2024年08月31日
ef14も使いにくい車両で本当に不運な車両だった。
引用先 https://ameblo.jp/yagoto-tetujin/entry-12842891604.html
ef54からギヤ比を変更した
ef14も使いにくい車両で本当に不運な車両だった。
●ef52の高速特化機のef54が貨物用の機関車になった理由。
引用先 https://ameblo.jp/glock132/entry-12521117047.html
ef52の高速特化機のef54が貨物用の機関車になったのは、戦時中に
貨物用の機関車が不足したということでした。
●ef14が登場した理由は貨物用の電気機関車が不足していたから。
引用先 https://railwayinmemory.sakura.ne.jp/HP045_EF14.html
ef52の高速特化機として作ったef54は太平洋戦争の終盤の
1944年に貨物用のef14に形式変更されましたが、
その理由は太平洋戦争が勃発したということもあり、
貨物輸送も民需より軍需を優先した関係ですが、
この当時の鉄道を巡る環境を見ていきますと1942年に
関門トンネルが開通しました。その関係でef10も増備されましたが、
新たに増備されたef10は関門トンネル用に作られたもので
それが門司機関区に移動したものですから、
貨物用の電気機関車も不足しました。
その関係で急客機のef57の一部の車両が貨物列車の
運用に入らざる得ない状況となりましたし、
ef54の元になったef52も1942年から1944年に
かけて国府津機関区に集結しましたから、
偶然にも旅客用のef52と貨物用のef14が一緒にいましたし、
ef12の戦時型でもあるef13については、
ef54がef14に変更になった1944年の時点で
ef13 1〜6、11だけが落成していましたが、
1944年の年末にはef13 11が水上機関区に移動しましたから
とにかく機関車が足りないという状況でした。
ちなみにef13ですが、残りの24両は戦後になってから
完成しました。
そんな状況であれば、使えるものは何でも使うという
流れになりますからef52を高速特化機として作ってみたのは
いいのだが、使い勝手が悪いef54に白羽の矢が立った
ということになります。
ちなみに旅客用の電気機関車から貨物用の電気機関車に
改造されたケースは、
ed19のケースがありましたが、ed19は仙山線
作並から山寺の間の区間が電化されたのはいいのですが、
国鉄が定めた路線の規格では丙線規格だったということで
重量の重い電気機関車は入線できないということで、
旅客用の電気機関車のed53がギヤ比を変更の上で
貨物用のed19となりましたが、これが結果的によかった
ということもあり、飯田線での活躍へとつながっていきました。
あと、戦後に作られた旅客用の電気機関車のef58がデッキ付きで
32〜34号機が貨物用のef18に改造されたケースもありましたが、
この場合はドッジライン政策の影響で旅客用の電気機関車が
制限されてしまったということで、ef58の32〜34までが
貨物用のef18になりましたが、
ef18は性能的にはef15と変わりがなかったということもあり
最盛期にはef15ともに共通の運用に入ることもありましたが、
旅客用の電気機関車旅客用の電気機関車が貨物用に改造されたのは
ef14を含めて3例しかありません。
じゃあ?ef14は実際にどうだったのかというと、貨物用に改造されて
からも活躍することはありませんが、その理由も戦前に作られた貨物用の
ef10と比べて発進時に空転が起きやすかったからですが、
ef14ですが改造された当初のギヤ比率は、ed16と同じ
1:4.77でしたから、ef10〜ef12とはギヤ比も異なれば
空転も起きてもおかしくないのではないでしょうか。
ef14ですが、ef10などと同じギヤ比になったのが
1951年のことでしたが、
ef10はef53を貨物用にした車両ですからef53と同様に使いやすい車両
ですからそれであれば乗務員の方がef14を嫌うのも納得できますし、
ef10からef12と比べてギヤ比も異なっていましたからなおさら乗務員の方からも
嫌われていたということになりますから、
それであればef54のまま使っていた方がよかったのではという
ことになるのではないでしょうか。
●ef14もとにかく不運な車両だった。
引用先 http://katte-kimama.twinstar.jp/railway/PassedOneShot/001.htm
ef54を改造して貨物用になったef14ですが、戦後は八王子機関区や
甲府機関区を転々と移動して中央線の旅客列車を担当していましたから、
冬場は暖房車も連結していたのではないでしょうか。
ちなみに中央線時代にはef52も一緒に使われていましたから、再び
同じ系列の機関車が集結したということでしたが、
そんなef14も今度は戦時型から車体の改装工事が終わったef13で
あったり、ed62の元になったed61が甲府機関区に配属された結果、
吹田第二機関区に転属するすることになりましたが、
最後は大阪駅構内での入れ替え機として使われることになりましたが
ef14もef54と同様に不運な機関車としか言いようがありませんが、
ef54は高速特化機として作ってみたら中途半端だったということでしたが
それを貨物用に転用したらさらに中途半端になってしまったのですから、
ef14も不運としか言いようがありません。
元となったef52は阪和線で貨物列車で活躍していましたから、同じグループから登場した
車両でありながらも性能が中途半端だったということで、
その後の運命が分かれてしまったというのですからef14も不運としか言いようがありませんが、
旅客用から改造されたef59は国鉄が分割民営化する前まで活躍していいたのですから
それから見るとef14は本当に不運が付きまとっていたということでした。
●ef14もef54と同様に中途半端な性能が最後まで災いした。
引用先 https://x.com/mrt_misutatei/status/1500239701503922178
ef52を高速機に特化したef54を貨物用に改造したef14もとにかく不運が
付きまとっていましたが、
ef54も性能的には中途半端だったことが、ef14にも引き継がれ、
その結果、ef14も中途半端な車両になってしまったということでした。
2024年08月28日
不運な機関車の歴史 ef54は本当に不運な車両の一つだった。
引用先 https://minkara.carview.co.jp/userid/405365/blog/44090131/
ef52には高速性能に向上したef54もありましたが、ef54も不運な車両でした。
●ef52には形式変更となったef54もあった。
引用先 https://aucview.com/yahoo/388853392/
ef52には高速性能に
特化したef54ががありましたが、
ef54は、落成した当初はef52 8号機、9号機でしたが
ギヤ比がef53と同じであったために形式がef54に
変更されましたが、
