2015年09月10日
子供への「やればできるじゃない」は褒め言葉にならない。
直接携わっていないと、なかなか実感することが出来ない育児の大変さ。
古風で家庭を顧みないような夫や妻を配偶者に持った場合、
育児軽視とも取れる価値感に出くわすことは日常茶飯事です。
今の時代でこそ、イクメンだとか言って男性の育児がクローズアップされて
いますが、戦後に産まれたぐらいの人たちの場合はそう言う感覚が疎いのも事実。
「子供と遊んで飯を作っていればいいのだから楽だな」
「家の中のことぐらいしっかりやってよ」
そんな感覚が染みついている男性も多いのでしょう。
毎日ご飯を作り、献立を考え、資金のやりくりも考えて、
空いた時間で子供との遊びをしたり・・・って全く簡単ではないんですよね。
自分がやったことがないということと、元々家の中のことをやる、
子供の面倒を見るということを自分の仕事よりも下に見ている
男尊女卑の発想が根底にあるからなのでしょう。
私の父親は、母親に対して軽視するような発言や、いびるような
ことは言わなかったのはよかったのですが、全く家のこと子供のことはしない人
だったので、母親は常にオーバーヒートで育児や家事と向き合っていた感じです。
母親は母親なりにその時に出せる最大限の力で家のことを奮起していたと思います。
ただ、気持ちに余裕がなかったことは確かで、どうしても子供に対して上から目線
だったと言うことを思い出します。それゆえ人間として対等に話が出来た気がしません。
自分も親になり、子供は「褒めて育てよう!」などと意気込んでいたりしましたが、
なかなか持ってこれが上手く機能しないのです。
褒める・・・。自分が幼少期にあまり褒められていないからか、
多分褒め方が分かっていなかったのかもしれません。
私が子供に多用していた言葉は、
「やればできるじゃない!」
「やれば出来る子なんだからね!」
でした。
一見発破をかける褒め言葉にも思いますが、我が子はあまりいい顔はしません。
こちらからすると、褒めてあげているのにそのふて腐れた顔はなんなの!と
言いたくなるような感じです。
自分ではこれが子供を褒める言葉だと疑いませんでしたから。
しかし、AC改善のため幼少期を振り返る過程で思い出したのです。
自分が小さい頃良く母親が「やればできるじゃない」と私へ言っていたことを。
そしてあまり嬉しくなかったことも思い出しました。
大体褒めてあげていると書いている時点で上から目線^^
本当に困ったものです。
なぜ嬉しくなかったのか。
やれば出来る⇒出来た状態が標準という刷り込み。
逆に言えば、やらなかったら,あんたは何もできなんだよと言われている。
常に出来ている自分を標準に置こうとするから、生活や人付き合いも疲れやすい。
本来は「やれば出来る」という位置は自分が頑張って到達できるポイントだから、
やれば出来る自分を演じようと、自分を無理する⇒面白くないしんどい感じ。
さらに、どこか上から目線な言葉ですよね。だから言われた方は、
上から外圧がかかったように何か圧迫を感じてしまうのかもしれません。
結果的にどう言えば良いかと言えば、単に「できたね」でいいんです。
それに、過去の失敗や、未来の不安ものっけて言葉を重ねるから
嫌な気持ちの言葉になるのでしょう。
そして、「できる我が子」になって欲しいという潜在的な自分の願望が、
無理に子供を自分の思い通りコントロールしようとするのかもしれません。
できても、出来なくても我が子なのに。
言葉って難しいです。
自分に潜在的にすり込まれた習慣が、悪気なく出てしまうのが、
アダルトチルドレンの負の連鎖でもあります。
まずは自覚することは大切です。
自覚した今でも、うっかり言ってしまいそうになるので、幼少期の親からの
刷り込みって恐ろしいと再認識させられます。
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古風で家庭を顧みないような夫や妻を配偶者に持った場合、
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いますが、戦後に産まれたぐらいの人たちの場合はそう言う感覚が疎いのも事実。
「子供と遊んで飯を作っていればいいのだから楽だな」
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そんな感覚が染みついている男性も多いのでしょう。
毎日ご飯を作り、献立を考え、資金のやりくりも考えて、
空いた時間で子供との遊びをしたり・・・って全く簡単ではないんですよね。
自分がやったことがないということと、元々家の中のことをやる、
子供の面倒を見るということを自分の仕事よりも下に見ている
男尊女卑の発想が根底にあるからなのでしょう。
私の父親は、母親に対して軽視するような発言や、いびるような
ことは言わなかったのはよかったのですが、全く家のこと子供のことはしない人
