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2021年11月14日
迦陵頻伽120円赤の分室局櫛型印(名古屋中央局郵政局内分室)
今回の切手は凹版印刷のため満足に判読できる消印の少ない迦陵頻伽です。紫色を改色して発行されましたが、発行当初は書籍小包と由奈敏小型包装物などでしか該当せず、昭和47年2月の料金改正で定形書留便に該当したためそれ以降の消印がほとんどになります。今回の消印は昭和44年D欄分室名入りの櫛型印ですが、満月印で判読できる消印のため稀少な物と思われますが、分室名がハッキリしていません。
(局の変遷)
・1938年4月21日~1949年6月25日=名古屋中央郵便局 逓信局内分室
・1949年6月26日~1996年3月30日=名古屋中央郵便局 郵政局内分室
・1996年4月1日~2003年3月31日=東海郵政局内郵便局
・2003年4月1日~=名古屋丸の内三郵便局
(局の変遷)
・1938年4月21日~1949年6月25日=名古屋中央郵便局 逓信局内分室
・1949年6月26日~1996年3月30日=名古屋中央郵便局 郵政局内分室
・1996年4月1日~2003年3月31日=東海郵政局内郵便局
・2003年4月1日~=名古屋丸の内三郵便局
2021年11月11日
ニホンジカ10円コイルの分室局櫛型印(神戸中央局ポートピア'81分室)
今回の消印は特設局の分室印です。神戸ポートアイランド博覧会は、神戸港に造られた人工島ポートアイランドを会場として開催された地方博覧会です。ポートアイランドのまちびらきに合わせて開催され、まちびらきに合わせて地方博覧会を開催するという方法は、1989年に横浜みなとみらい21地区で開催された横浜博覧会 でも実施されました。この分室は集配普通局分室です、消印は注文消しの櫛型印になります。
(局の変遷)
・1981年3月10日~9月15日
(局の変遷)
・1981年3月10日~9月15日
2021年11月07日
新丹頂鶴100円3連の分室局和文ローラー印
普通切手の3連に正位置に押印された和文ローラー印ですので、料金別納としてシートに押印された物のカットであると思われます。この新丹頂鶴100円には該当ずる郵便料金は無く、キリのよい額面切手として様々な郵便物に使用できるよう発行された切手になります。郵政局は郵政省の地方出先機関で当時全国で11の郵政局がありました。
(局の変遷)
・1938年4月21日~1949年6月25日=名古屋中央郵便局 逓信局内分室
・1949年6月26日~1996年3月30日=名古屋中央郵便局 郵政局内分室
・1996年4月1日~2003年3月31日=東海郵政局内郵便局
・2003年4月1日~=名古屋丸の内三郵便局
(局の変遷)
・1938年4月21日~1949年6月25日=名古屋中央郵便局 逓信局内分室
・1949年6月26日~1996年3月30日=名古屋中央郵便局 郵政局内分室
・1996年4月1日~2003年3月31日=東海郵政局内郵便局
・2003年4月1日~=名古屋丸の内三郵便局
2021年11月04日
新能面70円ペアの分室局和文ローラー印(名古屋港局埠頭分室)
名古屋港局埠頭分室については10月14日の当ブログでも掲載しましたが、今回の消印は昭和51年1月25日料金改正前の使用印です。この料金改正で第1種と2種の料金が倍以上に値上げされたため、当時はかなりの経済的負担が増えたことを覚えています。(ちなみに定形外郵便は50gまでが40円から100円、100gまでは55円から140円)何せ基本料金ですから封書郵便が20円から50円への値上げはいかがなものかと感じました。70円ペアの和文ローラー印ですので、おそらく定形外+特殊取扱などでの郵便物ではないでしょうか。
(局の変遷)
・1966年4月1日~2007年3月31日
(局の変遷)
・1966年4月1日~2007年3月31日
2021年10月31日
ホタルイカ35円ペアの分室局櫛型印(名古屋中央局名古屋駅内分室)
