2016年01月30日
子どものために何でも手を出す親は過干渉!やさしい虐待、きれいな虐待をしってますか?
赤ちゃんから、子どもの成長を眺めていると、本当にかわいいですね。
目に入れても痛くないとは本当に良く言ったものです。
私たち主婦は、いつまでも我が子を赤ちゃんの時のような感覚で親の思った
通りに動かそうとしますが、子どもも日々成長していると言うことをよく学ばないといけません。
▼私がいないとこの子はなんにもできない!は自立を妨げる!
この子のことなら、私は何でも知っている!この子以上によく分かっている!
親であればそのぐらいの自負はあるかもしれません。しかし、自分と我が子は別の
人間です。こちらの考えが必ずしもイコールにならないことも成長と共にたくさん出てきます。
ある年齢までは、自分で自分のことをすると言うことがなかなか出来ません。それゆえ、
私たちが世話をすることになります。同じ兄弟でも姉妹でも覚えるスピードは個人差があります。
しかしながら、忙しい主婦、心も身体も休まらない主婦の場合どうしても、我が子のかったるい行動が
まどろっこしくなってしまい、自分でやった方が早いという事が多くなりますね。
赤ちゃんは自分でおむつを替えられないから、これは替えてあげないといけません。
これは自分でやりなさいなんてしたら、それこそ虐待ですから。でも小学校、中学校など
大きくなってくると色んな事が出来るようになってきます。むしろ子どもの方が上手に出来ること
だってあるはずです。
▼しつけと、自分の思ったとおりに動いてもらうとは別のこと。
自分で出来る事を母親である私たちが全てやってあげてしまうと言うことは、
これは、いけないことではありません。しかし、親に依存しているという状態を日常的に
作ってしまっているとお考えいただくとよく分かるのではないでしょうか。依存することがあっても
いいし、自分でやることがあっても良いわけですが、子どもというものは、まだまだ幅広い視野で
家庭内をみることは出来ません。もちろん社会的に何てことも考えられないでしょう。
しかし、依存に偏った関係は、本人達の自立の妨げになっていることも良く理解してあげないといけません。
脱ぎっぱなしのものを毎回ママが洗濯機へ入れる。ご飯の時は、座っていればママが運んできてくれる。
子どもの成長の中では、障害等が無ければ、しっかりしたしつけで、自分で出来るようになります。
「まったくいつもなげっぱなしで!」と手を出して自分が片付けてしまう。こういうことはよくあります。
たまにはこういうことも良いのかもしれませんが、子どもって現金といいますか、前やってくれたら、
次もママがやってくれるだろう!自分がやるべき事ではないという感覚を頭にインプットしてしまう
事が多いのです。
▼放任主義と、無関心というのは全く別の話で混同しない。
だからといって、子どもを放っておいた方が良いと言うことではありません。
干渉もまったくしないということは難しいでしょうが、過干渉は子どもの将来にとって、
良いことが期待できません。どちらかというと過干渉というのは、親の自己満足なのです。
こうあるべきという理想を自分で行動してあげてしまっている幻影です。
そこから子どもは何も学びません。ママがやってくれた!次もやってくれるだろう!という依存だけ。
放任主義という言葉があります。これも善し悪しはあると思います。あくまでも親の力量によって
放任主義の内容が変わってしまうからです。言葉の主旨を理解できず、本当に放っておくだけ
と勘違いする人や、無関心になれば良いというネグレクト的な発想の人もいます。
子どもは、親からの関心を常に求めています。矛盾を感じるかもしれませんが、
関心を持つのと、干渉するというのは表裏一体名部分があるかもしれません。
しかし、関心を持つというのは、一言で言えば「じっくりと見守る」ということです。
簡単なようで一番難しいことかもしれませんね。口や手が出てしまいがちな子育てですが、
親の色に染まらないような自分で自分のことを考え一緒に親と気軽に相談できる関係が
人間としての成長を促すのではないかと思います。
始めよう。瞑想:15分でできるココロとアタマのストレッチ (光文社知恵の森文庫)
目に入れても痛くないとは本当に良く言ったものです。
私たち主婦は、いつまでも我が子を赤ちゃんの時のような感覚で親の思った
通りに動かそうとしますが、子どもも日々成長していると言うことをよく学ばないといけません。
▼私がいないとこの子はなんにもできない!は自立を妨げる!