だったので、母親は常にオーバーヒートで育児や家事と向き合っていた感じです。
母親は母親なりにその時に出せる最大限の力で家のことを奮起していたと思います。
ただ、気持ちに余裕がなかったことは確かで、どうしても子供に対して上から目線
だったと言うことを思い出します。それゆえ人間として対等に話が出来た気がしません。
自分も親になり、子供は「褒めて育てよう!」などと意気込んでいたりしましたが、
なかなか持ってこれが上手く機能しないのです。
褒める・・・。自分が幼少期にあまり褒められていないからか、
多分褒め方が分かっていなかったのかもしれません。
私が子供に多用していた言葉は、
「やればできるじゃない!」
「やれば出来る子なんだからね!」
でした。
一見発破をかける褒め言葉にも思いますが、我が子はあまりいい顔はしません。
こちらからすると、褒めてあげているのにそのふて腐れた顔はなんなの!と
言いたくなるような感じです。
自分ではこれが子供を褒める言葉だと疑いませんでしたから。
しかし、AC改善のため幼少期を振り返る過程で思い出したのです。
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そしてあまり嬉しくなかったことも思い出しました。
大体褒めてあげていると書いている時点で上から目線^^
本当に困ったものです。
なぜ嬉しくなかったのか。
やれば出来る⇒出来た状態が標準という刷り込み。
逆に言えば、やらなかったら,あんたは何もできなんだよと言われている。
常に出来ている自分を標準に置こうとするから、生活や人付き合いも疲れやすい。
本来は「やれば出来る」という位置は自分が頑張って到達できるポイントだから、
やれば出来る自分を演じようと、自分を無理する⇒面白くないしんどい感じ。
さらに、どこか上から目線な言葉ですよね。だから言われた方は、
上から外圧がかかったように何か圧迫を感じてしまうのかもしれません。
結果的にどう言えば良いかと言えば、単に「できたね」でいいんです。
それに、過去の失敗や、未来の不安ものっけて言葉を重ねるから
嫌な気持ちの言葉になるのでしょう。
そして、「できる我が子」になって欲しいという潜在的な自分の願望が、
無理に子供を自分の思い通りコントロールしようとするのかもしれません。
できても、出来なくても我が子なのに。
言葉って難しいです。
自分に潜在的にすり込まれた習慣が、悪気なく出てしまうのが、
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コメントありがとうございます。
彼女さんとは、うまくコミュニケーションできるようお互い模索しているようで、
いろいろと悩まれることも多いかもしれません。
アスペ嫁なんかもLMさんがおっしゃるように主観で話した方が良いのだと思います。
人間大人になり年を取るにつれ、直接的な表現よりも比喩的な表現や、
ダイレクトに言わない方が美徳という感じが日本の文化にある気がします。
そして、自分も言葉遊びではないですが、そういった主観的でない方が
詫びさびを感じられたりするようにもなりました。
しかし、こちらの感覚にアスペ嫁は合わせられませんから、やはり
こちらが、ストレートに主観をぶつけるスキルと言うことも必要になる
のですよね。これが結構きつい^^あらゆる先入観を取り払っていくと
もう少し気持ちが楽に生きられそうですが…
彼女さんは、アルコール依存症にならないと良いですね。泥酔したときは、
普段と違ったところなど行動や発言に出てくるのか知りたいです。
私には、子供はいませんしいるのは、会ったこともないヘンテコな彼女だけですが、
最近彼女と話したりするようになって、こんなことを思ったんです。
「自分は人に自分の正確な気持ちを伝えたいと思って、
言葉や表現を細かく選んでなるべく、丁寧に伝えようと思っていた。
でも、それは正しいとは限らないかもな。細かく時間を尽くせば尽くすほど、
自分の自分本位な本音ばかりが口をついて、逆に相手を怖がらせてしまうな。」
って。
誰しも主観があり、自分本位な本音が色々あります。
けど、それは相手の同じものと合致することはないわけで、
言葉を尽くせばそれだけすれ違いの余地を生んでしまう。
だったら、素直にシンプルに褒める、許す、悲しみや怒りを感情の部分だけ伝える。
もしかしたらそれでいいのかもなって。
私には彼女の存在が今までの自分の独りよがりだった部分を照らす鏡のように、
最近は思えています。それはこちらを発見できたことなんかも含めてですが!
こちらの記事も自分の思ったこととは少し違うのかもしれませんが考えさせられる内容でした。
えー、そんな彼女ですが遊び呆けて飲んで意味不明に拍車がかかったまま音信不通になってます(笑)
普段ですらLINEを頻繁に読み返して会話をキープしてるのに、
こうなると読み返しもしないので話題が飛び飛びで大変です。
アルコール依存にならないことだけは願いたいものです。