2015年08月04日
AC夫の子供に対する時代錯誤した考え方の押しつけが酷いと実感。
暑いですね。暑くて油断すると本当に熱中症になってしまう様な気がする今日この頃です。
私のこり固まった考え方では、数年前までは「多少の暑さは我慢してこそ夏!」
と時代錯誤した見解で、なるべくクーラーを使わず過ごしてきましたが、
こういうところが、現実を受け入れられていないところなのだと最近感じます。
私が小さい頃と、今現在の気温って全く違うんですよね。
確実に暑くなっている。猛暑?酷暑ですよ^^
そういう事実を無視してしまい、自分の経験則だけで物事を話そうと
してしまう偏った考え方は反省しなくてはいけないと思いました。
環境にも、人間にも「適度」に対応できる臨機応変さが足りないんですね^^
それゆえ、暑さで子供が不平や愚痴を言っていれば、
「父さんの小さい頃は、部活で水を飲んじゃ駄目っていわれたんだぞ!」
だから、お前らは気合いが足りないと。
よく考えると屁理屈ですよね。
「父さんは小さい頃我慢したのだから、お前達も我慢して頑張りなさい。」
はい、押しつけ完了。
私の小さい頃の最高気温はせいぜい30度を超える程度。
今現在は・・・。39度とかです。
体温よりも高いって普通ではありません。
今は運動中に水分補給をするのは当たり前なのに。。。
結構こういうことってありませんか?
「私が小さい頃は〇〇だったのだから・・・。」
これって結局何を意味するのでしょうか。
まず、
◆相手の言っていることを肯定して聞き入れてあげていない。
子供が暑いよ、やだよ。といっているのにもかかわらず、
「父さんが小さい頃は、」って全くかみ合ってません。
「暑いよね。やだよね。」とまず肯定して聞く姿勢は一番大切です。
そう思っていても思っていなくても、肯定してあげるのです。
◆自分の小さい頃の体験が全てに共通すると錯覚している。
時代が違うわけですから、ものの見方は当然変わっていくわけです。
にもかかわらず、「自分の考え方が正しい」というゴリ押しをしてしまいます。
結果的に自分の思ったような子供になって欲しい願望というのも隠れています。
要は、子供を潜在的にコントロールしようとしているわけです。
コントロールしようとしているから、子供が言うことを聞かないと
イライラして怒るという行動に出ます。
父さんも我慢したのだから、ガタガタ言わないで我慢しなさい!
って言っているようなもので、非常に乱暴で合理的でない言い分ですよね。
本当反省しなくちゃなぁと最近でこそ思えるようになりました。
他にも、最近の小学校や中学校の運動会では「テント」や「タープ」を
張ったりするじゃないですか。
あれが、一時期許せなくて許せなくて仕方なかったのです。
これは、私の中に運動会も授業の一環であるとか、子供は屋根なしで
頑張っているのだから、親がキャンプ気分でどうする?という気持ちがあったからです。
都心の学校などは、初めから持ち込み禁止にするところもあるようですが、
制限がない学校では、いまやテントやタープやパラソルを持参して設置するのが
慣習化されてしまっています。
こう考えていた時期は、
「テントやテーブルを設置する親」⇒毒親。
「設置しない親」⇒良識ある親。
という白黒思想でしか考えられませんでした。
しかし、数年前からは、冒頭に話した暑さについての受け止め方も
少し緩くなり、自分でもこの暑さに参ったということもありますが、
「お互い邪魔にならないのであれば、まあいいか」
「この暑さではいつ誰が熱中症になるか分からないから、これもありか。」
という緩い考え方もできるようになりました。
自分こそ正しい、自分こそ正義だという考えでは、どこかで
人間とぶつかり合いながらでしか生活が出来ません。
少しでも苦しんでいる自分の固定化した考え方が緩まると、
心が解放されて、色んなものを手放していくことが出来るのかもしれません。
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私のこり固まった考え方では、数年前までは「多少の暑さは我慢してこそ夏!」
と時代錯誤した見解で、なるべくクーラーを使わず過ごしてきましたが、
こういうところが、現実を受け入れられていないところなのだと最近感じます。
私が小さい頃と、今現在の気温って全く違うんですよね。
確実に暑くなっている。猛暑?酷暑ですよ^^
そういう事実を無視してしまい、自分の経験則だけで物事を話そうと
してしまう偏った考え方は反省しなくてはいけないと思いました。
環境にも、人間にも「適度」に対応できる臨機応変さが足りないんですね^^
それゆえ、暑さで子供が不平や愚痴を言っていれば、
「父さんの小さい頃は、部活で水を飲んじゃ駄目っていわれたんだぞ!」
だから、お前らは気合いが足りないと。
よく考えると屁理屈ですよね。
「父さんは小さい頃我慢したのだから、お前達も我慢して頑張りなさい。」
はい、押しつけ完了。
私の小さい頃の最高気温はせいぜい30度を超える程度。
今現在は・・・。39度とかです。
体温よりも高いって普通ではありません。
今は運動中に水分補給をするのは当たり前なのに。。。
結構こういうことってありませんか?
「私が小さい頃は〇〇だったのだから・・・。」
これって結局何を意味するのでしょうか。
まず、
◆相手の言っていることを肯定して聞き入れてあげていない。
子供が暑いよ、やだよ。といっているのにもかかわらず、
「父さんが小さい頃は、」って全くかみ合ってません。
「暑いよね。やだよね。」とまず肯定して聞く姿勢は一番大切です。
そう思っていても思っていなくても、肯定してあげるのです。
◆自分の小さい頃の体験が全てに共通すると錯覚している。
時代が違うわけですから、ものの見方は当然変わっていくわけです。
にもかかわらず、「自分の考え方が正しい」というゴリ押しをしてしまいます。
結果的に自分の思ったような子供になって欲しい願望というのも隠れています。
要は、子供を潜在的にコントロールしようとしているわけです。
コントロールしようとしているから、子供が言うことを聞かないと
イライラして怒るという行動に出ます。
父さんも我慢したのだから、ガタガタ言わないで我慢しなさい!
って言っているようなもので、非常に乱暴で合理的でない言い分ですよね。
本当反省しなくちゃなぁと最近でこそ思えるようになりました。
他にも、最近の小学校や中学校の運動会では「テント」や「タープ」を
張ったりするじゃないですか。
あれが、一時期許せなくて許せなくて仕方なかったのです。
これは、私の中に運動会も授業の一環であるとか、子供は屋根なしで
頑張っているのだから、親がキャンプ気分でどうする?という気持ちがあったからです。
都心の学校などは、初めから持ち込み禁止にするところもあるようですが、
制限がない学校では、いまやテントやタープやパラソルを持参して設置するのが
慣習化されてしまっています。
こう考えていた時期は、
「テントやテーブルを設置する親」⇒毒親。
「設置しない親」⇒良識ある親。
という白黒思想でしか考えられませんでした。
しかし、数年前からは、冒頭に話した暑さについての受け止め方も
少し緩くなり、自分でもこの暑さに参ったということもありますが、
「お互い邪魔にならないのであれば、まあいいか」
「この暑さではいつ誰が熱中症になるか分からないから、これもありか。」
という緩い考え方もできるようになりました。
自分こそ正しい、自分こそ正義だという考えでは、どこかで
人間とぶつかり合いながらでしか生活が出来ません。
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