ホタルイカ35円切手は定形外書状の重量便(50~100g)用に発行された切手です。当初は需要に対応できず大量に印刷されましたが昭和47年2月の料金改正で用途がなくなり、かなり後期になっても郵便局で残っていたようです。また、一部の外信便への対応額面でもありました。
消印は名古屋中央局名古屋駅内分室の櫛型印ですが、この分室にはD欄分室名入り櫛型印とA欄にすべて入った櫛型印があります。
(局の変遷)
・1937年2月1日~1990年4月14日=名古屋中央郵便局 名古屋駅内分室
・1990年4月16日~2000年3月5日=名古屋駅デイリー1郵便局
・2000年3月6日~2015年12月13日=タワーズ内郵便局
・2015年12月14日~=名古屋柳橋郵便局
消印は名古屋中央局名古屋駅内分室の櫛型印ですが、この分室にはD欄分室名入り櫛型印とA欄にすべて入った櫛型印があります。
(局の変遷)
・1937年2月1日~1990年4月14日=名古屋中央郵便局 名古屋駅内分室
・1990年4月16日~2000年3月5日=名古屋駅デイリー1郵便局
・2000年3月6日~2015年12月13日=タワーズ内郵便局
・2015年12月14日~=名古屋柳橋郵便局
2021年10月28日
吉祥天立像1000円の分室局和文ローラー印(大阪中央局中央市場内分室)
1000円という額面の切手は、昭和50年の発行当時では該当する郵便物が限られていました。その後、郵便料金の値上げに伴い平成以降のキロボックスでも実逓での使用済みを見かけるようになります。実逓が少ない分、使用済みの多くは料金別納での押印になります。平成14年9月の段階で整理券種になって終売になりました。消印は大阪中央局中央市場内分室の和文ローラー印、別納印か実逓印か判読が難しいようです。
(局の変遷)
・1932年8月1日~1992年11月8日=大阪中央郵便局 中央市場内分室
・1992年11月9日~=大阪中央市場内郵便局
(局の変遷)
・1932年8月1日~1992年11月8日=大阪中央郵便局 中央市場内分室
・1992年11月9日~=大阪中央市場内郵便局
2021年10月24日
平成切手カワラナデシコ270円ペアの分室局丸型印(名古屋中央局第二豊田ビル内分室)
平成切手カワラナデシコ270円は平成6年1月に発行され、平成27年9月まで実に20年近く販売されていた切手です。発行目的は速達加貼り用と定形外150グラムまでの適合額面でしたが、ほとんどは速達用として使用されています。平成26年4月1日の郵便料金改正後で需要が無くなりました。消印はペアですので特殊料金の組み合わせで使用されたものと思われます。名古屋中央局第二豊田ビル内分室の丸型印です。
(局の変遷)
・1955年11月1日~1973年12月9日=名古屋中央郵便局 豊田ビル内分室
・1973年12月10日~2012年10月9日=名古屋中央郵便局 第二豊田ビル内分室
(局の変遷)
・1955年11月1日~1973年12月9日=名古屋中央郵便局 豊田ビル内分室
・1973年12月10日~2012年10月9日=名古屋中央郵便局 第二豊田ビル内分室
2021年10月21日
旧はにわの馬65円の分室局櫛型印(名古屋中央局豊田ビル内分室)
旧はにわの馬65円は速達や簡易書留加貼り用として料金改正初日に発行されました。1年後に色検知枠が入った新はにわの馬が発行されましたが、新はにわの馬は昭和42年当初では京浜地区と東京南部の局での限定販売だったため、昭和42年になっても旧はにわの馬が販売されていたと思われます。新額面だったため発行当初から盛んに使用され使用済みは多いはずなのですが、満足できる消印は少ないと感じています。消印は名古屋中央局豊田ビル内分室印で昭和42年11月の櫛型印です。
(局の変遷)
・1955年11月1日~1973年12月9日=名古屋中央郵便局 豊田ビル内分室
・1973年12月10日~2012年10月9日=名古屋中央郵便局 第二豊田ビル内分室
(局の変遷)
・1955年11月1日~1973年12月9日=名古屋中央郵便局 豊田ビル内分室
・1973年12月10日~2012年10月9日=名古屋中央郵便局 第二豊田ビル内分室
