2018年07月26日
拓馬篇−9章6 ★
拓馬はヤマダと二人きりになる。現在は自分たちを守る者のいない状況だ。
「行っちまったな……」
脇腹が寒くなるような、心もとなさを拓馬は感じる。
「お前はあいつと一緒にいるべきだと思うか?」
「いたらたのもしいけど、しょうがないよ」
ヤマダはケロっとした顔でいる。
「一度、大きい蜘蛛を見てみよう。たおさなくてもキツネ捜しができるかもしれない」
「そうだな。でも危なそうだったらすぐ逃げよう」
その判断は保身とシズカへの配慮をふくむ。
「シズカさん、俺らがやられてまで仲間を助けてほしいとは思わないだろうから」
拓馬たちは赤毛が向かった校舎の逆へ進む。一階の廊下にはなんの姿もないので階段を上がる。銀髪の少女が示した場所は二階か、それ以上の階だ。二階を確認して異常がなければ三階に──と画策したのもむなしく、階段の踊り場に白い糸が垂れていた。
階段にある異物は縄のように太い。階下から見上げた廊下にも、その白い糸は点在する。
「この糸……普通じゃなさそう」
ヤマダは筆箱から鉛筆を出し、一際太さのある糸にくっつけた。鉛筆を引っ張ると糸が引き寄せられる。その粘度は高く、ヤマダが鉛筆をぐいぐい引っ張ってもはがれない。彼女が何秒か格闘して、やっと糸と鉛筆が離れた。鉛筆には細かな糸が付着している。
「お餅みたいにくっついて、伸びる糸だね」
ヤマダは糸の特性を検分する。
「これに足を取られたら、逃げられないかも」
「この糸を避けつつ大蜘蛛からも逃げる、ってのはキツいな」
二人は周囲の環境が自分たちに不利だと確認した。次に警戒対象を発見すべく階段を上がる。階段を上がってすぐの壁に身を隠す。
先頭に立つ拓馬は廊下の奥を見る。床も天井も、白い糸が張り巡らされていた。その中に、黒くうごめくものを見つける。全身が毛羽立ち、長い足が何本も生えている。尋常でなく大きな蜘蛛だ。
ヤマダも拓馬の後ろで、蜘蛛を観察する。
「どこかの教室に入るか、反対方向をむいてくれたら部分的に捜せるけど……」
「それで教室を調べられても、出るときにあいつがいたんじゃ立ち往生しちまうぞ」
「じゃ、三階に行ってみる? きっと赤毛さんはここで引き返してて、見落としがあると思う」
「そうしたいが……」
蜘蛛は拓馬たちのいるほうへ移動してくる。速度はおそいが、侵入者を察知したときの行動は予想がつかない。
「近づいてきてるな。俺らに気付いたら、なにしてくるか……」
「ちょっとタイミングがわるいね。いったん引こうか?」
「そうしよう」
二人はきた道をもどった。一階に着き、ヤマダが無人の教室を指さす。
「ここの教室から見てく?」
「うーん、そうだな……」
拓馬は一階にはなにもないと思った。おそらく赤毛はこちらの教室を一通り見ただろう。それに狐の居場所を知る少女は一階を指差してはいなかった。
拓馬はなんとなく窓越しに中庭を見た。噴水の前に、銀髪の少女が立っている。
「……いや、もう一回あいつにキツネのことを聞いてみよう」
「あ、あの子ね」
ヤマダは窓を見、中庭へ出た。一時、別行動をとった少女に話しかける。
「ねえ、エリー。また質問してもいい?」
少女は「うん」と承諾した。
「白いキツネがどこにいるか知らない?」
拓馬たちがいた校舎の二階を指して「あのへん」と答えた。ヤマダは眉を落とす。
「やっぱり蜘蛛をどうにかしなきゃいけないんだね……」
「バケモノ退治、する?」
「わたしたちにそんな力はないよ。協力してくれる相手がいたらいいけど……」
「強いバケモノ、あっちにいる」
エリーは拓馬たちの関心になかった場所を指す。そこは一階の校長室のようだ。
「あのバケモノ、仲間をたおそうとするから……うごけなくされた。キツネみたいに」
「確認するけど、そのバケモノは赤毛さんじゃないんだね?」
「うん。ぜんぜんちがう」
赤毛とは別個体の、異形をたおしうる化け物がいる。そいつがはたして拓馬たちに協力するか、敵となるかは未知数だ。
「あなたがさわったら、おきるよ」
少女は簡単に言ってくれるが、その行為には危険がともなう。目覚めた化け物が拓馬たちを攻撃するかもしれないのだ。
「……試すか?」
拓馬は危険性をわかったうえで、ヤマダにたずねた。彼女は緊張気味に「やってみる」と答えた。
二人は校長室へむかう。校舎内は黒い人影の異形が廊下をうろついていたが、さいわい校長室の付近になにもいない。二人は駆け足で校長室前へ移動した。
校長室の入口には両開きの扉がある。その扉には西洋風な金ピカのドアノブがついていた。拓馬がドアノブに手をかけてみると、鍵はかかっておらず、すんなり開いた。
扉を開けたなり、拓馬は室内の異物を発見した。校長の椅子に人が座っている。それは学校関係者ではない。袖口を絞った着物の上に、胸から腹を防護する鎧を着た男。頭部は頭頂の後方が膨らんだ頭巾で覆われている。
「戦国武将か? あんまり立派な甲冑じゃないけど」
「烏帽子《えぼし》を被ってるから、もっと昔の人かも」
二人は武者の様子をうかがう。武者は椅子に腰かけたまま目をつむり、微動だにしない。
「この人、固まってるね」
「さわると目を覚ますらしいが……お前の印象だと、こいつは安全そうか?」
「イヤな感じはしないよ」
「なら悪霊じゃないのかもな……」
「起きていきなり攻撃されたらこわいね。弓を持ってるよ」
武者の手には弓が、背中には矢筒がある。筒の中の矢数は数本程度。だが人外の持ち物に物理的な数は関係しないかもしれない。ひとたび拓馬たちを敵と認めれば延々射かける危険はある。
「わかった。逃げ道を用意しとこう」
拓馬はすぐに逃げられるよう、校長室のドアを開いた状態を保つ。
「ここを開けておく。危ないと感じたらすぐに走ってこい」
ヤマダはうなずいた。そうして武者の向かって右側から近づく。小さな鉄板を繋げた鎧に、指先をちょんちょんと当ててみる。
「本当に鎧だ!」
ヤマダがはしゃいだ。彼女は次に烏帽子を手のひらでポンポンと触った。だんだんヤマダは物怖じしなくなり、しまいには武者の顎鬚《あごひげ》をぴんぴん引っ張った。
「なかなか起きないね」
ヤマダは武者の顎をさすりつつ、拓馬を見る。当初の警戒心は完全に消えていた。そんな無防備な態度をとっていると突然、ヤマダの手を、武者がつかんだ。
ヤマダがびくんと体を震わせ、長い髪を振るう。武者が覚醒したのを、彼女も気付いた。
(こいつはどう出る?)
