2020年10月22日
習一篇−4章1
終業式を終えたあと、習一はどの生徒より早く校舎を離れた。外で待っている銀髪の少女と早々に合流しておこうと考えたからだ。真夏の真昼間の外で、長時間の待機は過酷である。熱気の苦手な習一ならば一分一秒でも早く涼しい屋内に入りたいと思う。そのように少女の身を我がことのように心配したからすばやく学校を出る──のは二番目の動機だ。
一番の動機は、早朝の校内で習一の将来を心配してきた男子から遠ざかること。彼の親切心を真正面から受け答えるのもこばむのも、いまの習一には多大なエネルギーを消費する。ありていにいえば、白壁という男子とはしばし距離を置きたかった。嫌いな相手ではないが関わると疲れるのだ。
習一が正門へ向かうと柱の裏に銀髪の少女が待ちぼうけている姿が見えた。習一はわざわざ声をかけなくても相手が気づくかと思い、彼女のそばを通りすぎてみた。
「お昼ごはん、どうする?」
少女は習一の目測通りに気づき、目下の予定を打診してきた。
「今朝のサンドイッチが残ってる」
「それで足りる?」
「……さあ」
「とにかくさきにのこりものを食べにいこう。あんまり長持ちしないんだって」
「ああ、夏場だしな……」
涼しくて自由に飲み食いできる場所。その目星は退屈な終業式中につけていた。思いついたのは最寄りのデパートだ。現在は平日の昼間ゆえに、あまり人がいないだろうと予測できた。
到着したデパートには予想通り、出入りする客がすくなかった。この建物は夕方にもっとも人が集まる。混む時間帯が外れているいまは格好の休憩場だ。
習一はデパート内のフードコートに行く。ここはだれでも好きに机と椅子を利用できる場所だ。人気《ひとけ》はないが利用客はいたらしく、机と椅子が離れたままの席がある。そこに少女が腰をおろした。習一はその隣のテーブル席に座り、昼食を広げた。
少女はこの場が物珍しいようで、周囲をきょろきょろ見ている。習一と世間話をする気はないらしい。習一も彼女と話すことが思いつかず、黙々と食事をすすめた。
(ここで課題をやるには……人目につきやすいな)
座席ごとの衝立があまり設置されておらず、通行人に見られやすい場所だ。気温こそ快適だが周囲への警戒心が先立ってしまう。習一はもっと他者の視線がさえぎられる場所がよいと思い、そのうえで食事もとれる場所を考えた結果、喫茶店に行くことに決めた。空になったラップはゴミ箱へ捨て、そのラップを包んでいた布を水筒と一緒に鞄へ入れた。一連の片付けを見た少女が席を立った。彼女はなにも言わずとも習一についてくるようだ。習一は行き先を教えないまま外へ出た。
次なる目的地は一戸建ての喫茶店。デパートで体に補充した冷気を失うまえに到達できた。赤と茶を基調としたレンガ屋敷風の店に入ろうとすると、
「さきに入ってて」
と少女が言い、どこかへ行った。習一は彼女の行動を不思議に思いながらも、入店する。店員が「一名様ですか」と確認してくるのを、「あとでもうひとりくる」と答えておいた。店員の案内を受け、四人掛けのテーブル席に座る。冷房の空気にさらされたソファはひんやりしていた。
習一は一度ソファにもたれかかり、銀髪の少女が姿をくらます理由を考えた。彼女が習一のそばにいてはできないこと──
(シドってやつと連絡してんのか?)