2021年10月17日
埴輪の兵士200円赤の分室局和文ローラー印(札幌中央局簡易保険事務センター内分室)
今回の消印は札幌中央局幌中央局簡易保険事務センター内分室の和文ローラー印です。この分室は札幌地方簡易保険局の改称に伴い、札幌中央郵便局簡易保険事務センター内分室に改称、その後札幌簡易保険事務センターの廃止に伴い(仙台簡易保険事務センターへの統合)、無集配特定郵便局として札幌大通東二郵便局が開局されました。消印は札幌中央局ではなく札幌の文字のみですが札幌中央の4文字でも可能だと思うのですが。
(局の変遷)
・1961年8月21日~1984年6月30日=札幌中央郵便局 保険局内分室
・1984年7月1日~1999年5月5日=札幌中央郵便局 簡易保険事務センター内分室
・1999年5月6日~2005年3月31日=札幌簡易保険事務センター内郵便局
・2005年4月1日~2014年9月13日=札幌大通東二郵便局
(局の変遷)
・1961年8月21日~1984年6月30日=札幌中央郵便局 保険局内分室
・1984年7月1日~1999年5月5日=札幌中央郵便局 簡易保険事務センター内分室
・1999年5月6日~2005年3月31日=札幌簡易保険事務センター内郵便局
・2005年4月1日~2014年9月13日=札幌大通東二郵便局
2021年10月14日
1983年/ふみの日40円ペアの分室局和文ローラー印(名古屋港局埠頭分室)
今回の消印は記念切手への分室局和文ローラー印で、名古屋港局埠頭分室印になります。この埠頭分室には櫛型印もローラー印も和文印と欧文印が設置されており、利用局が多かったと推測されます。この局が無いと地下鉄で名古屋港局まで出向かなければならなかったのですが、郵政民営化の前に採算が取れないという理由で廃止になっています。代替局も設置されなかったので利用者にとっては不便になったと思われます。
(局の変遷)
・1966年4月1日~2007年3月31日
(局の変遷)
・1966年4月1日~2007年3月31日
2021年10月10日
八つ橋蒔絵500円の分室局櫛型印(広島駅前局幟町分室)
今回の分室印は昭和30年代の古い切手に時々見かける消印です。台切手は八つ橋蒔絵500円ですが、昭和30年の発行当時において500円という郵便物はまず存在せず、使用目的は主に料金別納での消印になります。消印は正位置に押印されておりシートのペア部分に櫛型印を押印したものと推測されます。この分室は変遷の多い局です。
(局の変遷)
・1946年11月11日~1954年11月15日=広島幟町郵便局
・1954年11月16日~1958年10月31日=広島駅前郵便局 幟町分室
・1958年11月1日~1964年4月19日=広島郵便局 幟町分室
・1964年4月20日~1965年7月31日=広島中央郵便局 幟町分室
・1965年8月1日~1969年3月31日=広島中央郵便局 胡町分室
・1969年4月1日~広島胡町郵便局
(局の変遷)
・1946年11月11日~1954年11月15日=広島幟町郵便局
・1954年11月16日~1958年10月31日=広島駅前郵便局 幟町分室
・1958年11月1日~1964年4月19日=広島郵便局 幟町分室
・1964年4月20日~1965年7月31日=広島中央郵便局 幟町分室
・1965年8月1日~1969年3月31日=広島中央郵便局 胡町分室
・1969年4月1日~広島胡町郵便局
2021年10月07日
平成切手シオカラトンボ9円の分室局丸型印(D欄親局名入り東京中央局日比谷パークビル内分室)
今回の消印は前回のブログで紹介しました「親局がD欄に分室名がA欄に表記」された珍しい分室印のひとつ、東京中央局日比谷パークビル内分室の丸型印です。(9月2日に一度公開しましたが削除しました)
大阪中央局毎日ビル内分室の丸型印と異なるのは、分室名が長くD欄に収まらないという点です。毎日ビル内分室では櫛型印時代ではD欄に「毎日ビル」と入っている消印が使用されています。分室名を正式な名称で記載すると長くなるので省略して記載している分室印も実際にはあります。
