2024年08月11日
ef52の開発背景から見えてくる国産大型電気機関車の開発理由。
引用先 http://www.shiino-goichi.sakura.ne.jp/ef522.htm
京都鉄道博物館と川崎重工兵庫工場で保存されているef52
作られたのはどんな事情があったのでしょうか。
●ef52が作られたのは海外から輸入した車両の整備が大変だったから。
引用先 https://ameblo.jp/blackcat-kat/entry-11979279652.html
ef52が作られたのは、その当時海外から輸入した電気機関車の
保守点検整備などが大変だったということで、開発された国産の電気機関車でした。
●ef52が登場する前に輸入された電気機関車は使いにくかった。
引用先 https://railwayinmemory.sakura.ne.jp/HP049_EF52(2)_HanwaLine.html
京都鉄道博物館と川崎重工兵庫工場で保存されているef52が作られた事情は、
ef52が登場する前にアメリカやイギリスから輸入した電気機関車がありましたが、
アメリカから輸入したef51、ed53、ed10、ed11、ed14は
整備もしやすく故障も少なかったということもあり、
ef52の手本となった車両でしたが
反対にイギリスから取り寄せたed17系は電装品を国産の物に
交換してから使えるようになりました。
それ以外にもドイツやスイスからも輸入した電気機関車もありましたが
ドイツやスイスから輸入した車両は1形式1両もしくは2両だった
ということもありましたし、民間企業が試験的に取り寄せてそれを
鉄道省が購入した物もありましたから、
形式はいろいろとありましたが、その反面、整備点検なども形式ごとで
異なりますし、運転する際も形式ごとで異なっていましたから、
海外から輸入した電気機関車は乗務員の方もそうですし、
現場で整備検修などを行う検修掛の方達も泣かされていた
ということでしたが、
なぜ?イギリスやアメリカから電気機関車を輸入したかというと、
大正時代の日本は、明治時代の終わりころには国産の戦艦薩摩も
作れるようになりましたから、鉄鋼や造船といった重工業も増えてきましたが、
重工業が増えると必要になるのが石炭ですが、その石炭が足りなくなるのでは
という心配が大正時代の鉄道院の中でも心配されるようになりました。
そうしたこともあって、その当時の鉄道院の中でも電化を進めていくべきでは
という意見が出てきて、東海道本線の東京から国府津、横須賀線の一部、
中央線の一部が電化されることになりました。
それに合わせる形でイギリスやアメリカから電気機関車を輸入したのが
ef52が作られる前のことでしたが、
海外から取り寄せた電気機関は、まだ未知の領域だった
ということで、どう扱ったらいいのかという問題も出てきましたが、
蒸気機関車であればこれまでに蓄積された経験が生かせますが、電気機関車は
大正時代にはまだ未知の領域でありましたが、
碓水峠で使われいた車両は、碓氷峠という場所柄が影響してあまり大きな
問題ではありませんが、東海道本線などの主要な幹線で電気機関車を
運転するのも未知の領域だったということもありましたから、
国産の電気機関車の登場が急がれたということでした。
その結果、誕生したのがef52で、ef52は鉄道省が中心となり
川崎重工などの民間企業7社とともに作り上げた車両になりますが、
この手のテーマですが、nhkのプロジェクトXのネタになってもおかしくない
話ではないでしょうか。
●ef52が登場する前にあった電気機関車は何があったのか?
引用先 https://myfatherphoto.jugem.jp/?eid=20
ef52が登場する前に海外から輸入された電気機関車には何があったかというと、
イギリスからはイングリッシュ・エレクトリック製の
・ef50
引用先 https://blog.goo.ne.jp/kotehasitetudou/e/7ccb71b85c1291efc2a09a63fd4859a3
・ed13
引用先 http://ktymtskz.my.coocan.jp/yuge/hidaka6.htm
・ed50
引用先 http://www.lok.jp/002el/ED50_mus.htm
・ed51
引用先 http://ktymtskz.my.coocan.jp/yuge/hidaka6.htm
・ed52
引用先 http://ktymtskz.my.coocan.jp/yuge/hidaka6.htm
になりますが、そのうちed13からed52までは、その後ed17となり、さらにed18となった
車両もありますが、
これらのグループですがed17変わってからは、
・ed13は昭和3年に形式が変更され、ed17 27、28になりました。
引用先 https://raillab.jp/photo/84517
・ed50は昭和3年に形式が変更されて
ed17 1〜17になりました。
引用先 https://blog.goo.ne.jp/kiza/e/9fe711ad817f44f80b1b71a9aec65deb
ed50から形式変更になったed17には変形機もあり、
ed17 7号機は、下段のエアフィルターがよろい戸になっていますし、
引用先 http://ktymtskz.my.coocan.jp/yuge/hidaka6.htm
ed17 2号機はエアフィルターが4弾になっていますが、
引用先 https://blog.goo.ne.jp/kiza/e/9fe711ad817f44f80b1b71a9aec65deb
飯田線で活躍したed18のうちed18 1号機も4段ベンチレーター
でありましたし、
引用先 https://blogtag.ameba.jp/news/ED18
ed18 2号機と3号機は3段ベンチレーターでありました。
引用先 https://raillab.jp/photo/302170
・ed51は関東大震災の時、横浜で陸揚げ中に海中に転落し、一度イギリスにもどり
車体を作り直した結果、デッキ付きの車両となり、ed17になってからはed17 24〜26に
なりました。
引用先 https://sakikawa.michikusa.jp/ed17.html
・ed52は中央線向けに歯車比を変更した車両が初代のed18となり、残りの車両がed17 22〜23
