2016年07月30日
高校をロクに行かなくなったきっかけ4
前記事「高校をロクに行かなくなったきっかけ3」の続き
うーん、ロクに思い出せないのに、なんとか書いてみたけど、
学校に行かなくなったきっかけは、複数の要素があると思います。
これまで書いたことを振り返って箇条書きにしてみるなら
・ウツっぽい、やる気が起きない、死にたい願望でいつもしんどい
・学校で自分の居場所がないように感じていた(実際は逃げ場所がいくつもあったのですが・・)
・親が大嫌い。親に相談するなんてことが一切なかった。
・彼氏の家、という逃げ場所があった。
・友達は学校嫌いの子ばかりだった。そのため学校ネガ情報が入りやすい。
・お腹痛い思いして学校行くなら、学校行かないほうがいいじゃんと考えだしてしまった。
書いてみたけど、、、よくわからないや。。。
学校は、ある時期から遅刻も一気に増えた。
いつも朝9時ごろまでにお腹が痛くなるのだから、
9時過ぎに行った方が、体的に楽。
遅刻3回すると、1回欠席扱いになったような気がするなあ。
他にも遅刻常習者が何人かいて、
先生は、黒板に遅刻TOP3の人の名前を書いていた時期があったけど、
私がダントツ一位^^;
もしかしたら、通院して「腹痛がこういう状態なので遅刻します」といった診断書みたいなものを
きちんと学校側に提出するとか何らかの形があったかもしれないよね。
と、今、私が親目線で思うのですが、
当時、母の出勤時間が早かったので、私が学校へ行く時間には家には誰もいない。
だと、ついついグダグダしちゃうわけです。
親は全く放置、、というか親は離婚話を進めるのに必死だし。
先生から遅刻や欠席しがちで、強く叱られた記憶がないし、注意もロクにされていない。
そういうものなのかな。
だから、私も特別直そうとも思わなかったし、
また、当時の彼氏が、私が高校卒業したら結婚しよう、みたいなことを言い出しました。
しんどい、消えてしまいたい、、先のことなんてどうでもいい、、、
まあ、、働くこともロクに考えていなかった時期だし。
深く自分の状況を考えることもできない精神状態で、
ただただ時間が経っていきました。
(というか、やはり書いていても、当時のことをあまり思い出せない)
高3の運動会もしんどかったので休みました。
でも、卒業式は行きましたね。
おそらく学校から親に連絡が行ったのだろうけど、
私は出席が微妙に足りなかったそうです。卒業するために、
でも、成績は問題ないのと、家の事情をお察しで、卒業させてくれた、
と後から母が私に言いました。
そういうことってあるのか。
そういえば、私の学年で一人、卒業できなかった男の子がいたのを思い出した。
その子は家に引きこもって全くの不登校になり、
高3はほとんど学校に来ていなかったとか。。。
あ、あと、この時点で私の進路は真っ白でした。
進学先が決まっていないし、仕事する予定もなし。
建前は大学受験目指すで、父から受験料もらってはネコババしていました。
そんなロクデナシな私でした。
そういうことに罪悪感が感じられない、、
というか、いろんな感覚が鈍っていたような気がする。
なので、進学先が決まるわけもなく、「浪人」という形に。
って、今更ながら、書いてみて、ぞっとしました。
よくまあ、そんな状態で平気でいたなあ、、私。。。
先のことが決まっていない不安はなかったなあ。。どうでもよかったんだ。
また、私が高校卒業とすると同時に、親は正式離婚。
あと、覚えていることは、
最後に通知表を担任から手渡しされたとき、
「がんばるんだぞ!」
といつもならボソボソと小さい声で話す先生が、
力強い声で私の手を握っていいました。
握手したのは私だけなので、皆が驚いていたっけ。。。
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うーん、ロクに思い出せないのに、なんとか書いてみたけど、
学校に行かなくなったきっかけは、複数の要素があると思います。
これまで書いたことを振り返って箇条書きにしてみるなら
・ウツっぽい、やる気が起きない、死にたい願望でいつもしんどい
・学校で自分の居場所がないように感じていた(実際は逃げ場所がいくつもあったのですが・・)
・親が大嫌い。親に相談するなんてことが一切なかった。
・彼氏の家、という逃げ場所があった。
・友達は学校嫌いの子ばかりだった。そのため学校ネガ情報が入りやすい。
・お腹痛い思いして学校行くなら、学校行かないほうがいいじゃんと考えだしてしまった。
書いてみたけど、、、よくわからないや。。。
学校は、ある時期から遅刻も一気に増えた。
いつも朝9時ごろまでにお腹が痛くなるのだから、
9時過ぎに行った方が、体的に楽。
遅刻3回すると、1回欠席扱いになったような気がするなあ。
他にも遅刻常習者が何人かいて、
先生は、黒板に遅刻TOP3の人の名前を書いていた時期があったけど、
私がダントツ一位^^;
もしかしたら、通院して「腹痛がこういう状態なので遅刻します」といった診断書みたいなものを
きちんと学校側に提出するとか何らかの形があったかもしれないよね。
と、今、私が親目線で思うのですが、
当時、母の出勤時間が早かったので、私が学校へ行く時間には家には誰もいない。
だと、ついついグダグダしちゃうわけです。
親は全く放置、、というか親は離婚話を進めるのに必死だし。
先生から遅刻や欠席しがちで、強く叱られた記憶がないし、注意もロクにされていない。
そういうものなのかな。
だから、私も特別直そうとも思わなかったし、
また、当時の彼氏が、私が高校卒業したら結婚しよう、みたいなことを言い出しました。
しんどい、消えてしまいたい、、先のことなんてどうでもいい、、、
まあ、、働くこともロクに考えていなかった時期だし。
深く自分の状況を考えることもできない精神状態で、
ただただ時間が経っていきました。
(というか、やはり書いていても、当時のことをあまり思い出せない)
高3の運動会もしんどかったので休みました。
でも、卒業式は行きましたね。
おそらく学校から親に連絡が行ったのだろうけど、
私は出席が微妙に足りなかったそうです。卒業するために、
でも、成績は問題ないのと、家の事情をお察しで、卒業させてくれた、
と後から母が私に言いました。
そういうことってあるのか。
そういえば、私の学年で一人、卒業できなかった男の子がいたのを思い出した。
その子は家に引きこもって全くの不登校になり、
高3はほとんど学校に来ていなかったとか。。。
あ、あと、この時点で私の進路は真っ白でした。
進学先が決まっていないし、仕事する予定もなし。
建前は大学受験目指すで、父から受験料もらってはネコババしていました。
そんなロクデナシな私でした。
そういうことに罪悪感が感じられない、、
というか、いろんな感覚が鈍っていたような気がする。
なので、進学先が決まるわけもなく、「浪人」という形に。
って、今更ながら、書いてみて、ぞっとしました。
よくまあ、そんな状態で平気でいたなあ、、私。。。
先のことが決まっていない不安はなかったなあ。。どうでもよかったんだ。
また、私が高校卒業とすると同時に、親は正式離婚。
あと、覚えていることは、
最後に通知表を担任から手渡しされたとき、
「がんばるんだぞ!」
といつもならボソボソと小さい声で話す先生が、
力強い声で私の手を握っていいました。
握手したのは私だけなので、皆が驚いていたっけ。。。
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