2019年12月22日
映画はどう観ればいいのかというレポート
映画はどう観ればいいのか。
単純に観てただただ楽しむだけで十分ではあるが、
深く映画を楽しむ方法の1つが「その映画を理解する」事だ。
まず映画よりも先に動画と静止画について考える。
動画と静止画の一番の違いは「時間」という概念があるかないか。
映画だったら例えば2時間という尺があって、
それは誰が観ても2時間という「時間を消費する」作品である。
テレビ番組を録画して倍速で観るという人もいるが、
本来製作者が観て欲しい見方ではないので、
今回はそういう人は例外とする。
対して写真集を見終わるのにどれぐらい時間がかかるかは、
見る人の興味だったり感性によって変わってくる。
静止画の作品そのものには時間という概念がないからだ。
では時間という概念が作品に含まれるとどうなるのか。
様々な要素が考えられるが、
一番分かりやすいのは「流れ」が発生する事だ。
時間の流れとは「過去」「現在」「未来」の事だが、
映像のデータで言うなら今再生しているフレームを「現在」、
1フレーム以上前のものを「過去」、1フレーム以上後のものを「未来」と言える。
常に未来だったものがいずれ現在として再生され、再生された現在はやがて過去になる。
この「流れ」を理解することこそ動画を理解する上で大事な事だ。
「流れ」が一定で退屈なものは面白い動画にはならない。
ここでいう「面白い」は笑えるとかそういう意味ではない。
どちらかというと「楽しい」に近い意味だ。
退屈というのは言い換えれば「変化がない」ことだ。
ただただ何も起きない防犯カメラみたいな映像をみせられても、
面白いはずはない。
逆説的に「変化がある」ものは退屈ではなくなる。
映画には画や物語、音楽や演技など様々な要素があるが、
例えば画としてはサイズを変えたり、カメラワークを変えたり、
構図を変えたりと「映すものに変化」を付ける。
物語としては平和だった街に危険が迫ったり、
大好きだった恋人にフラれたりと、
状況を変化させる事で物語は退屈ではなくなる。
映画は様々な要素に変化を付けることで退屈させない様にしているのだ。
ただここで注意しなくてはいけないのが、
変化をつける時は「波を起こす」ことを意識するべき事だ。
平和な街に危険が迫る場合、常に危険がエスカレートするよりも、
一時的に平和になったと思ってから、
より強大な危険が迫るという様な「振れ幅」を意識して、
変化に波を起こす事が退屈な映像から脱却する効果的な方法になる。
また最初の時点と最後の時点での違いが物語において大事になる。
映画の最初では頼りない無職だった男が、
映画が終わった時には世界を救った英雄になったりする。
この変化は時に「人間の成長」として扱われる。
多くの人は「成長物語」は好む傾向があり、
多数の作品で成長物語を描いている。
大きな事が起こらない日常を描いた邦画に多いのは、
ほとんど事件などが起きない…つまり振れ幅が少ない時間の中で、
わずかな出来事や人間関係などが積み重ねて、
最終的にやっと一歩前に進む様な成長物語がある。
この「わずかな成長」という変化を味わうというは、
派手でダイナミックな印象のハリウッド映画よりも、
しみじみとした雰囲気の邦画の方が向いている。
ただ、どちらにしてもやはり「変化は必要」であり、
言い換えれば、大味で変化を楽しむ傾向の強いハリウッド映画と、
繊細な味わいを楽しむ邦画という傾向の違いで、
「変化」や「波を起こす」という事は物語においては大事なのだ。
映画を観る時はこの「変化(波)」に注目すれば良い。
特に映画が始まった時と終わった時に「何が変わったのか」を確認すると、
その映画が見えてくる。
主人公がどうなった、どう成長したのか。
環境がどうかわったのか…などなど。
製作者が大事にしている事がその映画で伝えたいテーマである事は多い。
それを考え理解する行為が映画を深く楽しむ1つの方法だ。
…みたいな事を書いた学生時代のレポートのデータが出てきた。
具体的な映画名とか図を使った説明部分は省略したが、
全体的に動画なのか映画なのかゴチャゴチャしてるし、
途中散漫になっててまとめきれてないけど、
案外今見てもあながち間違ってはないと思った。