例えば、名古屋中央局名古屋駅内分室ですがD欄には「駅内」のみ記載されています。また、D欄ではなくA欄にすべて表記されている櫛型印も使用されています。詳しくは下記の当ブログページをご参照ください。省略された消印についてはまたご紹介したいと思います。
(局の変遷)
・1952年4月1日~1971年1月31日=東京中央郵便局 日活ビル内分室
・1971年2月1日~2003年3月29日=東京中央郵便局 日比谷パークビル内分室
大阪中央局毎日ビル内分室の丸型印と異なるのは、分室名が長くD欄に収まらないという点です。毎日ビル内分室では櫛型印時代ではD欄に「毎日ビル」と入っている消印が使用されています。分室名を正式な名称で記載すると長くなるので省略して記載している分室印も実際にはあります。
例えば、名古屋中央局名古屋駅内分室ですがD欄には「駅内」のみ記載されています。また、D欄ではなくA欄にすべて表記されている櫛型印も使用されています。詳しくは下記の当ブログページをご参照ください。省略された消印についてはまたご紹介したいと思います。
(局の変遷)
・1952年4月1日~1971年1月31日=東京中央郵便局 日活ビル内分室
・1971年2月1日~2003年3月29日=東京中央郵便局 日比谷パークビル内分室
2021年10月03日
新前島密1円の分室局最終日丸型印(D欄親局名入り大阪中央局毎日ビル内分室)
前回の消印で大阪中央局毎日ビル分室局の最終日印を掲載しましたが、この局では別の消印も使用していたようです。D欄親局「大阪中央」入りでA欄に「毎日ビル」が記載されています。今回はその消印をご紹介します。
通常分室印ではD欄に分室名が入りA欄に親局が入るのが通常ですが、一部の局では逆の消印を使用しているケースがあったようです。私が知る限りでは東京中央局日比谷パークビル内分室印ですが、この局ではこの消印以外は使用されていなかったようですが見つけましたら掲載したいと思います。また、この分室印は別の機会に紹介したいと思います。
通常分室印ではD欄に分室名が入りA欄に親局が入るのが通常ですが、一部の局では逆の消印を使用しているケースがあったようです。私が知る限りでは東京中央局日比谷パークビル内分室印ですが、この局ではこの消印以外は使用されていなかったようですが見つけましたら掲載したいと思います。また、この分室印は別の機会に紹介したいと思います。
2021年09月30日
新前島密1円の分室局最終日丸型印(大阪中央局毎日ビル内分室)
今回の消印は分室局の最終日の注文消しです。開局初日や閉鎖や改称の最終日印を郵便押印依頼をすることは消印収集家では当たり前のように行われていました。局の移動に関しては、現在は郵便局の公式ホームページ「開局情報」で事前に調べることが可能です。
しかし、インターネットの無い時代では逓信省公報や郵政局公報を見て調べる他に方法は無かったようですので、その閲覧方法に関して国会図書館や郵政省などだと思いますが、個人的には行動したことはなくかなり苦労を要したようと思われます。
今回の消印も大阪中央局毎日ビル内分室の最終日印になります。1円に押印されておりますので局側で対応したものと推測されますが、郵便資料としての消印としては稀少だと思います。記念切手や普通切手の初日印を収集している方は多いようですが、郵便局の開局や閉鎖関係の消印を収集している方は少ないと感じています。
(局の変遷)
・1956年8月1日~1999年3月31日=大阪中央郵便局 毎日ビル内分=
・1999年4月1日~堂島アバンザ郵便局
しかし、インターネットの無い時代では逓信省公報や郵政局公報を見て調べる他に方法は無かったようですので、その閲覧方法に関して国会図書館や郵政省などだと思いますが、個人的には行動したことはなくかなり苦労を要したようと思われます。
今回の消印も大阪中央局毎日ビル内分室の最終日印になります。1円に押印されておりますので局側で対応したものと推測されますが、郵便資料としての消印としては稀少だと思います。記念切手や普通切手の初日印を収集している方は多いようですが、郵便局の開局や閉鎖関係の消印を収集している方は少ないと感じています。
