2018年08月27日
拓馬篇−終章3 ★
3
シドが才穎高校へ再就任する方向で話が落ち着いた。ヤマダはさっそく「いま校長に言ってみたら」と催促するが、教師はこばむ。
「いえ、まずは双方の疑問を解消しましょう。そのうえで貴女たちが私をそばに置いてもよいと思うのか、たしかめたいのです」
「先生の疑問って……わたしたちが先生の裏の顔を知って、どう感じたかってこと?」
「そうです。私はさきほど、自身が犯した罪を告白しました。それを知ってなお、私の復職を希望する理由はなんですか?」
「先生がほんとうはわるい人じゃないと思ってるから、だけど……」
彼女の本心は拓馬も感じている。しかしその信頼がなにに依拠するものか、相手方には伝わっていない。
「でも、勝手にわたしがそう思いこんでるんだよね。先生がどんな気持ちでそうしてきたのか、知らないから」
願望にも似た思いこみをヤマダが自覚した。意図した話題に誘導できたシドはうなずく。
「私を知るために貴女が必要だと思う情報を、引きだしてもらえますか?」
ヤマダが拓馬の顔色をうかがう。
「タッちゃんからの質問は、どうしようか?」
「順番なんか気にすんな。俺は自分のタイミングで聞くから」
実際、ヤマダによる質問の話題の中に拓馬の問いを織り交ぜていた。そういった自由な形式でよいと拓馬は思った。
「……じゃ、つっこんだことを聞いてくよ」
ヤマダがシドに向き直る。
「先生はあるじって人の言うとおりにしてきたんだよね?」
「はい、どんなことも手をくだしてきました」
「先生がやりたくないと思うことを、いっぱいしてきた?」
「……はい」
「よく、ずっと耐えてきたね」
ヤマダは子どもをさとすようなやさしい口調で言った。気遣われた大人はヤマダから視線をそらした。そのいたわり方を予想だにしなかったために、困惑しているようだ。
「どうして我慢してきたの? あるじさんが、こわかった?」
「いえ……恐怖に縛られての従属ではありません」
「じゃあ、あるじさんが好きなの?」
「その表現が近いと思います。私の記憶がはじまった以後、私をふくめた同胞はみな主を慕いました。なんの疑問ももたず、主の指示にしたがうのを最良の行為だとみなしていたのです」
「そう……生まれたときから、あるじさんの言うことを聞くのが当たり前だったんだね」
「愚かだとお思いでしょう?」
「ううん、その環境じゃ、だれでもしたがっちゃうと思う」
「なぜ、そう思うのですか?」
その問いと同時にシドがヤマダを直視した。温厚な教師の目つきにするどさが見え隠れする。安易な同情か否かを見極めるつもりらしかった。ヤマダはカップを両手でつつみ、器の中の茶を見る。
「わたし、これでも小さいころはいろんな習い事をしてたの。生け花だとか、お茶だとか、ずいぶん昔の女の子らしいお稽古は、ひととおりね。なんでわたしがそういうことをやってたと思う?」
「……家族が、すすめたのですか?」
「うん、どれもお母さんがわたしに習わせたことだよ。わたしがやりたいと言ったおぼえ、ないんだけどね」
ヤマダは拓馬に視線をやって「タッちゃんもだよね?」と聞く。
「格闘技を習ったきっかけは、親のすすめ、だったよね」
「ああ、父さんがな……むかし自分が習いたくてもできなかったからっつって、俺にやらせたんだ」
べつにイヤじゃなかったけど、と拓馬は自分の意思を表明した。その思いは、この会話に関わる要素だと感じたからだ。
「うん、わたしも、お母さんがかよわせてくれた習い事はきらいじゃなかった。でも、イヤなことはひとつおぼえてる」
ヤマダが手中の茶をぐいっと飲んだ。半分減った茶を、あらためて見ている。
