のうちの一人で、名前を「ヨイロバアダムイブヒ赤人女祖氏(アカヒトメ・ソタイ)と竹内文書に記されているのです。

ヨーロッパという地名や、聖書にあるアダムとイブも、ここから来ているのです。

これだけでは、ありません。十六地方全てに派遣された皇子の名前が明らかになっており、世界の現在の地名と繋がっているのです。

オオストラリニンユイタム赤人祖氏は、オーストラリア担当、アフリエジフト赤人王は、アフリカエジプト方面、ヨハネスブルク青人民王などは、現在の地名と同じであり、赤、青、黄、白、黒の名前が付いているのです。

まさに、五色人を治めた皇子の名前なのです。

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超古代のお話はロマンがある。

ただ日本が世界の中心だったというトンデモ話とは思わない。

超古代の優れた文明も愚かな人々により、滅亡してしまったという記憶を

日本人は遺伝子のどこかに持っていると感じる。

略奪文明の末路は滅亡だ。

日本人は変わるべき時がきている!

1分間勉強法ホームスタディ講座
posted by ぷちそれいゆ at 07:04| History

2013年02月28日

超古代日本ティムルンの記憶

自然の力による「世直し」の軌跡 より転載

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紀元前の地球規模の「大異変」』
http://ameblo.jp/03415100/entry-10836527301.html

スサダミコ、スダース、スダス・・・彼は太平洋一帯を支配下に置き、統治したと考えられますが、そうした広大な地を治めた王と国家、文明が忽然と消えてしまったのは何故でしょうか? 
その答えは一つです。

インドの古文書「マハーバーラタ」には、日本の高天原の神々にその名を変えたクル族の英雄同士の争いが物語られており、バーラタ国とも呼ばれたティムルン=日本の崩壊は、地球規模の大戦争によるものであると書かれています。

この戦いは、モヘンジョダロをはじめとするインダス文明の諸都市に侵入してきたアーリア人の陰謀によって始まった戦争だったのです。

「マハーバーラタ」による記述では、この戦争は、ミサイルを使った核戦争であったことが判ります。

その記述は、まるで広島・長崎の原爆の様子を書いたのかと想われるほど、生々しい内容が酷似しているのです。

実際に、モヘンジョダロからは、核の熱によるとしか考えられない「ガラス塊」が発見されているのです。

太古の文明遺跡が「地下都市」の形式をとっていることも、この核戦争と何か関連がありそうです。

現代でも、アメリカを始め世界各地に「核シェルター」として広大な地下施設を建設しているのです。

余談ですが、太古日本のティムルン・ムー文明の建設者が中心となって「シャンバラ」と呼ばれる地下王国を築いたという話がありますが、この時代の古代日本人は、どうしたのでしょうか?

戦争の反省から、地下へ潜り、野蛮な支配者から絶縁して、人間性を発展させたのではないかと考えられるのです。

同じ日本人のルーツであっても、地上の日本人は、権力を導入して、その後、人間性を退化させ、地下に潜った彼らは、格段の高いレベルに進化を遂げたようです。

彼らは、いつでも「アセンション」を受け入れる可能性のある「レベル」にあるそうです。後述する「クルの宝」は、そちらの世界に保管され、使用されているのではないでしょうか?

この破滅的な核戦争は、今から2800年前に起こり、この時エジプトやメソポタミア、インドに侵入した好戦的なアトランティス、アッシリアの血を引くアーリア人の一部族が、フリル=ミタンニ・エジプト王家の内紛に乗じて、カラ族を同士討ちに駆り立て、カラ族全体の没落をもたらしたのです。

つまり、アーリア人の台頭とその後の二千数百年にわたるティルムン=日本文化の後退・アジア・アフリカ・アメリカ・オセアニア地域の歴史の空白は、紀元前8世紀の最後の核戦争と、それに伴って発生した地球規模の異変によって、もたらされたのです。

この戦いは、それまで世界全体を治めていたティルムン=日本の天皇家に対するアッシリア(アーリア・漢)の覇王の陰謀から始まったのです。

この時、アッシリアの連合はティルムン王家が持っていた「世界の王の印」「クルの宝」を狙っていたのです。

「クルの宝」とは、東大国王スサダミコの持っていた空挺「ヴィマナ」であることは明らかなのです。

別名「ソロモンの秘宝」とも呼ばれたこの宝こそは、その後2700年に亘って東王国の各地を侵略し、歴史を偽造し続けてきた欧米・中国の支配階級が長い間求めてきたものなのです。

今もロスチャイルドが探していると、先にお伝えしました。

「歴史は繰り返す」と言いますが、人類は今叉、核戦争の瀬戸際を歩んでいます。

日本が世界を平和に治めていた永い歴史が事実であれば、日本の天皇を中心として、再度世界を平和に導く責任とその能力が日本人にはあるように思います。

そして何よりも、その大いなる「自覚」を取り戻すことが急務になります。

最後に高橋さんのメッセージを、抜粋してお伝えします。

時代は今、再度の地球規模の異変を前にしている。

地球は今や恐るべき環境破壊の極限に達し、危機的な状況を迎えている。

私達が夢を失い、日本が果てしない混沌状態に陥って国家目標を失った今こそ、私達は真実の歴史に目覚めることを求められているのだ。

もしも、私達が消え去った日本の神代文字を武器として、失われた古代カラ族の歴史を復元し、そして新たに平和な地球統一国家を築くことが出来たなら、歴史の闇の中に消えていった世界各地のカラ族の同胞たちがどれほど喜んでくれる事だろうか。

世界は今、国家や民族の対立を越えた新しい歴史、真実を求めている。

そして、真実の歴史を知り、未来の展望を掴んだ者だけが、新しい宇宙世紀の地球の歴史、よみがえったティルムン=日本の輝かしい歴史を創り出すことが出来るのだ。

以上のように、古代日本のドラマティックな歴史が明らかになってきたのです。

日本から誕生した民族が、大陸を西へ西へと流れて行き、北米、南米、オーストラリアまで辿り着いているという事は、航空機の技術があった事を教えています。

高度な技術が、地球人だけで開発されたのか、高度に進化した宇宙人の指導によるものか不明ですが、いずれにしても核戦争を過去にも体験し、それまでの進化を葬って、原始時代に逆行した事は、確かなようです。