習一が学校の式典に参加したことと、いちおうの昼食はとれたことと、これから課題を処理することを仲間に知らせるのだ。これらの経過状況はあの教師が気をもんでいるはず。中間報告をするにはいまが絶好のタイミングであろう。この推察には得心がいった。
習一はのどの渇きをおぼえ、鞄にある水筒を出そうかとした。だが店内では持参の飲食物を出すのはよくない行為だと思いなおし、飲み水を確保しに席を立った。
無料の冷水をコップにそそぐ最中、少女が帰ってくる。彼女は瞬時に習一の姿を認めたのち、習一の鞄のあるテーブルへ向かう。習一は彼女の分の水も必要だろうか、と考える。
(……ほしけりゃ自分で取りにくるだろ)
余計な世話かもしれないと思い、自分用の飲料を持って席にもどった。
無口な少女はソファの端にいた。リュックサックをひざの上に置いて、ブックカバーのついた本を読んでいる。習一は彼女とは斜めに対面し、勉強道具を机に広げた。朝に中断した数学の問題を解答する。両者は一言も発さずに各々の世界へ没入した。
習一が久々に勉学にいそしんでから十数分が経ったころ、二人の静寂を打ち破る者があらわれる。
「オダさん! 元気になったんスね!」
無邪気な子どものような声だった。習一が目線を上げれば他校の知り合いがいる。短く刈り上げた頭髪が特徴的な男子だ。内面は感情の起伏が激しく、一度沸点まで加熱すると歯止めが利かなくなるクセがある。激情家な彼はいまのところ、屈託のない笑顔をつくっていた。
「ああ、田淵は変わんねえな。今日はひとりか?」
田淵には同じ学校の悪友が二人おり、みなが習一とも仲良くしている。この三人は暇ができればいつも固まって活動しているもの、と習一は思っている。
「あとの二人はどうした」
刈り上げ髪の男子は浮かない顔をする。
「……もう不良はやめちゃったんスよ」
習一は予想外の申告を受け、眉を上げた。彼らとて習一同様、周囲との衝突があって悪童に身を落とした。やすやすと心を入れ替えるはずはない。
「どういうワケがあったんだ? オレが眠りほうけてる間に、なにが起きた?」
田淵は眉や口を顔の中央に寄せ、わかりやすいしかめ面になる。そして当たり前のように銀髪の少女の隣に座った。彼の視線はテーブルに落ちている。少女の存在は歯牙にもかけていない。
「きっかけは、才穎高校の教師っスよ」
「銀髪の……?」
「そう、あの銀髪野郎! オダさんの首を締めあげて気絶させやがったやつだ」
習一の記憶にない出来事だ。しかしこの本音を打ち明けるのは悪手だと思った。田淵はあまり頭の回転がよくない少年である。彼に混乱が生じて話がこんがらがっては双方に不利。ここは習一と記憶を共有しうる悪友から情報を引き出すのが先決と見た。
「そんで『こうなりたくなかったら真面目に生きろ』と言ってさ……おれたち、すっかりブルっちまった」
習一は訳知り顔でうなずいておき、悪友のたどたどしい説明に耳をかたむけた。
一番の動機は、早朝の校内で習一の将来を心配してきた男子から遠ざかること。彼の親切心を真正面から受け答えるのもこばむのも、いまの習一には多大なエネルギーを消費する。ありていにいえば、白壁という男子とはしばし距離を置きたかった。嫌いな相手ではないが関わると疲れるのだ。
習一が正門へ向かうと柱の裏に銀髪の少女が待ちぼうけている姿が見えた。習一はわざわざ声をかけなくても相手が気づくかと思い、彼女のそばを通りすぎてみた。
「お昼ごはん、どうする?」
少女は習一の目測通りに気づき、目下の予定を打診してきた。
「今朝のサンドイッチが残ってる」
「それで足りる?」
「……さあ」
「とにかくさきにのこりものを食べにいこう。あんまり長持ちしないんだって」
「ああ、夏場だしな……」
涼しくて自由に飲み食いできる場所。その目星は退屈な終業式中につけていた。思いついたのは最寄りのデパートだ。現在は平日の昼間ゆえに、あまり人がいないだろうと予測できた。
到着したデパートには予想通り、出入りする客がすくなかった。この建物は夕方にもっとも人が集まる。混む時間帯が外れているいまは格好の休憩場だ。
習一はデパート内のフードコートに行く。ここはだれでも好きに机と椅子を利用できる場所だ。人気《ひとけ》はないが利用客はいたらしく、机と椅子が離れたままの席がある。そこに少女が腰をおろした。習一はその隣のテーブル席に座り、昼食を広げた。
少女はこの場が物珍しいようで、周囲をきょろきょろ見ている。習一と世間話をする気はないらしい。習一も彼女と話すことが思いつかず、黙々と食事をすすめた。
(ここで課題をやるには……人目につきやすいな)
座席ごとの衝立があまり設置されておらず、通行人に見られやすい場所だ。気温こそ快適だが周囲への警戒心が先立ってしまう。習一はもっと他者の視線がさえぎられる場所がよいと思い、そのうえで食事もとれる場所を考えた結果、喫茶店に行くことに決めた。空になったラップはゴミ箱へ捨て、そのラップを包んでいた布を水筒と一緒に鞄へ入れた。一連の片付けを見た少女が席を立った。彼女はなにも言わずとも習一についてくるようだ。習一は行き先を教えないまま外へ出た。
次なる目的地は一戸建ての喫茶店。デパートで体に補充した冷気を失うまえに到達できた。赤と茶を基調としたレンガ屋敷風の店に入ろうとすると、
「さきに入ってて」
と少女が言い、どこかへ行った。習一は彼女の行動を不思議に思いながらも、入店する。店員が「一名様ですか」と確認してくるのを、「あとでもうひとりくる」と答えておいた。店員の案内を受け、四人掛けのテーブル席に座る。冷房の空気にさらされたソファはひんやりしていた。
習一は一度ソファにもたれかかり、銀髪の少女が姿をくらます理由を考えた。彼女が習一のそばにいてはできないこと──
(シドってやつと連絡してんのか?)