「タッちゃんが格闘技をやってるのを見たら、わたしもやってみたくなった。それをお母さんに言ったら、ことわられちゃった。『ケガをするからダメ』って……だったらタッちゃんはどうなの? って聞いたら、タッちゃんは丈夫で強いからいいんだって。そんなの、体の弱い人が丈夫で強くなるためにやったっていい習い事なのにね。いま考えたらヘンな理由だけど、そのときはあきらめるしかなかった」
「親の言うことが絶対……だったのですね?」
シドの目にヤマダへの猜疑がなくなっていた。
「そうなの。結局はジュンさんやタッちゃんが戦い方を教えてくれたから、まったく格闘技が学べなかったわけじゃないけど……でも、小さいときはすごーくかたよった価値観で生きてたの。親が世界のすべてって感じで。そういう子どもの時期って、だれにでもあると思う」
「私も、盲目的に親にしたがう子どもであったと言いたいのですか?」
「うん、同じだと思う」
ヤマダは年長者を幼子と同一に見る。そんな変わった視点を持つ者が顔を上げる。
「先生は、親の言いなりになる時期がとっても長かった。いまやっと反抗期に入ったとこだね」
外見的にも実年齢的にも成熟した大人を、成長過程にある未熟者だと断ずる──そんな言い方ができるのはヤマダだけだ、と拓馬は彼女の特異性を感じた。
「先生は心がどんどん成長していってる。もう、むかしのようにはならないよ」
「私が心を入れ替えたとしても……罪深い私が安穏と生きるのを、貴女は不服には思いませんか?」
真剣なまなざしで罪人が問う。対する感性の特殊な女子は首をかしげる。
「被害者がのぞんでるんだったら、いいじゃない」
「それは私の被害を受けた人のひとりが希望したことです。貴女の意思とはちがいます」
「わたしも先生が教師をやっていけばいいなぁと思ってるよ」
「どうしてです?」
「わたしや校長やサブちゃんとか、先生を気に入ってる人がたくさんいるから。ほんの数ヶ月いて、これだけ好かれる先生って、なかなかいないと思うよ」
「……わかりました。貴女がそのように評価するのであれば、その言葉を信じます」
「『信じる』って、そんなおおげさに言わなくていいんだけど……先生は自分のこと、教師むきじゃないと思ってる?」
「はい、最初から貴方たちをだますつもりで就いた職務です。よこしまな理由でえらんだ仕事が適職だとは思えません」
「そうは言うけどね、けっこう就くまでがたいへんでしょ? 何年も勉強したりスクールにかよったりしなきゃいけない。ホントにむいてない人はそこでもう挫折してるよ」
潜伏時の職業選択が話題となり、拓馬は気になった質問をはさむ。
「そういや、なんで教師になろうと思ったんだ?」
「私がこちらでお世話になった人がすすめました。その人のお子さんがたまたま教師をめざしていて、その教材を再利用させてもらったのです」
「へえ、そういう縁でか」
身近にあった選択肢が教師だった、というのはしごく単純な成り行きだ。その疑問は解消できたが、またあらたに謎は生まれる。
「でも先生に偽装の職業なんて必要あったか? 姿を消して、活動できるのに──」
人さらいをするだけなら、こちらの人間として潜伏しなくてもよい。異界の生き物はねらった対象に気付かれることなく、接近できるすべがあるのだから。ただ、その手段が通用しない相手がいる。
「もしかして俺みたいな、見えるやつをねらってたのか?」
「はい、ネギシさんのような方も捕獲対象に想定していました。精神体の者が見える人は、あちらの世界とつながりを持っている可能性が高いので」
「むこうの世界とつながりがあるってことが、大事なのか?」
「はい、おそらくは……オヤマダさんのような力を持つ方は、あちらの世界と縁故があるはずです。その力はこちらで役に立つ機会がありませんし」
あちらでどう役に立つのかも拓馬たちは明確に知らされていない。そのことをヤマダが問いはじめた。
