2018年07月18日
拓馬篇−8章5 ★
ヤマダはひとつめの箱があった教室を出た直後、廊下の突き当たりへ向かう。
「こういうのは端っこから攻めていこう」
隣の教室に行くのを赤毛が引きとめる。
「そちらは例の怪物がいました。注意してください」
「そうなの? 様子だけ見ておくよ」
ヤマダの言動には拓馬も不安を感じた。職員室前ではヤマダが化け物を視認できていたが、ほかの個体も見える確証はない。
「俺がさきに見る。お前じゃ見えないかもしれない」
拓馬は未確認の教室を戸の窓からのぞく。赤毛の言う通り、黒い化け物がいた。机と机の間で、ぼーっと突っ立っている。職員室前で見たものよりは体が小さいようだ。
「……本当にいるな。見えるか?」
「あ、うん。さっき廊下にいたやつみたい」
化け物の目らしき緑色の部分が拓馬たちのほうへ向く。人間の存在に気付いたようだがこれといったアクションを起こす気配はない。
「あれは敵意がないようです。部屋の中を探索できそうですね」
「どうよタッちゃん。近づいていいかな?」
「いいんじゃないか。あいつが危険なことをしてきても、にげられるだろうし」
拓馬は赤毛に視線をやりながら答えた。赤毛は拓馬たちがおらねば脱出が困難な立場にある。それゆえ赤毛が優先的に同行者を守ると予想がついた。赤毛は口元に笑みをつくる。
「ええ、アナタたちに傷は負わせませんよ」
満場一致し、拓馬が教室の戸を開けた。ヤマダはそろりと黒い化け物に近付く。化け物は視線でヤマダを追うが、やはりその場をうごかない。意を決したヤマダが声をかける。
「えーと、こんにちは。言葉はわかる?」
「……」
「あなたと似た子を見たんだけど、仲間?」
「……」
反応はなかった。ヤマダが次にかける言葉を模索していると、赤毛がせかす。
「話す意思がないようです。早く次へ──」
「まって……」
黒い者が口を利いた。かぼそい、子どものような声だ。あるいは女性の声かもしれない。
「うまく、はなせない……チカラ、いる」
「あなたの言う『力』って、なあに?」
「あなたから、もらえる」
「わたしが力をあげたら、話してくれる?」
赤毛がヤマダの腕を引く。ヤマダは強引な制止を受けたことにびっくりした。赤毛はヤマダの驚愕をよそに、一方的にしゃべる。
「酔狂な提案をしますね。こいつらは人間を貪り喰らうのを生業としています。そんな天敵にむざむざ喰われてやる気ですか」
「手加減してくれるよ。命まではとらない」
「なにを根拠に……」
「この子たちを連れてる……かもしれない大男さんは、人を傷つけたがらないから」
「アナタたちをここへ閉じ込めるまでは大人しくしていただけでしょう。こちらの人間を殺せばシズカさんが黙っていませんからね」
「それもあるかもしんないけど……」
「第一、この者が我々に利益をもたらす保証がありますか。力を奪うだけ奪って逃げるかもしれません。無意味な交渉はよしなさい」
「あぶなくなったら助けてね。赤毛さんならできるでしょう?」
赤毛は饒舌な口を数秒停止した。無言でヤマダの腕を放し、首を左右に振る。
「アナタは大層なうつけ者だ。せいぜい魂だけは獄に繋がれないよう気をつけなさい」
「んーと……忠告ありがとう」
ヤマダは不可思議な忠言をいちおう受け止めた。手近な椅子に座り、異形と対面する。
「さ、おいで」
呼びかけに応じて、黒い体がヤマダを包む。異形の頭部らしき部分がヤマダの顔に接近した。さながら接吻のようだ。拓馬もヤマダもびっくりする。だがヤマダは自分から言い出した手前、この状況をぐっと耐えた。拓馬は目の前の光景について赤毛に問う。
「力を吸い取るって、口から?」
「それが一番手軽で効率が良いのです」
赤毛は当然のことのように解説した。拓馬が戸惑いつつ感想をぶつける。
「いや、あの、だれにでもチューは……」
「相手は他種族ですよ。アナタは犬や猫相手でも恥ずかしがるのですか?」