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posted by ぷちそれいゆ at 09:50| History

2013年02月27日

世界各地の文明と 「日本人」の関わり

自然の力による「世直し」の軌跡 より転載

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世界各地の文明と 「日本人」の関わり』
http://ameblo.jp/03415100/entry-10835773957.html

インダス川流域を中心に、その昔、エジプト文明やシュメール文明以上の広がりを持ったインダス文明を築いたのは、日本人の祖先であるクル族であるという可能性が、高橋さんの調査で現実的になりました。

詳細を知りたい方は、この書籍を読んで頂くとして、シュメール伝説のティルムンの都と見られるモヘンジョダロの遺跡から出土した1500点を超える遺物に刻まれた謎のインダス文字、それを日本の神代文字で読み解けないかと挑戦、調査されたのです。

インドのデカン高原に目をつけ、調べてみると色んなことが判ってきました。

冨士吉田市にある浅間神社の宮司である宮下家に伝わる「宮下文書」によれば、
「この世に二つと無い珍しい山・富士山(不二山)麓の高天原に日本の祖先は降臨した」と記述されていますが、日本の富士山は、そんなに珍しい形をしている訳でなく、この高天原とは、インドのデカン高原でないかと、高橋さんは考えました。

「この世に二つとない高砂之不二山」とは、日本では先ずお目にかかれない形をした山「バンパトケヤ」ではないかと考え調べると、そこの宝庫である岩絵にアヒルクサ文字、トヨクニ文字を確認する事が出来たのです。

「マツラバヤ(祭らばや)」とか、「トワナレ(永遠なれ)」「シバタテマツル」などが解読出来ました。シバとは、シバ神です。

南インドのタミル人が話すタミル語は、日本語と文法、言葉が法則的に対応することが、日本の学者によって証明されていますが、「タミル」は「ティルムン」が「ティムル」と変化し、それが訛って「タムル」となったと考えられ、古代日本人が起源なのです。

ギリシャの歴史家ヘロドトスは、「カラ族がカリア人として、小アジア(トルコ半島)や地中海沿岸各地で活躍していた事を、その著「歴史」の中で述べています。

彼によれば、地中海は曾って「カルの海(カラ族の海)」と呼ばれており、カラ族はエジプト、メソポタミヤでも活躍していたと言います。

日本人の祖先カラ族の足跡は、日出づる国から日の没するアフリカのモロッコまで辿ることが出来るというのです。

カラ族を起源とする民族は、日本人やタミル人だけでなく、今から3千年前に地中海東岸にイスラエルを建国したユダヤ人の祖先のヘブライ人や、エジプトと並ぶ超大国として栄えたミタンニ王国のフリル人、地中海沿岸やアフリカ大陸で活躍したカリア人もカラ族の一派であることが判ってきたのです。

オセアニア地域である、オーストラリア北部キャンバレー山脈の岩壁に描かれた人物像の上部には、神代文字で「アルジ イサク」と書かれています。

この壁画は、紀元前700年頃に活躍した太古日本の王(天皇)イサクの姿を偲ばせるのです。

イサクとは、伊邪那岐でもあります。

伊邪那岐は、人祖・初代から始まって、何百万年も世襲されてきたのです。

ほぼ4200年前に、世襲最後の伊邪那岐から天照天皇に代わっています。

紀元前700年は、カミヤマト・イワレヒコ尊(後の神武天皇)が九州から畿内に攻め上ってきたとされている年代ですから、日本にはイサクが居なかった事になります。

そう考えると年代的には、まだまだ不明な部分が残っているようです。

イサクはアメリカ大陸に足跡を残しただけでなく、オーストラリア大陸でも活躍していたのです。

サハラ砂漠西部のマリ共和国アドラール・デ・ジフォラス地区で見つかった銘文には、紀元前7世紀の初めにアフリカで大活躍したスサダミコ(ヨセフ=ホホデミ)の名が「スダース」として登場します。

ティルムン王ウヘリの息子として登場するスサダミコ(ヨセフ)が、アフリカでも活躍したスダース王なのです。

高橋さんは、スサダミコとは、日本神話の山幸彦・火々出見尊だと言うのですが、スサノオではないでしょうか?

同じ人物でも、各地によって呼び名が変わっているのです。

この他にも、飛行艇を使って、世界を統治していた原日本人・カラ族の高度な文明について書かれておりますが、ここでは省略します。

この高橋さんの研究調査により、神の知らせた「人類は日本列島から世界へ」という「お知らせ」が極めて現実的なものとなりました。

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posted by ぷちそれいゆ at 00:36| History

2013年02月26日

古代インドの神代文宇の三つ葉が物話る原日本人カラ族の謎の出自

新次元の叡智を生きるーアセンションへの軌跡/
TRAKL Haus(トラークルハウス)より 転載

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http://trakl.exblog.jp/17868025/

下記は、カラ族の文字で目指せ、世紀の大発見(日本学術探検協会編集)より引用//

古代インドの神代文宇の三つ葉が物話る原日本人カラ族の謎の出自

◎前九世紀のエジプトでティルムン(日本)以来の世界の王の証として大切にされてきた空艇は、かの有名なツタンカーメン王の時代に、あやうく欧米人の祖先によって奪われるところだった。

しかし、この時代にエジプトに侵入した欧米人の祖先が、テーベの都を廃虚としたとき
一八王朝最後のファラオ・アイ(日本神話の高木神)はエジプトを脱出し、インダス文明の都モヘンジョダロに避難した。

そのアイがモヘンジョダロの謎の神官王として今に伝わっていることは、彼の法衣の文様がツタンカーメン王の墓室の壁に描かれたアイの服や、同じ墓室に安置された"黄金の牛"の表面に描かれた文様と同じ"三つ葉"マークであることからも確かである。

このマークは、日本の神代文字で「アイ」と読めるからだ。

高橋によれば、中国の『史記』に「西周」と記された原日本人のエジプト世界王朝(一八王朝)は、アイ(高木神)の時代にその都をエジプトのテーベからインドのハスティナープラに移したという。

