2016年05月20日
ネガティブな自動思考が被害者意識を増幅させる!アスペルガーのパートナーに執着せず、自分で自分をいたわる癖を身につけよう!
■アスペルガーを理解しているつもりで、実は一番差別をしているのかも
アスペルガーの感覚は千差万別です。一番よろしくないのはレッテル貼りをしてしまうこと。
「どうせアスペはできないだろう」
そんな気持ちで相手と生活していても、おそらく幸せ感は湧いてきません。
そう思った時点で、自分の方が人間的に上で、相手は下と見下しているからです。
夫婦が平等に相手を尊重すると言うことで言えば、本来は、
「いろんなことができない嫁を含めて尊重すべき人間」
という考えで受け止められるかが、苦悩か幸せかを左右するわけです。
■自分自身の偏屈で被害者意識の強い受け止め方にも問題が…
私の場合は、自分が社会や周りで必要とされることで自分の存在を確認できる
ような感じで育ってきました。つまり、周りが必要としてくれている内はモチベーションも
保ちながら、無理をする事ができるのですが、批判の方が多いとか、受け止めてくれるはずの
人間がそうでないと、あっという間に自分の居場所がどこなのかが分からなくなってしまうんです。
これは今だから思えることですが、本当に危険な考え方だと思います。
自分の本当の気持ちを押し殺しすぎて、本当の自分が何を求めているかとかが、
分からなくなってしまいます。それゆえ、行動原理の源が称賛されるからやっておくとか、
批判されて見返すためにやるとか、そんなのばかりです。
自分が何者なのかわからないからこそ、意味不明な行動や発言をする
アスペルガーの配偶者がいると安心するのかもしれません。彼らは世話や支援が
非常に必要としていますから。
■アスペを理解しているつもりでも、満たされない心は続いていく。
しかし、アスペルガーとアダルトチルドレンの組み合わせはアダルトチルドレン側の不満が
大きくなり離婚危機につながることが多いでしょう。どんなに世話をしても支援しても
アダルトチルドレンが求めている称賛が欲しい!という感覚はアスペルガーは全く理解しません。
そんな気持ちが湧き出て、爆発したり、涙が出てきたり。
いわゆる「感情や感謝の見返りなしでは満足できない脳」になっています。
やってあげたのだから、感謝されるべきだとか、お礼を言われるはずだというのが
大大前提にこびりついてます。
もちろん感謝されることは嬉しいのですが、必要以上に求めるのは本来はおかしいのです。
だって、ありがたいと思うか、思わないかってこちらが考えることではありません。
こちらが良いことをしているつもりでも、相手にとっては余計なお世話だと言うことだって
世の中にはいくらでもあります。
■行動や発言の源を他人のためということばかりにおきすぎない!
ですから、どうせ行動するなら
一度、ネガティブな発想をした後でも、こういうことを思って取り組んだ場合は、
最終的に責任転嫁をしにくくなります。自分が好きでやっているから。
相手のためにやってあげるというのは世間体的にはすばらしいことです。
ただ、私の場合は、潜在的に必ず見返りをどこかで求めてしまっているのです。
見返りがあって、はじめて自分は良いことをした世間に役立った。存在していていいのだ!