ef52 8号機、9号機が落成したのが1931年で、翌年の1932年に形式がef54へと形式が
変更されましたが、
ef52とはどんなところが違っていたかというと、
ef52はギヤ比が3.45であるのに対して、ef54はギヤ比が2.63でありましたから、
ef54はef53の試作車といってもいい車両でしたが、逆にそれがef54の活躍の場を
狭くしてしまったということでした。
その理由も2両しかなかったということもあり、同じ系列のef52との運用を
組むこともできませんでしたから、
結果的にef54は作ってみたのはいいのですが、中途半端な性能になってしまったということでした。
●ef54は不運な電気機関車の一つだった。
引用先 https://aucview.com/yahoo/388853392/
ef52を高速性能にしたef54は現役時代は東京と熱海の間で
運転されていた急行列車だけを担当していましたが、
その理由もef52とはギヤ比が異なるということでしたが、
反対に東京と熱海との間で運転されていた普通列車は
ef52が担当することになりましたし、
それ以外の長距離を走る普通列車や急行列車などに
ついてはef53などが担当していましたが、
ef53は戦前に作られた急客機の中では使いやすく整備しやすい車両
だったということで、ef59になってからも活躍しましたが、
ただef53は暖房装置がなかった点が残念なところでしたが、
この点についてはef56やef57で暖房装置がつきましたが、その点を除けば
ef56はef53の系列の車両になりますし、ef57も角度を変えてみるとef53の
出力強化型になりますし、
ef53は戦前はお召し列車の指定機にも選ばれましたし、
戦前の花形特急列車の燕や富士も担当した車両ですから、
ef52やef54と比べても性能が良かったということで、
その当時の鉄道省の関係者の方達も納得できる電気機関車
が作れたということでしたが、
ef54は2両だけだったということもあり、
それが災いして、まともに活躍できないまま太平洋戦争が
終盤になる1944年に
ギヤ比これまでの1:2.63からed16と同じ
1:4.77 に変更の末形式もef14となりましたが、
形式が変わってからも帳簿の上ではef54は存在し続けましたが、
ef54については存在しない車両でありましたから幽霊みたいな
存在でした。
ちなみに鉄道省から国鉄で使われた機関車の中で54の番号を
持つ車両はまともに活躍できなかった車両がいろいろと
ありました。
蒸気機関車では蒸気機関車がブームになる前に消えたc54も
ありましたし、電気機関車では大正時代にスイスから輸入した
ed54、ディーゼル機関車では山陰本線で使われていたdd54が
ありましたが、これらの車両に共通しているのは54という
ナンバーの車両になりますから、
鉄道の世界では54のナンバーを持つ車両はあまり目立たない
車両ばかりになります。
●ef54もef52のままでもよかったのではないか?
引用先 https://aucview.com/yahoo/388853392/
ef52を高速特化したef54は、ギヤ比をef53と同じ比率に変更してみたのはいいのだが、
逆に使いにくい車両になってしまったということでしたが、
それであれば当初からef52と同じギヤ比にしておけばまともに
使えたのではないでしょうか。
2024年08月21日
国産電気機関車の遺産: ef52の保存と重要性から見える産業遺産。
引用先 http://butsuma-tetsudou.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/ef52.html
マイナーな電気機関車でもあるef52も保存されている車両があります。
●ef52には2台だけ保存されている車両がある。
引用先 https://ameblo.jp/yagoto-tetujin/entry-12851365568.html
ef52には、一般公開されている保存機と一般には公開されていない保存機がありますが、
ef52自体マイナーな電気機関車ですが、保存機があること自体意義があります。
●ef52 2号機が京都鉄道博物館にも保存されている。
引用先 https://ameblo.jp/c5520ta/entry-12530399657.html
ef52で保存されている車両で一般公開されている車両は、京都鉄道博物館に保存されている
ef52 2号機ですが、京都鉄道博物館ができる前は大阪にあった交通科学館で保存されて
いましたが、
ef52が引退したのが1975年になりますが、晩年まで残ったef52は2両でそのうちの1両が2号機に
なりますが、
最後まで残った7号機と比べると目立たないうちに引退しましたが、
考えてみたら京都鉄道博物館ですが、交通科学館で保存されていた車両が収蔵されていますが、
3シリンダー機のc5345号機、マイテ49 2そしてef52 2号機になりますが、
これらの車両も交通科学館で保存されていましたが、
c5345号機は梅小路蒸気機関館ができるということで移動し、
マイテ49 2は国鉄が分割民営化するということで、それに合わせて復活しそして再び
廃車となって京都鉄道博物館に収蔵されたというのですから、
何かと京都鉄道博物館と縁がある車両になりますが、
これはef52 2号機も同じですから、結果的には京都鉄道博物館に移籍して正解だったということでした。
●ef52 7号機が川崎重工兵庫工場で保管されている。
引用先 https://blog.goo.ne.jp/kiza/e/2966cbf6c0e408455d9aa872e2d792e2
ef52で保存されているもう一台の車両は、兵庫県にある川崎重工兵庫工場で、保存されて
いますが、川崎重工ですが元々造船会社でありますが、今は電気機関車なども作っている
メーカーということでも知られています。
川崎重工兵庫工場に保存されているのがef52 7号機で川崎重工で作られた車両という
ことで、保存されていますがef52 7号機ですが、廃車になる前に引退記念ということで
12系で編成された臨時列車のきのくに55号をけん引して引退しましたが、
引退するときに再び客車による列車もけん引できたのですが、
ef52自体がマイナーな電気機関車でありましたが、いまでしたらこのような列車が
運転されたら大騒ぎになるのは間違いありませんが、あの当時は本当に好きな方達だけが
見送ったということでした。
そして廃車となったのちに生まれ育った川崎重工兵庫工場にもどってきました。
●ef52の保存自体が産業遺産としての意義もある。
引用先 https://blog.goo.ne.jp/kiza/e/2966cbf6c0e408455d9aa872e2d792e2
ef52はマイナーな電気機関車ということで、あまり知られないうちに消えていきましたが、
それでも今も2両が残っていて、準鉄道記念物にもしていされているのですから、
国産電気機関車の発展に大きく貢献した車両でしたから、保存される意義もありました。
2024年08月14日
鉄道模型の世界におけるef52が製品化されにくいその理由は何か?