(局の変遷)
・1956年8月1日~1999年3月31日=大阪中央郵便局 毎日ビル内分=
・1999年4月1日~堂島アバンザ郵便局
2021年09月26日
テッポウユリ20円の分室局丸型印(名古屋中央局郵政局内分室)
今回の消印も同じ記念切手が入っていたキロボックスから出てきた物ですが、水はがしした際に確か混貼りだったような記憶があります。名古屋中央局郵政局内分室の丸型印ですが残念ながら満月印ではありません。
前回のブログで押印依頼の内容を掲載しましたが、郵便押印は基本的にはハガキ額面以上の切手から出ないと押印は出来ないとしています。今だと63円以上、この消印の昭和63年だと40円以上の切手になります。それ以下の額面には押印出来ないとしていますが、田型やペア以上だと1か所のみに押印が出来るようです。
ヤフオクや趣味誌の即売会などで低額面への満月印を見かけますが、実際には押印に応じているようです。テッポウユリ20円の低額面であれば当然満月印は難しくなるのですが、消印の状態から見て右隣に何かしらの切手が貼られていたのかもしれません。逆に平成切手富士山1000円や吉祥天立像1000尚の満月印を見かけますが、高額面切手への注文消しはかなりの度胸が必要です。
(局の変遷)
・1938年4月21日~1949年6月25日=名古屋中央郵便局 逓信局内分室
・1949年6月26日~1996年3月30日=名古屋中央郵便局 郵政局内分室
・1996年4月1日~2003年3月31日=東海郵政局内郵便局
・2003年4月1日~=名古屋丸の内三郵便局
前回のブログで押印依頼の内容を掲載しましたが、郵便押印は基本的にはハガキ額面以上の切手から出ないと押印は出来ないとしています。今だと63円以上、この消印の昭和63年だと40円以上の切手になります。それ以下の額面には押印出来ないとしていますが、田型やペア以上だと1か所のみに押印が出来るようです。
ヤフオクや趣味誌の即売会などで低額面への満月印を見かけますが、実際には押印に応じているようです。テッポウユリ20円の低額面であれば当然満月印は難しくなるのですが、消印の状態から見て右隣に何かしらの切手が貼られていたのかもしれません。逆に平成切手富士山1000円や吉祥天立像1000尚の満月印を見かけますが、高額面切手への注文消しはかなりの度胸が必要です。
(局の変遷)
・1938年4月21日~1949年6月25日=名古屋中央郵便局 逓信局内分室
・1949年6月26日~1996年3月30日=名古屋中央郵便局 郵政局内分室
・1996年4月1日~2003年3月31日=東海郵政局内郵便局
・2003年4月1日~=名古屋丸の内三郵便局
2021年09月23日
1990年/国際花と緑の博覧会41円の分室局丸型印(名古屋中央局郵政局内分室)
前回に引き続いて平成2年発行の記念切手への消印です。9月にご紹介している名古屋中央局の分室印ですが、入手したキロボックスから出てきたものですが、従来分室局では普通郵便への押印はありませんのでおそらく「引受押印」かまたは分室局へ自ら足を運んでの押印発送ではないかと推測されます。消印は名古屋中央局郵政局内分室の丸型印です。
記念切手や普通切手の発行初日の押印サービスには、台紙等に切手をちょう付して押印する「記念押印」と、実際に差し出される郵便物に切手をちょう付して押印する「引受消印」があります。これと同じで郵便局への押印依頼も同様の対応がされています。切手発行初日印や東京オリンピックなどで臨時開設される局印などの押印に関しては郵便局のホームページで随時案内されています。ヤフオクなどでも多く見かける満月印の注文消しは「記念押印」として郵便局へ依頼されているのがほとんどです。
毎年実施される、しらせ船内分室および昭和基地内分室における風景入日付印などの押印サービスについても毎年10月20日前後に郵便局のホームページで詳細が掲載されますので興味がありましたら、押印依頼をしてみてはいかがでしょうか。それぞれ風景印と丸型日付印がありますが、発送は翌年2月頃に帰港してからの発送になります。
