2024年08月28日
不運な機関車の歴史 ef54は本当に不運な車両の一つだった。
引用先 https://minkara.carview.co.jp/userid/405365/blog/44090131/
ef52には高速性能に向上したef54もありましたが、ef54も不運な車両でした。
●ef52には形式変更となったef54もあった。
引用先 https://aucview.com/yahoo/388853392/
ef52には高速性能に
特化したef54ががありましたが、
ef54は、落成した当初はef52 8号機、9号機でしたが
ギヤ比がef53と同じであったために形式がef54に
変更されましたが、
ef52 8号機、9号機が落成したのが1931年で、翌年の1932年に形式がef54へと形式が
変更されましたが、
ef52とはどんなところが違っていたかというと、
ef52はギヤ比が3.45であるのに対して、ef54はギヤ比が2.63でありましたから、
ef54はef53の試作車といってもいい車両でしたが、逆にそれがef54の活躍の場を
狭くしてしまったということでした。
その理由も2両しかなかったということもあり、同じ系列のef52との運用を
組むこともできませんでしたから、
結果的にef54は作ってみたのはいいのですが、中途半端な性能になってしまったということでした。
●ef54は不運な電気機関車の一つだった。
引用先 https://aucview.com/yahoo/388853392/
ef52を高速性能にしたef54は現役時代は東京と熱海の間で
運転されていた急行列車だけを担当していましたが、
その理由もef52とはギヤ比が異なるということでしたが、
反対に東京と熱海との間で運転されていた普通列車は
ef52が担当することになりましたし、
それ以外の長距離を走る普通列車や急行列車などに
ついてはef53などが担当していましたが、
ef53は戦前に作られた急客機の中では使いやすく整備しやすい車両
だったということで、ef59になってからも活躍しましたが、
ただef53は暖房装置がなかった点が残念なところでしたが、
この点についてはef56やef57で暖房装置がつきましたが、その点を除けば
ef56はef53の系列の車両になりますし、ef57も角度を変えてみるとef53の
出力強化型になりますし、
ef53は戦前はお召し列車の指定機にも選ばれましたし、
戦前の花形特急列車の燕や富士も担当した車両ですから、
ef52やef54と比べても性能が良かったということで、
その当時の鉄道省の関係者の方達も納得できる電気機関車
が作れたということでしたが、
ef54は2両だけだったということもあり、
それが災いして、まともに活躍できないまま太平洋戦争が
終盤になる1944年に
ギヤ比これまでの1:2.63からed16と同じ
1:4.77 に変更の末形式もef14となりましたが、
形式が変わってからも帳簿の上ではef54は存在し続けましたが、
ef54については存在しない車両でありましたから幽霊みたいな
存在でした。
ちなみに鉄道省から国鉄で使われた機関車の中で54の番号を
持つ車両はまともに活躍できなかった車両がいろいろと
ありました。
蒸気機関車では蒸気機関車がブームになる前に消えたc54も
ありましたし、電気機関車では大正時代にスイスから輸入した
ed54、ディーゼル機関車では山陰本線で使われていたdd54が
ありましたが、これらの車両に共通しているのは54という
ナンバーの車両になりますから、
鉄道の世界では54のナンバーを持つ車両はあまり目立たない
車両ばかりになります。
●ef54もef52のままでもよかったのではないか?
引用先 https://aucview.com/yahoo/388853392/
ef52を高速特化したef54は、ギヤ比をef53と同じ比率に変更してみたのはいいのだが、
逆に使いにくい車両になってしまったということでしたが、
それであれば当初からef52と同じギヤ比にしておけばまともに
使えたのではないでしょうか。
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