2016年07月29日
高校をロクに行かなくなったきっかけ3
前記事「高校をロクに行かなくなったきっかけ2」の続き
さて、
高校上がっても、毎朝お腹が下っても、
とりあえず学校には基本的に毎日通っていたのですが、
どのあたりから学校に行かなくなったのかな。。。
これがよく思い出せない。。
高2の途中で、父親が突然家を出ていきました。
突然、家の中の様子が変わるって、、、
これは経験しないと分からないけれど、、、かなり心をエグるショックがあると思います。
大人になってもいつまでも引きずります。
「ある日突然、家族が出ていった」経験をした人と何度か話す機会がありましたが、
誰もがその独特な深いショックを大人になっても引きずっていました。
少し経つと、母親が付き合いだした男性を家にときどき連れてくるようになりました。
まだ、離婚していないのにです。
それがあるので、いまだに私は母を受け入れられないし、一生許せない気持ちが消えないのかも。
「母に暴力をふるい、毎晩怒鳴る父親がいなくなった」
これに関してはほっとした部分もあるのです。だって父親におびえないで済むようになったから。
また、母がときどき連れてくる男性は
某有名企業で働いている人で、社会に出る前の私にいろいろな面白い仕事の話をしてくれました。
その人の言葉がいまでもタメになっているときがあります。
だけど、、、
子供って、、やはり「父親が家にいる」「親が不倫しない」の基本的な部分を求めるのかもしれない。
高校とはいえ私はまだまだ子供で、
あたりまえの家庭ではない状況に、どこか不安定なものを感じていて、
ああ、母は苦手だったな、、、
顔を合わせば自分のことだけ一方的に話してくる。
まだまだ「生きてるのしんどい、きえてしまいたい」の感覚は和らぐことはなかったのです。
学校に関しては、、、
仲良しグループに所属していたものの、高3でそのうちの一人の子とだけ同じクラスになります。
それまでは、数人で同じクラスでした。
その一人の子、、Eちゃん。
Eちゃんと二人で行動することになるのですが、
Eちゃんが、協調性のない子で、他の子たちに合わせない。
意外と私は気さくな子を選んでグループ外でも話すことはできたけど、
Eちゃんはそういうのが全くなく、
Eちゃんに気を遣って、Eちゃんにペースを合わせるようになりました。
すると、Eちゃんがお休みした日は、クラスで誰とも話せない状況に。
今思うと、別にいじめられたとかハブになったわけではないです。
気づいたら人見知り的な感じが強くなっていて、
自分から人に話しかけられなくなったのです。特定の相手以外は。
すると、学校をさぼりがちになってきました。
それまで学校が楽しい場所だったのに、しんどい要素が一気に増えた。
学校に来ても更衣室にこもってたり、
通学で家を出ても、学校行のバスに乗らずに駅のあたりをフラフラしてたり、
そんな私にEちゃんはよく一緒に行動していました。
また、ほかの友達も面白がって、ときどき便乗していました。
それはそれで楽しく思いました。
そして、バイト関係で彼氏ができました。社会人です。
その人の家に、よく通うようになりました。
だって、家にいても一方的に話す母がしんどいし、
学校も居場所ないし。
母には「帰り遅くなる」「今日は友達の家とまる」と一応言ってますが、
何のお咎めありません。
そうですよねー。あっちは彼氏を連れ込んでいるのだから。
この辺、思い出すまま書いてみたけど、
高3から一気に学校へ行かなくなったのかなあ。。。
高2は少しさぼった記憶はあるけれど、ぼちぼち程度だったような。
母は仕事していたので、朝早くにはいなくなって、夜はたいてい帰りが遅かったです。
なので、学校さぼっても、「今日は学校へ行ったフリ」もしていましたね。
通知表見ればバレバレなのに。
うーん、おぼろげな記憶なので、微妙につじつまあってないきもするが、、
まあ、またかいているうちに思い出すでしょう。
