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2024年07月13日

利根川の鮭激減の理由とは?遡上調査でわかるサケの「南限」

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寒い場所に生息する鮭。日本では北海道や東北、北陸が主な生息地となっています。
では、日本で鮭の稚魚が育ち、海にわたり、再び帰ってくる「遡上」が定期的に行われている川の最南端、つまり南限はどこなのでしょうか 太平洋側においては千葉県の栗山川(くりやまがわ)であると考えられています。 この栗山川の近くにあるのが、日本第二の川、利根川。

利根川には毎年、太平洋から生まれ故郷に帰るサケの遡上が確認されています 遡上した鮭は上流部、群馬県内の川で自然産卵し、成長、再び降海するというサイクルです。

利根川に遡上する鮭は、非常に貴重。
利根川では稚魚の放流事業も行われるほか、環境資源の保護のため、基本的に鮭を獲ることは禁止されています。

また、利根川に遡上する鮭の個体数は、水資源機構利根導水総合事業所により毎年調査が行われています 同事業所では1983年以来、毎年10月1日から翌1月にかけて利根川のサケ遡上数を調査。 調査される場所は、利根川の上流へ遡上するために必ず通らなければならない、同川中流部、埼玉県行田市・群馬県千代田町にあたる「利根大堰」。 堰を通る魚道に設置したカメラ3台により、遡上する鮭の数をカウントする方法です。

このほど、令和5年度(同10月から6年1月調査分)の結果が発表されています。 その結果、同シーズンのサケの遡上数として確認されたのは何匹くらいだと思いますか なんと、わずか8匹でした。

この数字、ちょっと心配になるものです。というのも、前年の令和4年は64匹、21年は36匹と明らかな減少傾向であり、最少レベルになってしまっています。
過去の遡上数は、調査開始時の83年が21匹と少なかったものの、95年から97年にかけての河川改修で急増。2011年には1万匹超、13年には最多の1万8696匹を数えるまでになっていたのです。 16〜18年は4千匹前後で推移。 様子が変わったのが2019、20年で百匹代に激減し、回復の様子を見せていません
要因として考えられているのは海水温の上昇、餌場など生育変化などがありますが、鮭は年によって数の上限が激しいことでも知られ激減の説明ははっきりとはわからない状況。
このまま利根川の鮭は減少の一途をたどってしまうのか。今後の状況に注意しておきたいところです。 カムバック・サーモン!
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posted by ちゃんにし at 11:00 | Comment(0) | (カテゴリなし)

2024年06月16日

「下ん湯」は混浴? 湯布院・金鱗湖をぶらぶら散歩

大分県由布市にある有名な温泉地「湯布院温泉」

由布岳のふもとの一帯に豊富な湯量を誇る源泉があり、魅力的な旅館、日帰り温泉施設が多数、また風光明媚な景色が魅力です。

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由布院駅を降りて目の前の大通り、また街を少し外れた、金鱗湖(きんりんこ)に続く「湯の坪街道」には、おしゃれなカフェや美術館が多数あります。

福岡の空港から近く、アクセスが良いので、アジア圏から気軽に訪れることができる観光地としても人気です。コロナ明けから円安も伴ったインバウンド需要で外国からの観光客もかなりの数です

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通り全体をふんわり良い香りで包む、多種多様なスイーツも魅力的なのですが、私は名物の「鶏天ぷら」をいただきました。

にぎやかな街周辺を抜けると、高級旅館が増えてきます。旅館の中に、日帰り入浴可能なところがいくつかあります。

そして、湯布院のランドマーク、金鱗湖へ。豊かな緑に囲まれた小さい湖。どこから見ても美しく、どこかかわいらしい。
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ぐるりと湖の周囲を歩くと、小さな鳥居を発見。ベストアングル?で写真を撮ってみました。

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さて、金鱗湖のほとりには、風情あるお茶屋さんやお土産屋さんが多数ありますが、その中に生垣に囲まれた藁ぶきの小屋がたたずんでいます。

これが日帰り温泉施設「下ん湯」です。

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目立つ場所にあり、その存在が気になるとは多いでしょうが、かなりハードルが高いというか。入るのに勇気がいりスルーする方がほとんどです。

それなら入ってレポートしましょう!

