アフィリエイト広告を利用しています
<< 2021年03月 >>
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
最新記事
カテゴリーアーカイブ
検索

広告

posted by fanblog

2020年02月26日

“昭和維新” 二・二六事件

東京に降り積もる雪を血で染めたクーデター

今日2月26日は“昭和のクーデター”、二・二六事件が起きた日です。(昭和十一年 1936年)

この事件はドラマや映画で何度も取り上げられていますが、その中でも近年で代表的なのは平成元年(1989年)に公開された映画『226』です。

この映画のサブタイトルは「THE FOUR DAYS OF SNOW AND BLOOD」(雪と鮮血の四日間)と表現されています。

数日前から東京に降り続いた大雪の中、クーデターを起こした陸軍の青年将校たちが政府要人を次々と殺害、四日間にわたり首都東京を占拠したことがこのサブタイトルに凝縮されています。

陸軍の若き青年将校たちは、腐敗した現状の日本を一掃し、天皇中心の新しい理想国家の構築を目指して「明治維新」に倣い“昭和維新”を掲げて決起したのです。

日本中を震撼させ、それこそ明治維新以来の内戦が勃発しかねなかったこの大事件はなぜ起こったのでしょうか?

というわけで、今回はニ・ニ六事件について語りたいと思います。

陸軍内部抗争の激化

昭和の時代に入ると日本は中国大陸への侵攻が著しくなり、それにともない軍部の台頭が加速していきました。

そんな中、陸軍内部では荒木貞夫真崎甚三郎を中心とする皇道派と、永田鉄山東条英機を中心とする統制派が陸軍の主導権を巡って対立していました。

皇道派は国家社会主義者・北一輝に思想的影響を強く受け、直接行動によって天皇中心の軍事政権樹立を目指す過激な急進派でした。

これに対し、統制派はエリート幕僚将校らが政財界との結びつきを利用して合法的に政権獲得を目指す現実派であり、根本的な考え方の違いから対立していたのです。

昭和九年(1934年)に岡田啓介内閣が成立すると、陸軍では政府と癒着した統制派が優勢になります。

翌年、皇道派の真崎が教育総監を罷免されると、その報復として皇道派の相沢三郎中佐が統制派の永田を殺害する騒動が起きました。(相沢事件

統制派の中心人物であった永田が皇道派に殺害されたことにより、今度は統制派の幹部たちは皇道派の中核であった陸軍第一師団を満州に派遣することを決定、こうすることで皇道派の“実質的国外追放”を目論んだのです。

【DAZN】130以上のスポーツコンテンツが見放題!
“昭和維新” を掲げて決起する青年将校たち

追い詰められた皇道派は、この決定を阻止し、自分たちの理想とする国家を樹立するため、ついに直接行動で訴えることを決意します。

昭和十一年(1936年)2月26日早朝、東京で大雪が降り続く中、皇道派の青年将校たちは約1,500名の兵士を率い、“昭和維新” を掲げてクーデターを起こしました。

彼らは首相官邸・警視庁・陸軍省などを襲撃、警官隊の激しい抵抗に遭いながらも占拠に成功しました。

最大の標的であった岡田首相はぎりぎりのところで逃しましたが、高橋是清蔵相、斎藤実内相、渡辺錠太郎教育総監を殺害、鈴木貫太郎侍従長に瀕死の重傷を負わせました。

彼らに襲われた政府要人たちは「政府の中心にあり、天皇の意志に反し害をなす人物」として狙われたのです。

この日から四日間、霞が関や永田町などの日本の中枢はクーデター部隊によって制圧されました。

2.26事件.jpg
皇道派に占拠されクーデター側の本拠地となった山王ホテル(赤坂)

今なら無料でお試し!「ゲオ宅配レンタル」
叶わなかった理想国家の樹立

2月27日
東京に戒厳令(非常事態において軍隊に統治権を委ねる命令)が出されますが、青年将校たちはこれで天皇中心の理想国家ができると信じていました。

しかし、昭和天皇は政府要人が殺されてしまったことに激怒し、彼らの行動を国家に対する反逆とみなしたのです。

2月28日
彼らは「反乱軍」扱いとなり、クーデター軍の撤退を命じる勅命(天皇の命令)が下されました。

2月29日(この年はうるう年)
ラジオ放送やチラシでクーデター軍の解散を呼びかけ、さらに「勅命下る 軍旗に手向かふな」と書かれたアドバルーンも揚げられました。

午後になってようやく部隊は解散し、これで事件は終息しました。

もし、彼らが兵を引かなかったら、勅命による鎮圧軍との内戦になる可能性すらあったのです。


その後、同年7月に開かれた軍法会議において、クーデターを起こした青年将校の首謀者17名は死刑、事件の理論的黒幕とされた北一輝も死刑となりました。

この事件により陸軍皇道派は一掃され、以後陸軍は東条英機12月23日付ブログ参照)らの統制派が実権を握ることになりました。

【キャンペーン実施中】栄養士の献立をあなたの食卓に!食材宅配のヨシケイ
まとめ

  • 二・ニ六事件は陸軍内部の皇道派と統制派の対立が発端となった

  • 皇道派の青年将校たちはクーデターを起こし、高橋是清・斎藤実・渡辺錠太郎などの政府要人を殺害した

  • クーデターは「反乱軍」とみなされ、事件後に青年将校の首謀者は死刑になった


落語家として初の人間国宝に認定された柳家小さん師匠は、事情も説明されず訳も分からないままこのクーデターに参加させられ、クーデターの最中に落語までやらされたそうです。(笑)
この記事へのコメント
コメントを書く

お名前:

メールアドレス:


ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/9661180
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック
プロフィール
カナケンさんの画像
カナケン
元高校教師。 以前に「日本史講座」のタイトルでツイッターをやってました。 ここでは(現代にも繫がる日本史)をテーマにエピソードを多数紹介し、肩肘張らず(ほー、なるほど)と思える話を語っていきたいと思います。
プロフィール
ファン
最新コメント
鎌倉幕府 vs. 朝廷 承久の乱 by 工藤電気屋 (05/28)
×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。