2015年08月28日
結婚前、アスペ嫁と一緒に映画館で映画鑑賞をしても楽しくない件。
アスペ嫁と映画を見に行ったり、見たりして楽しいと思ったことがありません。
これは、結婚前と結婚後に分けられます。
〇結婚前の映画鑑賞はアスペ嫁が見たいものを
無類の映画好き!というわけでもないAC夫は、
アスペ嫁が「この映画見た〜い!」と言ったときに
映画館へ足を運ぶのが殆どで、自分が見たい映画を見るという
ことはあまりありませんでした。
アスペ嫁は気まぐれですから、計画的に見に行くと言うことはありません。
街を歩いていて、自分の視覚に飛び込んできた映画館の看板を見て、
触発されて「見たい」と騒ぎ出すことが殆どでした。
相手の希望を叶えることで自分の存在感や満足感が得られるAC夫は、
ある意味、言いなりだったのかもしれませんが、すかさず、映画のチケットを
購入し、一緒に映画鑑賞へと言う流れになるのでした。
私の場合は、その瞬間は興味がない内容でも、映画を見入っているうちに、
映画の世界へ入り込むことが出来るので(周りに影響されやすいって事でしょうね)
見終わった後は自分なりにその映画の楽しさを評価して良い気持ちで外へ出ることが
出来るんです。
しかし、いつも不思議だなぁと思っていたのは、
アスペ嫁があれだけ見たいというから映画館へ入ったのに、
当の本人は、
私「映画どうだった?」と聞くと、
嫁「面白かった!」の一言で終わり。
淡泊な感想。
映画の余韻というものが、無いわけではないのでしょうが、
言葉で表現できないのでしょう。
ここから話が膨らんだ試しがありません。
「面白かった」「怖かった」「悲しかった」という感想で終わり。
別にそれは悪いことでも何でもないのですが、まるで幼稚園児の
感想のようだとも感じました。
次に続く言葉は、もう違う話題です^^
〇映画の内容を把握していないで見ているアスペ嫁
例えば、こちらから、「主演の〇〇の演技が良かったねぇ」とか
「映画の世界観のスケールがワクワクしたねぇ」とか、
話題を振って膨らまそうと、気持ちを共有しようということも何度も挑戦しました。
しかし返ってくる答えは的を射ていない回答ばかり。。。
嫁「主演って〇〇だったんだ。知らなかった」
嫁「話の内容が難しくて実は良く意味が分からなかった」
多いのはこれ。話の起承転結的なものは頭に入っていないんです。
話せば話すほど、映画の内容が全くわかっておらず、部分的に
楽しいシーン、悲しいシーン、そう言うのだけが頭にのこるのだなと。
AC夫がロマンティックな思考や妄想を持ちすぎているからでしょうが、
もっと、その映画で細かい内容の話の共有を求めていたのでしょうね。
そしてAC夫の「自分のこう思った、ああ思った」という気持ちと、
アスペ嫁の考えている気持ちが一緒だったら凄く楽しい時間を共有したなぁと
実感して、この人が唯一無二の恋人だと思いたかったのかもしれません。
ですから、映画を見た後は気持ち的に物足りず、私が気持ちを共有出来なかった
面白くない気分に浸ってしまうと言うこともありました。
満たされていないですねぇ^^
でも、付き合っているときは一緒にいるだけで嬉しいとか落ち着くとか、そういう
気持ちの方が勝っていましたから、そのうち、私が気持ちを切り替え、大事には至らない
と言う関係が続くのでした。
そんなことを繰り返しても、私の中でこういう人なんだと、
割り切って受け止めたのだろうと思います。
自分が思うような意見を相手に期待することは少なくなり、
「自分が映画が楽しいと思えればいいや」という投げやりではない、
前向きな受け止めが出来ていた時期でもあります。
今思えば、これがアスペ嫁と上手く生活していくための基礎となるのですが、
結婚後は、あまりにも一緒に共有することが多すぎて、そんな悠長な考えが
できず、自分で自分を一杯一杯にさせている日々が続いてしまうのでした^^
結婚後の映画鑑賞は後日・・・。
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これは、結婚前と結婚後に分けられます。
〇結婚前の映画鑑賞はアスペ嫁が見たいものを
無類の映画好き!というわけでもないAC夫は、
アスペ嫁が「この映画見た〜い!」と言ったときに
映画館へ足を運ぶのが殆どで、自分が見たい映画を見るという
ことはあまりありませんでした。
アスペ嫁は気まぐれですから、計画的に見に行くと言うことはありません。
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触発されて「見たい」と騒ぎ出すことが殆どでした。
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ある意味、言いなりだったのかもしれませんが、すかさず、映画のチケットを
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私の場合は、その瞬間は興味がない内容でも、映画を見入っているうちに、
映画の世界へ入り込むことが出来るので(周りに影響されやすいって事でしょうね)
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出来るんです。
しかし、いつも不思議だなぁと思っていたのは、
アスペ嫁があれだけ見たいというから映画館へ入ったのに、
当の本人は、
私「映画どうだった?」と聞くと、
嫁「面白かった!」の一言で終わり。
淡泊な感想。
映画の余韻というものが、無いわけではないのでしょうが、
言葉で表現できないのでしょう。
ここから話が膨らんだ試しがありません。
「面白かった」「怖かった」「悲しかった」という感想で終わり。
別にそれは悪いことでも何でもないのですが、まるで幼稚園児の
感想のようだとも感じました。
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例えば、こちらから、「主演の〇〇の演技が良かったねぇ」とか
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もっと、その映画で細かい内容の話の共有を求めていたのでしょうね。
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実感して、この人が唯一無二の恋人だと思いたかったのかもしれません。
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面白くない気分に浸ってしまうと言うこともありました。
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気持ちの方が勝っていましたから、そのうち、私が気持ちを切り替え、大事には至らない
と言う関係が続くのでした。
そんなことを繰り返しても、私の中でこういう人なんだと、
割り切って受け止めたのだろうと思います。
自分が思うような意見を相手に期待することは少なくなり、
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今思えば、これがアスペ嫁と上手く生活していくための基礎となるのですが、
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