シドが才穎高校へ再就任する方向で話が落ち着いた。ヤマダはさっそく「いま校長に言ってみたら」と催促するが、教師はこばむ。
「いえ、まずは双方の疑問を解消しましょう。そのうえで貴女たちが私をそばに置いてもよいと思うのか、たしかめたいのです」
「先生の疑問って……わたしたちが先生の裏の顔を知って、どう感じたかってこと?」
「そうです。私はさきほど、自身が犯した罪を告白しました。それを知ってなお、私の復職を希望する理由はなんですか?」
「先生がほんとうはわるい人じゃないと思ってるから、だけど……」
彼女の本心は拓馬も感じている。しかしその信頼がなにに依拠するものか、相手方には伝わっていない。
「でも、勝手にわたしがそう思いこんでるんだよね。先生がどんな気持ちでそうしてきたのか、知らないから」
願望にも似た思いこみをヤマダが自覚した。意図した話題に誘導できたシドはうなずく。
「私を知るために貴女が必要だと思う情報を、引きだしてもらえますか?」
ヤマダが拓馬の顔色をうかがう。
「タッちゃんからの質問は、どうしようか?」
「順番なんか気にすんな。俺は自分のタイミングで聞くから」
実際、ヤマダによる質問の話題の中に拓馬の問いを織り交ぜていた。そういった自由な形式でよいと拓馬は思った。
「……じゃ、つっこんだことを聞いてくよ」
ヤマダがシドに向き直る。
「先生はあるじって人の言うとおりにしてきたんだよね?」
「はい、どんなことも手をくだしてきました」
「先生がやりたくないと思うことを、いっぱいしてきた?」
「……はい」
「よく、ずっと耐えてきたね」
ヤマダは子どもをさとすようなやさしい口調で言った。気遣われた大人はヤマダから視線をそらした。そのいたわり方を予想だにしなかったために、困惑しているようだ。
「どうして我慢してきたの? あるじさんが、こわかった?」
「いえ……恐怖に縛られての従属ではありません」
「じゃあ、あるじさんが好きなの?」
「その表現が近いと思います。私の記憶がはじまった以後、私をふくめた同胞はみな主を慕いました。なんの疑問ももたず、主の指示にしたがうのを最良の行為だとみなしていたのです」
「そう……生まれたときから、あるじさんの言うことを聞くのが当たり前だったんだね」
「愚かだとお思いでしょう?」
「ううん、その環境じゃ、だれでもしたがっちゃうと思う」
「なぜ、そう思うのですか?」
その問いと同時にシドがヤマダを直視した。温厚な教師の目つきにするどさが見え隠れする。安易な同情か否かを見極めるつもりらしかった。ヤマダはカップを両手でつつみ、器の中の茶を見る。
「わたし、これでも小さいころはいろんな習い事をしてたの。生け花だとか、お茶だとか、ずいぶん昔の女の子らしいお稽古は、ひととおりね。なんでわたしがそういうことをやってたと思う?」
「……家族が、すすめたのですか?」
「うん、どれもお母さんがわたしに習わせたことだよ。わたしがやりたいと言ったおぼえ、ないんだけどね」
ヤマダは拓馬に視線をやって「タッちゃんもだよね?」と聞く。
「格闘技を習ったきっかけは、親のすすめ、だったよね」
「ああ、父さんがな……むかし自分が習いたくてもできなかったからっつって、俺にやらせたんだ」
べつにイヤじゃなかったけど、と拓馬は自分の意思を表明した。その思いは、この会話に関わる要素だと感じたからだ。
「うん、わたしも、お母さんがかよわせてくれた習い事はきらいじゃなかった。でも、イヤなことはひとつおぼえてる」
ヤマダが手中の茶をぐいっと飲んだ。半分減った茶を、あらためて見ている。
「タッちゃんが格闘技をやってるのを見たら、わたしもやってみたくなった。それをお母さんに言ったら、ことわられちゃった。『ケガをするからダメ』って……だったらタッちゃんはどうなの? って聞いたら、タッちゃんは丈夫で強いからいいんだって。そんなの、体の弱い人が丈夫で強くなるためにやったっていい習い事なのにね。いま考えたらヘンな理由だけど、そのときはあきらめるしかなかった」
