2016年01月07日
アスペな息子も1年生3学期の始業式を迎えます。
生まれてくるときは、五体満足であれば他に何も要らない…
なんて願掛けをして出産の立会に臨んだのはいつの日か。
自分の子どもがまさか発達障害という部類に入るとは、その時は
まったくもって想定にはありませんでした。
人間って欲の生き物だと言われますがその通りですね。
五体満足で生まれた我が子に対して、今現在では、このぐらいの
年齢だから、これぐらいはできて欲しい。とか、発達障害でなかったら、
どんなに育てやすかったことだろう…なんて思っても仕方がないことが
脳裏を占有しているときもあります。
症状が重い自閉症や発達障害の場合は、子どもが小学校へ上がる前に
どうするべきか悩む親御さんも多いと思います。特別支援学校?特別支援学級?
普通学級どの環境で我が子を育んでいけば良いのだろうかと。
普通学級に入って、周りの人に迷惑をかけてしまったら嫌だなぁとか、
自分の子どもの不始末に対して、親である自分のしつけがなっていないと咎められる
ことも非常に受け入れがたいとも思っていました。
しかし、これらの感情って、どちらかというと子どもがどうだということではなく、
私自身が周りから見られる目線や評価という点を一番に考えてしまっているんですよね。
「しつけができていない親」「周りに迷惑をかける子どもに育てた親」というところばかり
気にしていて、肝心の発達障害という自閉圏にいる我が子のまだ純粋な心の動きなど
みじんも感じていないのは、本当自分は自己中な考えだと思いました。
早い段階で、発達障害の可能性をキャッチできていたので、小学校に入る前から
少なからず療育もでき、1年生として入学して1学期、2学期と何のトラブルもなく
終えることができたことに、親としては胸をなで下ろすという気持ちの方が大きかったです。
本人は悪気はないにもかかわらず、知らずに周りへ嫌なことをしているかもしれない。
何かひとつぐらいトラブルは起こすであろうという気構えはあったので、安心というより、
ホッとしたという方が適切な表現でしょう。
私たち親というか大人目線の悪い癖は、2学期まで大丈夫であったから、3学期も大丈夫であろう。
ということを脳で勝手に処理して認識してしまうことです。前にできたのだから、次もできるだろう。
という発想は、意外と発達障害の人には適さない考え方なのです。
中学年、高学年となるにつれて、友達や先生とのコミュニケーションも複雑になってくるでしょう。
低学年のうちは、どんぐりの背比べですむことも多いですが、一番忘れてはいけないのは、
良いことをしようが、悪いことをしてしまおうが、我が子は我が子であるという認識を親である
自分がしっかり持っていたいということです。
アスペ嫁にせよ、アスペ息子にせよ、なかなか一筋縄には行かない相手ではありますが、
感情的に怒鳴らないで、伝える術を生きている限り模索していこうと思います。
【はじめての方限定!一冊無料クーポンもれなくプレゼント】ぼくはアスペルガーなお医者さん ...
なんて願掛けをして出産の立会に臨んだのはいつの日か。
自分の子どもがまさか発達障害という部類に入るとは、その時は
まったくもって想定にはありませんでした。
人間って欲の生き物だと言われますがその通りですね。
五体満足で生まれた我が子に対して、今現在では、このぐらいの
年齢だから、これぐらいはできて欲しい。とか、発達障害でなかったら、
どんなに育てやすかったことだろう…なんて思っても仕方がないことが
脳裏を占有しているときもあります。
症状が重い自閉症や発達障害の場合は、子どもが小学校へ上がる前に
どうするべきか悩む親御さんも多いと思います。特別支援学校?特別支援学級?
普通学級どの環境で我が子を育んでいけば良いのだろうかと。
普通学級に入って、周りの人に迷惑をかけてしまったら嫌だなぁとか、
自分の子どもの不始末に対して、親である自分のしつけがなっていないと咎められる
ことも非常に受け入れがたいとも思っていました。
しかし、これらの感情って、どちらかというと子どもがどうだということではなく、
私自身が周りから見られる目線や評価という点を一番に考えてしまっているんですよね。
「しつけができていない親」「周りに迷惑をかける子どもに育てた親」というところばかり
気にしていて、肝心の発達障害という自閉圏にいる我が子のまだ純粋な心の動きなど
みじんも感じていないのは、本当自分は自己中な考えだと思いました。
早い段階で、発達障害の可能性をキャッチできていたので、小学校に入る前から
少なからず療育もでき、1年生として入学して1学期、2学期と何のトラブルもなく
終えることができたことに、親としては胸をなで下ろすという気持ちの方が大きかったです。
本人は悪気はないにもかかわらず、知らずに周りへ嫌なことをしているかもしれない。
何かひとつぐらいトラブルは起こすであろうという気構えはあったので、安心というより、
ホッとしたという方が適切な表現でしょう。
私たち親というか大人目線の悪い癖は、2学期まで大丈夫であったから、3学期も大丈夫であろう。
ということを脳で勝手に処理して認識してしまうことです。前にできたのだから、次もできるだろう。
という発想は、意外と発達障害の人には適さない考え方なのです。
中学年、高学年となるにつれて、友達や先生とのコミュニケーションも複雑になってくるでしょう。
低学年のうちは、どんぐりの背比べですむことも多いですが、一番忘れてはいけないのは、
良いことをしようが、悪いことをしてしまおうが、我が子は我が子であるという認識を親である
自分がしっかり持っていたいということです。
アスペ嫁にせよ、アスペ息子にせよ、なかなか一筋縄には行かない相手ではありますが、
感情的に怒鳴らないで、伝える術を生きている限り模索していこうと思います。
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