2016年08月10日
私の高校卒業後1…ほとんど家にいたこともある
前記事高校をロクに行かなくなったきっかけ4の続き
卒業したら、建前は「浪人」だけど、
とくに目的意識もなく、だらだらな生活が始まった。
学校生活=毎朝の腹痛との戦い
だった私としては、その学校生活から解放された。
ただただ、基本は家にいて、友だちがたまーに遊びに来たり、遊びに行ったり、
彼氏もいたので、たまに彼の家にいたり。
先のことを考えずだらだらだら。
このあたりの記憶の時系列がバラバラ。。。。
バイトして、キーボード(楽器)とパソコンを買った。
ほんのいっとき、なぜかバンドでプロになりたいと思ったからだ。
って、ろくに演奏できるわけでもなし、仲間がいるわけでもなし、、、
ただただ、目の前の生活から逃れたかったのかも。
パソコンは、、、友だちの弟がたまたましていたファミコンが私には衝撃的で、
無性に惹かれて買った。。
また、時系列がよくわからないが、
ほぼ半年はほとんど家にいて、彼から借りたファミコンをひたすらやっていた。
朝起きたらスイッチ入れて、夜中までひたすら。
それ以外の物事が一切ないかのように。。。
うーん、となると、これは彼と別れたあとか???
そう、彼と別れたんだ。
それは、高校卒業後、フラフラしていたけど、
秋ごろからフラフラするのも飽きてきて
無性に「大学行かなくては」という衝動に駆られて、
彼は私が高卒でいいから結婚したいのに、大学行くなんで結婚したくない??
みたいになってそこからこじれて別れた。
とはいえ、一時期は私が進学することに彼は協力的で、
彼は東工大へ行っている友人を紹介してくれて、
アドバイスをもらえるようにしてくれた。
そのとき、その友人がいらなくなった、とあるプログラミング可能なゲーム機をくれた。
それはbasic言語でゲームが作れるもの。
ここでbasicと出逢った。
だとすると、パソコン買ったのは、この後か???
よく思い出せない。
さて、秋ごろ、「やっぱ大学いこう」となって、勉強して、
とりあえず一つ受かって、システム関係の学科へ進む。
でも、まともに通ったのは半年くらいで、だんだん、通う意義が感じられなくて、
その辺りでほどんと家にいてゲーム三昧になる。
あれれ。。。やっぱ、ここでバイトしてパソコン買ったのかも???
18歳から21歳あたりの記憶が混沌としている。
1年弱だと思うが、ほとんど家にいて、ゲームしまくってた。
でも、狭い家、私の部屋はない。離婚したから父はいない。
母は朝早くから仕事に出かけるから、日中は私しかいない家の中。
ただひたすらドラクエやらFFやらさまざまなロールプレイングをクリアすることに
無心になっていた。
私の心はゲームにどっぷりで、ゲームの中のドラマをまるで自分のことのように感じ、
ラスボスを倒したときのあの達成感の大きさと言ったら。。。
ゲームなのに、そこまで入れ込んでた。ゲームに逃げていた。
でも、だーれも直接文句言わない。
母は帰宅すると、ブツブツと「くさいくさい」と家の中掃除機かけるけど、
それは昔からのことで。
母は、目の前でただ先のことを考えずにゲームしまくる私に何を思っていたんだろうね。
たぶん、私は飽きっぽいので、ゲーム三昧の1年弱にも次第に飽きてきた。
このままじゃいけない。
このままじゃ、大嫌いな母と共倒れするだけ。。。
財産など一切ない母。
どう考えてみても、現時点では母の収入でこうやって私はゲームしているが、
そんなの限界が来るに決まっている。
このままじゃ、母と共だおれ。。
大嫌いな母と共倒れ??
…そんなの絶対イヤ!
