2013年02月14日
なぜ、仏教がインドで根付かなかったのか?
縄文と古代文明を探求しよう!. より転載
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http://web.joumon.jp.net/blog/2013/02/001481.html#more
仏教は、カースト制度(身分制度)と女性蔑視を生んだバラモン思想への違和感から生まれました。
その時代は、交易から商工業が発達し、貨幣経済に入り、私権意識が顕在化し、貧富の格差が拡大する時期でした。
豊かになるとカーストのトップは腐敗し、最下層は困窮します。
その一方、王侯や商工業者の新勢力は、自らの私権の拡大を阻害するバラモン思想への反を希求し、仏教を支持して行くようです。
クシャトリア・王侯貴族・商人たちには、バラモンやカーストが邪魔な存在であり、それを捨象している仏教を新しい教えとして採用した経緯が見て取れます。
観念のみに傾斜し、社会とどんどんズレて行ったインドの仏教。
「安定」と「変異」を両輪とし大衆に深く浸透していったバラモン教とカースト制度。
生殖:性において、仏教は俗世の煩悩として排除しています。
仏教は、社会を秩序化・安定化させるカースト制度を排除しようとした。
仏教は、私権社会で台頭してきた新しい勢力(私権社会の勝ち組であるクシャトリア(王侯貴族など)・商人)の後ろ盾を得て、成立していた教えであり、本源的な部分を捨象しようとする姿勢が、庶民から見れば、受け入れがたいものと写った。
『なんでや劇場(3) 武力時代の東洋の共同体質⇒秩序収束⇒規範収束 (冨田彰男)』
しかし、イスラムでは王はいないし、インドでは王がいるが形式上は神官の方が上である。
(また、身分序列が確立しているからと言って、必ずしもキリスト教のような一神教になるわけではない。
日本然り、インド然り。インドのバラモン教でも、シバ神などの部族連合時代の神々が生き残っている。)
イスラムとインドは何故こうなったのか? その共通項は?
ここで東洋と西洋の違いに触れておく。
6000〜5000年前、イラン高原において乾燥化を契機に、最初の略奪闘争(戦争)が起こり、それが玉突き的に伝播して武力支配国家が出来上がったわけだが、その伝播ルートは二つある。
一つはメソポタミア・エジプト・アラブへというルート、もう一つは中央アジア〜モンゴル高原へというルート。
イラン高原は急速に乾燥していったことにより、極めて深刻な食糧危機に陥り、そこでの略奪闘争は皆殺しが常態となったが、モンゴル高原はイラン高原ほど乾燥が激しくない。
従って、ここでは掠奪闘争というより覇権闘争の色彩が強く、皆殺しも発生したが、それより支配・服属という形が主流になる。
従って、勝者はもちろん服属した氏族も、氏族集団としての共同体性を強く残すことになる。
インドを征服したアーリア人も「我々は神である」と言ってインド先住民を支配したわけで、大して殺戮していない。
だからインド人にも共同体体質が残っている。
〜中略〜
市場圧力は共同体を破壊する。つまり市場原理VS共認原理は決定的に対立する。
そこで共同体原理に立脚して宗教集団の強力な規範で以って、市場原理の弊害を封鎖したのが、マホメットが創始したイスラム教である。
だから、イスラム教では利息の禁止や喜捨が規定されている他、日常の生活規範までがコーランによって細かく定められているのである。
つまり、インドとイスラムの共通項は、共同体性の残存度が高いということ。
イスラムは国家全体が宗教集団化し、インドは未だにバラモン教時代のカースト制度が残存している。
これは、観念収束ではなく、共同体に立脚した規範収束の結果である。
共同体性を最も色濃く残しているのは日本。実は日本人にとっては身分序列は居心地が良い。
実際、縄文人たちも朝鮮からやってきた支配部族に対して抵抗せずに受け容れている。
それは共同体体質故に、秩序収束⇒規範収束(身分序列や生活規範)が強いからである。
日本人と同様にインド人もイスラム人も、規範秩序に守られているという感覚であって、だからこそ居心地が良いのである。
(西洋人はそのことを批判するが、それは彼らが共同体性を失った自我民族だからに他ならない。)
日本人・中国人・インド人・イスラム人の精神構造は、共同体質故の秩序収束⇒規範収束である。
〜中略〜
日本人は戦前まで村落共同体が残存しており、そこでの本源共認と規範としての身分序列によって統合されてきた。
そこでは観念性はほとんど見られない。
先に検討した、現実共認と宗教共認の分裂は実は、西洋固有の特徴なのではないか。