エジプト一八王朝の系図が古史古伝の一書、『宮下文書』に記された日本の天常立王朝の系図と一致することは何を物語っているだろうか。


◎ティルムン『旧約聖書』のノアのモデルとなった古代シュメールの王ウトナピシュティムが、三五〇〇年前の大洪水のあとにつくった地球上最古の楽園国家。

中国で夏(か)王朝を創始した兎(う)として知られているのは、このティルムン王ウトナピシュティムであり、彼は紀元前九世紀まで地球全土を治めていた日本の天皇家の始祖の一人、ヤソヨロズタマ(ウソリ)であったというのが、われわれ探検協会の大仮説だ。

この日本が、ティルムン-ティムン-ティプンを経てジッポン(日本)になった、歴史上最も由緒正しい国であることは、中国で焚書をまぬがれた『契丹古伝」にもはっきりと記されている。

太古日本の世界王朝はなぜ滅びたのか?今から2800年前まで地球全土を治めていた日本の世界王朝は、高橋によれば、日本神話の.高木の神(18世紀最後のファラオ.アイ)がエジプトを脱出する前まで3つの世界王朝時代を経たという。

この地球上に最初に誕生した日本の世界王朝はティルムンと呼ばれた。

そのティルムンは、中国で「夏」として知られ、日本で「アソベ」の国として知られたシュメール文明の楽園であり、三五〇〇年前の大洪水を治めて「夏」王朝を開いた「兎」は、『旧約聖書』のノアの モデルとなった日本のウトナピシュティム(天御中主)だったといわれる。

このティルムン"日本は、その後『史記』に「般」「周」と書き改められたアマレク、エジプトの二つの世界王朝に次々にとって代わられた。

が、その王家は、カラ族やクル族と呼ばれた原日本人の指導者だった。

このことは、ティルムンの三つの世界王朝時代に地球の各地に残された文字が、
第一王朝時代は北海道異体文字、第二王朝時代はアヒルクサ文字、第三王朝時代はトヨクニ文字だったという事実からも明らかだ、と高橋は述べる。

が、そのような事実ははたしてあったのか、また、もしもそうだとしたら、
太古日本の世界王朝はなぜ滅びたのか。

引用以上//

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超古代の日本の歴史は消し去られている。

アトランティス大陸とかムー大陸が、古代核戦争で滅亡したと言われている。

ムーの生き残りが日本人の祖先で、シュメール文明を築き、
エジプトからインダス文明、中国文明も築き、日本に戻ってきた。

そう思えるのは、中国の文明が日本より先進的であるなら、森林破壊もしなかっただろうし、
水や大気も汚染せずに、統治することができただろう。

アトランティスの人々は略奪騎馬民族として欧米に生き残り、
植民地をあちこちにつくり、奴隷を従えた文明をつくった。

中国にもアトランティスの生き残りの亜流の人々が権力者として残ったので、
民は収奪され続けている。

ムーの超古代文明は縄文文明へと受け継がれ、日本の基礎になったと思う。

心のあり方、生き方がムーの人々は、アトランティスとは真反対だったから、

超古代で戦争になり、滅亡したのではないか???

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良い人を育てるのは、食べ物。 「食」 とは、人を良くすると書く。

口から入るものが、人間の命をはぐくむ。 子どもも安心できる野菜を食べよう!




posted by ぷちそれいゆ at 01:44| History

2013年02月14日

なぜ、仏教がインドで根付かなかったのか?

縄文と古代文明を探求しよう!. より転載

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http://web.joumon.jp.net/blog/2013/02/001481.html#more

仏教は、カースト制度(身分制度)と女性蔑視を生んだバラモン思想への違和感から生まれました。

その時代は、交易から商工業が発達し、貨幣経済に入り、私権意識が顕在化し、貧富の格差が拡大する時期でした。

豊かになるとカーストのトップは腐敗し、最下層は困窮します。

その一方、王侯や商工業者の新勢力は、自らの私権の拡大を阻害するバラモン思想への反を希求し、仏教を支持して行くようです。

クシャトリア・王侯貴族・商人たちには、バラモンやカーストが邪魔な存在であり、それを捨象している仏教を新しい教えとして採用した経緯が見て取れます。

観念のみに傾斜し、社会とどんどんズレて行ったインドの仏教。

「安定」と「変異」を両輪とし大衆に深く浸透していったバラモン教とカースト制度。

生殖:性において、仏教は俗世の煩悩として排除しています。

仏教は、社会を秩序化・安定化させるカースト制度を排除しようとした。

仏教は、私権社会で台頭してきた新しい勢力(私権社会の勝ち組であるクシャトリア(王侯貴族など)・商人)の後ろ盾を得て、成立していた教えであり、本源的な部分を捨象しようとする姿勢が、庶民から見れば、受け入れがたいものと写った。

『なんでや劇場(3) 武力時代の東洋の共同体質⇒秩序収束⇒規範収束 (冨田彰男)』

しかし、イスラムでは王はいないし、インドでは王がいるが形式上は神官の方が上である。

(また、身分序列が確立しているからと言って、必ずしもキリスト教のような一神教になるわけではない。
日本然り、インド然り。インドのバラモン教でも、シバ神などの部族連合時代の神々が生き残っている。)

イスラムとインドは何故こうなったのか? その共通項は?

ここで東洋と西洋の違いに触れておく。

6000〜5000年前、イラン高原において乾燥化を契機に、最初の略奪闘争(戦争)が起こり、それが玉突き的に伝播して武力支配国家が出来上がったわけだが、その伝播ルートは二つある。

一つはメソポタミア・エジプト・アラブへというルート、もう一つは中央アジア〜モンゴル高原へというルート。

イラン高原は急速に乾燥していったことにより、極めて深刻な食糧危機に陥り、そこでの略奪闘争は皆殺しが常態となったが、モンゴル高原はイラン高原ほど乾燥が激しくない。

従って、ここでは掠奪闘争というより覇権闘争の色彩が強く、皆殺しも発生したが、それより支配・服属という形が主流になる。

従って、勝者はもちろん服属した氏族も、氏族集団としての共同体性を強く残すことになる。

インドを征服したアーリア人も「我々は神である」と言ってインド先住民を支配したわけで、大して殺戮していない。

だからインド人にも共同体体質が残っている。

〜中略〜

市場圧力は共同体を破壊する。つまり市場原理VS共認原理は決定的に対立する。

そこで共同体原理に立脚して宗教集団の強力な規範で以って、市場原理の弊害を封鎖したのが、マホメットが創始したイスラム教である。

だから、イスラム教では利息の禁止や喜捨が規定されている他、日常の生活規範までがコーランによって細かく定められているのである。

つまり、インドとイスラムの共通項は、共同体性の残存度が高いということ。

イスラムは国家全体が宗教集団化し、インドは未だにバラモン教時代のカースト制度が残存している。

これは、観念収束ではなく、共同体に立脚した規範収束の結果である。

共同体性を最も色濃く残しているのは日本。実は日本人にとっては身分序列は居心地が良い。

実際、縄文人たちも朝鮮からやってきた支配部族に対して抵抗せずに受け容れている。

それは共同体体質故に、秩序収束⇒規範収束(身分序列や生活規範)が強いからである。

日本人と同様にインド人もイスラム人も、規範秩序に守られているという感覚であって、だからこそ居心地が良いのである。

(西洋人はそのことを批判するが、それは彼らが共同体性を失った自我民族だからに他ならない。)