引用先 https://drfc-ob.com/wp/archives/124480
ef52は鉄道模型の世界でも限られたメーカーしか製品化していませんがその理由に迫ってみました。
●ef52が鉄道模型で製品化されない理由はマイナーな車両だったから。
引用先 https://railwayinmemory.sakura.ne.jp/HP049_EF52(2)_HanwaLine.html
ef52がnゲージや日本型16番などで限られたメーカーしか製品化しないのは、
ef52がマイナーな車両であるからです。
●ef52が鉄道模型で製品化されない具体的な理由とは?
引用先 https://ameblo.jp/ten-riu1962/entry-12437780747.html
ef52がnゲージや日本型16番で限られたメーカーでしか製品化しない理由は、
ef52が7両で終わったこともありますし、
戦前型の旧型電気機関車については付帯的な情報も必要になるということですが
この辺はカトーからef55が製品化された際にRMモデルズ338号の中で、関良太郎さん自身が
ef53については付帯的な情報が必要になってくると書いていますし、
ef52についてはのちの改造を改造などの経緯を含めて少し製品化が難しいとも
記事に書いていますが、この場合の改造ですがef14のことを指していますが、
戦前の旧型電気機関車で急客機の製品化が難しいのは、
客車がオハ31、スハ32、オハ35系が該当しますが、これらの客車は
戦前はぶどう1号で塗装されていましたし、1940年より前は3等車や
寝台車、合造車は赤い帯が入っていましたし、1940年以降は赤帯も
消えて、1941年に入ってからは形式が2桁となりましたが、
それ以前は5桁でしたし、実際にその当時どんな編成だったか
という資料も乏しいということになりますが、特に普通列車に
ついてはですが。
まだこれが特急富士や燕であれば資料もありますから。
それだけ戦前に作られた旧型の急客機の電気機関車については
製品化のハードルが高いですし、本当に売れるのか?
ということもありますから、メーカー側としても製品化を
躊躇してしまうということになります。
●ef52でこれまでに鉄道模型で製品化されたものは?
引用先 https://www.pacific571.com/html/58_el01.html
マイナーな車両の一つでもあるef52ですが、鉄道模型でこれまでに
製品化されているものは、
・マイクロエースのef52 2号機と7号機
・ワールド工芸のブラスキットのef52
nゲージで製品化されているのはこれだけですが、
日本型16番では
マイクロキャストミズノ
だけですが、
nゲージでマイクロエースがef52を製品化した理由は他社にはない車両を
製品化するというマイクロエースならではの色が出ていますし、
ワールド工芸では過去にef54なども製品化していますから、ブラスキットで
製品化するのも当然のことではないでしょうか。
それであればカトーやトミックスからもef52が製品化されてもおかしくないのでは
と思っている方も多いのではないでしょうか。
ef52自体、戦後は阪和線で貨物列車を担当していましたし、戦前については
付帯的な情報が必要なるというのですから、
nゲージでトミックスやカトー、日本型16番では天賞堂がef52を製品化
しないのもそうしたことがあるからです。
●ef52はマイナーゆえに鉄道模型好きの間では人気のある車両だった。
引用先 ttps://myfatherphoto.jugem.jp/?eid=20
ef52が鉄道模型の世界で製品化されない理由は、ef52がマイナーな車両であることと
付帯的な情報も必要になってくるということですが、
それゆえでしょうか鉄道模型に詳しい方達の間では人気がある車両の一つになります。
銚子電鉄の車両がnゲージと鉄コレで製品化できた具体的な理由とは?
引用先 https://kk-kiyo.hatenablog.com/entry/2020/08/02/061551
nゲージで銚子電鉄の車両がいろいろと製品化されていますが、その理由は何でしょうか?
●銚子電鉄の車両がnゲージで製品化されたきっかけは鉄コレだった。
引用先 http://skp.my.coocan.jp/cyoshi1002/index.html
銚子電鉄の車両が鉄道模型で特にnゲージでいろいろと製品化されているきっかけは
鉄コレの存在があります。
●銚子電鉄の車両がnゲージ製品化できなかった理由は?
