2017年10月11日
根本的に親に対する意識が違うんだなあ
毒親系の実母の下で育った私だからか、
「親」に対する意識が一般的なものとずれているなあ、と思うことがよくある。
私自身が親になった今。
周囲のママから親視点の考え方など触れるときも、
「えええ、そう考えるのか!」と驚くことが多い。
そのパターンの一つとは、
「親が子のために頑張れば、子に伝わる」
「親が子のために学校の役員などにいそしめば、子どもに伝わる」
的な感じかな。
私が子供のころだと、、
親が何か必死でやっていたとしても、冷めた気持ちで、
「うざい」ぐらいしか感じられなかった。
私のためにやっている、、と実母はそのつもりだったのかもしれないが、
どうしても子供のころの私には
「子供のためにやっている、という理由の自己満足」
としてしか見れなかったのだ。
そのときの、子どもの頃の感情などが今でもリアルに残っている私なので、
どうも、ママたちが行事などの手伝いをして
「ここまですれば子供たちよろこぶね!」的な会話が普通に繰り広げられているのを見ると、
どうしても違和感を覚えてしまう。
例えばバザーの準備でポスター書いたりなど飾り付けしたりなど、
やったことがあるし、楽しいと思ったことはある。
が、それは単にその場にいる人たちと気楽な会話しながら手作業する、という楽しさで、
「子供たち、きっとこうすれば喜ぶだろうなあ」といった感情がなかった。
ポスターの色塗りで、我ながらうまく塗れたときはうれしかった。
だんだんマニアックになって、「今度はこうやって塗ってみよ」とか工夫する楽しさ。
それはあくまでも私自身の「うまく塗れた♪」という達成感。
まあね仮に、そのポスターを子供たちが見て、
「わあ、すごーい」とか言っているのを見かけたとしたら、
それはそれで「ふふふ」とうれしく思うんだけど。
うまく書けないなあ。。。
「子供たちのために」と学校にかかわろうとする一部の人に感じてしまう違和感。
いや、その人たちは悪くないし、よい姿勢なんだと思うけど、
運動会で親競技に出たことがある。
当時役員やっていて、参加者少なくて仕方なくではあった。
「ぴいママさんでたら、子どもたちよろこぶよー」とか周りは言う行けれど
「子供たち、そんなもの見ないよ」というひねくれた私の思考。口にはもちろん出さない。
んで、競技に出て、運動音痴ながらもあたふたやっていたら、
子どもたち一生懸命私を応援してた。
終わった後も、嬉しそうに私に「ママ、出るなんて知らなかった!応援したのにビリだし(笑)」
うちの場合、運動音痴母子なので、かけっこなどでビリは当たり前。
「まーた、ビリだあ(笑)」というノリなのだ。
(努力しても本当に早くなれないので、もうひらきなおって突っ込みどころというか)
そんな子供たちの笑顔をみて、
ああ、私がどんだけひねくれてるんだ、と思う。
そうだよな、幼稚園、小学生あたりなら、うちの子たちは普通の反応なのだろう。
しかし、私は物心ついた時から、、3歳くらいから、
親に対しては冷めた視線と感情だったな。
もしも私が園児で、親がこのように競技に出られたら、、見たくもないけど、周囲の手前応援するフリをするな。って、園児時代でそんなひねくれ思考だった。
(そもそも競技に参加する親ではなかったが)
結局、その辺りを乗り越えられない、子どものころからの私の生き様。
今後もこのあたりは自分の中で変わらないんだろうなあ。
たまに学校などで「子供たちのために手伝ってください」「親の姿見て子供が励みになります」
的な触れ込みで手伝いの誘いがあるが、
これについては否定する気持ちもないし、まったくもってその通りだろうと思うし、
「そうね!子供たちのためにがんばる!」と心からなれればどんなに楽だろう。
言葉としてはわかっていても、
私のように、どうしても心の奥でしんどさが募る母親がいるとは思う。
だからといって、「私、そういうのしんどいのでできそうなときに参加します」なんて表明するわけでもなし、
自分のペースを自分で見つめながら、できそうなときに参加して
難しいときは「用事があって」とかでも当たり障りのない理由で距離を置いて、
自分で「適度な距離」を作るようにしている。
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「親」に対する意識が一般的なものとずれているなあ、と思うことがよくある。
私自身が親になった今。
周囲のママから親視点の考え方など触れるときも、
