2018年11月19日
過剰適応
あさいちで、女性の発達障害を扱っていた。
なんどもこのブログで書いてあるが、
この手の傾向は、子供のころから私にとってあるあるだけど、
その視点での診断を正式には受けていないし、
自分の場合は、しんどくてもなんだかんだいっても、それなりに生活しているつもりなので、
たぶん、この先も診断はしないだろう。
ただ、成人知能検査 wais-V を受ける機会があり、
それによると、かなーりデコボコあったなあ。
その差がしんどいかもしれませんね、と指摘された。
さて、女性ならでは、良くも悪くも周囲との違いに気づきやすいため、
その差を埋めるためにいろいろと努力をしすぎて、
それが「過剰適応」となり、さらにしんどくなる。(ざっくり説明ですが)
ああ、そうそう、その視点で差を埋めようと、
「普通」を演じようと必死だよなあ、私。と。
素で思ったことを口にすると、どうも周囲が困惑する、非難してくる。
そんな経験を何度も繰り返すと、
自分自身が何をしでかすかわからない怖さになっていく。
一部の人は「そもそも普通って何なの?」「普通にこだわらなくていい」
「ありのままでいいじゃん」
とか言ってくるけど、
もうね、こちらの感じる「普通」って、うまく説明できないよ。
そう言ってくる人は、そう思って口にするんだろうけど、
こちらは、「そう思って口にする」こともできないし。。。
まあ、一時期は周囲にしんどさを話そう路線で頑張ったけど、
私のつたない言葉では、逆に「ああ、そういうこと言いたいのではないのだけれど、違う風に伝わった」
が多くて、かえってストレス。
少数でもすんなり通じる人はいたけれど、
それは似たような経験を持つか、似たような人が身内にいるか、
はたまた相手の感性自体のなせる業なのか。
今は、こうしてこの場で言語化して、整理することがささやかな精神安定剤。
せめて周囲から違和感もたれないようにしよう、というのが「普通になる」の一種だが、
自然体で行動すれば、逸した行動になるし、
周囲に目を配らせて行動すれば、それが度が過ぎて、かえってオドオド、
考えすぎて、パニクって、云々。
テレビでは、「完璧主義ゆえ、、」という解説もあったのだが、
私からすると、(あくまでも私ね)
「いやあ、、、完璧主義ではないよ、、、最低限のことをやろうと必死なだけだよ、、、」
なんだが、
もう、これは基準の差で、
実はこれが完璧主義で、そういう自覚すら持てていないんだろうなあ。
ただ自覚はなくても「完璧主義というものなのかも」という視点を持って、
少し手を抜く、というのは良いなと思った。
50歳近くなった今では、
脳の負荷状態を意識して行動する形で落ち着いている。
以前は、何が何でもなんとかしなくちゃ、ちゃんとしなくちゃ!で終始必死だったが、
今でもそういう考えになりがちだけど、
脳の疲労を感じたら、その適応しようとする思考をやめる。とりあえず休む。
ふりかえっても、必死に考えて行動したって、完璧に対応できたわけじゃないし、、、
自分が思うほど、周囲はそれに固執していないし、
スピーディでもなかったりで(私一人で必死で早く結果を出そうとして空回りとかね)
脳の疲労状態で行動して、さらに頭悩ます要因を増やすことが多いしね。
ブログ村参加中。ぽちっと押していただけると大変励みになります
なんどもこのブログで書いてあるが、
この手の傾向は、子供のころから私にとってあるあるだけど、
その視点での診断を正式には受けていないし、
自分の場合は、しんどくてもなんだかんだいっても、それなりに生活しているつもりなので、
たぶん、この先も診断はしないだろう。
ただ、成人知能検査 wais-V を受ける機会があり、
それによると、かなーりデコボコあったなあ。
その差がしんどいかもしれませんね、と指摘された。
さて、女性ならでは、良くも悪くも周囲との違いに気づきやすいため、
その差を埋めるためにいろいろと努力をしすぎて、
それが「過剰適応」となり、さらにしんどくなる。(ざっくり説明ですが)
ああ、そうそう、その視点で差を埋めようと、
「普通」を演じようと必死だよなあ、私。と。
素で思ったことを口にすると、どうも周囲が困惑する、非難してくる。
そんな経験を何度も繰り返すと、
自分自身が何をしでかすかわからない怖さになっていく。
一部の人は「そもそも普通って何なの?」「普通にこだわらなくていい」
「ありのままでいいじゃん」
とか言ってくるけど、
もうね、こちらの感じる「普通」って、うまく説明できないよ。
そう言ってくる人は、そう思って口にするんだろうけど、
こちらは、「そう思って口にする」こともできないし。。。
まあ、一時期は周囲にしんどさを話そう路線で頑張ったけど、
私のつたない言葉では、逆に「ああ、そういうこと言いたいのではないのだけれど、違う風に伝わった」
が多くて、かえってストレス。
少数でもすんなり通じる人はいたけれど、
それは似たような経験を持つか、似たような人が身内にいるか、
はたまた相手の感性自体のなせる業なのか。
今は、こうしてこの場で言語化して、整理することがささやかな精神安定剤。
せめて周囲から違和感もたれないようにしよう、というのが「普通になる」の一種だが、
自然体で行動すれば、逸した行動になるし、
周囲に目を配らせて行動すれば、それが度が過ぎて、かえってオドオド、
考えすぎて、パニクって、云々。
テレビでは、「完璧主義ゆえ、、」という解説もあったのだが、
私からすると、(あくまでも私ね)
「いやあ、、、完璧主義ではないよ、、、最低限のことをやろうと必死なだけだよ、、、」
なんだが、
もう、これは基準の差で、
実はこれが完璧主義で、そういう自覚すら持てていないんだろうなあ。
ただ自覚はなくても「完璧主義というものなのかも」という視点を持って、
少し手を抜く、というのは良いなと思った。
50歳近くなった今では、
脳の負荷状態を意識して行動する形で落ち着いている。
以前は、何が何でもなんとかしなくちゃ、ちゃんとしなくちゃ!で終始必死だったが、
今でもそういう考えになりがちだけど、
脳の疲労を感じたら、その適応しようとする思考をやめる。とりあえず休む。
ふりかえっても、必死に考えて行動したって、完璧に対応できたわけじゃないし、、、
自分が思うほど、周囲はそれに固執していないし、
スピーディでもなかったりで(私一人で必死で早く結果を出そうとして空回りとかね)
脳の疲労状態で行動して、さらに頭悩ます要因を増やすことが多いしね。
ブログ村参加中。ぽちっと押していただけると大変励みになります
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/8311875
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
この記事へのトラックバック
はじめまして。コメントありがとうございます^^
ねこさんもパニック症状を経験されているのですね。
私は正式に診察はしていないですが、
ここ数年になって、「ああ、これがパニック障害というものなのかな」とじわじわと感じだしたところです。
私の場合は、パニクりそうになる前にできるだけ早く察して、
おでこの辺りと、首の後ろ辺りに圧迫感を覚えるというか。。
そこで、脳を休める、という形でなんとかしのいでいます。