引用先 https://photozou.jp/photo/show/282592/43610755
銚子電鉄の車両がこれまでnゲージの分野で製品化されてこなかった理由は、動力ユニットの
関係が影響していますが、2005年に鉄コレ1弾が登場し、これまで製品化されたことがなかった
12メートル級や15メートル級の電車が製品化されましたが、
12メートル級や15メートル級の電車ですが、日本型16番であれば組み立てキットもありますが、
これまで完成品として販売されたことがなかったのですから、それがnゲージで製品化された
のですから、その裏には専用の動力ユニットが開発されたことで、これまで製品化が難しかった
車両がいろいろと登場することとなりましたが、
鉄コレの登場は鉄道模型の世界、特にnゲージの分野に新たな可能性を開いたということに
なります。
あと、銚子電鉄のデキ3もこれまでは製品化が難しかった車両ですが、これも専用の
モーターが開発で来たことで製品化されたのですから、
銚子電鉄の車両がnゲージで製品化できた裏には動力ユニットの存在がありましたが、
まさか21世紀に入って銚子電鉄の車両が簡単に手に入るようになったとは誰もが
想像すらできなかったのですが、それが実現したということでした。
●銚子電鉄の車両でnゲージで製品化されたものはいろいろある。
引用先 https://rail.ktr.jp/2010/03/24/choshi701801/
銚子電鉄の車両ですがnゲージではどんなものがこれまだに製品化されてきたかというと、
鉄コレでは、
・銚子電鉄デハ301
・銚子電鉄デハ501
・銚子電鉄デハ701
・銚子電鉄デハ801
・銚子電鉄デハ1000形
・銚子電鉄デハ2000形
がブラインド方式で販売されましたし、
鉄コレ1弾のシークレットがデハ501で入線した当初のカラーリングの車両で、鉄コレ12弾
のシークレットが青塗装のデハ702になります。
あと、オープンパッケージで
デハ301と501の新塗装が2両セットになったもの。
デハ1000形は桃電仕様と鉄子の旅仕様が製品化され、その後
銀座線と丸の内線塗装の2両セットも製品化されました。
11月には南海電鉄から譲渡された銚子電鉄22000形と引退した銚子電鉄2000形の
2001編成も販売さることになりましたが、
鉄コレ1弾で銚子電鉄デハ301とデハ501が登場してから20年になろうとしていますが
その間にこれだけの車両が鉄コレで製品化されたのも奇跡的なことではないでしょうか。
あと、デキ3は津川洋行とワールド工芸から製品化されていますし、相方のハフ
も津川洋行から製品化されましたから、
銚子電鉄の車両はほぼぼ出そろった感じになりますが、
製品化されていない車両には何があるかというと、
・銚子電鉄デハ101
引用先 https://drfc-ob.com/wp/archives/4039
・銚子電鉄デハ201
引用先 http://express-akanagi.blogspot.com/2016/07/blog-post_16.html
があります。
あと、nhkの朝の連続テレビ小説の舞台になったということもあり、
遊覧客車のユ1もありましたが、
引用先 http://c5557.kiteki.jp/html/tyouden2006-12-6.htm
これらの車両は今のところ製品化されていませんが、今後、製品化されるということも
あるのではないでしょうか。
それだけ銚子電鉄の車両は鉄道模型の世界では魅力的な存在にあります。
●銚子電鉄がnゲージ製品化できた裏には動力ユニットができたから。
引用先 https://rail.ktr.jp/2010/03/24/choshi2001/
銚子電鉄の車両がnゲージで製品化されるようになったのも、専用の動力ユニットができた
ことが一番の要因でありました。それが鉄コレでこれまで製品化できなかった車両や
津川洋行からもこれまで製品化が難しかった保線用のモーターカーも動力化できるようになった
のですから、
それらもすべて銚子電鉄のデハ301やデハ501が製品化できた流れでこれだけの種類の
車両が製品化できたことにもつながっていったということになります。
2024年08月13日
不運な国産初の大型電気機関車ef52の歴史とその軌跡。
引用先 https://drfc-ob.com/wp/archives/124480
鉄道省が初めて作った大型の電気機関車のef52も何かと不運な車両でした。
●ef52も不運な車両の一つだった。
引用先 https://ameblo.jp/blackcat-kat/entry-11979279652.html
ef52は戦前の鉄道省
が中心となり、日立などを含めた民間7社で作って見たのはいいのですが、
自分たちが求めていたレベルの車両とは程遠かったということもあり、
新たにef53の開発に着手しましたから、そうした点から見てもef52も
不運な車両の一つでしたが、
戦前は普通列車、1942年〜1944年にかけては
国府津機関区に集結し貨物列車を、晩年も阪和線で貨物列車を
担当していましたから。
●ef52 7が不運な理由は性能が中途半端だったこと。
引用先 https://myfatherphoto.jugem.jp/?eid=12
ef52が不運だった理由は、ef52も当初の計画では低速用の貨物用電気機関車
として計画されましたが、
それが途中から旅客列車もけん引できるように設計を変更されるというような
ことがありましたが、このようなケースですが鉄道車両でもあよくあるネタの一つでした。
その結果、出来上がったef52は鉄道省の関係者の方達も自分たちが求めていた
車両とはほど遠い中途半端な車両となってしまったということで、
ef52をより使いやすくした電気機関車をということで、
戦前の急客機の傑作と呼ばれたef53が登場することになりましたが、
ef53は鉄道省の関係者の方達が求めていた故障もしにくく、整備しやすい
機関車ということで、
戦前は特急燕や富士などの花形列車も担当しましたし、お召し指定機にも
選ばれるなど、戦前に作られた電気機関車の中でも安定した性能を発揮した
車両ですが、ef53はあきらかアメリカから輸入したef51やed53の流れを
引いた車両になります。
それであればef52も計画当初から高速旅客機として設計していたら
まともに使えていたのではないでしょうか。
それが途中から設計変更をしたのですから、性能も中途半端になりますから
この点から見てもef52は不運な車両となります。
●ef52は最後の最後まで不運だった。
引用先 https://www.pacific571.com/html/58_el01.html
ef52は戦後になってからも活躍の場も限られていましたが、
戦後になってから担当した区間は、中央東線と阪和線で、旅客列車を担当していましたが、
最終的には竜華機関区に7両すべてが集結して阪和線で貨物列車を担当していましたが、
最後になってからef52は当初の計画であった