日本人・中国人・インド人・イスラム人の精神構造は、共同体質故の秩序収束⇒規範収束である。

〜中略〜

日本人は戦前まで村落共同体が残存しており、そこでの本源共認と規範としての身分序列によって統合されてきた。
そこでは観念性はほとんど見られない。

先に検討した、現実共認と宗教共認の分裂は実は、西洋固有の特徴なのではないか。

実際、日本人・中国人・インド人・イスラム人の精神構造は、共同体基盤に立脚した規範統合と言うべきであって、全く分裂していない。

東洋では、庶民にとって必要なのは現実の秩序共認であって、支配者として王や天皇は存在しているが、それは庶民にとってはどうでもいい存在なのではないか。

単に、収束した秩序の上の方に天皇がいる。

その方が精神安定的で居心地が良いので奉っているだけなのではないだろうか。

イスラムやインドの神官も同様で、庶民が収束した秩序の上の方に神官がいた方が安定的なので共認されているのではないか。

言い換えれば、日本人やインド人が、国家や天皇や官僚に期待しているのは、秩序さえ安定していればそれで良いということなのではないだろうか。

社会期待としてとらえ返せば、日本人・東洋人・イスラム人は共同体体質を色濃く残存⇒安定期待⇒秩序収束⇒規範共認に収束して安定を求めるという構造である。

 それに対して、救い期待に応えて一神教が登場したのは西洋特有の構造である。

また、仏教も救い欠乏を土台にしており、それがインドにおいて仏教が根付かなかった理由であろう。

★*・・*☆*・・*★*・・*☆*・・*★*・・*☆*・・*★
重要なキーセンテンスは、

『これは、観念収束ではなく、共同体に立脚した規範収束の結果』

『日本人・東洋人・イスラム人は共同体体質を色濃く残存⇒安定期待⇒秩序収束⇒規範共認に収束して安定を求めるという構造である。』
です。

当初の疑問に答えるなら、共認統合社会が私権統合社会に適応していく過程では、このように、安定期待⇒秩序収束⇒規範共認に収束して安定を求めるという構造になり、最終的には、みなが充足できるものとなっていく法則がありそうです。

これは、社会統合様式(=共認統合)に沿った形で規範や観念群、生産様式などの社会システムが形成されるということがいえるのではないでしょうか?
 また、
『日本人と同様にインド人もイスラム人も、規範秩序に守られているという感覚であって、だからこそ居心地が良いのである。』

というところが、日本ととても似ているのではないでしょうか?

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欧米は、弱肉強食の市場原理。東洋は、地域共同体を大切にする社会。

禁欲的な仏教は、インドでは貴族など上層階級にしか広まらなかった。

欧米の農奴も土地に縛られることで生きる糧を得たように、カーストは生きるためのインドでの秩序だった。 市場闘争をしないために、カーストが必要とされた。

日本は、シロアリの既得権を守る歪んだ市場原理の国だ。



posted by ぷちそれいゆ at 03:46| History

2013年02月04日

我々は嘘のない「真実の歴史」が知りたい (2)

zeraniumのブログ より転載

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我々は嘘のない「真実の歴史」が知りたい

http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/index.html#entry-79408611

ようやく戦後に不敬罪が解除されると、今日に至るまでの「明治天皇替え玉説」の研究者が数々の著作を発表するようになった。

その中で取り上げたい一冊がある。それが2007年刊行の『日本の一番醜い日』である。

ノンフィクション作家の鬼塚英昭氏は、日本の確かな未来を築くべく、膨大な資料の調査と取材を重ね、タブーとされる天皇の正体に挑んだ。

そこには、明治天皇が長州藩の創作によるものだとする、長州藩士一族の末裔の証言がある。

以下、引用する。

   『終末から』(1974年8月号)に掲載された益田勝美の「天皇史の一面」を見てみよう。

益田勝美は長州の国家老・益田弾正の一族である。

彼の話は、山口県熊毛郡田布施町麻郷に生まれて孝明天皇の長子睦仁(むつひと)の替え玉になり、後に明治天皇となる「てんのうはん」について書いている。

   「天皇様をお作り申したのは我々だとは、明治以前に生まれた長州の老人たちによく聞かされたことであった。

近代天皇制以前には、京都に天皇家はあったものの天皇の国家はなかった。

尊皇派が考えていた天皇の国家という考えは、思想として獲得されたものであり、現実に京都にいる天皇という実在の人物に合わせて作られたものではなかった。

だから彼らが求めている天皇と現実の天皇がいくらか融和できるうちはよいが、その矛盾が激化すると、天皇を取り替えてしまうほかなくなる。

我が家に空襲で焼けるまであった孝明天皇の皿は、おそらくまだ長州と天皇の間がうまくいっていた蜜月時代にもたらされた物だろう。

騎兵隊挙兵の翌年、1866年(慶応二)の暮れに、孝明天皇は謀殺されてしまった。

もちろん仕組んだのは江戸幕府ではない。
それは志士側で、天皇が倒幕の障害になり始めたからである。
今日ではもうそのことは、公然の秘密となっている。」

   こうして日本の権力の頂点に立った明治天皇と伊藤博文ら長州の人間たちが、ロスチャイルド一族の支配する欧米諸国との密接な協力のもとに、日本を近代化していくのである。

それが議会政治や貨幣制度、重工業の促進や義務教育制度、身分制の廃止、そして廃刀令や徴兵制などである。

政府と天皇家、そして欧米の国際銀行家(イルミナティ)の結びつきが最大限に発揮されるのは、昭和天皇に代が変わった太平洋戦争のときである。

このときの様子を再び、『日本の一番醜い日』から引用する。

   「太平洋戦争中、アメリカは公式には自国から日本への石油輸出を禁止した。

しかしそれはアメリカ国籍の船と日本国籍の船によるものが禁止されただけで、実際には国際赤十字の印をつけた船の秘密のルートで、石油やタングステン、四塩化エチルなど重要な原料が日本へ輸出された。

