2016年03月02日
発達障害のパートナーや子どもとどう向き合って暮らしていくのか?
▽いくら話し合っても平行線どころか離れていくばかり。
何回言っても、同じミスをする。何回言っても、同じ忘れ物をする。
親からすると、どうして?なんで?できないの?私が悪いの?あなたが馬鹿なの?
と自分や子どもを追い詰めるぐらい精神的に参ってくる人も大勢います。
もちろん、パートナーが発達障害である場合もも然りです。
親からすると、子どもにしっかりしつけをしていかないとという保護者として、
社会や親族からのプレッシャーがあったりするのが日本の良い面でもあり
悪い面でもあります。
どんなに真剣に話し合っても、伝えても、時間をかけても、むしろ対立することの
方が多くなり、涙で枕を濡らす親やパートナーもいることでしょう。
ここで、親の価値感として話せばきっとわかるという固定観念が一番問題だったりします。
話せば分かる!と思っているのは、あくまでその親の価値感ですから、受け手が分かるかどうか
というのは、全く別な話なんです。たいていは年齢と共に成長して解決していく面も増えていきますが、
あまりお互いがぶつかりすぎて、お互いの自尊心と、自己肯定感を下げ合う関係は、いくら真面目でも
決して良いとは言えないことになります。
▽自分の価値感が正当で正義だという執着から離れてみる。
どうしても、親は今まで自分が歩んできた経験則や知識や固定観念で
善悪の価値感を判断していくことになります。しかし、その価値感を子どもへ
そっくりそのまま押しつけることは、これは相手の人間性を否定している
と言うことでもあるのです。
自分の子どもだからそれはいい?もしそう思っているならば、それは子どもとして
見ているのではなく、自分の物としてみていることになります。
自分の物なのだから、自分の思い通りに動いてくれないと困るというわけです。
しかしながら、子どもを物としてみていると言うことは、一人の人間として見ている
ということではなくなります。
▽人間の無意識領域は、徹底した意識をしないと自然にでてしまう癖。
もちろん、「子どもを人間として見てるの?」と問われれば、「当たり前でしょ!」と
回答するでしょうが、これは無意識領域の話になるので、表面的には大切だと思って
の行動になりますが、実際は、脳の奥底では、自分の物として扱ってしまっている自分が居るのです。
そして、我が子が発達障害という場合も十分あります。発達障害を抱える子どもは、
生まれつき脳の一部に何かしらの障害があるわけですが、そのためコミュニケーションが
上手く取れず、深刻な二次障害へとつながっていく懸念を内包しているわけです。
まさか自分の子どもが!なんていう風に思いますが、今の時代珍しいことではありません。
親子といえども、都度考えていることが手に取るように分かるわけではありません。
さまざまな可能性を考えて、自分の子がコミュニケーションしやすい環境を整えてあげる
ということが一番の親の役目なのではないでしょうか。
そして、なによりも善悪はべつにして、とりあえず子どもの発言を、即座に一刀両断するのではなく、
「そうなんだ。」「そう思うんだね」とまず受け止める返し言葉を私たちは学ぶ必要があるのかもしれません。
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何回言っても、同じミスをする。何回言っても、同じ忘れ物をする。
親からすると、どうして?なんで?できないの?私が悪いの?あなたが馬鹿なの?
と自分や子どもを追い詰めるぐらい精神的に参ってくる人も大勢います。
もちろん、パートナーが発達障害である場合もも然りです。
親からすると、子どもにしっかりしつけをしていかないとという保護者として、
社会や親族からのプレッシャーがあったりするのが日本の良い面でもあり
悪い面でもあります。
どんなに真剣に話し合っても、伝えても、時間をかけても、むしろ対立することの
方が多くなり、涙で枕を濡らす親やパートナーもいることでしょう。
ここで、親の価値感として話せばきっとわかるという固定観念が一番問題だったりします。
話せば分かる!と思っているのは、あくまでその親の価値感ですから、受け手が分かるかどうか
というのは、全く別な話なんです。たいていは年齢と共に成長して解決していく面も増えていきますが、
あまりお互いがぶつかりすぎて、お互いの自尊心と、自己肯定感を下げ合う関係は、いくら真面目でも
決して良いとは言えないことになります。
▽自分の価値感が正当で正義だという執着から離れてみる。
どうしても、親は今まで自分が歩んできた経験則や知識や固定観念で
善悪の価値感を判断していくことになります。しかし、その価値感を子どもへ
そっくりそのまま押しつけることは、これは相手の人間性を否定している
と言うことでもあるのです。
自分の子どもだからそれはいい?もしそう思っているならば、それは子どもとして
見ているのではなく、自分の物としてみていることになります。
自分の物なのだから、自分の思い通りに動いてくれないと困るというわけです。
しかしながら、子どもを物としてみていると言うことは、一人の人間として見ている
ということではなくなります。
▽人間の無意識領域は、徹底した意識をしないと自然にでてしまう癖。
もちろん、「子どもを人間として見てるの?」と問われれば、「当たり前でしょ!」と
回答するでしょうが、これは無意識領域の話になるので、表面的には大切だと思って
の行動になりますが、実際は、脳の奥底では、自分の物として扱ってしまっている自分が居るのです。
そして、我が子が発達障害という場合も十分あります。発達障害を抱える子どもは、
生まれつき脳の一部に何かしらの障害があるわけですが、そのためコミュニケーションが
上手く取れず、深刻な二次障害へとつながっていく懸念を内包しているわけです。
まさか自分の子どもが!なんていう風に思いますが、今の時代珍しいことではありません。
親子といえども、都度考えていることが手に取るように分かるわけではありません。
さまざまな可能性を考えて、自分の子がコミュニケーションしやすい環境を整えてあげる
ということが一番の親の役目なのではないでしょうか。
そして、なによりも善悪はべつにして、とりあえず子どもの発言を、即座に一刀両断するのではなく、
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