貨物列車でで活躍することになったの
ですから、こうした点から見てもef52は本当に不運としか言いようがありませんが、
それでも最後に残ったef52 7号機は
引退する前に臨時急行きのくにを担当して引退しましたが、
なんだかef52は作られてから引退する日まで不運な日々を過ごしていたということでした。
●ef52は結果的に不運な車両の一つだった。
引用先 https://drfc-ob.com/wp/archives/124480
7両で終わってしまったef52は、
ef53などに続く電気機関車の基礎となった車両ですが、
開発当初から中途半端な性能になってしまったということで、
設計の段階から不運なめぐりあわせになってしまったということでした。
国産電気機関車ef52の開発とその舞台裏の歴史
引用先 https://drfc-ob.com/wp/archives/124480
京都鉄道博物館で保存されているef52について欧米のパクリでとも言われていますが、
その真相について調べてみました。
●ef52は欧米機を手本にして作られた車両。
引用先 https://ameblo.jp/blackcat-kat/entry-11979279652.html
京都鉄道博物館に保存されているef52は、アメリカから輸入した電気機関車を
手本として作られた車両でありましたから、外見がアメリカンスタイルでありました。
●ef52が欧米機のパクリといわれる理由。
引用先 http://www.shiino-goichi.sakura.ne.jp/ef522.htm
ef52が、車体の外見がアメリカンスタイルの理由は、
アメリカから輸入した電気機関車に似ているからですが。
具体的な理由は、アメリカから輸入したef51やed19の母体となるed53が
使いやすく、故障も少なかったということもありますし、
これ以外にもアメリカから輸入したed10にed11、ed14もef52を作るうえで参考にしていました。
その関係で、ef52の車体がアメリカンスタイルになったというのが、真相でしたが、
なぜ?アメリカから輸入したef51などを手本にしたかというと、
大正時代に日本も東海道本線など一部の路線の電化が始まりました。
それと合わせる形で鉄道省の前進でもある鉄道院がイギリスやドイツ、
アメリカ、スイスなどから電気機関車を輸入してみましたが、
まだその当時は電気機関車については鉄道院でも未知の分野でありましたし、
1両1形式もしくは2両でありましたから、
車両の整備、保守点検も大変でしたし、予備の部品の確保など問題も
ありましたから、これらの問題をどう解決するかということで、
昭和になり鉄道省が中心となり、民間の車両メーカーと検討会を立ち上げて
自分たちが使いやすい電気機関車を作るということが決まり、
その過程で選ばれたのがef51とed53、ed10、ed11、ed14になります。
その結果、ef52の車体もアメリカンスタイルの車両となりましたが、
それでef52を欧米機のパクリともいうのもおかしなものではないでしょうか。
ef52のあとに作られたed16、戦前の急客機の名車とも言われたef53や貨物用の
ef10の1次型もef52と同じ流れを引いていますが、
戦前に作られた電気機関車で車体のデザインがモデルチェンジするのは
ef56と貨物用のef10の2次型が登場してからになりますが、
ef56とef10も製造年代で車体のデザインが大きく異なっているのも
日本が戦時体制に移行した関係で、丸みを帯びた車体が角ばった車体に
変わっていきましたが、
その流れがそのままef57やef58の旧車体の車両にも引き継がれていましたが、
ef57やef58、貨物用のef11〜ef15も電装品の配置はef51やed53の配置を引き継いで
いますからそれだけef51やed53が使いやすい車両だったからこそ、その流れが
ef58やef15に受け継がれたということになります。
●ef52の手本となった車両には何があるのか?
引用先 https://myfatherphoto.jugem.jp/?eid=12
京都鉄道博物館で保存されているef52はef51やed19を参考にして作られた車両ですが、
参考になったef51やed19などはどんな車両だったかというと、
これらの車両を作った会社は、アメリカのボールドウィン・ウェッチングハウスで、
車体はボールドウィンが担当して、電装品をウェッチングハウスが担当しました。
ボールドウィンは明治時代から多数の機関車が、日本にも輸入されていたということ
でも知られていますが、戦後になってからウェッチングハウス社の傘下に加わり、
最後はハミルトン社に併合されました。
それで鉄道省がボールドウィン・ウェッチングハウスから購入した電気機関車は
・ef51
引用先 http://kokutetu.michikusa.jp/newpage404.html
・ed19(ed53)
引用先 http://blog.livedoor.jp/kintoto_2019/archives/27239155.html
・ed10
引用先 https://raillab.jp/photo/41272
がありますが、
ef51とed19は同じ作りの車体でありますが、
前者がfクラスで後者がdクラスということですが、
大正時代に輸入された電気機関車ではイギリス製のef50とed17との関係と似ていますが、
なぜ?そうなったのかというと、この当時は電気機関車はまだ未知の分野だっただけに
fクラスとdクラスを同時に取り寄せて使い比べてみたのではないでしょうか。
そのうち、ed53は6両あり、そのうちの1、2号機がお召し指定機に選ばれてef53が登場するまで
お召し列車を担当していましたが、
その際も重連運転になりますが、撮影された写真がRMライブラリー11 国鉄輸入電気の系譜の
上の31ページの上の方に出ていますが、
ed53は戦前にギヤ比率を変更の末、ed19となり、1975年まで飯田線で
活躍していたということはよく知られていますが、
ef51は2両だったということで、1959年で廃車となりましたが、
晩年は南武線の貨物列車を担当していましたが、
この辺はef52と
似た運命をたどったということではないでしょうか。
あと、ed10は西武鉄道に譲渡され、使われていました。
●ef52は欧米機のパクリではなかった。
引用先 https://www.pacific571.com/html/58_el01.html
ef52はアメリカから輸入した、ef51、ed19、ed10、ed11、ed14を
手本にして作られた車両ですから、外見がアメリカンスタイル
となっていますが、それでもその当時の鉄道省が民間企業
7社ともに作った本格的な国産の大型電気機関車でありました
から、その点は褒めていいのではないでしょうか。
2024年08月12日
銚子電鉄の未来とディーゼルカーへの転向は現実的なのか?
銚子電鉄をコスト削減でディーゼルカーに転向するのは現実的なのでしょうか?