となりましたが、初代のed18もed17 19〜21になりました。
引用先 https://cedarben.blog.ss-blog.jp/2011-06-22
あとイギリスからはメトロポリタン・ビッカーズエレクトロニクス社製の
・ed56
引用先 http://kokutetu.michikusa.jp/newpage411.html
が輸入されましたが、ビッカーズエレクトロニクス社ですが、今も横浜で展示保存されている
戦艦三笠を作った会社といえば、わかるのではないでしょうか。
ed56は当初は運転台が台形のような形でありましたが、1939年に貨物用のed23に改造され、
運転台も平らになりました。
引用先 https://history.aucfan.com/yahoo/d1084943242/bidrank/
スイスからは
ブラウン・ボベリ・スイス・ロコモティブ・アンド・マシン・ワークス
・ed54が輸入されましたが、
http://kokutetu.michikusa.jp/newpage410.html
ブラウン・ボベリ社も日本との縁が強くて、
ed12を作ったメーカーですが、
引用先 https://aucview.aucfan.com/yahoo/v1108460830/
国鉄で廃車なった後は西武鉄道のe51、e52となって
活躍しましたし、
引用先 http://bunta.starfree.jp/seibuel.html
碓氷峠で使われたed42の母体となった
ed41を作ったメーカーですが、
引用先 http://kokutetu.michikusa.jp/newpage435.html
ed54ですが、
足回りがブフリ式駆動装置であったことが災いし、
戦前もまともに活躍できないまま、休車となり戦後になってから
2両とも大宮工場岡本分工場に留置されていましたが、
その時撮影された写真がトワイライトゾーンマニュアル4に
出てきていますが、この時は戦後50年という区切りの年でも
ありましたから、いろいろな貴重な写真が出てきました。
そして1号機は1950年に。2号機はというと、戦前に大宮工場で
作られた試作に終わった電気式ディーゼル機関車のdd10ともに
保管されていましたが、
保管された理由は青梅鉄道公園の保存機の候補として
残されていたというのが真相でしたが、
1960年代の半ばに解体されてしまいましたが、
何らかの形で残すことはできなかったのでしょうか。
こうした貴重な車両は残すことでその重要性が
出てくるということになりますから。
アメリカからは
ゼネラルエレクトリック製の
・ed11
引用先 https://ameblo.jp/takemas21/entry-12510859064.html
と
・ed14
引用先 http://aoba-trfc.sblo.jp/article/181548218.html
が輸入されましたが、
ed11は2号機が国鉄に残り
浜松工場の入れ替え機として
活躍していました。1号機は廃車になった後、
引用先 https://cappaahiru.blogspot.com/2020/11/e61.html
西武鉄道に譲渡されて
e61となりました。
ed14は廃車になったのち、3号機を除き近江鉄道に譲渡されて
使われていたということはよく知られていますが、
引用先 https://ameblo.jp/b1hanabusa/entry-11414495238.html
3号機は西武鉄道に貸し出され、
引用先 http://tadayusaku.3.pro.tok2.com/seibukeijiban20101201/19500920seibu.cgi?page:501=v
トワイライトゾーンの聖地とも言われた西武鉄道安比奈線で
使われていましたが、この件についてはレイルマガジンの元
編集長の名取紀之さんの編集長敬白の中にも触れられていましたが、
たまたま名取紀之さんの元に届いた安比奈線が現役時代に貨物列車が
撮影された写真に出てきたのがed14 3号機だったということで、
この件については衝撃的な発見だったということでしたが、
ed14 3号機も最終的に近江鉄道に移動しましたが、
2004年にすべての車両が廃車となり、
2007年に彦根駅に整備された
近江鉄道ミュージアムで保存
されていましたが、
2018年の12月8日で閉館、翌年の2019年の1月28日から
3月14日にかけて奈良県の解体場に陸送されて、解体処分されましたが、
何らかの形で残すことはできなかったのでしょうか。
ドイツからはシーメンスシュケルトン・ポルジッヒ製の
・ed57
引用先 http://kokutetu.michikusa.jp/newpage412.html
が輸入されましたが、シーメンス社といえば
上信電鉄のデキ1を作ったメーカーで
ありますし、
引用先 http://m-horikoshi.a.la9.jp/lac12_Sitetu/_Rs_59_00_Jyousin_2.htm
ボルジッヒも蒸気機関車の8850を1911年に日本に納品しているという
ことで、
引用先 http://ktymtskz.my.coocan.jp/asakura/e3.htm
何かと日本と繋がりのあるメーカーになりますが、
ed57も戦時中の1944年に貨物用のed24に改造されましたが、
引用先 https://blog.goo.ne.jp/kotehasitetudou/e/e4bd31a1d06c0a3ea8198a05f422bcba
ef52が登場する前までは、これだけの数の電気機関車が海外から輸入されましたが、
その中には使えるものもあればそうでないものもありましたから、
乗務員の方もそうですし、車両を整備する検修掛の方達もいろいろと
苦労していましたから、国産の電気機関車の開発が急がれていた
ということでした。
●ef52があったからこそef210が存在している。
引用先 https://www.pacific571.com/html/58_el01.html
ef52が登場した理由は、ef52が登場する前に海外から輸入された電気機関車が種類も
多く、整備点検、運転なども大変だったということもあり、
鉄道省が中心になって作られた電気機関車ですが、逆にef52の登場がなかったら
今活躍している桃太郎ことef210も生まれてこなかったのではないでしょうか。