また、すでに終わってしまいましたが東京オリンピックでも選手村に臨時局、ビッグサイドに分室が設けられていました。このような大規模な国際イベントには臨時局が開設されますので同様に押印依頼が可能です。
(局の変遷)
・1938年4月21日~1949年6月25日=名古屋中央郵便局 逓信局内分室
・1949年6月26日~1996年3月31日=名古屋中央郵便局 郵政局内分室
・1996年4月1日~2003年3月31日=東海郵政局内郵便局
・2003年4月1日~=名古屋丸の内三郵便局
記念切手や普通切手の発行初日の押印サービスには、台紙等に切手をちょう付して押印する「記念押印」と、実際に差し出される郵便物に切手をちょう付して押印する「引受消印」があります。これと同じで郵便局への押印依頼も同様の対応がされています。切手発行初日印や東京オリンピックなどで臨時開設される局印などの押印に関しては郵便局のホームページで随時案内されています。ヤフオクなどでも多く見かける満月印の注文消しは「記念押印」として郵便局へ依頼されているのがほとんどです。
毎年実施される、しらせ船内分室および昭和基地内分室における風景入日付印などの押印サービスについても毎年10月20日前後に郵便局のホームページで詳細が掲載されますので興味がありましたら、押印依頼をしてみてはいかがでしょうか。それぞれ風景印と丸型日付印がありますが、発送は翌年2月頃に帰港してからの発送になります。
また、すでに終わってしまいましたが東京オリンピックでも選手村に臨時局、ビッグサイドに分室が設けられていました。このような大規模な国際イベントには臨時局が開設されますので同様に押印依頼が可能です。
(局の変遷)
・1938年4月21日~1949年6月25日=名古屋中央郵便局 逓信局内分室
・1949年6月26日~1996年3月31日=名古屋中央郵便局 郵政局内分室
・1996年4月1日~2003年3月31日=東海郵政局内郵便局
・2003年4月1日~=名古屋丸の内三郵便局
2021年09月19日
電気機関車2集「EH10形式」の分室局丸型印(名古屋中央局貯金事務センター内分室)
電気感謝シリーズは平成2年の1月から7月に発行された記念切手ですが、時代的な背景としての消印を考えると下記のようなエラー印や試行機械印が押印される可能性の高い切手でもあります。
①櫛型印から丸型印への移行に伴う複合型エラー印(丸二タイプや横バー残り、櫛残りや櫛抜けなど)
②三日月欧文印から丸型欧文印への移行に伴う複合型エラー印(三日月残りや横バー残りなど)
③試行印と櫛型印の複合的エラー印(平成6年頃まで使用された複合印で横バー入りなど)
④和文機械印や和欧文機械印の標語入り印(昭和55年から順次標語が廃止され平成初期まで一部局で使用)
⑤G3やM6などのモリコー式機械印(G3は南足柄局で平成3年1月まで、M6は麹町局で平成2年9月まで)
①や④に関しては実逓印での消印がありますが、②や⑤は極度に少ないでしょう。特にモリコー式の機械印は試用期間が限定されているため消印のほとんどは注文消しです。モリコー式の機械印に関しては機会のある際にご紹介したいと思います。また、鉄道郵便印は昭和61年9月で廃止されてるため平成時代の記念切手には存在しません。
平成元年から5年くらいまでに発行された切手には消印移行期と重なり様々なエラー印があります。今回の消印は発行翌月の名古屋中央局貯金事務センター内分室の丸型印です。
(局の変遷)
・1950年12月1日~1984年6月30日=名古屋中央郵便局 貯金局内分室
・1984年7月1日~2015年12月6日=名古屋中央郵便局 貯金事務センター内分室
・2015年12月7日~2019年12月31日=名古屋西郵便局 名古屋貯金事務センター内分室
①櫛型印から丸型印への移行に伴う複合型エラー印(丸二タイプや横バー残り、櫛残りや櫛抜けなど)
②三日月欧文印から丸型欧文印への移行に伴う複合型エラー印(三日月残りや横バー残りなど)
③試行印と櫛型印の複合的エラー印(平成6年頃まで使用された複合印で横バー入りなど)