「そう言われれば、まあ……」
拓馬は犬に口をなめられてもなんとも思わない。その行為は友愛のしるしであって、異性への愛情表現とは無縁なものだからだ。とはいえ、人間の言葉をあやつる未知の化け物相手では、やはり受ける印象がちがった。
「あんたの世界じゃよくあるのか、これ?」
「ええ。生まれ持った力や回復力の乏しい者が他者から力を得る行為です。アナタたちが魚や果物を食べるのと同じことですよ。自然や生き物が持つ魔力なり霊力を、活動源にするわけです。霊的な力の出入り口が、口です。ほかにも回復手段はありますが、こちらの説明はいりますか?」
ほかの方法──拓馬には思いあたる体験がひとつあった。それは大男に体を掴まれた際、体が重くなったときだ。
「別の手段はどんなのがあるんだ? たとえば、相手の体をつかむとか」
「それはワタシの古い知人がやりますね。相手の力を強制的に放出させ、体外に出てきた力を吸収します。効率は悪いそうですよ。提供者の体力を著しくそこなう上に、自身の回復量は多くないとか。もしかして、アナタは経験したのですか?」
「ああ、まえにこのバケモノを引き連れてる大男にやられた」
「なるほど。ちなみにどんな状況でした?」
「その男をとっつかえまえようとしたときだな。ヤマダとほかの友だちも一緒だ」
「ほうほう、ではその大男とやらはアナタたち二人に狙いをさだめているのですね」
赤毛の推論は間違いではなさそうだが、一か所だけ、拓馬は異議を唱える。
「あの男に一番会ってたのは別の同級生だ。そっちが本命かもしれない」
「この場にはアナタたち以外の人間はいません。その人は部外者じゃありませんか?」
「そうかぁ? その子は外で四回も会ってる。俺は一回だけだし、ヤマダでも二回だぞ」
「遭遇した頻度など些細なことです。犯人はアナタたちの身近にいる者ですから」
しれっと発された言葉に拓馬は耳を疑う。
「俺らの近くにいる人……?」
「詳しい話は後です」
赤毛がヤマダに近付く。同時に異形は後方にしりぞく。ヤマダは椅子にもたれたまま、うごかない。赤毛がヤマダの頬をかるく叩く。
「寝てますね。しばらく休ませてましょう」
赤毛は化け物に視線を投げたのち、教室の戸へ向かった。拓馬は「どこに行くんだ?」とたずねた。赤毛は振り返らない。
「ナゾナゾが書かれた箱を集めてきます。ワタシがいない間、アナタたちはここで待っていてください。危険がせまったなら場所を移してもかまいませんが、庭の向こう側の建物までは行かないように」
「この黒いのは放っておいて平気か?」
拓馬が化け物を指さした。赤毛はちらりと拓馬たちを見る。
「大丈夫でしょう。人を喰わずにいられる理性があります。ごくまれにいる個体ですね」
赤毛はいなくなった。拓馬は少々心細さを感じる。なんやかやと赤毛への不信感をぶちまけてきたが、赤毛自身は拓馬たちの身を気遣っている。ヤマダの大胆な行動も、危険だからと赤毛は必死に制止した。たとえこの場の離脱がかなうまでの薄情な協力関係だとしても、現時点での赤毛はいいヤツである。
(キツいことを言わなきゃよかったかな)
赤毛の人を食った態度が拓馬をカッとさせたのだから、双方に非はある。拓馬は過度な反省をやめた。やることもないので周囲の確認をしに戸口へ向かう。廊下をちらっと見る。なにもいない。危険物は襲来していないと安心し、戸を閉める。室内を振り返ると──
「……え?」
ヤマダの顔を見つめる少女がいた。少女は褐色の肌と銀色の髪が印象的で、くすんだ緑色のケープを羽織っている。その髪と肌の色は新任の英語教師と似ている。瞳の色も、シドの青とはちがうが異国を髣髴させる緑だ。
「お前、だれだ?」
「しらない。名前、ない」
少女の返答は簡素だ。その声は、さきほどまで教室にいた黒い異形と酷似している。
「さっきのバケモノか?」
少女は「うん」と屈託なく答えた。