習一が学校の式典に参加したことと、いちおうの昼食はとれたことと、これから課題を処理することを仲間に知らせるのだ。これらの経過状況はあの教師が気をもんでいるはず。中間報告をするにはいまが絶好のタイミングであろう。この推察には得心がいった。
習一はのどの渇きをおぼえ、鞄にある水筒を出そうかとした。だが店内では持参の飲食物を出すのはよくない行為だと思いなおし、飲み水を確保しに席を立った。
無料の冷水をコップにそそぐ最中、少女が帰ってくる。彼女は瞬時に習一の姿を認めたのち、習一の鞄のあるテーブルへ向かう。習一は彼女の分の水も必要だろうか、と考える。
(……ほしけりゃ自分で取りにくるだろ)
余計な世話かもしれないと思い、自分用の飲料を持って席にもどった。
無口な少女はソファの端にいた。リュックサックをひざの上に置いて、ブックカバーのついた本を読んでいる。習一は彼女とは斜めに対面し、勉強道具を机に広げた。朝に中断した数学の問題を解答する。両者は一言も発さずに各々の世界へ没入した。
習一が久々に勉学にいそしんでから十数分が経ったころ、二人の静寂を打ち破る者があらわれる。
「オダさん! 元気になったんスね!」
無邪気な子どものような声だった。習一が目線を上げれば他校の知り合いがいる。短く刈り上げた頭髪が特徴的な男子だ。内面は感情の起伏が激しく、一度沸点まで加熱すると歯止めが利かなくなるクセがある。激情家な彼はいまのところ、屈託のない笑顔をつくっていた。
「ああ、田淵は変わんねえな。今日はひとりか?」
田淵には同じ学校の悪友が二人おり、みなが習一とも仲良くしている。この三人は暇ができればいつも固まって活動しているもの、と習一は思っている。
「あとの二人はどうした」
刈り上げ髪の男子は浮かない顔をする。
「……もう不良はやめちゃったんスよ」
習一は予想外の申告を受け、眉を上げた。彼らとて習一同様、周囲との衝突があって悪童に身を落とした。やすやすと心を入れ替えるはずはない。
「どういうワケがあったんだ? オレが眠りほうけてる間に、なにが起きた?」
田淵は眉や口を顔の中央に寄せ、わかりやすいしかめ面になる。そして当たり前のように銀髪の少女の隣に座った。彼の視線はテーブルに落ちている。少女の存在は歯牙にもかけていない。
「きっかけは、才穎高校の教師っスよ」
「銀髪の……?」
「そう、あの銀髪野郎! オダさんの首を締めあげて気絶させやがったやつだ」
習一の記憶にない出来事だ。しかしこの本音を打ち明けるのは悪手だと思った。田淵はあまり頭の回転がよくない少年である。彼に混乱が生じて話がこんがらがっては双方に不利。ここは習一と記憶を共有しうる悪友から情報を引き出すのが先決と見た。
「そんで『こうなりたくなかったら真面目に生きろ』と言ってさ……おれたち、すっかりブルっちまった」
習一は訳知り顔でうなずいておき、悪友のたどたどしい説明に耳をかたむけた。
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