④和文機械印や和欧文機械印の標語入り印(昭和55年から順次標語が廃止され平成初期まで一部局で使用)
⑤G3やM6などのモリコー式機械印(G3は南足柄局で平成3年1月まで、M6は麹町局で平成2年9月まで)
①や④に関しては実逓印での消印がありますが、②や⑤は極度に少ないでしょう。特にモリコー式の機械印は試用期間が限定されているため消印のほとんどは注文消しです。モリコー式の機械印に関しては機会のある際にご紹介したいと思います。また、鉄道郵便印は昭和61年9月で廃止されてるため平成時代の記念切手には存在しません。
平成元年から5年くらいまでに発行された切手には消印移行期と重なり様々なエラー印があります。今回の消印は発行翌月の名古屋中央局貯金事務センター内分室の丸型印です。
(局の変遷)
・1950年12月1日~1984年6月30日=名古屋中央郵便局 貯金局内分室
・1984年7月1日~2015年12月6日=名古屋中央郵便局 貯金事務センター内分室
・2015年12月7日~2019年12月31日=名古屋西郵便局 名古屋貯金事務センター内分室
2021年09月16日
1989年/世界デザイン博41円の分室局丸型印(名古屋中央局第二豊田ビル内分室)
1989年4月1日の消費税導入(3%)に伴い、郵便料金についてもハガキが41円で封書が62円という半端な料金に改訂されました。
1989年1月8日に平成へ元号が変わったため平成初期の記念切手は41円か62円がメインとなります。消印に関しては前回のブログでご紹介した通りで、消印の移行期に伴う櫛型印のエラー印が存在しています。しかし、ハガキ額面の記念切手に丸型印が押印されることは少なく消印の多くは機械印になります。
従って、この当時のハガキ額面の記念切手の櫛型印のエラー印の多くは注文消しになりますが、今のようなインターネットの無い時代ですからどの局でエラー印が使用されているのかは、逐次注文消しを依頼するかまたは趣味誌などに掲載されていた情報を元に押印依頼をするしか手段はありませんでした。
消印は名古屋中央局第二豊田ビル内分室の丸型印です。
(局の変遷)
・1955年11月1日~1973年12月9日=名古屋中央郵便局 豊田ビル内分室
・1973年12月10日~2012年10月9日=名古屋中央郵便局 第二豊田ビル内分室
1989年1月8日に平成へ元号が変わったため平成初期の記念切手は41円か62円がメインとなります。消印に関しては前回のブログでご紹介した通りで、消印の移行期に伴う櫛型印のエラー印が存在しています。しかし、ハガキ額面の記念切手に丸型印が押印されることは少なく消印の多くは機械印になります。
従って、この当時のハガキ額面の記念切手の櫛型印のエラー印の多くは注文消しになりますが、今のようなインターネットの無い時代ですからどの局でエラー印が使用されているのかは、逐次注文消しを依頼するかまたは趣味誌などに掲載されていた情報を元に押印依頼をするしか手段はありませんでした。
消印は名古屋中央局第二豊田ビル内分室の丸型印です。
(局の変遷)
・1955年11月1日~1973年12月9日=名古屋中央郵便局 豊田ビル内分室
・1973年12月10日~2012年10月9日=名古屋中央郵便局 第二豊田ビル内分室
2021年09月12日
1988年/国体記念の分室局丸型印(名古屋中央局柳橋分室)
前回に引き続いて記念切手への分室印の紹介です。
1988年10月に発行された「第43回国体記念」切手ですが、当時の消印の背景としては昭和61年4月1日から「丸型印」が全国306の特定局で使用開始、昭和61年10月1日に三日月欧文印から「丸型欧文印」へ全国1893局で使用開始、昭和60年7月1日からサービスが開始された「超特急郵便」「即日配達郵便」などへの変更がありました。
また、櫛型印から丸型印への移行途中で様々なエラー印が現れたのが昭和62年から平成5~6年にかけてであり、この頃に発行された記念切手には多くのエラー印が存在しています。欧文印のエラー印は櫛型印程多くはありません。「超特急郵便」「即日配達郵便」についてはほとんどが注文消しになります。