これが戦争の本当の姿である。

昭和天皇はこのことを知っていたが、近衛首相や木戸幸一内大臣には秘密にしていた。

   あの国際赤十字のシステムは、戦傷者を救うために作られたものではない。
これは国際銀行家(イルミナティ)が、自分たちの商売である戦争をスムーズにより長期にわたって続けるために作られたのである。

太平洋の諸島で密かに、石油や重要物資が日本の赤十字の船に移される。

赤十字の印をつけた船は攻撃できないという国際条約ができているので、日本は安心して物資を輸入することができた。

   ではあの大戦中、その支払いはどうしたのだろうか。

   その代金の主なものは、アジア支配を進める途中で略奪した、金や銀などの貴金属が使われた。

その一部は赤十字の船で日本に送られ、マルフクという金貨に鋳造された。

これが再び現地に送られ、それが必要物資の購入に充てられた。

残りの金塊や貴金属類は、スイスの国際決済銀行(BIS・ロスチャイルド一族主導の機関)に送られた。

そこで貴金属類はドルやスイスフランに変えられ、支払いに充てられた。

残ったお金は国際決済銀行や同じ系列のスイス国立銀行へ預けられる。

このようにして戦争が長引けば長引くほど、天皇一族と秘密裡に天皇一族を支えた財閥の資産は天文学的に増えていった。

   近衛文麿首相はいく度も天皇に戦争の中止を訴えた。

   天皇一族は、日清戦争や日露戦争を通じて多額の賠償金を手にしており、その一部はスイス銀行に預けられた。

それは日本の天皇だけでなく、ルーズベルトやチャーチル、スターリンなどもそうであり、このような悪事を通じて彼らは国際銀行家(イルミナティ)に弱みを握られることになった。

フルシチョフ元首相の『フルシチョフ回顧録』にはそれらのことが克明に書かれており、明治、大正と続く皇室のスキャンダルを彼らはすべて記録していた。

スイスの秘密口座はスキャンダルの種になり得るものであった。

そしてここに、近衛首相の忠告を無視して、再び太平洋戦争に突入しなければならなかった日本の悲劇の源があるのだ。

   戦争は、国家間の利害や憎悪の衝突から起きるものではなく、それは巨大なマネーゲームでもある。

天皇が仕掛けた南進策、つまり東南アジアやオセアニア侵略は、巨大マネーゲームの創造であった。

この面を考察することなくして、我々の日本史の嘘を見抜くことはできない。

天皇とその一族は三井、三菱、住友らの財閥と組んで、戦争によるマネーゲームをしていたのだ。

戦争が一番儲かるゲームであることを、天皇ヒロヒトほど知り尽くした人物は日本にはいなかったし、これからも登場しないであろう。」

   ここからさらに話は、天皇と吉田茂や白州次郎などロックフェラー一族と通じた面々が、天皇制を終戦後にも維持するためにアメリカと裏取引をした可能性に言及している。

その取引とは、(アメリカが)天皇の責任追及をしない代わりに、日本側がアメリカ軍による国内の都市部への原爆投下を受け入れることであった。

イツのヒトラーやイタリアのムッソリーニとは違い、天皇は何の戦争責任も取らされることなく、戦後も生き延びて天寿を全うした。

この昭和天皇の不思議な人生に、このような裏事情があったとしても何ら驚くには当らない。

むしろ納得のいく説明ではないだろうか。

   『日本の一番醜い日』の最後に、著者はこう結ぶ。

   「結論はただ一つ。一人一人が真実を追究すべく立ち上がる時である。

私の結論について反論する人は、私に立ち向かうべきである。」

   私は鬼塚氏の結論は真実だろうと推測する。

   しかしその理由は、単に彼の著書を読んで納得したからではない。

以前友人から聞いたある公務員の話と不思議な一致をそこに見るからである。

友人は当時通産省に勤めており、ふだん我々が取り寄せる戸籍謄本には記載されていない「印」のことを聞いた。

それは役所内の戸籍書類には被差別地域出身者を表す印がいまだに付けられており、その印のない者は、あるポスト以上には昇進できないようになっていることを上司から知らされたという。

おそらくこれが、現在でも続いている日本の社会なのだろう。

   明治維新により、それまで下級武士や下級貴族であった人間が、皇族、華族、貴族という特別な身分に就き、えた、ひにんなど被差別地域の人々が「解放令」により平民となったことは、中学校の社会科でも習う。

しかしそれがどのように行なわれたのか、それに関する具体的なことは一切伝えられない。

明治維新で、長州や薩摩の下級武士と被差別地域出身者が、旧幕府の人材と総入れ替えで、日本の皇族や政治家、官僚を初めとする公務員になった可能性について言及されることはない。

この学説を否定する人は、田布施陰謀論などと呼ぶらしいが、これは陰謀論の領域の話ではない。

天皇家が戦争責任を取らずに現在も継続していることは誰の目にも明らかな事実である。

そして天皇の戦争責任についてはさまざまな議論があるが、政府は、それについて我々国民の納得のいく公式説明をいまだに持ち合わせていない。

   この観点から現在の社会を見渡してみると、今日本が抱える問題の本質が見えてくる。

政治家、官僚、財界、大企業の癒着や世襲に腐敗がある。

各種構造改革や軍備増強、原発推進など、いずれも外国勢の利益を優先する国家政策がある。

そこには国際銀行家(イルミナティ)の援助で権力の座に就き、その正体やスキャンダルを弱みとして握られ、彼らの要求を拒否できない天皇や国家の上層部がある。

つまり、問題の本質はここにあるのだ。

   しかし誤解のないように言っておきたいが、天皇や政治家の一部が朝鮮人集落の出身である可能性を云々しているのではない。

私の友人にも在日韓国人(朝鮮人)はいるし、何の差別も存在しない。

それに我々のほとんどは純粋なアイヌでもない限り、いつの頃かに大陸からやってきた渡来人の子孫であることは間違いない。

渡来した時期が違うだけの同じ人種間で、差別することに意味はない。

問題は隠されてきた歴史の内容である。当時、明治の元勲たちが、近代国家を築くためにそうしたこととはいえ、時代が経った現在、我々国民はこの国の真の歴史を知る必要があるのではないだろうか。