この子のことなら、私は何でも知っている!この子以上によく分かっている!
親であればそのぐらいの自負はあるかもしれません。しかし、自分と我が子は別の
人間です。こちらの考えが必ずしもイコールにならないことも成長と共にたくさん出てきます。
ある年齢までは、自分で自分のことをすると言うことがなかなか出来ません。それゆえ、
私たちが世話をすることになります。同じ兄弟でも姉妹でも覚えるスピードは個人差があります。
しかしながら、忙しい主婦、心も身体も休まらない主婦の場合どうしても、我が子のかったるい行動が
まどろっこしくなってしまい、自分でやった方が早いという事が多くなりますね。
赤ちゃんは自分でおむつを替えられないから、これは替えてあげないといけません。
これは自分でやりなさいなんてしたら、それこそ虐待ですから。でも小学校、中学校など
大きくなってくると色んな事が出来るようになってきます。むしろ子どもの方が上手に出来ること
だってあるはずです。
▼しつけと、自分の思ったとおりに動いてもらうとは別のこと。
自分で出来る事を母親である私たちが全てやってあげてしまうと言うことは、
これは、いけないことではありません。しかし、親に依存しているという状態を日常的に
作ってしまっているとお考えいただくとよく分かるのではないでしょうか。依存することがあっても
いいし、自分でやることがあっても良いわけですが、子どもというものは、まだまだ幅広い視野で
家庭内をみることは出来ません。もちろん社会的に何てことも考えられないでしょう。
しかし、依存に偏った関係は、本人達の自立の妨げになっていることも良く理解してあげないといけません。
脱ぎっぱなしのものを毎回ママが洗濯機へ入れる。ご飯の時は、座っていればママが運んできてくれる。
子どもの成長の中では、障害等が無ければ、しっかりしたしつけで、自分で出来るようになります。
「まったくいつもなげっぱなしで!」と手を出して自分が片付けてしまう。こういうことはよくあります。
たまにはこういうことも良いのかもしれませんが、子どもって現金といいますか、前やってくれたら、
次もママがやってくれるだろう!自分がやるべき事ではないという感覚を頭にインプットしてしまう
事が多いのです。
▼放任主義と、無関心というのは全く別の話で混同しない。
だからといって、子どもを放っておいた方が良いと言うことではありません。
干渉もまったくしないということは難しいでしょうが、過干渉は子どもの将来にとって、
良いことが期待できません。どちらかというと過干渉というのは、親の自己満足なのです。
こうあるべきという理想を自分で行動してあげてしまっている幻影です。
そこから子どもは何も学びません。ママがやってくれた!次もやってくれるだろう!という依存だけ。
放任主義という言葉があります。これも善し悪しはあると思います。あくまでも親の力量によって
放任主義の内容が変わってしまうからです。言葉の主旨を理解できず、本当に放っておくだけ
と勘違いする人や、無関心になれば良いというネグレクト的な発想の人もいます。
子どもは、親からの関心を常に求めています。矛盾を感じるかもしれませんが、
関心を持つのと、干渉するというのは表裏一体名部分があるかもしれません。
しかし、関心を持つというのは、一言で言えば「じっくりと見守る」ということです。
簡単なようで一番難しいことかもしれませんね。口や手が出てしまいがちな子育てですが、
親の色に染まらないような自分で自分のことを考え一緒に親と気軽に相談できる関係が
人間としての成長を促すのではないかと思います。
始めよう。瞑想:15分でできるココロとアタマのストレッチ (光文社知恵の森文庫)
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