2016年08月31日
マイノリティーでもいいじゃない!発達障害を人並み以下と考えてしまう先入観が怒りを生み出す。
発達障害の児童・生徒への理解を深める講演会が、神埼市千代田町で開かれた。学生時代、読み書きに困難が伴う読字障害(ディスレクシア)という学習障害に悩まされた南雲明彦さん(31)が過度な配慮が生むマイナス面を指摘し、市内の教師やPTA、地域住民ら約350人が望ましいアプローチを考えた。
通信制明蓬館(めいほうかん)高校(福岡県)の共育コーディネーターを務める南雲さんは「障害者への『配慮』は『遠慮』につながる側面がある」と問題提起。社会の理解が進み、教育的支援が充実する一方で「学習障害ということで言葉を選んだり、接し方が萎縮してしまっていないか」と投げ掛けた。
引用元:佐賀新聞
発達障害という言葉は本当に世間的によく使われるようになりましたね。
しかし、世間の認知度合いと比例しているとはお世辞にも言えない状態です。
むしろ各人の先入観があるうえで情報を取り入れていきますから、
かなりうがった見方をしたり、発達障害を持っている人に偏見している
ひとも多いことは事実です。
これは世の中のマイノリティーな事象についても同じようなことが言えますね。
どうしても少数派というのはクローズアップされにくいし絶対的人口が少ないわけ
ですから、変わり者とか異常という簡単な言葉であしらわれてしまうことも少なくありません。
最近でこそ、オネェとよばれる、昔で言えば「おかま」や「おなべ」的な人たちは
過ごしやすい世の中になったでしょう。マスコミは日ごろは良くないイメージばかりですが、
芸能界でオネェ系のタレントを積極的に活用していることから、以前のような偏見も
少なくなったのだと思います。
もちろんどんなに認知が広まっても、差別する人はいますし、
人として存在価値がないぐらいまで言ってしまう人もいます。
そんな人と出会ってしまったら、ショックで立ち直れないかもしれませんが、
所詮、他人の存在価値の有無を罵詈雑言を含めて発するような人間は
徳の低い、自分が人並み以上もしくは優秀でありたいエゴの塊のような人間なのです。
だから、そういう人は相手にしない生活を心がける必要がありますね。
マイノリティーな自分の家庭の状況や子どもの状況、ライフスタイルの状況など、
誰しもが多かれ少なかれあると思います。
しかし、それを万人に分かってもらう必要なんて無いんですね。
みんなにわかってほしいというきもちはあって良いと思いますが、
実際コントロールできない他人の考え方をどうこうしようなんて考え
悩みふけっているのは、絶対解けないパズルを何で解けないのだろうと
首をかしげているのと同じぐらい無駄な時間です。
単に発達障害と言っても、派生する障害は数知れません。
勝手な先入観で障害者を軽蔑したり、下に見ようとするのは
自分自身に劣等感が強いからだからとも言えます。
先日の障害施設の殺人事件なども同じ事が言えそうです。
いかにも容疑者は理路整然と社会的な正義で行動したという
理屈になっていますが、人間を人間と思えない、誰かを踏みにじること
によって自分の劣等感を隠したい欲求や、世間的にスポットを与えてもらえる
という承認欲求が見え隠れしているような気がします。
自分以外のことは家族であっても全て把握することは不可能です。
分からない人間も世の中にはたくさんいるということも発達障害を支援する
立場のひとは免疫を持っておくことは大切だと思います。
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