実際、日本人・中国人・インド人・イスラム人の精神構造は、共同体基盤に立脚した規範統合と言うべきであって、全く分裂していない。
東洋では、庶民にとって必要なのは現実の秩序共認であって、支配者として王や天皇は存在しているが、それは庶民にとってはどうでもいい存在なのではないか。
単に、収束した秩序の上の方に天皇がいる。
その方が精神安定的で居心地が良いので奉っているだけなのではないだろうか。
イスラムやインドの神官も同様で、庶民が収束した秩序の上の方に神官がいた方が安定的なので共認されているのではないか。
言い換えれば、日本人やインド人が、国家や天皇や官僚に期待しているのは、秩序さえ安定していればそれで良いということなのではないだろうか。
社会期待としてとらえ返せば、日本人・東洋人・イスラム人は共同体体質を色濃く残存⇒安定期待⇒秩序収束⇒規範共認に収束して安定を求めるという構造である。
それに対して、救い期待に応えて一神教が登場したのは西洋特有の構造である。
また、仏教も救い欠乏を土台にしており、それがインドにおいて仏教が根付かなかった理由であろう。
★*・・*☆*・・*★*・・*☆*・・*★*・・*☆*・・*★
重要なキーセンテンスは、
『これは、観念収束ではなく、共同体に立脚した規範収束の結果』
『日本人・東洋人・イスラム人は共同体体質を色濃く残存⇒安定期待⇒秩序収束⇒規範共認に収束して安定を求めるという構造である。』
です。
当初の疑問に答えるなら、共認統合社会が私権統合社会に適応していく過程では、このように、安定期待⇒秩序収束⇒規範共認に収束して安定を求めるという構造になり、最終的には、みなが充足できるものとなっていく法則がありそうです。
これは、社会統合様式(=共認統合)に沿った形で規範や観念群、生産様式などの社会システムが形成されるということがいえるのではないでしょうか?
また、
『日本人と同様にインド人もイスラム人も、規範秩序に守られているという感覚であって、だからこそ居心地が良いのである。』
というところが、日本ととても似ているのではないでしょうか?
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欧米は、弱肉強食の市場原理。東洋は、地域共同体を大切にする社会。
禁欲的な仏教は、インドでは貴族など上層階級にしか広まらなかった。
欧米の農奴も土地に縛られることで生きる糧を得たように、カーストは生きるためのインドでの秩序だった。 市場闘争をしないために、カーストが必要とされた。
日本は、シロアリの既得権を守る歪んだ市場原理の国だ。
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http://web.joumon.jp.net/blog/2013/02/001481.html#more
仏教は、カースト制度(身分制度)と女性蔑視を生んだバラモン思想への違和感から生まれました。
その時代は、交易から商工業が発達し、貨幣経済に入り、私権意識が顕在化し、貧富の格差が拡大する時期でした。
豊かになるとカーストのトップは腐敗し、最下層は困窮します。
その一方、王侯や商工業者の新勢力は、自らの私権の拡大を阻害するバラモン思想への反を希求し、仏教を支持して行くようです。
クシャトリア・王侯貴族・商人たちには、バラモンやカーストが邪魔な存在であり、それを捨象している仏教を新しい教えとして採用した経緯が見て取れます。
観念のみに傾斜し、社会とどんどんズレて行ったインドの仏教。
「安定」と「変異」を両輪とし大衆に深く浸透していったバラモン教とカースト制度。
生殖:性において、仏教は俗世の煩悩として排除しています。
仏教は、社会を秩序化・安定化させるカースト制度を排除しようとした。
仏教は、私権社会で台頭してきた新しい勢力(私権社会の勝ち組であるクシャトリア(王侯貴族など)・商人)の後ろ盾を得て、成立していた教えであり、本源的な部分を捨象しようとする姿勢が、庶民から見れば、受け入れがたいものと写った。
『なんでや劇場(3) 武力時代の東洋の共同体質⇒秩序収束⇒規範収束 (冨田彰男)』
しかし、イスラムでは王はいないし、インドでは王がいるが形式上は神官の方が上である。
(また、身分序列が確立しているからと言って、必ずしもキリスト教のような一神教になるわけではない。
日本然り、インド然り。インドのバラモン教でも、シバ神などの部族連合時代の神々が生き残っている。)
イスラムとインドは何故こうなったのか? その共通項は?