そんな気持ちが次第に膨らんでいった。
当時も、子供のころから引きづる「自分の存在を消したい」願望はあったけど、
そういう形は生理的に受け付けなかった。
傍からみたらゲームしているだけなんだけど^^;
気持ちだけはどんどん膨らむ一方。
なんとかしなくては、、、と。
ブログ村参加中。ぽちっと押していただけると大変励みになります
卒業したら、建前は「浪人」だけど、
とくに目的意識もなく、だらだらな生活が始まった。
学校生活=毎朝の腹痛との戦い
だった私としては、その学校生活から解放された。
ただただ、基本は家にいて、友だちがたまーに遊びに来たり、遊びに行ったり、
彼氏もいたので、たまに彼の家にいたり。
先のことを考えずだらだらだら。
このあたりの記憶の時系列がバラバラ。。。。
バイトして、キーボード(楽器)とパソコンを買った。
ほんのいっとき、なぜかバンドでプロになりたいと思ったからだ。
って、ろくに演奏できるわけでもなし、仲間がいるわけでもなし、、、
ただただ、目の前の生活から逃れたかったのかも。
パソコンは、、、友だちの弟がたまたましていたファミコンが私には衝撃的で、
無性に惹かれて買った。。
また、時系列がよくわからないが、
ほぼ半年はほとんど家にいて、彼から借りたファミコンをひたすらやっていた。
朝起きたらスイッチ入れて、夜中までひたすら。
それ以外の物事が一切ないかのように。。。
うーん、となると、これは彼と別れたあとか???
そう、彼と別れたんだ。
それは、高校卒業後、フラフラしていたけど、
秋ごろからフラフラするのも飽きてきて
無性に「大学行かなくては」という衝動に駆られて、
彼は私が高卒でいいから結婚したいのに、大学行くなんで結婚したくない??
みたいになってそこからこじれて別れた。
とはいえ、一時期は私が進学することに彼は協力的で、
彼は東工大へ行っている友人を紹介してくれて、
アドバイスをもらえるようにしてくれた。
そのとき、その友人がいらなくなった、とあるプログラミング可能なゲーム機をくれた。
それはbasic言語でゲームが作れるもの。
ここでbasicと出逢った。
だとすると、パソコン買ったのは、この後か???
よく思い出せない。
さて、秋ごろ、「やっぱ大学いこう」となって、勉強して、
とりあえず一つ受かって、システム関係の学科へ進む。
でも、まともに通ったのは半年くらいで、だんだん、通う意義が感じられなくて、
その辺りでほどんと家にいてゲーム三昧になる。
あれれ。。。やっぱ、ここでバイトしてパソコン買ったのかも???
18歳から21歳あたりの記憶が混沌としている。
1年弱だと思うが、ほとんど家にいて、ゲームしまくってた。
でも、狭い家、私の部屋はない。離婚したから父はいない。
母は朝早くから仕事に出かけるから、日中は私しかいない家の中。
ただひたすらドラクエやらFFやらさまざまなロールプレイングをクリアすることに
無心になっていた。
私の心はゲームにどっぷりで、ゲームの中のドラマをまるで自分のことのように感じ、
ラスボスを倒したときのあの達成感の大きさと言ったら。。。
ゲームなのに、そこまで入れ込んでた。ゲームに逃げていた。
でも、だーれも直接文句言わない。
母は帰宅すると、ブツブツと「くさいくさい」と家の中掃除機かけるけど、
それは昔からのことで。
母は、目の前でただ先のことを考えずにゲームしまくる私に何を思っていたんだろうね。
たぶん、私は飽きっぽいので、ゲーム三昧の1年弱にも次第に飽きてきた。
このままじゃいけない。
このままじゃ、大嫌いな母と共倒れするだけ。。。
財産など一切ない母。
どう考えてみても、現時点では母の収入でこうやって私はゲームしているが、
そんなの限界が来るに決まっている。
このままじゃ、母と共だおれ。。
大嫌いな母と共倒れ??
…そんなの絶対イヤ!
そんな気持ちが次第に膨らんでいった。
当時も、子供のころから引きづる「自分の存在を消したい」願望はあったけど、
そういう形は生理的に受け付けなかった。
傍からみたらゲームしているだけなんだけど^^;
気持ちだけはどんどん膨らむ一方。
なんとかしなくては、、、と。
ブログ村参加中。ぽちっと押していただけると大変励みになります
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/5321931
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
この記事へのトラックバック