単純に観てただただ楽しむだけで十分ではあるが、
深く映画を楽しむ方法の1つが「その映画を理解する」事だ。
まず映画よりも先に動画と静止画について考える。
動画と静止画の一番の違いは「時間」という概念があるかないか。
映画だったら例えば2時間という尺があって、
それは誰が観ても2時間という「時間を消費する」作品である。
テレビ番組を録画して倍速で観るという人もいるが、
本来製作者が観て欲しい見方ではないので、
今回はそういう人は例外とする。
対して写真集を見終わるのにどれぐらい時間がかかるかは、
見る人の興味だったり感性によって変わってくる。
静止画の作品そのものには時間という概念がないからだ。
では時間という概念が作品に含まれるとどうなるのか。
様々な要素が考えられるが、
一番分かりやすいのは「流れ」が発生する事だ。
時間の流れとは「過去」「現在」「未来」の事だが、
映像のデータで言うなら今再生しているフレームを「現在」、
1フレーム以上前のものを「過去」、1フレーム以上後のものを「未来」と言える。
常に未来だったものがいずれ現在として再生され、再生された現在はやがて過去になる。
この「流れ」を理解することこそ動画を理解する上で大事な事だ。
「流れ」が一定で退屈なものは面白い動画にはならない。
ここでいう「面白い」は笑えるとかそういう意味ではない。
どちらかというと「楽しい」に近い意味だ。
退屈というのは言い換えれば「変化がない」ことだ。
ただただ何も起きない防犯カメラみたいな映像をみせられても、
面白いはずはない。
逆説的に「変化がある」ものは退屈ではなくなる。
映画には画や物語、音楽や演技など様々な要素があるが、
例えば画としてはサイズを変えたり、カメラワークを変えたり、
構図を変えたりと「映すものに変化」を付ける。
物語としては平和だった街に危険が迫ったり、
大好きだった恋人にフラれたりと、
状況を変化させる事で物語は退屈ではなくなる。
映画は様々な要素に変化を付けることで退屈させない様にしているのだ。
ただここで注意しなくてはいけないのが、
変化をつける時は「波を起こす」ことを意識するべき事だ。
平和な街に危険が迫る場合、常に危険がエスカレートするよりも、
一時的に平和になったと思ってから、
より強大な危険が迫るという様な「振れ幅」を意識して、
変化に波を起こす事が退屈な映像から脱却する効果的な方法になる。
また最初の時点と最後の時点での違いが物語において大事になる。
映画の最初では頼りない無職だった男が、
映画が終わった時には世界を救った英雄になったりする。
この変化は時に「人間の成長」として扱われる。
多くの人は「成長物語」は好む傾向があり、
多数の作品で成長物語を描いている。
大きな事が起こらない日常を描いた邦画に多いのは、
ほとんど事件などが起きない…つまり振れ幅が少ない時間の中で、
わずかな出来事や人間関係などが積み重ねて、
最終的にやっと一歩前に進む様な成長物語がある。
この「わずかな成長」という変化を味わうというは、
派手でダイナミックな印象のハリウッド映画よりも、
しみじみとした雰囲気の邦画の方が向いている。
ただ、どちらにしてもやはり「変化は必要」であり、
言い換えれば、大味で変化を楽しむ傾向の強いハリウッド映画と、
繊細な味わいを楽しむ邦画という傾向の違いで、
「変化」や「波を起こす」という事は物語においては大事なのだ。
映画を観る時はこの「変化(波)」に注目すれば良い。
特に映画が始まった時と終わった時に「何が変わったのか」を確認すると、
その映画が見えてくる。
主人公がどうなった、どう成長したのか。
環境がどうかわったのか…などなど。
製作者が大事にしている事がその映画で伝えたいテーマである事は多い。
それを考え理解する行為が映画を深く楽しむ1つの方法だ。
…みたいな事を書いた学生時代のレポートのデータが出てきた。
具体的な映画名とか図を使った説明部分は省略したが、
全体的に動画なのか映画なのかゴチャゴチャしてるし、
途中散漫になっててまとめきれてないけど、
案外今見てもあながち間違ってはないと思った。
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