2016年08月10日
私の高校卒業後2 家の中ばかりにいると
前記事「私の高校卒業後1…ほとんど家にいたこともある」の続き
このあたりの時系列がどうもよく思い出せない。
なので、前記事で書いたけど、やはりよく思い出せない。
あ、そうだ、
大学行く数か月前辺りは、
ときどきは外に出ていたけど、しんどかったのを思い出した。
何をするのにも億劫。
友だちや彼氏などと約束をして、それに合わせて外出はするけど、
なんかうまく動けなくて、ドタキャンや遅刻したり。
人とかかわるのも億劫になってきた。
腹痛については、朝の腹痛の時間帯は家にいるので、腹痛にならなかった。
たまに用事で朝から出かけると、腹痛になったけど。。。
どう見ても、ロクに勉強していないのに、
だれも咎める人もいなくて。
家では、
基本はただただぼーーーーーっと、ファミコンのゲームを繰り返す。
あ、漫画とか小説みたいなのを少々書いていたなあ。
当時、インターネットというものがあったら、、、どうなっていたのか?
攻略法調べたくて本屋に出かけたり、図書館へ本読んだりとかはしてたが、
あ、ゲームや漫画を買いにも出かけてたし。
もしも、インターネットがあったら、本当に外に出なくなっていたかも。
母は、たまに外泊して帰ってこないことがあって、
そのときは、徹夜でゲームしてた。(私の部屋がないからね)
詳しく書けないが、いろいろと一人で黙々と何かに没頭する日々。
大学は最初は行ったけど、これまた億劫になって途中から行かなくなった。
そのときの私の頭の中は「社会に出て自立したい」「でもたまに人が怖く感じる、このままではいけない」
で、
大学へ行くことでそれが解決するかと思ったけど、
どうも、周囲のノリが肌に合わない。
女子が少ない学科だったから、チヤホヤはされたけど、、、それでも満たされない。
大学から次第に足が遠のく。
そして、友だちとも連絡がへり、、、
あ、1人だけ、定期的に高校の友人が心配して連絡くれました。
その内容というのが、彼女のグチも多いんだけど「もう、ぴいぴい聞いてよー」
って感じで。
彼女のグチの観点は私も理解できたので、それは同感しながら聞いていた。
当時は、彼女から心配されていたなんて気づかなかった。
(それは私が結婚した後で知る)
それだけかも、外との接点。
大学行かずにほぼ引きこもってゲームばっかりの私に、
一度も「大学行け」とは言われなかった。
大学のカネは離婚した父が払っていた。
父がこの状況を知ったら怒りまくるんだろうけど、
怒りまくりの度合いが半端じゃないから、母は父には言わない。
たまに「怒れる立場じゃないから」という言葉を母から聞いたなあ。
今、こうして書くと、自分勝手なことして子供放置して、
どうみても、子供がまずい状況になったときに「立場じゃない」か。。。
まあ、ここで母から怒られたとしても、猛烈に反抗しまくっただろうが。
自分を振り返ると、ある時期までは母がこちらに踏み込んで来たら、私は受け入れられた、
が、その時期を過ぎたら、もう、「母は何をしても無意味」になっていた。
なので、「その時期」を過ぎた後、亀裂ができた母子の場合、、
どうすればよいのかな。。。
なんて、私が母だったら、という視点で考える。
腹痛が続きだした中学1年のときに、軽くても声をかけてくれてればよかったかも、、
ああ、高校でも、保健の先生が検査を促したときに、もっとメンタル面にも目を向けて
母が深く追求してたら、それでもなんとかなったかも。
そうだよな、、検査したけど、内科的には異常がなくても毎日お腹下っているのに。
いつも暗い表情の私に
「まずは気持ちを明るくもたないと!」と母に言われても、それは無理だし。
しまいには
「私の友達が応援しているよ!」とも母に言われたが、
電話でちらっとしか話したことのない、あったことのない母の友人。
別に応援されてもなあ、、、。
ロクに大学行かず
ただただ時間が過ぎていく。
インターネットがあったら、そのまま本当に家からでなくなったかも。
億劫なくせに、たまに好奇心が湧いてきて、それを満たすために行動を取りたくなってきたのだ。
そのベースに
「このまま家にいて母と共倒れしたくない」
「何か仕事しなくちゃ、でもすぐイヤになってやめちゃいそう」
「どうしたら、やめずに働けるのか?」
という思考があった。
なんか文めちゃくちゃだけど、
どうしてもその時期を思い出そうとすると、こんな感じでとぎれとぎれで。
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このあたりの時系列がどうもよく思い出せない。
なので、前記事で書いたけど、やはりよく思い出せない。
あ、そうだ、
大学行く数か月前辺りは、
ときどきは外に出ていたけど、しんどかったのを思い出した。
何をするのにも億劫。
友だちや彼氏などと約束をして、それに合わせて外出はするけど、
なんかうまく動けなくて、ドタキャンや遅刻したり。
人とかかわるのも億劫になってきた。
腹痛については、朝の腹痛の時間帯は家にいるので、腹痛にならなかった。
たまに用事で朝から出かけると、腹痛になったけど。。。
どう見ても、ロクに勉強していないのに、
だれも咎める人もいなくて。
家では、
基本はただただぼーーーーーっと、ファミコンのゲームを繰り返す。
あ、漫画とか小説みたいなのを少々書いていたなあ。
当時、インターネットというものがあったら、、、どうなっていたのか?
