2015年11月17日
アスペルガーの家族にふりまわされる地獄のような日々!満たされない気持ちのはけ口は?
最近は体調を崩し気味ということもあって、精神的に不安定要素が
強い気がするAC夫です。体も心も調子が崩れてしまうとなかなか
平常心で物事を考えたり、発言したりもできなくなってきてしましますね。
自分が絶好調のときは、アスペ嫁のトンチンカンにも振り回されず、
自分のことに集中して楽しめたり満足できたりできるのですが、こういう
ときは、自分の本質的な人間性が表れるのかもしれません。
私の心には、まだまだ満たされない母親への甘えたい感覚というものが
残っているのだろうと感じます。
■アスペ嫁に優しくできない時期。
体調が悪いときや、忙しくて頭がパニック状態のとき、いわゆる自分のキャパを
容量オーバーしているときですね。こういう場合は、しょっちゅうアスペ嫁に
イライラさせられてしまうことが多いです。
アスペ嫁といえば、人の気などつゆ知らずいつものマイペースで、向上もしなければ、
劣化もしないというなんとも面白くない感じです。
私がアスペ嫁にイライラしていることは、家族にとって相当死活問題なのです。
こういう悪循環にしかならないサイクルが確立してしまうのです。
こんなことを毎日やっていたら、どんなにすばらしい子どもでも
どこかで、家庭内にいることにたいして嫌気がさすでしょう。
それでも、自分の体調次第で同じ事を繰り返してしまう。そして、最終的には
アスペ嫁のせいだということで自分を納得させようとしている面があります。
■心の器が渇ききってしまっている状態
もちろん、イライラする原因はアスペ嫁にたくさんあるのですが、
心の隅では、行っても仕方がないと言うことも実は自分で理解しているのです。
そして、そんな自分がダメだと今度は自分を責めだし、自己嫌悪に陥り、より一層
精神状態を不安定にさせていくという感じでしょうか。
もし、心に幸せ感の器があるとすれば、その中がカラッカラ状態の時に
そういうことがおきることがおおいのです。
そして、このカラッカラの幸せ感の器をアスペ嫁に埋めてもらおうと
ずーっと待ち続けている感覚が余計に自分の首を絞めているとも言えるでしょう。
何十年も婚姻関係を続けていけば、いつかはこの渇きを潤してくれる日があるだろう
私の中では、どこかそんな自分の理想というか勝手な妄想がありました。
というか願望ですよね。自分の結婚したという選択や相手を選んだという
ことが間違いではなかったということを証明したい部分もあると思います。
アダルトチルドレン特有の共依存の感覚でもあります。
■自分がパートナーを選んでしまったというジレンマ
アスペのパートナーと生活している人は、誰もが思うでしょう。
散々自分のパートナーの文句を言っているけど、結局選んだのは自分じゃないの?
明治大正時代じゃないのだから、親の意向で結婚させられると言うことの方が少ないです。
しかし、自分でパートナーを選んだことも自分でよく分かっているんです。
ここを攻められてしまうとつらいでしょうね。その通りですから^^正論です。
要は、私の女性というか人間を見る目が未熟だったのだろうと。
ですから、はじめは、自分の選択が間違ってたわけではないという
自分を正当化するために結婚生活を頑張っていたと言うこともあるかもしれません。
アスペ嫁でなく、定型の女性だったら幸せに生活できたのに…。
と何度も思ったことがあります。
でも、それは妄想なのです。だって、それなら離婚すれば良いのですから。
子どもがいるから、年齢的に再婚は出来ないなど、自分に言い訳をつくって
今の生活を継続してしまっているのです。まさにこれが共依存。
おそらく、私がそう言う考えのもと離婚をしたら、一時的に気持ちは身軽になりますが、
例え定型の女性をみつけて結婚しても、また別の悩みや問題が必ず出てきて心が満たされなく
なるでしょう。
これは、自分の心の中にある問題であるからです。どう受け止めるか、どう乗り切っていくか、
悲観的なのか、絶望的なのか、もう落ちるところはないと考えるのかそれは人それぞれ。
渇きの潤し方も千差万別。それ知っているのは実は自分自身だったりするのです。
わたしたち不満族―満たされないのはなぜ?