「こういうのは端っこから攻めていこう」
隣の教室に行くのを赤毛が引きとめる。
「そちらは例の怪物がいました。注意してください」
「そうなの? 様子だけ見ておくよ」
ヤマダの言動には拓馬も不安を感じた。職員室前ではヤマダが化け物を視認できていたが、ほかの個体も見える確証はない。
「俺がさきに見る。お前じゃ見えないかもしれない」
拓馬は未確認の教室を戸の窓からのぞく。赤毛の言う通り、黒い化け物がいた。机と机の間で、ぼーっと突っ立っている。職員室前で見たものよりは体が小さいようだ。
「……本当にいるな。見えるか?」
「あ、うん。さっき廊下にいたやつみたい」
化け物の目らしき緑色の部分が拓馬たちのほうへ向く。人間の存在に気付いたようだがこれといったアクションを起こす気配はない。
「あれは敵意がないようです。部屋の中を探索できそうですね」
「どうよタッちゃん。近づいていいかな?」
「いいんじゃないか。あいつが危険なことをしてきても、にげられるだろうし」
拓馬は赤毛に視線をやりながら答えた。赤毛は拓馬たちがおらねば脱出が困難な立場にある。それゆえ赤毛が優先的に同行者を守ると予想がついた。赤毛は口元に笑みをつくる。
「ええ、アナタたちに傷は負わせませんよ」
満場一致し、拓馬が教室の戸を開けた。ヤマダはそろりと黒い化け物に近付く。化け物は視線でヤマダを追うが、やはりその場をうごかない。意を決したヤマダが声をかける。
「えーと、こんにちは。言葉はわかる?」
「……」
「あなたと似た子を見たんだけど、仲間?」
「……」
反応はなかった。ヤマダが次にかける言葉を模索していると、赤毛がせかす。
「話す意思がないようです。早く次へ──」
「まって……」
黒い者が口を利いた。かぼそい、子どものような声だ。あるいは女性の声かもしれない。
「うまく、はなせない……チカラ、いる」
「あなたの言う『力』って、なあに?」
「あなたから、もらえる」
「わたしが力をあげたら、話してくれる?」
赤毛がヤマダの腕を引く。ヤマダは強引な制止を受けたことにびっくりした。赤毛はヤマダの驚愕をよそに、一方的にしゃべる。
「酔狂な提案をしますね。こいつらは人間を貪り喰らうのを生業としています。そんな天敵にむざむざ喰われてやる気ですか」
「手加減してくれるよ。命まではとらない」
「なにを根拠に……」
「この子たちを連れてる……かもしれない大男さんは、人を傷つけたがらないから」
「アナタたちをここへ閉じ込めるまでは大人しくしていただけでしょう。こちらの人間を殺せばシズカさんが黙っていませんからね」
「それもあるかもしんないけど……」
「第一、この者が我々に利益をもたらす保証がありますか。力を奪うだけ奪って逃げるかもしれません。無意味な交渉はよしなさい」
「あぶなくなったら助けてね。赤毛さんならできるでしょう?」
赤毛は饒舌な口を数秒停止した。無言でヤマダの腕を放し、首を左右に振る。
「アナタは大層なうつけ者だ。せいぜい魂だけは獄に繋がれないよう気をつけなさい」
「んーと……忠告ありがとう」
ヤマダは不可思議な忠言をいちおう受け止めた。手近な椅子に座り、異形と対面する。
「さ、おいで」
呼びかけに応じて、黒い体がヤマダを包む。異形の頭部らしき部分がヤマダの顔に接近した。さながら接吻のようだ。拓馬もヤマダもびっくりする。だがヤマダは自分から言い出した手前、この状況をぐっと耐えた。拓馬は目の前の光景について赤毛に問う。
「力を吸い取るって、口から?」
「それが一番手軽で効率が良いのです」
赤毛は当然のことのように解説した。拓馬が戸惑いつつ感想をぶつける。
「いや、あの、だれにでもチューは……」
「相手は他種族ですよ。アナタは犬や猫相手でも恥ずかしがるのですか?」
「そう言われれば、まあ……」