それらが白日の下にさらされ、我々が史実に基づいて認識を改めることは非常に有益で、必要なことだと考える。

   うわべの嘘の歴史からは、真実の未来は見えては来ない。

   嘘の歴史を伝えたところで、子どもたちにどんな可能性を見せることができるのか。

本物の未来を作るためには、真実を知り、それを伝えていくことが必要だ。

このような情報が書籍やインターネットで手に入るようになっている現在、今の我々にしかできないことが何かあるはずなのだ。

彼らの化けの皮をはがして、糾弾し、革命を起こせと言っているわけではない。

それよりも国民が、彼らが思うよりもずっと賢く、かつ寛大であることを彼らに示すなら、国家権力にも多少の良心と正直さが芽生えるかもしれない。

彼らに期待できることがあるとすれば、それは(弱みを握る)国際銀行家(イルミナティ)の脅迫に従い続けることをやめて、日本国民の寛大さを信頼することだと思う。

『日本の一番醜い日』 鬼塚英昭著 成甲書房

『原爆の秘密(国内編)昭和天皇は知っていた』 鬼塚英昭著 成甲書房

         「マスコミとお金は人の幸せをこうして食べている」 THINKER著
                     5次元文庫徳間書店

                          抜粋

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洋書・オーディオブック<ダイレクト出版>




posted by ぷちそれいゆ at 11:41| History

我々は嘘のない「真実の歴史」が知りたい(1)

zeraniumのブログ より転載

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http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/index.html#entry-79408611


日本の政治の中心といえば、誰もが東京だと思うだろう。

   国会を初め、あらゆる官公庁も東京都内にある。しかしその鍵を握っているのは「山口県」だと言ったら驚かれるだろうか。

山口県といえば、本州最西端の人口150万人足らずの県である。それにもかかわらず、歴史上最多の9人の首相を輩出している。

ちなみに2位の東京でもその半分に満たない4人である。

首相ばかりでなく日本の政財界は、明治以来山口県出身者の人脈が権力の中心に位置してきた。

   代表的な人物を挙げてみると、首相経験者では伊藤博文、山縣有朋、桂太郎、寺内正毅、田中義一、岸信介・佐藤栄作兄弟、安倍晋三、菅直人戦後の閣僚では林義郎(元大蔵大臣)、高村正彦(元外務大臣)、田中龍夫(元通産大臣)、佐藤信二(元運輸大臣)など、その他にも野坂参三(元共産党議長)、宮元顕治(元共産党議長)など、党派を超えて広がるこれらの有力者はその一部である。

日本の社会の在り方を左右する政治の本質を掴むには、「山口県」というキーワードはかかせないのである。

   なぜ山口県が、これほどまで数多くの政治家を生み出すようになったのだろうか。

   それは現代の民主政治の始まりである明治維新を主導したのが、長州藩(山口県)と薩摩藩(鹿児島県)であったからだ。

そのために明治維新新政府の重要なポストは、長州藩士と薩摩藩士で占められた。

しかも当時薩摩藩は西南戦争で多くの人材を失っていたために、長州勢が一番の力を持つことになった。この政治的人脈は長州閥と呼ばれ、現在にも受け継がれている。

   その長州閥の元祖とも言える存在は、初代首相の伊藤博文である。

   伊藤が権力の座に就いた背後には、ロスチャイルド一族とその支配下にあったイギリスの武器商人、トーマス・グラバーの存在があったことはすでに述べた。

ここでは彼らがどのようにして、日本の西端から江戸幕府を切り崩し、政治家や天皇とのつながりを深めていったのかを見ていきたい。

   ロスチャイルド一族を始めとする資本家は、イギリスを始め欧米諸国を巨大な資本で裏から牛耳り、主に西回りからアフリカ、インド、中国、東南アジア諸国を武力で侵略し、次々と支配下に置いてきた。

そしてついに江戸後期には日本の西端へ到達する。

そして入り口として注目したのが、長崎、薩摩、そして長州であった。

当時、鎖国していた日本を何とかこじ開けようとして長崎で武器を売りつける一方で、西端の薩摩藩や長州藩と衝突して侵略のきっかけを作った。

それが、1863年に起きた薩英戦争や下関戦争などであった。

イギリスなど欧米諸国と一戦を交えた薩摩藩と長州藩は、この後一変して彼らと親密な関係になり、幕府を倒すべく協力するようになるのだ。つまり、倒幕運動が始まったのである。