相手のためにすることこそが自分の居場所なのだ!と思いっきり相手に依存した考え方
をしているのですね。
どこか心の底で、自分の好き勝手なことを主張することは、わがままで悪いことという
感覚があるんですね。だから、無意識に本当はこうしたい!こう表現したい!なんかを
押し殺して抑圧しているのです。自分で本当の自分を押さえ込んで生きているわけですから、
いろんなことがしんどく、辛く、物事の見方も被害者意識が強かったのかとも思います。
もう充分他人のためやパートナーのために尽力したんです。
だから、これからは本当の自分自身が喜んだり楽しんだりするために、
自分で自分をいたわってあげることに尽力することが大切なのでしょう。
相手のために!とおもうぐらいの気持ちを自分自身にも向けてあげるという
のは簡単なことではありません。最終的に自分が嫌いな人は幸せ感は得ることが
できないのだと思います。
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アスペルガーの感覚は千差万別です。一番よろしくないのはレッテル貼りをしてしまうこと。
「どうせアスペはできないだろう」
そんな気持ちで相手と生活していても、おそらく幸せ感は湧いてきません。
そう思った時点で、自分の方が人間的に上で、相手は下と見下しているからです。
夫婦が平等に相手を尊重すると言うことで言えば、本来は、
「いろんなことができない嫁を含めて尊重すべき人間」
という考えで受け止められるかが、苦悩か幸せかを左右するわけです。
■自分自身の偏屈で被害者意識の強い受け止め方にも問題が…
私の場合は、自分が社会や周りで必要とされることで自分の存在を確認できる
ような感じで育ってきました。つまり、周りが必要としてくれている内はモチベーションも
保ちながら、無理をする事ができるのですが、批判の方が多いとか、受け止めてくれるはずの
人間がそうでないと、あっという間に自分の居場所がどこなのかが分からなくなってしまうんです。
これは今だから思えることですが、本当に危険な考え方だと思います。
自分の本当の気持ちを押し殺しすぎて、本当の自分が何を求めているかとかが、
分からなくなってしまいます。それゆえ、行動原理の源が称賛されるからやっておくとか、
批判されて見返すためにやるとか、そんなのばかりです。
自分が何者なのかわからないからこそ、意味不明な行動や発言をする
アスペルガーの配偶者がいると安心するのかもしれません。彼らは世話や支援が
非常に必要としていますから。
■アスペを理解しているつもりでも、満たされない心は続いていく。
しかし、アスペルガーとアダルトチルドレンの組み合わせはアダルトチルドレン側の不満が
大きくなり離婚危機につながることが多いでしょう。どんなに世話をしても支援しても
アダルトチルドレンが求めている称賛が欲しい!という感覚はアスペルガーは全く理解しません。
「こんなに、あなたのためにやっているのにどうして?」
「いろいろ自分のことを我慢しているのになんで?」
そんな気持ちが湧き出て、爆発したり、涙が出てきたり。
いわゆる「感情や感謝の見返りなしでは満足できない脳」になっています。
やってあげたのだから、感謝されるべきだとか、お礼を言われるはずだというのが
大大前提にこびりついてます。
もちろん感謝されることは嬉しいのですが、必要以上に求めるのは本来はおかしいのです。
だって、ありがたいと思うか、思わないかってこちらが考えることではありません。
こちらが良いことをしているつもりでも、相手にとっては余計なお世話だと言うことだって
世の中にはいくらでもあります。
■行動や発言の源を他人のためということばかりにおきすぎない!
ですから、どうせ行動するなら
「自分が気分が良いからやる」
「自分が楽しい気持ちになるからやる」
「自分ができる時間があるからやる」
一度、ネガティブな発想をした後でも、こういうことを思って取り組んだ場合は、
最終的に責任転嫁をしにくくなります。自分が好きでやっているから。
相手のためにやってあげるというのは世間体的にはすばらしいことです。
ただ、私の場合は、潜在的に必ず見返りをどこかで求めてしまっているのです。
見返りがあって、はじめて自分は良いことをした世間に役立った。存在していていいのだ!
相手のためにすることこそが自分の居場所なのだ!と思いっきり相手に依存した考え方
をしているのですね。
どこか心の底で、自分の好き勝手なことを主張することは、わがままで悪いことという
感覚があるんですね。だから、無意識に本当はこうしたい!こう表現したい!なんかを
押し殺して抑圧しているのです。自分で本当の自分を押さえ込んで生きているわけですから、
いろんなことがしんどく、辛く、物事の見方も被害者意識が強かったのかとも思います。
もう充分他人のためやパートナーのために尽力したんです。
だから、これからは本当の自分自身が喜んだり楽しんだりするために、
自分で自分をいたわってあげることに尽力することが大切なのでしょう。
相手のために!とおもうぐらいの気持ちを自分自身にも向けてあげるという
のは簡単なことではありません。最終的に自分が嫌いな人は幸せ感は得ることが
できないのだと思います。
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