入浴料200円、無人の入り口で箱に投入して入場します。

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まず脱衣場がありません。浴槽のわきにあるすのこの上で服を脱ぎ、棚に服をしまい入湯。

湯舟は二つあり、写真でわかるように、奥は露天になっています。この露天風呂、生け垣はありますが隙間があり、はっきり申し上げて湖の周囲の観光客の皆様からは見えてしまってます。

もちろん混浴です

というか、男でも女でも入れるもんなら入ってみろ、といった感じに近い。

貸しきりではないので、女性だけ、あるいは家族、カップルで入っても、あとから人が入ってくる可能性があります。湯舟にタオルを入れるのも禁止されていて、特に女性は実質的にかなり無理があるかもしれません。

湯加減は最高で、滑らかで優しい肌触り。あまり人が入らないということも湯の質の高さにつながっている?

もちろん、金鱗湖の周囲に有名旅館を含め、立ち寄り湯を実施している旅館が多数ありますので、下ん湯が無理でも、絶景を楽しみながら入れるよいところがたくさんあります。そこはご安心を。

そういった整った施設については、他のサイトにお任せします!

なお、湯布院の近くには、見落としてしまいがちですが、もうひとつ素晴らしい温泉地があります。

湯平温泉です

風情ある坂道を歩き、安く入れる共同浴場めぐりができます。とっても満足度高いです。

寅さん映画「男はつらいよ 花も嵐も寅次郎」の舞台にもなった温泉です(沢田研二さんと田中裕子さんは、この映画で出会って結婚されました)

湯布院を訪れる時はぜひ寄ってみてくださいね







posted by ちゃんにし at 14:35 | Comment(0) | TrackBack(0) | 観光

2024年06月04日

未完に終わったガウディの理想を感じとる バルセロナ・グエイ公園

バルセロナからバスで1時間。だらだら坂を上ると街が一望できる公園につきます。そこには独特の曲線を用いた有機的な造形を持つ建築やモニュメントが立ち並ぶ、あの場所に到着します。

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1984年にユネスコの世界遺産に登録されたグエル公園です。

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世界的に有名なこの公園は、建築家のアントニ・ガウディのパトロンであった実業家エウゼビ・グエイ伯爵が所有する広大な敷地に60戸の分譲住宅を建てた、住宅地として構想されました。

いうまでもなくグエイ公園のグエイはこの人の名前からとられています

コンセプトは、都市化するバルセロナで芸術に囲まれた理想の街。いわば総合プロデューサーとしてガウディが自由に企画していきます。

立ち並ぶ建造物は1900年から1914年の間に建てられ、周囲の広場、道路なども整備されました。





しかしここで誤算がありました。

住宅の買い手が全くつかなかったのです。

結局、売れたのはたったの2軒で、買い手はグエイ伯爵とガウディ本人という散々な結果となってしまいます。

そしてグエイ没後、この一角は丸ごと市に寄付され、公園として運営されることになりました

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住宅街としての一角は塀が囲んでいて、その塀からしてガウディのこだわりがうかがえる個性的なもの。そして公園の入口に建つのは、門衛の小屋。

これがまるでお菓子の家のようです。

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そして数少ない買い手であるガウディが実際に住んだ家も残っており、現在ガウディ記念館となっています。中には彼がデザインした家具なども展示されています。

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通称「ギリシア劇場」と呼ばれる回廊は、大階段に鎮座するトカゲ。

敷地中央にある天井のモザイクは、ガウディの助手ジュゼップ・マリア・ジュジョールがデザインしました。

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公園でありながら「憩いの場」とは一線を画すクリエイティビティ、というより100年たっても消えることのない情念のようなものを感じる場所です。