   薩摩長州を味方につけたイギリスは、彼らを日本の権力の座に就けるべく、大量の武器と資金を提供して江戸幕府を圧倒していった。

その一方で、長州藩と薩摩藩の下級武士をイギリスに密航させ、近代的な欧米文化を見せることで、鎖国の無意味さを日本の若者に悟らせたのだ。

この若者たちとは、後の明治新政府で要職に就く伊藤博文を初めとする5人の長州藩士である。

後に伊藤博文は初代の内閣総理大臣、井上馨は初代外務大臣、遠藤謹助は大阪造幣局長、井上勝は日本鉄道の父、山尾庸三は日本工学の父となって日本の近代化に務めた。

   彼らは開国主義に乗り換える前は、攘夷(じょうい)派として、イギリス公使館を焼き討ちしたり、国学者を暗殺したりするなど過激な活動をしていたのだ。

イギリス側にしてみれば、地方の若い下級武士の暴力性も、頑固な幕府を倒すためには必要な使える要素に見えたことだろう。

当時、伊藤博文らと親密にしていたイギリス外交官のアーネスト・サトウは、当時の日本攻略についての考えを、後年日記にして残している。

   「日本の下級階層は支配されることを大いに好み、権力を持って対する者には相手が誰であろうと容易に服従する。

ことにその背後に武力がありそうに思われる場合にそれが著(いちじる)しい。

伊藤(博文)には英語が話せるという大きな利点があった。

これは当時の日本人で、特に政治運動に関わる人間の場合には、稀にしか見られなかった教養であった。

もし両刀階級(武士)たちをこの日本から追い払うことができたら、この国の人々には服従の習慣があるのだから、外国人でも日本の統治はそれほど困難ではなかっただろう。」

   さらにサトウは上司であったイギリス公使ハリー・パークスの指令で、幕末当時の鹿児島県の朝鮮人集落を訪れ、幕府の藩による支配下で受ける惨状を伝えている。

このことからイギリス側が江戸幕府を攻略するための人材として、下級武士だけでなく幕府に虐(しいた)げられていた被差別民にも注目していたことがうかがえる。

この観点から明治以降の政財界の有力者を見てみると、これまでになかった近代国家の素顔が見えてくるのである。

   有力者の出身をたどると、山口県や鹿児島県の朝鮮人集落から、政府内の重要なポストに就いている政治家が以外と多いことに気づく。

例を挙げると、安倍晋三の祖父で首相のほか数々の要職を務めた岸信介とその弟で三期首相を務めた佐藤栄作は、山口県の田布施村という朝鮮人集落の出身である。

また小泉純一郎の父であり、防衛庁長官を務めた小泉純也は鹿児島県の田布施村という、同名の朝鮮人集落の出身である。

   しかし何といっても山口県田布施村出身で注目すべき最重要人物は、明治天皇である。

本名は大室寅之祐。通説では、明治天皇は幕末に若くして病死した京都の孝明天皇の第二皇子とされているが、これには多くの疑惑がある。

実際には孝明天皇は息子ともども長州藩に謀殺され、田布施村出身の若者、大室寅之祐が明治天皇になりすましたという説がある。

この学説は「明治天皇替え玉説」というもので、歴史から葬り去られた日本の闇である。

   倒幕運動を進めていたイギリスと長州藩士は、明治新政府の国家元首として天皇を祭り上げる画策をしていた。

その理由は、一介の地方の若手下級武士の集まりが、全国の藩主を従わせて新しく近代国家を作り上げることは、不可能なことであったからだ。

そのためには彼らの言いなりになる「天皇」が必要で、天皇を頭に置いて、長州藩士が政府の舵取りをすればよいからである。

   しかしこの計画には大きな問題があった。

   それは時の天皇であった孝明天皇が、大の外国人嫌いであったことである。

そこで孝明天皇の暗殺が計画された。

暗殺については、産婦人科医兼医史学者の佐伯理一郎などが主張した「下級公家の岩倉具視が皇室の女官を務めていた妹の堀河紀子を操って実行した」とされる毒殺説や、人斬りの名手であった伊藤博文による刺殺説などがある。

後者の説については竒剞ャ(キジュンソン)著『天皇は朝鮮から来た!?』に詳しい。

   いずれにしてもその後の歴史的史実では、イギリスと長州藩の思惑通り、孝明天皇が急逝したのであり、その直後に、明治天皇は新政府で国家元首の地位に就いたのである。

その後「不敬罪」という法律が公布され、天皇は神聖なものであるとして、孝明天皇の死因や明治天皇の出自を調査する者には懲役を含む刑罰が科せられることになった。

   こうして、皇室に関する疑惑の追及は長い間封印されたのである。


『日本の一番醜い日』 鬼塚英昭著 成甲書房
   
『原爆の秘密(国内編)昭和天皇は知っていた』 鬼塚英昭著 成甲書房

         「マスコミとお金は人の幸せをこうして食べている」 THINKER著
                     5次元文庫徳間書店

                          抜粋


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posted by ぷちそれいゆ at 08:36| History

2013年02月03日

魔女狩りを始動させた『魔女に与える鉄槌』はエロ本だった(2) 

zeraniumのブログ より転載

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魔女狩りを始動させた『魔女に与える鉄槌』はエロ本だった E
http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/index.html#entry-83670623


魔女狩りは、異端審問の法廷に魔女が引きずり出されることによって始まりました。

   魔女の烙印を押された人々の中には男性もいましたが、その大多数が女性であったことがわかっています。(ラテン語で魔女を表す Maleficarum は男性にも女性にも使われる単語です) 

後には子どもにまで魔女狩りが大流行するのですが、それ以前は、そこにある魔女像を見てとることができます。
魔女とされた彼女たちのほとんどは、暮らしの慎ましい一人暮らしの老女だったのです。

そこには異教徒として咎められるような、異端思想を持っていたという事実は見当たりません。

彼女たちが魔女として訴えられた理由は、魔女という概念を作り上げる上で非常に重要なポイントです。

   彼女たちの多くは、占いや民間療法に通じた人々であったことが、断片的な記録に残っています。

   (魔女狩りが行なわれた理由の主なものでは、彼女たちは古代から伝わるヒーリングの継承者であり、ハーブといわれる薬草や鉱物、また祈りを用いて、病気を治す薬の作り方や、体や心を癒したり回復させたりすることのできるヒーラーでした。
彼女たちには霊感やサイキック能力を備えた人々が少なくなく、心を病み、生活に疲れた人々の良き相談相手でもあったのです。

彼女たちの用いる方法は、現代でいうホメオパシーと呼ばれる代替療法であり、主に薬草を用いた治療法でした。

のホメオパシーは現代では西洋医学から排斥されており、医療行為として認められてはいません。

現在のようなオール化学薬品の台頭のためには、このような代替療法の分野は潰しておく必要があったのです。


   本来、霊能力といわれるサイキック能力は遺伝によって伝えられることがわかっており、多くの場合、それを受け継ぐのは女性です。

支配者である権力者にとって一番都合の悪いのが、彼女たちのような別の世界と繋がることができて、そこから情報を得たり、現実の真相を見抜く能力を持った人々でした。

支配者が、このような彼女たちが受け継ぐ遺伝的系譜を断ち切る必要を感じていたことは、不思議なことではありません。

またサイキック能力を持つ人々の行為を抑圧するために、「占いや口寄せ、死者と交信してはならない」という一文が、旧約聖書に入れてあるのです。zeranium)

   『魔女に与える鉄槌』が、魔女狩りを流行させる装置として大きな役割を果たしたことはすでに述べました。

私はラテン語の原典と英語訳の現代版を手に入れましたが、かなり分厚い本で、原著のページ数で620あまりのページ数があったとされています。

この本は3部構成になっており、
   第1部は、「妖術に必要な三要素、悪魔、魔女、および全能の神の許可について」
   2部は、「魔女が妖術を行なう方法、及びその方法を無効にさせる方法について」
   3部は、「魔女及びすべての異端者に対する教会ならびに世俗双方の法廷での裁判について」
   というように設問形式で、魔女の定義とその裁判方法が詳細に記述されています。