強い気がするAC夫です。体も心も調子が崩れてしまうとなかなか
平常心で物事を考えたり、発言したりもできなくなってきてしましますね。
自分が絶好調のときは、アスペ嫁のトンチンカンにも振り回されず、
自分のことに集中して楽しめたり満足できたりできるのですが、こういう
ときは、自分の本質的な人間性が表れるのかもしれません。
私の心には、まだまだ満たされない母親への甘えたい感覚というものが
残っているのだろうと感じます。
■アスペ嫁に優しくできない時期。
体調が悪いときや、忙しくて頭がパニック状態のとき、いわゆる自分のキャパを
容量オーバーしているときですね。こういう場合は、しょっちゅうアスペ嫁に
イライラさせられてしまうことが多いです。
アスペ嫁といえば、人の気などつゆ知らずいつものマイペースで、向上もしなければ、
劣化もしないというなんとも面白くない感じです。
私がアスペ嫁にイライラしていることは、家族にとって相当死活問題なのです。
私がアスペ嫁にイライラ
↓
アスペ嫁だんまりでコミュニケーション取れず
↓
アスペ嫁は子どもにやつあたり
↓
子どもが情緒不安定になる
↓
それを見て私がアスペ嫁に怒る
こういう悪循環にしかならないサイクルが確立してしまうのです。
こんなことを毎日やっていたら、どんなにすばらしい子どもでも
どこかで、家庭内にいることにたいして嫌気がさすでしょう。
それでも、自分の体調次第で同じ事を繰り返してしまう。そして、最終的には
アスペ嫁のせいだということで自分を納得させようとしている面があります。
■心の器が渇ききってしまっている状態
もちろん、イライラする原因はアスペ嫁にたくさんあるのですが、
心の隅では、行っても仕方がないと言うことも実は自分で理解しているのです。
そして、そんな自分がダメだと今度は自分を責めだし、自己嫌悪に陥り、より一層
精神状態を不安定にさせていくという感じでしょうか。
もし、心に幸せ感の器があるとすれば、その中がカラッカラ状態の時に
そういうことがおきることがおおいのです。
そして、このカラッカラの幸せ感の器をアスペ嫁に埋めてもらおうと
ずーっと待ち続けている感覚が余計に自分の首を絞めているとも言えるでしょう。
何十年も婚姻関係を続けていけば、いつかはこの渇きを潤してくれる日があるだろう
私の中では、どこかそんな自分の理想というか勝手な妄想がありました。
というか願望ですよね。自分の結婚したという選択や相手を選んだという
ことが間違いではなかったということを証明したい部分もあると思います。
アダルトチルドレン特有の共依存の感覚でもあります。
■自分がパートナーを選んでしまったというジレンマ
アスペのパートナーと生活している人は、誰もが思うでしょう。
散々自分のパートナーの文句を言っているけど、結局選んだのは自分じゃないの?
明治大正時代じゃないのだから、親の意向で結婚させられると言うことの方が少ないです。
しかし、自分でパートナーを選んだことも自分でよく分かっているんです。
ここを攻められてしまうとつらいでしょうね。その通りですから^^正論です。
要は、私の女性というか人間を見る目が未熟だったのだろうと。
ですから、はじめは、自分の選択が間違ってたわけではないという
自分を正当化するために結婚生活を頑張っていたと言うこともあるかもしれません。
アスペ嫁でなく、定型の女性だったら幸せに生活できたのに…。
と何度も思ったことがあります。
でも、それは妄想なのです。だって、それなら離婚すれば良いのですから。
子どもがいるから、年齢的に再婚は出来ないなど、自分に言い訳をつくって
今の生活を継続してしまっているのです。まさにこれが共依存。
おそらく、私がそう言う考えのもと離婚をしたら、一時的に気持ちは身軽になりますが、
例え定型の女性をみつけて結婚しても、また別の悩みや問題が必ず出てきて心が満たされなく
なるでしょう。
これは、自分の心の中にある問題であるからです。どう受け止めるか、どう乗り切っていくか、
悲観的なのか、絶望的なのか、もう落ちるところはないと考えるのかそれは人それぞれ。
渇きの潤し方も千差万別。それ知っているのは実は自分自身だったりするのです。
わたしたち不満族―満たされないのはなぜ?
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