攻略法調べたくて本屋に出かけたり、図書館へ本読んだりとかはしてたが、
あ、ゲームや漫画を買いにも出かけてたし。
もしも、インターネットがあったら、本当に外に出なくなっていたかも。
母は、たまに外泊して帰ってこないことがあって、
そのときは、徹夜でゲームしてた。(私の部屋がないからね)
詳しく書けないが、いろいろと一人で黙々と何かに没頭する日々。
大学は最初は行ったけど、これまた億劫になって途中から行かなくなった。
そのときの私の頭の中は「社会に出て自立したい」「でもたまに人が怖く感じる、このままではいけない」
で、
大学へ行くことでそれが解決するかと思ったけど、
どうも、周囲のノリが肌に合わない。
女子が少ない学科だったから、チヤホヤはされたけど、、、それでも満たされない。
大学から次第に足が遠のく。
そして、友だちとも連絡がへり、、、
あ、1人だけ、定期的に高校の友人が心配して連絡くれました。
その内容というのが、彼女のグチも多いんだけど「もう、ぴいぴい聞いてよー」
って感じで。
彼女のグチの観点は私も理解できたので、それは同感しながら聞いていた。
当時は、彼女から心配されていたなんて気づかなかった。
(それは私が結婚した後で知る)
それだけかも、外との接点。
大学行かずにほぼ引きこもってゲームばっかりの私に、
一度も「大学行け」とは言われなかった。
大学のカネは離婚した父が払っていた。
父がこの状況を知ったら怒りまくるんだろうけど、
怒りまくりの度合いが半端じゃないから、母は父には言わない。
たまに「怒れる立場じゃないから」という言葉を母から聞いたなあ。
今、こうして書くと、自分勝手なことして子供放置して、
どうみても、子供がまずい状況になったときに「立場じゃない」か。。。
まあ、ここで母から怒られたとしても、猛烈に反抗しまくっただろうが。
自分を振り返ると、ある時期までは母がこちらに踏み込んで来たら、私は受け入れられた、
が、その時期を過ぎたら、もう、「母は何をしても無意味」になっていた。
なので、「その時期」を過ぎた後、亀裂ができた母子の場合、、
どうすればよいのかな。。。
なんて、私が母だったら、という視点で考える。
腹痛が続きだした中学1年のときに、軽くても声をかけてくれてればよかったかも、、
ああ、高校でも、保健の先生が検査を促したときに、もっとメンタル面にも目を向けて
母が深く追求してたら、それでもなんとかなったかも。
そうだよな、、検査したけど、内科的には異常がなくても毎日お腹下っているのに。
いつも暗い表情の私に
「まずは気持ちを明るくもたないと!」と母に言われても、それは無理だし。
しまいには
「私の友達が応援しているよ!」とも母に言われたが、
電話でちらっとしか話したことのない、あったことのない母の友人。
別に応援されてもなあ、、、。
ロクに大学行かず
ただただ時間が過ぎていく。
インターネットがあったら、そのまま本当に家からでなくなったかも。
億劫なくせに、たまに好奇心が湧いてきて、それを満たすために行動を取りたくなってきたのだ。
そのベースに
「このまま家にいて母と共倒れしたくない」
「何か仕事しなくちゃ、でもすぐイヤになってやめちゃいそう」
「どうしたら、やめずに働けるのか?」
という思考があった。
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