   『魔女に与える鉄槌」で定義された魔女像は、ヨーロッパ全土に広がっていく魔女の雛形(ひながた)でした。

この本を書いた一人であるドミニコ会士のハインリヒ・クラマーは、手回しよく、教皇インノケンティウス8世からお墨付きの回勅を求め、それをこの本の序文に転用しました。

その一部分を紹介してみましょう。

   「近年、北ドイツとライン諸地域で、多くの男女がカトリック信仰から逸脱し、男色魔、女色魔に身をゆだね、あるいはさまざまな妖術によって作物や果実を枯らせ、また胎児や家畜を殺し、人畜に苦痛と病気を与え、夫を性的不能、妻を不妊にし、多数の人々の災厄の原因となっていることを、我々は激しい悲しみと苦しみ持って聞いている。

我らの愛する息子ら、すなわちドミニコ会士、神学の教授、ハインリッヒ・クラマーとヤーコプ・シュプレンガーとが法王書簡に従って同地方の異端審問官として派遣されている。
そこで我々は、彼らの審問が自由に、あらゆる方法をもって、なんびとをも矯正し、投獄し、処罰する権限を持つことを命じる。」

(『魔女に与える鉄槌』に収録されたインノケンティウス8世の回勅より)

   いかに堕落した教会とはいえ、当時の人々にとって法王の言葉は特別なものであり、また異端審問官にとっては、「錦の御旗」ともなる、強力な後ろ盾であったはずです。

洗脳の基本は、情報を権威づけし、あたかもそれが唯一絶対のものであるかのように見せかけることが第一歩です。

いつの時代にも、人間は権威づけによって自分を大きく見せようとするものですが、クラマーという男はむしろ、情報を操ることに長けた人物であり、かつてのナチスドイツのゲッペルス宣伝相の出現を連想させます。
そしてこれらの権威付けとともに印刷本となった『魔女に与える鉄槌』によって、人々はその実在を信じ込んでいくのです。

『魔女に与える鉄槌』は性的刺激

   今日、私たちが魔女という言葉に抱くイメージは、火にかけられて熱した大きな鍋をかき混ぜる老婆といったところでしょう。

しかし『魔女に与える鉄槌』を読む限りそうではなく、その中から受けるものは、男性を性的に誘惑する女性という強烈なイメージです。

つまり、セックスアピールの強い魅惑的な女性を連想させる記述にあふれているのです。

当時、裸婦を描いた絵画があったとしても、性的な春画の版画が出回ることはなかったはずで、版画の技術はあっても大衆化されてはいませんでした。

   そうした社会の中で、『魔女に与える鉄槌』は、読み手の性的興奮を大いに刺激したことは容易に想像できます。

私は書き手の側も十分それを意識していたと思います。

そしてそれが、この本の爆発的な普及を可能にしたと考えられます。おそらく『魔女に与える鉄槌』を購入した人は、本棚や人の目に触れるところには置かなかったと思います。

青少年の目には、あまりに刺激が強過ぎるからです。

グーテンベルク聖書は公然と飾っても、『魔女に与える鉄槌』は隠していたことでしょう。

   魔女裁判を描いた映画を見ると、魔女を演じる主人公はたいてい若くて美しい女性です。

そうでなければ作品として成り立たず、美人がはりつけにされるので、お客はお金を払って映画を見るのです。

現代に見られるこうした作用がすでにこのとき、中世の魔女裁判において生み出されていたのです。

『魔女に与える鉄槌』は、魔女裁判につきもののSM 的な刺激を読者に伝え、人々を現実の魔女狩りへと誘ったのです。たとえば次のような記述がそれです。

   「ドイツでは秘部の毛を剃ることは作法に反するこことみなされるだろうが、他の国では全身の毛が剃られる」

   実際の魔女裁判では必ずしも、美人が拷問にかけられたわけでも、はりつけにされたわけでもありません。

しかしその効果は、罪人の公開処刑とはまったく異なっていたはずです。

『魔女に与える鉄槌』によって、魅惑的な女性が悪魔と性行為を行なったというストーリーが与えられ、それによって形成されたきわめて残虐かつ甘美な、「共同の幻想」が魔女裁判を支えたのです。

   そして、「我々は現在、ほとんどの魔女を処刑し終わったので、いまや若い女性に手を伸ばしている」とドイツの異端審問官が記しているように、『魔女に与える鉄槌』が示すイメージどおりの方向へ、現実が動いていきました。

私が先に、グーテンベルク聖書が表の世界だとすれば、『魔女に与える鉄槌』は裏の世界だったと指摘した理由はこれです。

強烈な力で流行が起こされるとき、それを引き起こす力の裏表は常に一体なのです。

どちらか一方が欠けても、魔女狩りの大流行は成立しなかったはずです。

そして表はともかく、隠れた裏の世界について、批判的な検証が行なわれることはありませんでした。

どこか他人の目に触れないところに置かれた『魔女に与える鉄槌』について、内容がおかしいという議論を誰も提起しなかったのです。

   だからこそ、宗教改革のリーダーたちも、教会の腐敗を指弾することはできても、魔女裁判の愚かさを批判する力にはなり得なかったのでした。

裏の世界は多数の目に晒されることなく存在し、公然とした議論の対象にならないという点で、常に強力なのです。

魔女裁判はこのようにして、ヨーロッパ大陸に吹き荒れる嵐となって広がっていきました。

とくにドイツ、フランス、あるいはイタリアといった北西ヨーロッパで凄まじい勢いを見せました。

頻繁に行なわれる魔女裁判のために、村民がほとんどいなくなるというケースもありました。

「現代版 魔女の鉄槌」 苫米地英人著 フォレスト出版

                        抜粋したもの

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なるほど。 インターネットという情報を共有できる道具が発明された一方で、ネットのアダルト映像は、「美魔女」などと、持ち上げて年増の女性をも商品化することに成功している。

ネット業界もエロ・ビジネスでもっている。



posted by ぷちそれいゆ at 14:17| History
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