理想の街の夢はかなわなかったけれども、未完に終わったからこそ、市民に開放され、だれもがガウディの壮大なロマンに思いをはせることができます。

バルセロナを訪れたら必ず訪れたいスポット。ガウディ好きはもちろんですが、そうではない人もぜひ。








混浴と日本史 (ちくま文庫)』(下川 耿史 著、筑摩書房)は、在野の研究者が、日本で独自の発展を遂げた「混浴」文化の源流に迫る一冊。

先史・古代において、人々が河川で水を浴びる際、男も女も区別はなかったことは容易に想像がつく。

つまりその意味で混浴は古来あらゆる地域にあったはずであるが、日本ではその「文化」が廃れることなく、現在でも各地の温泉地で行われることになる。

本書のユニークな論は、日本において混浴が、銭湯など入浴文化はもちろん、温泉地に多い霊廟巡り、東大寺や興福寺で貧民や僧に対して実施された「功徳湯」など慈善事業、宗教行為などにも派生したという主張だ。

著者は日本における混浴の源流のひとつを、古代の筑波山などで行われていた「歌垣」等に見ている。歌垣は、男女が河川や水田に体を浸し、歌をかわした。

むろん(?)混浴が性文化と関わるものであることも疑いえない。歌垣は、豊穣を祈る場であり、それは直接的に男女が交わる場でもあった。

そのほか道後温泉にはじまる湯女の文化は、江戸の遊郭の源流となったのだという。たいへん性的ではないか。





ただし、性的であることと、いやらしく、忌むべきものであるというのは別の話だ。

幕末、明治に来日したお雇い外国人や作家・ジャーナリストらによる混浴の評価が、「野蛮で不潔なもの」、「おおらかで素朴な美しさを持つもの」と、まっぷたつに分かれる様からも、それはうかがえる。

とはいえ、混浴は常にそこに不道徳を感じるものによる規制の対象となったのも致し方なしといったところか。

東大寺の功徳湯では、僧と尼との風紀の乱れから混浴禁止の動きがあり、江戸時代には、銭湯での混浴が禁止された。明治時代にも、行政から各地の温泉へ禁止通達があったという。

しかし、庶民は何かと理由をつけて守らない。本音と建前を分けて、なんだかんだ法律を読み替えて乗り切るのだ(この庶民の行動は混浴に限らず様々な分野で現在もみられる)。

日本の豊穣な文化を生み出した混浴。簡単に根絶やしにできるはずがないのである。

最後に、本書の出色の部分を紹介する。古事記や日本書紀にある「神産み」のエピソードである。

伊弉諾は、黄泉の国より帰り、川で禊を行った。脱いだ服からは十二神が生まれ、左右の目と鼻を洗うことで天照大御神、月読命、建速須佐之男命が生まれた。歌垣の例を再び引くまでもなく、ここに性的なアナロジーがあることは論を待たない。

つまり「日本」そのものが混浴によって生まれたのだ。なるほど!




posted by ちゃんにし at 12:00 | Comment(0) | 書評

2024年05月14日

グラスゴー出身のアールヌーヴォー作家が手掛けた『クイーンズ・クロス・チャーチ(マッキントッシュ・チャーチ)』

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水運の街、そして工業都市として発達したスコットランド第二の都市、グラスゴー。人が集まる街だけに巨大なグラスゴー大聖堂をはじめ、古くから教会も多数。

その中で、19世紀、近代化の中での信仰の場としてぜひ注目してほしい教会がグラスゴー駅からバスで15分くらいの場所にあります。

メアリーヒル通り、住宅街の突き当りに、尖塔やバラ窓をもつゴシック式の建築でありながら、小さな、赤いれんが作りで、どこか瀟洒でモダンさを感じさせる外見。

これがクイーンズ・クロス教会です。

1896年に建てられたこの教会、通称「マッキントッシュ・チャーチ」とも呼ばれています。




デザインしたのはグラスゴー出身で、19世紀から20世紀初頭のアートの潮流「アールヌーヴォー」のスコットランドにおける立役者として知られる建築家・デザイナー・画家の、チャールズ・レニー・マッキントッシュです。

建築家としての代表作にグラスゴー美術学院などがあります。またデザインしたインテリア、家具などは、レプリカを含めグラスゴーのあちこちにみられます。

そのマッキントッシュがデザインした唯一の教会がここなのです

正面のエントランスから教会の中に入ると、こちらもマッキントッシュがデザインしたというステンドグラスや講壇が見られます
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奥の礼拝堂も、マッキントッシュのデザイン作品として非常に多い椅子をはじめ、ところどころに彼がデザインした調度品があります。特徴的な天井の梁のデザインにも注目です。
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二階の回廊からも、全体をみることができます。コンパクトで何ともかわいらしい雰囲気があります。