今回の消印は丸型印で分室局では平成になっても櫛型印が使用されていた局があります。名古屋中央局柳橋分室印です。
(局の変遷)
・1939年3月11日~1945年9月20日=名古屋柳橋郵便局
・1945年9月21日~1952年8月31日=中村郵便局 柳橋分室
・1952年9月1日~2012年10月9日=名古屋中央郵便局 柳橋分室
1988年10月に発行された「第43回国体記念」切手ですが、当時の消印の背景としては昭和61年4月1日から「丸型印」が全国306の特定局で使用開始、昭和61年10月1日に三日月欧文印から「丸型欧文印」へ全国1893局で使用開始、昭和60年7月1日からサービスが開始された「超特急郵便」「即日配達郵便」などへの変更がありました。
また、櫛型印から丸型印への移行途中で様々なエラー印が現れたのが昭和62年から平成5~6年にかけてであり、この頃に発行された記念切手には多くのエラー印が存在しています。欧文印のエラー印は櫛型印程多くはありません。「超特急郵便」「即日配達郵便」についてはほとんどが注文消しになります。
今回の消印は丸型印で分室局では平成になっても櫛型印が使用されていた局があります。名古屋中央局柳橋分室印です。
(局の変遷)
・1939年3月11日~1945年9月20日=名古屋柳橋郵便局
・1945年9月21日~1952年8月31日=中村郵便局 柳橋分室
・1952年9月1日~2012年10月9日=名古屋中央郵便局 柳橋分室
2021年09月09日
近代美術「富岡鉄斎」の分室局櫛型印(名古屋中央局第二豊田ビル内分室)
記念切手の分室印をいろいろとご紹介していきたいと思います。主に名古屋中央局の分室印で15年ほど前に入手した当時のキロボックスから出てきた物です。
近代美術シリーズは1979年(昭和54年)から1983年(昭和58年)まで発行された記念切手ですが、昭和56年1月20日に封書額面が50円から60円に改訂になり、消印としては「鉄道郵便印」が存在し他には昭和57年5月5月31日から2年間使用された「試行印」、昭和54年9月1日から開始された元号入り和欧文機械印など消印のバラエティが豊富に存在しています。この切手の発行期間中にはエラー印は存在せず主に後期の使用印になります。
また、試行印は切手発行初日用としてハト入り試行印が使用されています。この切手で難しいのは鉄道郵便印で実逓印は稀少だと思われます。また、鉄道郵便護送印の注文消しも見受けられます。
分室印は集配局ではないため、窓口消印が必要な書留や簡易書留などでの混貼りになるため注文消しは多くありますが、実逓印は少ないと感じています。
今回の分室印は名古屋中央局第二豊田ビル内分室の櫛型印です。
(局の変遷)
・1955年11月1日~1973年12月9日=名古屋中央郵便局 豊田ビル内分室
・1973年12月10日~2012年10月9日=名古屋中央郵便局 第二豊田ビル内分室
近代美術シリーズは1979年(昭和54年)から1983年(昭和58年)まで発行された記念切手ですが、昭和56年1月20日に封書額面が50円から60円に改訂になり、消印としては「鉄道郵便印」が存在し他には昭和57年5月5月31日から2年間使用された「試行印」、昭和54年9月1日から開始された元号入り和欧文機械印など消印のバラエティが豊富に存在しています。この切手の発行期間中にはエラー印は存在せず主に後期の使用印になります。
また、試行印は切手発行初日用としてハト入り試行印が使用されています。この切手で難しいのは鉄道郵便印で実逓印は稀少だと思われます。また、鉄道郵便護送印の注文消しも見受けられます。
分室印は集配局ではないため、窓口消印が必要な書留や簡易書留などでの混貼りになるため注文消しは多くありますが、実逓印は少ないと感じています。
今回の分室印は名古屋中央局第二豊田ビル内分室の櫛型印です。
(局の変遷)
・1955年11月1日~1973年12月9日=名古屋中央郵便局 豊田ビル内分室
・1973年12月10日~2012年10月9日=名古屋中央郵便局 第二豊田ビル内分室