●銚子電鉄を新型のディーゼルカーに置き換えるのは現実的ではない。
引用先 https://trip.iko-yo.net/articles/530
銚子電鉄をコスト削減でディーゼルカーに転向するのは逆にコストがかかり現実的
ではありません。
●銚子電鉄が長年赤字になったのも国の責任だった。
引用先 https://www.choshikanko.com/kankoDB/0104/
銚子電鉄をコスト削減でディーゼルカーに転向する理由は、銚子電鉄自体がが長年赤字
経営で、国などからの支援をうけているからなどがありましたが、
銚子電鉄も赤字経営になっていったのも、今の日本が抱えている超高齢化社会の
問題とも結びつきますし、行き過ぎたモータリゼーションなどの問題もありますが、
前者は、JRのローカル線や大手私鉄もそうですし、中小の私鉄も直面している
問題ですし、
後者についてはこれまでにそれが原因で利用者が減少した末に廃止になっていった
鉄道も数多くありますが、
後者についてはこれから先、バスドライバーの確保の問題も指摘されているだけに
その代わりにJRのローカル線や中小の私鉄もその役目を果たしてもおかしくは
ありませんが、
それができていないのが今の日本が自動車を優先した末に招いた結果でありますから、
銚子電鉄が赤字経営になった理由もあまりにも国が鉄道に対する政策を怠ってきた
結果でありました。
●銚子電鉄でクラウドファイナンスで新車を導入するのも現実的ではない。
引用先 https://www.tokyo-np.co.jp/article/164499
銚子電鉄がコスト削減でディーゼルカーに転向するとなると、車両の導入費用は
どうするのかということは、クラウドファイナンスで調達してみてはどうだという
意見がヤフー知恵袋の質問にも投稿されていますが、
これは実際に現実的なのでしょうか。何しろ新車を導入するために3億円を集めなければ
なりませんから、仮にクラウドファイナンスで資金を調達しようとしても、結果的には
達成できなかったという結果が予測されるのではないでしょうか。
さらディーゼルカーに転向したとしても設備の撤去などもありますし、それ以外にも
新しく作った車両の整備に必要な予備の部品も準備しなければなりませんし、
全般検査の費用もありますから、そうした問題がありますから、クラウドファイナンスで
資金を調達して新型の電気式ディーゼルカーを導入するというのは、現実的ではない
ということになりますが、
逆に言えば、今の状態を保った方が銚子電鉄にふさわしいのです。
●銚子電鉄がディーゼルカーに転向したらどうなるのか?
引用先 https://www.bs-asahi.co.jp/tetsu_zekkei/lineup/prg_272/
銚子電鉄が仮にディーゼルカーに転向した場合ですが、その後はどうなっていくので
しょうか?
実際に電化路線からディーゼルカーに転向した路線がありますが、これらの路線も
コスト削減でディーゼルカーに転向した路線です。
・玉野市営電気鉄道
引用先 https://drfc-ob.com/wp/archives/31093
玉野市営電気鉄道ですが、こんな私鉄あったのかというくらいに超マイナー私鉄ですが、
玉野市営電気鉄道は岡山県玉野市の宇野駅から玉遊園地前駅を結んでいた玉野市が
運営する鉄道路線ですが、
全国的にも珍しい「市電」の鉄道路線ですが、玉野市営電気鉄道と似たケースが
九州の熊本県の荒尾市にあった荒尾市営電気鉄道くらいですが、
荒尾市営電気鉄道と玉野市営電気鉄道は地方鉄道法による鉄道路線になりますが、
玉野市営電気鉄道もコスト削減で電化路線からディーゼルカーに転向した路線
ですが、それでも利用者が増えることがなく、1972年の4月1日で全線が廃止
となりました。
・くりはら田園鉄道
引用先 http://pierot.fc2web.com/pierot/kuriden.htm
くりはら田園鉄道ですが、元は栗原電鉄で、終点にあった細倉鉱山が1986年に閉山したことと
利用客が減ったことから赤字経営に転向となりましたが、栗原電鉄の沿線自治体が、
鉄道路線を残してほしいとのことで、地元の自治体が出資する形で第三セクターの
くりはら田園鉄道に変わり、電化路線からディーゼルカーに転向しましたが、
それでも利用客が増えずにくりはら田園鉄道も廃止となりましたが、
電化された路線からディーゼルカーに転向した2つの路線も最後は廃線となりましたから
それであれば、銚子電鉄もディーゼルカーに転向した2つの路線と同様に廃線になっても
おかしくないのではないでしょうか。
●銚子電鉄はディーゼルカーに転向するより今のままでいい。
引用先 https://raillab.jp/news/article/30233
銚子電鉄ですが、ディーゼルカーに転向したらどうだという話も出ていますが、実際の
ところ現実的ではないとのことになりますが、
それで利用者で増えてくれるのならいいのですが、逆に必要以上にコストがかかり、
その結果、赤字が増えて廃線になってしまうという結果が考えられますから、
それであれば、今のままが一番いいということになります。
●銚子電鉄を新型のディーゼルカーに置き換えるのは現実的ではない。
引用先 https://trip.iko-yo.net/articles/530
銚子電鉄をコスト削減でディーゼルカーに転向するのは逆にコストがかかり現実的
ではありません。
●銚子電鉄が長年赤字になったのも国の責任だった。
引用先 https://www.choshikanko.com/kankoDB/0104/
銚子電鉄をコスト削減でディーゼルカーに転向する理由は、銚子電鉄自体がが長年赤字
経営で、国などからの支援をうけているからなどがありましたが、
銚子電鉄も赤字経営になっていったのも、今の日本が抱えている超高齢化社会の
問題とも結びつきますし、行き過ぎたモータリゼーションなどの問題もありますが、
前者は、JRのローカル線や大手私鉄もそうですし、中小の私鉄も直面している
問題ですし、
後者についてはこれまでにそれが原因で利用者が減少した末に廃止になっていった
鉄道も数多くありますが、
後者についてはこれから先、バスドライバーの確保の問題も指摘されているだけに
その代わりにJRのローカル線や中小の私鉄もその役目を果たしてもおかしくは
ありませんが、
それができていないのが今の日本が自動車を優先した末に招いた結果でありますから、
銚子電鉄が赤字経営になった理由もあまりにも国が鉄道に対する政策を怠ってきた
結果でありました。
●銚子電鉄でクラウドファイナンスで新車を導入するのも現実的ではない。
引用先 https://www.tokyo-np.co.jp/article/164499
銚子電鉄がコスト削減でディーゼルカーに転向するとなると、車両の導入費用は
どうするのかということは、クラウドファイナンスで調達してみてはどうだという
意見がヤフー知恵袋の質問にも投稿されていますが、
これは実際に現実的なのでしょうか。何しろ新車を導入するために3億円を集めなければ
なりませんから、仮にクラウドファイナンスで資金を調達しようとしても、結果的には
達成できなかったという結果が予測されるのではないでしょうか。
さらディーゼルカーに転向したとしても設備の撤去などもありますし、それ以外にも
新しく作った車両の整備に必要な予備の部品も準備しなければなりませんし、
全般検査の費用もありますから、そうした問題がありますから、クラウドファイナンスで
資金を調達して新型の電気式ディーゼルカーを導入するというのは、現実的ではない
ということになりますが、
逆に言えば、今の状態を保った方が銚子電鉄にふさわしいのです。
●銚子電鉄がディーゼルカーに転向したらどうなるのか?