拓馬は犬に口をなめられてもなんとも思わない。その行為は友愛のしるしであって、異性への愛情表現とは無縁なものだからだ。とはいえ、人間の言葉をあやつる未知の化け物相手では、やはり受ける印象がちがった。
「あんたの世界じゃよくあるのか、これ?」
「ええ。生まれ持った力や回復力の乏しい者が他者から力を得る行為です。アナタたちが魚や果物を食べるのと同じことですよ。自然や生き物が持つ魔力なり霊力を、活動源にするわけです。霊的な力の出入り口が、口です。ほかにも回復手段はありますが、こちらの説明はいりますか?」
ほかの方法──拓馬には思いあたる体験がひとつあった。それは大男に体を掴まれた際、体が重くなったときだ。
「別の手段はどんなのがあるんだ? たとえば、相手の体をつかむとか」
「それはワタシの古い知人がやりますね。相手の力を強制的に放出させ、体外に出てきた力を吸収します。効率は悪いそうですよ。提供者の体力を著しくそこなう上に、自身の回復量は多くないとか。もしかして、アナタは経験したのですか?」
「ああ、まえにこのバケモノを引き連れてる大男にやられた」
「なるほど。ちなみにどんな状況でした?」
「その男をとっつかえまえようとしたときだな。ヤマダとほかの友だちも一緒だ」
「ほうほう、ではその大男とやらはアナタたち二人に狙いをさだめているのですね」
赤毛の推論は間違いではなさそうだが、一か所だけ、拓馬は異議を唱える。
「あの男に一番会ってたのは別の同級生だ。そっちが本命かもしれない」
「この場にはアナタたち以外の人間はいません。その人は部外者じゃありませんか?」
「そうかぁ? その子は外で四回も会ってる。俺は一回だけだし、ヤマダでも二回だぞ」
「遭遇した頻度など些細なことです。犯人はアナタたちの身近にいる者ですから」
しれっと発された言葉に拓馬は耳を疑う。
「俺らの近くにいる人……?」
「詳しい話は後です」
赤毛がヤマダに近付く。同時に異形は後方にしりぞく。ヤマダは椅子にもたれたまま、うごかない。赤毛がヤマダの頬をかるく叩く。
「寝てますね。しばらく休ませてましょう」
赤毛は化け物に視線を投げたのち、教室の戸へ向かった。拓馬は「どこに行くんだ?」とたずねた。赤毛は振り返らない。
「ナゾナゾが書かれた箱を集めてきます。ワタシがいない間、アナタたちはここで待っていてください。危険がせまったなら場所を移してもかまいませんが、庭の向こう側の建物までは行かないように」
「この黒いのは放っておいて平気か?」
拓馬が化け物を指さした。赤毛はちらりと拓馬たちを見る。
「大丈夫でしょう。人を喰わずにいられる理性があります。ごくまれにいる個体ですね」
赤毛はいなくなった。拓馬は少々心細さを感じる。なんやかやと赤毛への不信感をぶちまけてきたが、赤毛自身は拓馬たちの身を気遣っている。ヤマダの大胆な行動も、危険だからと赤毛は必死に制止した。たとえこの場の離脱がかなうまでの薄情な協力関係だとしても、現時点での赤毛はいいヤツである。
(キツいことを言わなきゃよかったかな)
赤毛の人を食った態度が拓馬をカッとさせたのだから、双方に非はある。拓馬は過度な反省をやめた。やることもないので周囲の確認をしに戸口へ向かう。廊下をちらっと見る。なにもいない。危険物は襲来していないと安心し、戸を閉める。室内を振り返ると──
「……え?」
ヤマダの顔を見つめる少女がいた。少女は褐色の肌と銀色の髪が印象的で、くすんだ緑色のケープを羽織っている。その髪と肌の色は新任の英語教師と似ている。瞳の色も、シドの青とはちがうが異国を髣髴させる緑だ。
「お前、だれだ?」
「しらない。名前、ない」
少女の返答は簡素だ。その声は、さきほどまで教室にいた黒い異形と酷似している。
「さっきのバケモノか?」
少女は「うん」と屈託なく答えた。
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