「えええ、そう考えるのか!」と驚くことが多い。
そのパターンの一つとは、
「親が子のために頑張れば、子に伝わる」
「親が子のために学校の役員などにいそしめば、子どもに伝わる」
的な感じかな。
私が子供のころだと、、
親が何か必死でやっていたとしても、冷めた気持ちで、
「うざい」ぐらいしか感じられなかった。
私のためにやっている、、と実母はそのつもりだったのかもしれないが、
どうしても子供のころの私には
「子供のためにやっている、という理由の自己満足」
としてしか見れなかったのだ。
そのときの、子どもの頃の感情などが今でもリアルに残っている私なので、
どうも、ママたちが行事などの手伝いをして
「ここまですれば子供たちよろこぶね!」的な会話が普通に繰り広げられているのを見ると、
どうしても違和感を覚えてしまう。
例えばバザーの準備でポスター書いたりなど飾り付けしたりなど、
やったことがあるし、楽しいと思ったことはある。
が、それは単にその場にいる人たちと気楽な会話しながら手作業する、という楽しさで、
「子供たち、きっとこうすれば喜ぶだろうなあ」といった感情がなかった。
ポスターの色塗りで、我ながらうまく塗れたときはうれしかった。
だんだんマニアックになって、「今度はこうやって塗ってみよ」とか工夫する楽しさ。
それはあくまでも私自身の「うまく塗れた♪」という達成感。
まあね仮に、そのポスターを子供たちが見て、
「わあ、すごーい」とか言っているのを見かけたとしたら、
それはそれで「ふふふ」とうれしく思うんだけど。
うまく書けないなあ。。。
「子供たちのために」と学校にかかわろうとする一部の人に感じてしまう違和感。
いや、その人たちは悪くないし、よい姿勢なんだと思うけど、
運動会で親競技に出たことがある。
当時役員やっていて、参加者少なくて仕方なくではあった。
「ぴいママさんでたら、子どもたちよろこぶよー」とか周りは言う行けれど
「子供たち、そんなもの見ないよ」というひねくれた私の思考。口にはもちろん出さない。
んで、競技に出て、運動音痴ながらもあたふたやっていたら、
子どもたち一生懸命私を応援してた。
終わった後も、嬉しそうに私に「ママ、出るなんて知らなかった!応援したのにビリだし(笑)」
うちの場合、運動音痴母子なので、かけっこなどでビリは当たり前。
「まーた、ビリだあ(笑)」というノリなのだ。
(努力しても本当に早くなれないので、もうひらきなおって突っ込みどころというか)
そんな子供たちの笑顔をみて、
ああ、私がどんだけひねくれてるんだ、と思う。
そうだよな、幼稚園、小学生あたりなら、うちの子たちは普通の反応なのだろう。
しかし、私は物心ついた時から、、3歳くらいから、
親に対しては冷めた視線と感情だったな。
もしも私が園児で、親がこのように競技に出られたら、、見たくもないけど、周囲の手前応援するフリをするな。って、園児時代でそんなひねくれ思考だった。
(そもそも競技に参加する親ではなかったが)
結局、その辺りを乗り越えられない、子どものころからの私の生き様。
今後もこのあたりは自分の中で変わらないんだろうなあ。
たまに学校などで「子供たちのために手伝ってください」「親の姿見て子供が励みになります」
的な触れ込みで手伝いの誘いがあるが、
これについては否定する気持ちもないし、まったくもってその通りだろうと思うし、
「そうね!子供たちのためにがんばる!」と心からなれればどんなに楽だろう。
言葉としてはわかっていても、
私のように、どうしても心の奥でしんどさが募る母親がいるとは思う。
だからといって、「私、そういうのしんどいのでできそうなときに参加します」なんて表明するわけでもなし、
自分のペースを自分で見つめながら、できそうなときに参加して
難しいときは「用事があって」とかでも当たり障りのない理由で距離を置いて、
自分で「適度な距離」を作るようにしている。
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コメントありがとうございます。
もうね、あの時の状況は、親参加が少なすぎて断り切れなかったというか。
ペースは人それぞれ、お手伝い積極的にしょっちゅう参加しているママさんもいるけれど、私も私自身の無理ないペースが一番だなあと思います^^
だからえらいな〜!と思いました。
お子さん嬉しかったでしょうね!
お手伝いも自分の出来る範囲でしていけば十分だと思います。
私もそうしていきます。