2015年12月03日
見返りを期待しない生活が幸せの源?!尊重とは無償の愛情。
■アスペ嫁に尊重は無効?
そもそも、尊重という概念が幅広く、こちらの尊重という概念と重ねるのが難しい。
アスペ嫁自体も尊重という単語は知っていますが、この言葉を聞いてどういうことを
思い浮かべているかまでは、こちらが掌握する事は出来ません。
簡単に言えば、尊重の意味を漠然と
・相手を大切にする気持ち。
と、アスペ嫁が思っていた場合、自分は大切にしていると思っているから、
自分は尊重しているといいます。その言葉を信じて、私はアスペ嫁に期待を
てしまうわけですが、結局こちらの望むような行動や発言がみられることはありません。
「嘘をつかれた!」と私はしょっちゅう頭に血が上っていたわけですが、
そもそも、アスペ嫁は「尊重」というワードから連想される引き出しがほぼないのです。
ですから、思っているのだから良いじゃんという発想になります。
思っているということは事実なのですが、行動や発言でみられないので、
私は不安になったり憤りを感じたり、アスペ嫁を責め立てることになります。
結局、アスペ嫁だけでなく私自身も尊重という言葉をはき違えて捉えていますので、
お互い自分の思っている尊重を押しつけ合うという、もう尊重でも何でもない世界に
いることになり、衝突が避けられない状態に…
どちらかというと、互いにというか、これに関してはこちらが一方的に詰めよるというのが、
わが家のスタイルでした。私だけが延々と自分の理想像を相手に押しつける生活です。
■見返りを期待することが自分を苦しめることに気がつく。
「こっちが尊重してあげているのだから、あなたも尊重しなさいよ!」
みたいな感覚です。もうね。完全に条件付きの愛情のスキルを使ってます。
〇〇してあげたのだから、〇〇をよこせ!というギブアンドテイク。
たぶん、尊重するっていうのは、本来、相手に何かをしてあげるということ
ではないのでしょうね。そして、見返りを期待するものでも当然ありません。
私の中でかなり多かったのですが、何かしたら、相手に貸しがあるという発想。
すべての善意というわけではないですが、ほとんどの善意のうらにある潜在的な
感覚には、この人には貸しができた!という発想でインプットされていました。
貸しがある人に対しては、自分の方がなんか優位に立てる感覚なのかもしれません。
これはもう自動思考の世界なので、悪意があって思っているとかではないんですね。
ですから、自分が計算高くて嫌なやつとも思わなくて良いのです。親の教育から
すり込まれた条件付きの愛情の価値感です。
これは、夫婦間でもいっしょ。アスペ嫁に今まで数え切れない貸しがあるから、
さっさとその分返してもらえますか?という感覚が強かったときがあります。
貸し倒れしてしまっては、私が損失を被るだけですから、なんとかイーブンにもっていこう、
いや、利子分も加えて耳を揃えて返すまで許さない!みたいな感覚だったように思います。
この返してもらうという行為に、もの凄く執着していくわけですが、利子は増える一方で、
今の日本の借金と同じで、もう完済するなんてことはできないんですね。
損をして、さみしい思いをして、惨めで本当に辛かったときがありますが、
継続してやっていくには、どこかで「徳政令」を出すしかないんです。
このことに執着をしていると、幸せな家庭にはまずなりません。
家庭内で借金ならぬ、気持ちの取り立てをしているわけですからね。
だから、最近は、自分が良いと思うことをしても、見返りを期待しない
ようにしているんです。思ったようにはなかなかいきませんが…
子どもの教育でも、物や報酬で釣ったりする教育は良くないということは
だれもが知っていることでしょうが、まさにそれもいっしょですね。
パブロフの犬のように、自分の行動の原動力が見返りなしには発動しなく
なってしまうからです。
そう考えると、私よりもよっぽどアスペ嫁の方が見返りを求めていないのです。
私の中では、
・見返りを期待しすぎる=条件付きの愛情
・見返りを期待しない=無償の愛情
という感覚で頭の中でつながってきたような気がします。
おそらく、親にも嫁にも、子どもにも世の中にも見返りを期待しない
で過ごすことができた日は、きっと小さな幸せが心に転がってきているの
だろうと思うのでした。
(文庫)33歳からの運のつくり方 (サンマーク文庫)