教会ということもあり、表現は抑制的なのですが、アールヌーヴォーの、またマッキントッシュの特徴である、植物の弦のように曲がりくねって伸びる木彫のデザインが随所に見られます。ゴシックのまっすぐ天を衝くデザインとは異なる魅力。

現在は煤けて、それはそれで雰囲気を出している外観ですが、真っ赤なレンガ造りの建物が登場した時代に思いをはせてみるのも楽しいと思います。

近代の新興都市だったグラスゴーゆかりのアーティストが手掛けた教会は、信仰の場でありながら、都会的な軽やかさがマッチ。とても居心地の良い空間です。






posted by ちゃんにし at 09:38 | 未選択

2024年04月30日

ネッシーを探しに行ってみよう ネス湖・アーカート城

スコットランド北部・ハイランド地区、インヴァネスにあるイギリス最大の淡水湖。

それがネス湖(Loch Ness)

長さ約35km、幅約2kmの細長い湖で、湖水はネス川に導かれ、湾に注ぎ込まれていきます。

ちなみにインヴァネスという地名は「ネス川の河口」を意味しています。






さて、ネス湖の名前が世界的に知られる要因といえば、なんといっても「ネッシー」でしょう。

湖のヌシとして首長竜、ネッシー(Nessie=Loch Ness Monster)がいるという伝説は、6世紀から語り継がれてきました。

ということで、私もネッシー探そうということでインヴァネス市街からバスで、1時間程度で湖に到着。

湖のほとりに建つのは、アーカート城の廃墟。
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この場所にははじめ古代スコットランドの民族「ピクト人」の有力者が拠点を築いたとされ、時代ごとに主を変えながら城が構えられました。

歴代の城主たちを紹介するパネル。
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1296年にイングランドのエドワード1世が占拠し、スコットランド独立戦争の最前線として激しい戦闘の舞台に。その後、王城として、また貴族の所有になったり、度重なる戦闘で破壊され、1700年代末に持ち主を失い放置されたとのこと。

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城壁とタワー部分が残っていて立派な城の様相がわかります。湖にせり出し佇む廃墟は、歴史のロマンを感じさせる眺めを作り出します。さぞ美しいお城だったのでしょう。

城跡周りは地下のゲートから入り、タワーの中に入場することもできます。

さて、ネッシーの話に戻ります。

ネッシーに関する文献として、スコットランドにキリスト教を布教した聖コルンバの伝記に記された、巨大な怪物との遭遇のエピソードが有名です。同地に古代からあった伝説が、キリスト教の伝道とも結びついていったのです。

以来、形を変えながら様々な創作物で取り扱われ、何度もブームが起き、現在に至るまで「目撃情報」が絶えません。

現代ネッシーブームの火付け役となったのは、ネッシーの写真としてもっとも有名なこれでしょう。

1934年にロンドンの医師が撮影し、タブロイド紙に掲載されたもの。

現在、この写真は捏造説が有力となっています。

そして、そのほかの怪獣伝説、目撃証言などについては、動物、魚類、植物説まで侃々諤々(?)。2018年の研究では、巨大ウナギの存在が発端であったのでは、との説が話題になりました。






とにもかくにも、古代から伝わる怪獣伝説が宗教的な挿話として、また文学や映像作品、サブカルチャー、オカルトネタとして形を変え、時代時代で受容されたというのはすごいこと。

デジタル時代にもばっちり親和して、雑コラとかネタ動画とか含め、Youtubeでもおなじみのネタとなっています。

ネス湖近くには『ネッシーランド』という資料館もあり、ネッシー伝説についての展示や、子供向けアトラクションなどもあります。

ネッシーを見つけることはできなくても、静かな湖畔で、おいしい空気を吸い、ゆったりとした一日を過ごすことができます。
posted by ちゃんにし at 15:00 | インヴァネス
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