拓馬は息を呑んだ。武者は無言でヤマダを見据えている。無礼な接触をしたせいで怒ったか、と拓馬は内心ヒヤヒヤした。
「追いはらってほしい物の怪《もののけ》がいるの」
武者に手を握られるヤマダが嘆願する。
「お願い、ついてきて!」
武者はヤマダの手を放し、矢筒に手をかける。拓馬は武者が攻撃をしかけるのかと思い、「こっちにこい!」とヤマダに逃走を促す。彼女は拓馬めがけて走るが、足を止める。
「タッちゃん、うしろ!」
必死な呼びかけだ。異常事態を察した拓馬が後方を向く。目の前に黒い異形がいた。拓馬はぎょっとした。あとずさり、ヤマダのもとへ走る。二人は応接用のソファの影に隠れた。
袋の鼠になってなお、拓馬は逃走経路を考える。武者の後ろには窓がある。そこから脱出できそうだ。しかし窓へ近づくには、武者の注意を逸らさねばならない。武者が異形の相手をする隙をつけばなんとかなりそうだ。
武者は矢をつがえ、狙いを異形にさだめる。拓馬は声をひそめて「窓から逃げるぞ」と言い、そろりそろりと移動する。二人が校長の机に身を寄せたとき、空気を切り裂く音が鳴った。
矢が異形を射止める。命中した部分に大きな風穴があく。体を保てなくなった異形は床に沈み、あとかたもなく消えた。一撃で異形を葬った早業に二人は感心する。だが決着が予想以上に早くついてしまった。
「えーと、窓と廊下の、どっちに逃げる?」
ヤマダが拓馬にたずねた。どちらにしても逃げ切れるとは考えにくい。武者の放つ矢を避ける方法はないのだ。二人がまごついていると武者は片膝をつき、弓を床に置いた。敵意がないことの表れのようだ。
「武者のおじさんはわたしたちを守ってくれたのかな?」
「たぶんな。あとは蜘蛛の住処までついてくるかどうか……」
「よーし、行ってみよう」
二人が校長室を出る。武者は浮遊して追ってきた。ヤマダの依頼を受けるつもりらしい。
「助けてもらえそうだな」
「それはうれしいんだけど、なにか意思表示してくれたらいいのにね」
武者は無言かつ無表情。口も堅く閉じていた。
「タッちゃんが見える幽霊も無口なんだっけ?」
「幽霊の声は聞こえないな。俺が小さいころはしゃべってたような気もするんだが」
「武者のおじさんは口がうごいてないから、たぶんわたしたちが『聞こえない』んじゃなくて『話してない』んだろうね」
「言葉が通じねえのかな? 昔の人みたいだし」
「わたしの言葉がわからないんだったら、どうしてついてきてくれるんだろ?」
拓馬は赤毛の言葉を思い出した。この空間において、ヤマダの願いが実現されるという不思議な力が存在する。それが武者の霊にも適用されたか。しかしその不確かな予想を本人に告げていいものか、拓馬はなやむ。
「心は通じるんだよ、きっと」
拓馬が適当に答えた。ヤマダはぽかんとする。拓馬らしからぬ発言だと思ったのだろう。しかし彼女は同調する。
「やっぱりハートは大事だね」
そう言って、握りこぶしを左胸に数回当てた。
拓馬たちは武者を引き連れ、蜘蛛の住まう区画へ向かう。順路は噴水の前を通る道だ。。そこに銀髪の少女はいない。
「あの子、どこ行ったのかな」
「放っておいて平気だろ。ここは黒い連中のテリトリーなんだから」
彼女ひとりで行動しても危険はない。同じ仲間がうろつく中、害する敵といえば大蜘蛛と武者だ。蜘蛛は糸の存在でおよその潜伏位置がわかるし、武者は拓馬たちのそばにいるとわかっている。武者を連れて蜘蛛を退治しようとする者の前からいなくなるのは正しい判断だ。
「わたしらといるほうが危険だもんね」
ヤマダも拓馬と同じ心情に至った。
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