「親の言うことが絶対……だったのですね?」
シドの目にヤマダへの猜疑がなくなっていた。
「そうなの。結局はジュンさんやタッちゃんが戦い方を教えてくれたから、まったく格闘技が学べなかったわけじゃないけど……でも、小さいときはすごーくかたよった価値観で生きてたの。親が世界のすべてって感じで。そういう子どもの時期って、だれにでもあると思う」
「私も、盲目的に親にしたがう子どもであったと言いたいのですか?」
「うん、同じだと思う」
ヤマダは年長者を幼子と同一に見る。そんな変わった視点を持つ者が顔を上げる。
「先生は、親の言いなりになる時期がとっても長かった。いまやっと反抗期に入ったとこだね」
外見的にも実年齢的にも成熟した大人を、成長過程にある未熟者だと断ずる──そんな言い方ができるのはヤマダだけだ、と拓馬は彼女の特異性を感じた。
「先生は心がどんどん成長していってる。もう、むかしのようにはならないよ」
「私が心を入れ替えたとしても……罪深い私が安穏と生きるのを、貴女は不服には思いませんか?」
真剣なまなざしで罪人が問う。対する感性の特殊な女子は首をかしげる。
「被害者がのぞんでるんだったら、いいじゃない」
「それは私の被害を受けた人のひとりが希望したことです。貴女の意思とはちがいます」
「わたしも先生が教師をやっていけばいいなぁと思ってるよ」
「どうしてです?」
「わたしや校長やサブちゃんとか、先生を気に入ってる人がたくさんいるから。ほんの数ヶ月いて、これだけ好かれる先生って、なかなかいないと思うよ」
「……わかりました。貴女がそのように評価するのであれば、その言葉を信じます」
「『信じる』って、そんなおおげさに言わなくていいんだけど……先生は自分のこと、教師むきじゃないと思ってる?」
「はい、最初から貴方たちをだますつもりで就いた職務です。よこしまな理由でえらんだ仕事が適職だとは思えません」
「そうは言うけどね、けっこう就くまでがたいへんでしょ? 何年も勉強したりスクールにかよったりしなきゃいけない。ホントにむいてない人はそこでもう挫折してるよ」
潜伏時の職業選択が話題となり、拓馬は気になった質問をはさむ。
「そういや、なんで教師になろうと思ったんだ?」
「私がこちらでお世話になった人がすすめました。その人のお子さんがたまたま教師をめざしていて、その教材を再利用させてもらったのです」
「へえ、そういう縁でか」
身近にあった選択肢が教師だった、というのはしごく単純な成り行きだ。その疑問は解消できたが、またあらたに謎は生まれる。
「でも先生に偽装の職業なんて必要あったか? 姿を消して、活動できるのに──」
人さらいをするだけなら、こちらの人間として潜伏しなくてもよい。異界の生き物はねらった対象に気付かれることなく、接近できるすべがあるのだから。ただ、その手段が通用しない相手がいる。
「もしかして俺みたいな、見えるやつをねらってたのか?」
「はい、ネギシさんのような方も捕獲対象に想定していました。精神体の者が見える人は、あちらの世界とつながりを持っている可能性が高いので」
「むこうの世界とつながりがあるってことが、大事なのか?」
「はい、おそらくは……オヤマダさんのような力を持つ方は、あちらの世界と縁故があるはずです。その力はこちらで役に立つ機会がありませんし」
あちらでどう役に立つのかも拓馬たちは明確に知らされていない。そのことをヤマダが問いはじめた。
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