2019年07月24日
カミナリ除けのおまじない
落雷の季節・・・
梅雨明け間近のこの時期になると多くなるのが雷雨。
天気予報では「発雷確率」を予想したり、ニュースなどでも突然の豪雨で川が氾濫したり、道路が冠水したりしている映像をよく見かけます。
近年は地球温暖化の影響で日本も亜熱帯化しつつあるようです。
そんなわけで、今回は日本のカミナリにまつわる人物について語りたいと思います。
菅原道真とは?
菅原道真をご存じの方は多いでしょう。
承和十二年(845)〜 延喜三年(903年)
”学問の神様”として全国の天満宮や天神社の祭神として有名ですね。
童謡「とおりゃんせ」の歌詞に
♪とおりゃんせ とおりゃんせ ここはどこの細道じゃ 天神様の細道じゃ (以下略)
とありますが、この天神様=菅原道真です。
しかし、道真は学問の神様として崇められる以前には雷神の化身として人々に恐れられる存在でした。
道真は学者の家系に生まれ、若い頃から頭脳明晰で官僚のエリートコースを歩み、着実に出世を重ね、学者の家柄としては異例とも言える右大臣にまで上り詰めた。
しかし、当時の朝廷は藤原氏が絶対的権力を握っていて、藤原氏による他氏排斥(ライバルを謀略で蹴落とす)が横行していた。
そして、藤原氏の次のターゲットにされてしまったのが道真だった。
時の左大臣・藤原時平は道真による謀反の罪をでっち上げ、道真は九州の大宰府に左遷されてしまい、失意のうちに左遷先の大宰府で死去してしまう。
家庭教師のがんば
”怨霊”と化す道真
道真の死後、都では落雷が多発し、多くの人が犠牲となり、その中には道真の左遷に関与した人物も何人か含まれていた。
さらに、道真左遷の首謀者である時平も39歳の若さで謎の病死を遂げてしまい、都の人々は(これは道真の怨霊による祟りに違いない)と恐れた。
そこで、道真の怨霊を鎮めるため、朝廷は京都の北野に北野神社(現在の北野天満宮)を祭り、道真を天神様と崇めたことでようやく都の災厄は治まったという。
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カミナリ除けのおまじないとは?
この当時、都の人々の間でまことしやかに囁かれたのは、(雷雲が近づいたらくわばら くわばらと唱えれば雷は落ちない)という噂でした。
これは、都における道真の旧領・桑原(現・中京区桑原町)に由来すると思われます。
つまり、(ここはあなた様(道真)の土地です。だから決して雷を落とさないで下さい)という意味が込められています。
また、もう一つ 雷神は桑の木が嫌いだから、桑の木には雷は落ちない という説もあります。
このことから、雷雨の中では桑の枝を頭に掲げて雷除けにするという習慣もありました。
まとめ
- 学問の神様・菅原道真は雷神の化身として恐れられていた
- 藤原氏の謀略により大宰府に左遷された道真は死後怨霊と化し、都に雷を落とした
- 都の人々は道真の旧領名「くわばら」を唱えることで落雷を避けようとした
今度、雷雨に遭遇した時は「くわばら くわばら」と唱えてみては?
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