ここで東洋と西洋の違いに触れておく。
6000〜5000年前、イラン高原において乾燥化を契機に、最初の略奪闘争(戦争)が起こり、それが玉突き的に伝播して武力支配国家が出来上がったわけだが、その伝播ルートは二つある。
一つはメソポタミア・エジプト・アラブへというルート、もう一つは中央アジア〜モンゴル高原へというルート。
イラン高原は急速に乾燥していったことにより、極めて深刻な食糧危機に陥り、そこでの略奪闘争は皆殺しが常態となったが、モンゴル高原はイラン高原ほど乾燥が激しくない。
従って、ここでは掠奪闘争というより覇権闘争の色彩が強く、皆殺しも発生したが、それより支配・服属という形が主流になる。
従って、勝者はもちろん服属した氏族も、氏族集団としての共同体性を強く残すことになる。
インドを征服したアーリア人も「我々は神である」と言ってインド先住民を支配したわけで、大して殺戮していない。
だからインド人にも共同体体質が残っている。
〜中略〜
市場圧力は共同体を破壊する。つまり市場原理VS共認原理は決定的に対立する。
そこで共同体原理に立脚して宗教集団の強力な規範で以って、市場原理の弊害を封鎖したのが、マホメットが創始したイスラム教である。
だから、イスラム教では利息の禁止や喜捨が規定されている他、日常の生活規範までがコーランによって細かく定められているのである。
つまり、インドとイスラムの共通項は、共同体性の残存度が高いということ。
イスラムは国家全体が宗教集団化し、インドは未だにバラモン教時代のカースト制度が残存している。
これは、観念収束ではなく、共同体に立脚した規範収束の結果である。
共同体性を最も色濃く残しているのは日本。実は日本人にとっては身分序列は居心地が良い。
実際、縄文人たちも朝鮮からやってきた支配部族に対して抵抗せずに受け容れている。
それは共同体体質故に、秩序収束⇒規範収束(身分序列や生活規範)が強いからである。
日本人と同様にインド人もイスラム人も、規範秩序に守られているという感覚であって、だからこそ居心地が良いのである。
(西洋人はそのことを批判するが、それは彼らが共同体性を失った自我民族だからに他ならない。)
日本人・中国人・インド人・イスラム人の精神構造は、共同体質故の秩序収束⇒規範収束である。
〜中略〜
日本人は戦前まで村落共同体が残存しており、そこでの本源共認と規範としての身分序列によって統合されてきた。
そこでは観念性はほとんど見られない。
先に検討した、現実共認と宗教共認の分裂は実は、西洋固有の特徴なのではないか。
実際、日本人・中国人・インド人・イスラム人の精神構造は、共同体基盤に立脚した規範統合と言うべきであって、全く分裂していない。
東洋では、庶民にとって必要なのは現実の秩序共認であって、支配者として王や天皇は存在しているが、それは庶民にとってはどうでもいい存在なのではないか。
単に、収束した秩序の上の方に天皇がいる。
その方が精神安定的で居心地が良いので奉っているだけなのではないだろうか。
イスラムやインドの神官も同様で、庶民が収束した秩序の上の方に神官がいた方が安定的なので共認されているのではないか。
言い換えれば、日本人やインド人が、国家や天皇や官僚に期待しているのは、秩序さえ安定していればそれで良いということなのではないだろうか。
社会期待としてとらえ返せば、日本人・東洋人・イスラム人は共同体体質を色濃く残存⇒安定期待⇒秩序収束⇒規範共認に収束して安定を求めるという構造である。
それに対して、救い期待に応えて一神教が登場したのは西洋特有の構造である。
また、仏教も救い欠乏を土台にしており、それがインドにおいて仏教が根付かなかった理由であろう。
★*・・*☆*・・*★*・・*☆*・・*★*・・*☆*・・*★
重要なキーセンテンスは、
『これは、観念収束ではなく、共同体に立脚した規範収束の結果』
『日本人・東洋人・イスラム人は共同体体質を色濃く残存⇒安定期待⇒秩序収束⇒規範共認に収束して安定を求めるという構造である。』
です。
当初の疑問に答えるなら、共認統合社会が私権統合社会に適応していく過程では、このように、安定期待⇒秩序収束⇒規範共認に収束して安定を求めるという構造になり、最終的には、みなが充足できるものとなっていく法則がありそうです。
これは、社会統合様式(=共認統合)に沿った形で規範や観念群、生産様式などの社会システムが形成されるということがいえるのではないでしょうか?
また、
『日本人と同様にインド人もイスラム人も、規範秩序に守られているという感覚であって、だからこそ居心地が良いのである。』
というところが、日本ととても似ているのではないでしょうか?
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欧米は、弱肉強食の市場原理。東洋は、地域共同体を大切にする社会。
禁欲的な仏教は、インドでは貴族など上層階級にしか広まらなかった。
欧米の農奴も土地に縛られることで生きる糧を得たように、カーストは生きるためのインドでの秩序だった。 市場闘争をしないために、カーストが必要とされた。
日本は、シロアリの既得権を守る歪んだ市場原理の国だ。
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