引用先 https://www.bs-asahi.co.jp/tetsu_zekkei/lineup/prg_272/
銚子電鉄が仮にディーゼルカーに転向した場合ですが、その後はどうなっていくので
しょうか?
実際に電化路線からディーゼルカーに転向した路線がありますが、これらの路線も
コスト削減でディーゼルカーに転向した路線です。
・玉野市営電気鉄道
引用先 https://drfc-ob.com/wp/archives/31093
玉野市営電気鉄道ですが、こんな私鉄あったのかというくらいに超マイナー私鉄ですが、
玉野市営電気鉄道は岡山県玉野市の宇野駅から玉遊園地前駅を結んでいた玉野市が
運営する鉄道路線ですが、
全国的にも珍しい「市電」の鉄道路線ですが、玉野市営電気鉄道と似たケースが
九州の熊本県の荒尾市にあった荒尾市営電気鉄道くらいですが、
荒尾市営電気鉄道と玉野市営電気鉄道は地方鉄道法による鉄道路線になりますが、
玉野市営電気鉄道もコスト削減で電化路線からディーゼルカーに転向した路線
ですが、それでも利用者が増えることがなく、1972年の4月1日で全線が廃止
となりました。
・くりはら田園鉄道
引用先 http://pierot.fc2web.com/pierot/kuriden.htm
くりはら田園鉄道ですが、元は栗原電鉄で、終点にあった細倉鉱山が1986年に閉山したことと
利用客が減ったことから赤字経営に転向となりましたが、栗原電鉄の沿線自治体が、
鉄道路線を残してほしいとのことで、地元の自治体が出資する形で第三セクターの
くりはら田園鉄道に変わり、電化路線からディーゼルカーに転向しましたが、
それでも利用客が増えずにくりはら田園鉄道も廃止となりましたが、
電化された路線からディーゼルカーに転向した2つの路線も最後は廃線となりましたから
それであれば、銚子電鉄もディーゼルカーに転向した2つの路線と同様に廃線になっても
おかしくないのではないでしょうか。
●銚子電鉄はディーゼルカーに転向するより今のままでいい。
引用先 https://raillab.jp/news/article/30233
銚子電鉄ですが、ディーゼルカーに転向したらどうだという話も出ていますが、実際の
ところ現実的ではないとのことになりますが、
それで利用者で増えてくれるのならいいのですが、逆に必要以上にコストがかかり、
その結果、赤字が増えて廃線になってしまうという結果が考えられますから、
それであれば、今のままが一番いいということになります。
ef52の時代 阪和線で昭和30年代の貨物列車で使われていた貨車は?
引用先 https://drfc-ob.com/wp/archives/124480
ef52は阪和線で貨物列車を担当していましたが、昭和30年代に阪和線で運転された
貨物列車をnゲージで再現することはできるのでしょうか。
●ef52が阪和線で昭和30年代に担当した貨物列車はnゲージでも再現できる。
引用先 https://railwayinmemory.sakura.ne.jp/HP049_EF52(2)_HanwaLine.html
マイクロエースから製品化されたef52を使って昭和30年代に阪和線で担当した貨物列車は
nゲージでも再現できますが、
その場合、年代などに注意しなければなりません。
●ef52が阪和線で昭和30年代に担当した貨物列車の出所。
引用先 https://www.pacific571.com/html/58_el01.html
昭和30年代に阪和線でef52が担当した貨物列車をnゲージで再現できるかという
話ですが、
出所はヤフー知恵袋にこんな質問が投稿されていました。
「マイクロエースのEF52を所有しています。
この機関車で昭和30年代に阪和線を走っていた貨車を引かせてみたいのですが、
現在または過去に発売された貨車でふさわしい車両があれば教えてください」
という質問が投稿されていましたが、
実際にマイクロエースから製品化されたef52を使ってnゲージで昭和30年代に
阪和線を走っていた貨物列車を再現できるかどうかということについて
調べてみることにしました。
●ef52が阪和線で担当した昭和30年代の貨物列車は再現が可能だった。
引用先 https://ameblo.jp/ten-riu1962/entry-12437780747.html
マイクロエースから製品化されたef52を使って昭和30年代に阪和線で運転されていた
貨物列車を再現することできるのかどうなのかということについてですが、
トミックスやカトーから製品化されている貨車で、今後再生産が見込める
完成品であれば、昭和30年代に阪和線で運転されていた貨物列車をnゲージで再現できます。
●ef52が阪和線で担当した昭和30年代の貨物列車で使われた貨車は?
引用先 https://drfc-ob.com/wp/archives/124480
ef52が昭和30年代に阪和線で運転されていた貨物列車で使われていた貨車ですが、
昭和35年以前については、
カトーで製品化された
有蓋車のワム90000、ワ12000、ワム70000、鉄製有蓋車のテム300、
冷蔵車のレ12000、通風車のツム1000、緩急車のワフ29500、
無蓋車のトキ15000、ガソリンタンク車のタキ3000、タム500が
ありますが、
トミックスでは、ワム90000、ワム50000、ワム70000、
ワム3500、通風車のツム1000、冷蔵車のレ12000、陶器車のポム100、
ガソリンタンク車のタキ3000がありますし、
バラスト散布用のホキ800も昭和33年から製造が始まっていますから
阪和線でef52が貨物列車を担当していた頃に連結されていたかもしれませんし、
ホキ800はトミックスからも製品化されています。
昭和35年以前の貨物列車で使われていた貨車については木造の有蓋車や
無蓋車が数多く活躍していましたが、それらの車両ですが今のところ
製品化されていませんが、
これらの貨車については甲府モデルがパンケーキブランドでいろいろと製品化
していますがどんなものがあるかというと、
有蓋車については、ワ2200、スム1、緩急車のワフ22000.