そもそも、尊重という概念が幅広く、こちらの尊重という概念と重ねるのが難しい。
アスペ嫁自体も尊重という単語は知っていますが、この言葉を聞いてどういうことを
思い浮かべているかまでは、こちらが掌握する事は出来ません。
簡単に言えば、尊重の意味を漠然と
・相手を大切にする気持ち。
と、アスペ嫁が思っていた場合、自分は大切にしていると思っているから、
自分は尊重しているといいます。その言葉を信じて、私はアスペ嫁に期待を
てしまうわけですが、結局こちらの望むような行動や発言がみられることはありません。
「嘘をつかれた!」と私はしょっちゅう頭に血が上っていたわけですが、
そもそも、アスペ嫁は「尊重」というワードから連想される引き出しがほぼないのです。
ですから、思っているのだから良いじゃんという発想になります。
思っているということは事実なのですが、行動や発言でみられないので、
私は不安になったり憤りを感じたり、アスペ嫁を責め立てることになります。
結局、アスペ嫁だけでなく私自身も尊重という言葉をはき違えて捉えていますので、
お互い自分の思っている尊重を押しつけ合うという、もう尊重でも何でもない世界に
いることになり、衝突が避けられない状態に…
どちらかというと、互いにというか、これに関してはこちらが一方的に詰めよるというのが、
わが家のスタイルでした。私だけが延々と自分の理想像を相手に押しつける生活です。
■見返りを期待することが自分を苦しめることに気がつく。
「こっちが尊重してあげているのだから、あなたも尊重しなさいよ!」
みたいな感覚です。もうね。完全に条件付きの愛情のスキルを使ってます。
〇〇してあげたのだから、〇〇をよこせ!というギブアンドテイク。
たぶん、尊重するっていうのは、本来、相手に何かをしてあげるということ
ではないのでしょうね。そして、見返りを期待するものでも当然ありません。
私の中でかなり多かったのですが、何かしたら、相手に貸しがあるという発想。
すべての善意というわけではないですが、ほとんどの善意のうらにある潜在的な
感覚には、この人には貸しができた!という発想でインプットされていました。
貸しがある人に対しては、自分の方がなんか優位に立てる感覚なのかもしれません。
これはもう自動思考の世界なので、悪意があって思っているとかではないんですね。
ですから、自分が計算高くて嫌なやつとも思わなくて良いのです。親の教育から
すり込まれた条件付きの愛情の価値感です。
これは、夫婦間でもいっしょ。アスペ嫁に今まで数え切れない貸しがあるから、
さっさとその分返してもらえますか?という感覚が強かったときがあります。
貸し倒れしてしまっては、私が損失を被るだけですから、なんとかイーブンにもっていこう、
いや、利子分も加えて耳を揃えて返すまで許さない!みたいな感覚だったように思います。
この返してもらうという行為に、もの凄く執着していくわけですが、利子は増える一方で、
今の日本の借金と同じで、もう完済するなんてことはできないんですね。
損をして、さみしい思いをして、惨めで本当に辛かったときがありますが、
継続してやっていくには、どこかで「徳政令」を出すしかないんです。
このことに執着をしていると、幸せな家庭にはまずなりません。
家庭内で借金ならぬ、気持ちの取り立てをしているわけですからね。
だから、最近は、自分が良いと思うことをしても、見返りを期待しない
ようにしているんです。思ったようにはなかなかいきませんが…
子どもの教育でも、物や報酬で釣ったりする教育は良くないということは
だれもが知っていることでしょうが、まさにそれもいっしょですね。
パブロフの犬のように、自分の行動の原動力が見返りなしには発動しなく
なってしまうからです。
そう考えると、私よりもよっぽどアスペ嫁の方が見返りを求めていないのです。
私の中では、
・見返りを期待しすぎる=条件付きの愛情
・見返りを期待しない=無償の愛情
という感覚で頭の中でつながってきたような気がします。
おそらく、親にも嫁にも、子どもにも世の中にも見返りを期待しない
で過ごすことができた日は、きっと小さな幸せが心に転がってきているの
だろうと思うのでした。
(文庫)33歳からの運のつくり方 (サンマーク文庫)
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