『混浴と日本史 (ちくま文庫)』(下川 耿史 著、筑摩書房)は、在野の研究者が、日本で独自の発展を遂げた「混浴」文化の源流に迫る一冊。
先史・古代において、人々が河川で水を浴びる際、男も女も区別はなかったことは容易に想像がつく。
つまりその意味で混浴は古来あらゆる地域にあったはずであるが、日本ではその「文化」が廃れることなく、現在でも各地の温泉地で行われることになる。
本書のユニークな論は、日本において混浴が、銭湯など入浴文化はもちろん、温泉地に多い霊廟巡り、東大寺や興福寺で貧民や僧に対して実施された「功徳湯」など慈善事業、宗教行為などにも派生したという主張だ。
著者は日本における混浴の源流のひとつを、古代の筑波山などで行われていた「歌垣」等に見ている。歌垣は、男女が河川や水田に体を浸し、歌をかわした。
むろん(?)混浴が性文化と関わるものであることも疑いえない。歌垣は、豊穣を祈る場であり、それは直接的に男女が交わる場でもあった。
そのほか道後温泉にはじまる湯女の文化は、江戸の遊郭の源流となったのだという。たいへん性的ではないか。
ただし、性的であることと、いやらしく、忌むべきものであるというのは別の話だ。
幕末、明治に来日したお雇い外国人や作家・ジャーナリストらによる混浴の評価が、「野蛮で不潔なもの」、「おおらかで素朴な美しさを持つもの」と、まっぷたつに分かれる様からも、それはうかがえる。
とはいえ、混浴は常にそこに不道徳を感じるものによる規制の対象となったのも致し方なしといったところか。
東大寺の功徳湯では、僧と尼との風紀の乱れから混浴禁止の動きがあり、江戸時代には、銭湯での混浴が禁止された。明治時代にも、行政から各地の温泉へ禁止通達があったという。
しかし、庶民は何かと理由をつけて守らない。本音と建前を分けて、なんだかんだ法律を読み替えて乗り切るのだ(この庶民の行動は混浴に限らず様々な分野で現在もみられる)。
日本の豊穣な文化を生み出した混浴。簡単に根絶やしにできるはずがないのである。
最後に、本書の出色の部分を紹介する。古事記や日本書紀にある「神産み」のエピソードである。
伊弉諾は、黄泉の国より帰り、川で禊を行った。脱いだ服からは十二神が生まれ、左右の目と鼻を洗うことで天照大御神、月読命、建速須佐之男命が生まれた。歌垣の例を再び引くまでもなく、ここに性的なアナロジーがあることは論を待たない。
つまり「日本」そのものが混浴によって生まれたのだ。なるほど!
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image