通風車はツ2500、ツ4000。
木造冷蔵車はレ2900、レ5000。
木造無蓋車はトム11000、トム5000。
トラ1、トラ6000、トラ30000が
ありますが、これらの貨車も本来ならnゲージで製品化されてもいいものばかりです。
これに対して対して昭和36年から昭和39年にかけては新型の有蓋車や
無蓋車が登場しましたが、これらの貨車ですが戦前に作られた
ワム1などを置き換える目的で作られた車両になりますが、
nゲージで製品化されているものはというと、
有蓋車のワム60000、ワラ1、冷蔵車のレム5000が
ありますがこれらはトミックスやカトーからも製品化されています。
東武鉄道のワラ1も昭和39年に作られていますから、一つの可能性として
阪和線に来ていたかもしれませんし、トミックスからも東武鉄道仕様
タイプのワラ1も製品化されています。
無蓋車はカトーからトラ45000とトラ55000が製品化されていますが
この当時使われていたトラ45000は妻板がプレス鋼板の車両になります。
あとガソリンタンク車ではタキ9900が昭和37年に登場していますから
阪和線にも来ていた可能性がありますし、
車掌車であればヨ5000が該当します。
車輌セットでは
カトーの花輪線貨物セット
トミックスの東北本線貨物列車セット、羽越本線貨物列車セット
も使えますが、
特にトミックスの東北本線貨物列車セットと羽越本線貨物列車セットには
単品で販売されていない貨車も含まれており、
前者にはワム2000が、後者には木造無蓋車のトラ40000、LPガス専用の
タサ5700、メタノール専用のタキ5200が含まれていますが、
ワム2000やトラ40000なら阪和線でも見かけることができた貨車になりますし、
タサ5700も阪和線に来た可能性があるのではないでしょうか。
この他にnゲージの完成品で製品化されたものには
マイクロエースの鉄製有蓋車のテラ1がありますが、テラ1は組み立てキットで
製品化されていますし、トキ10も製品化されましたが、
マイクロエースには木造冷蔵車のレ6000もありますがこれは中古品を
探すしかありませんが、
他には河合商会から製品化されたワム21000、木造無蓋車の
トム50000、トラ25000、トラ35000、トラ40000もありますし、
木造の冷蔵車のレ2900ももしかしたら阪和線に来ていたかも
しれませんが、これらの貨車も中古品で探すしかありません。
●ef52が阪和線で担当した昭和30年代の貨物列車も年代別で再現できる。
ef52が昭和30年代に阪和線で担当したであろう貨物列車はnゲージでも再現できますが、
年代で連結されていた貨車も異なっていましたし、いまだに製品化されていない貨車も
いろいろとありますが、使える貨車もいろいろとありますので、
昭和30年代の阪和線で運転されていた貨物列車も再現することはできます。
銚子電鉄と国鉄の貨車が接続していた光景。今では昔の世界となった。
引用先 http://bunta.starfree.jp/choshi.html
銚子電鉄は、国鉄時代には銚子駅に列車が乗り入れていたのでしょうか。
●銚子電鉄に国鉄時代は貨物列車も乗り入れていた。
引用先 http://bunta.starfree.jp/choshi.html
銚子電鉄ですが、国鉄時代の1984年の2月まで貨物輸送で列車が乗り入れていました。
●銚子電鉄に国鉄から貨物列車が乗り入れた理由。
引用先 http://bunta.starfree.jp/choshi.html
銚子電鉄に貨物列車が乗り入れていた理由は、銚子電鉄の仲ノ町駅にあるヤマサ醤油の工場が仲ノ町駅からしょうゆが発送されていた関係で、貨車の送り込みと折り返しヤマサ醤油の工場で作られた醤油を積み込んだ貨車が発送されていました。
ヤマサ醤油のある仲ノ町駅では、今や貴重な車両となったデキ3形がヤマサ醤油の工場から醤油を積み込んだ貨車を引いて、仲ノ駅で外川から来る列車に受け渡していましたから、仲ノ町から来る列車が混合列車という形で運転され、銚子駅で貨車の受け渡しが行われていましたが、
これも1984年の2月のダイヤ改正で廃止になり、デキ3形は今は仲ノ駅で動態保存されていますし、ヤマサ醤油の第一工場には積み込み用のホームの跡も残っています。
●銚子電鉄に乗り入れていた貨車には何があるのか?
引用先 http://www.dagashi.org/local/choushi2.html
銚子電鉄の仲ノ町駅にあったヤマサ醤油の専用線に乗り入れていた貨車はどんなものがあったのかというと、
1984年の2月のダイヤ改正前までは、パレット式のワム80000、黒貨車のワラ1、ワム60000、ワム70000が来ていたとみることができますし、これが1975年あたりになるとワム90000に、木造有蓋車のワム50000も来ていたのではないでしょうか。
ヤマサ醤油の専用線があれば、こうした汎用性の高い有蓋車が当たり前のようにヤマサ醤油の工場で出来上がった醤油が出荷される際に使われていたということではないでしょうか。
●銚子電鉄に国鉄から貨車が乗り入れていたのも過去の話だった。
引用先 https://raillab.jp/photo/142671
銚子電鉄の起点でもある銚子駅には、国鉄からの接続する路線があり、そこを経由して貨車も乗り入れていましたから、昔、地方の私鉄で当たり前のように見られた光景がありましたが、それも今から40年前の2月のダイヤ改正で消えていきました。