ブログ村参加中。ぽちっと押していただけると大変励みになります
さて、
高校上がっても、毎朝お腹が下っても、
とりあえず学校には基本的に毎日通っていたのですが、
どのあたりから学校に行かなくなったのかな。。。
これがよく思い出せない。。
高2の途中で、父親が突然家を出ていきました。
突然、家の中の様子が変わるって、、、
これは経験しないと分からないけれど、、、かなり心をエグるショックがあると思います。
大人になってもいつまでも引きずります。
「ある日突然、家族が出ていった」経験をした人と何度か話す機会がありましたが、
誰もがその独特な深いショックを大人になっても引きずっていました。
少し経つと、母親が付き合いだした男性を家にときどき連れてくるようになりました。
まだ、離婚していないのにです。
それがあるので、いまだに私は母を受け入れられないし、一生許せない気持ちが消えないのかも。
「母に暴力をふるい、毎晩怒鳴る父親がいなくなった」
これに関してはほっとした部分もあるのです。だって父親におびえないで済むようになったから。
また、母がときどき連れてくる男性は
某有名企業で働いている人で、社会に出る前の私にいろいろな面白い仕事の話をしてくれました。
その人の言葉がいまでもタメになっているときがあります。
だけど、、、
子供って、、やはり「父親が家にいる」「親が不倫しない」の基本的な部分を求めるのかもしれない。
高校とはいえ私はまだまだ子供で、
あたりまえの家庭ではない状況に、どこか不安定なものを感じていて、
ああ、母は苦手だったな、、、
顔を合わせば自分のことだけ一方的に話してくる。
まだまだ「生きてるのしんどい、きえてしまいたい」の感覚は和らぐことはなかったのです。
学校に関しては、、、
仲良しグループに所属していたものの、高3でそのうちの一人の子とだけ同じクラスになります。
それまでは、数人で同じクラスでした。
その一人の子、、Eちゃん。
Eちゃんと二人で行動することになるのですが、
Eちゃんが、協調性のない子で、他の子たちに合わせない。
意外と私は気さくな子を選んでグループ外でも話すことはできたけど、
Eちゃんはそういうのが全くなく、
Eちゃんに気を遣って、Eちゃんにペースを合わせるようになりました。
すると、Eちゃんがお休みした日は、クラスで誰とも話せない状況に。
今思うと、別にいじめられたとかハブになったわけではないです。
気づいたら人見知り的な感じが強くなっていて、
自分から人に話しかけられなくなったのです。特定の相手以外は。
すると、学校をさぼりがちになってきました。
それまで学校が楽しい場所だったのに、しんどい要素が一気に増えた。
学校に来ても更衣室にこもってたり、
通学で家を出ても、学校行のバスに乗らずに駅のあたりをフラフラしてたり、
そんな私にEちゃんはよく一緒に行動していました。
また、ほかの友達も面白がって、ときどき便乗していました。
それはそれで楽しく思いました。
そして、バイト関係で彼氏ができました。社会人です。
その人の家に、よく通うようになりました。
だって、家にいても一方的に話す母がしんどいし、
学校も居場所ないし。
母には「帰り遅くなる」「今日は友達の家とまる」と一応言ってますが、
何のお咎めありません。
そうですよねー。あっちは彼氏を連れ込んでいるのだから。
この辺、思い出すまま書いてみたけど、
高3から一気に学校へ行かなくなったのかなあ。。。
高2は少しさぼった記憶はあるけれど、ぼちぼち程度だったような。
母は仕事していたので、朝早くにはいなくなって、夜はたいてい帰りが遅かったです。
なので、学校さぼっても、「今日は学校へ行ったフリ」もしていましたね。
通知表見ればバレバレなのに。
うーん、おぼろげな記憶なので、微妙につじつまあってないきもするが、、
まあ、またかいているうちに思い出すでしょう。
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