2015年03月31日
私からみた残念な塾ありがちな(もしかしてあるかもしれない)10
1. 子供がわかったかどうかより、親御さんからみて勉強した様にみえるか、が重要。
講習用にテキストが用意されていた。しかし、みてくれ、と言われた生徒の学力は低く、とてもそのテキストの内容では適さない、と思い。この子はこのテキストでは難しくてすすまないので、別の基本問題をやりました。と塾長に報告しました。そうすると塾長からお叱りの言葉をもらった。”このテキストでやりなさい。このテキストを親御さんがみたら、どう思うか、だ。考えなさい。”講師のやり方が塾のやり方と違って、お叱りを受けることそのものはいいですが、理由がどうも露骨で残念。
2. ほどほどが一番
あるやる気のある子がいました。やる気のある子を教えることは、私にとっては面白いことです。そこでついつい長く教えました。通常の授業時間の2倍以上教えてみました。なんども続けているうちにお叱りを受けました。”度を超える長時間の指導はするな。程度を考えてやりなさい。あまりやりすぎると他の塾生との手前、まずい。適当に打ちきれ。”とここまでは一理あると思い、考えようとした時に、追加の御言葉を頂いた。”あの子の親はこれ(お金の支払い)が渋い。あんまり長くやるとそれで満足しちゃうから、ダメだよ。” ごもっともですが、理由が下品で残念。
3. 形式的な講師への指導
講師のための研修として、偉そうな先生がやってきた。塾用に作られた教材用のビデオをつかってわかりやすく解説してくれた。なるほどいい方法である。教え方も比較的楽で、その通りできれば、生徒によってはうまくいきそうである。ビデオに出てくる生徒は素直でよくできる子の様だ。しかし、実際はいろいろな子を扱う。原則があって、例外があってしかるべき。いろいろな場面が発生してそのトラブルシュートの連続である。その辺りは?と思って聞いているとその話しはなかった。あらかじめ塾長が分析し、ビデオに出てくる子の様な方だけを担当させてもらえるのであれば、よいのですが、実際はいろいろな子を担当する。この研修の中の講師のコメントとして”特にベテランの人はこの様にやってない。”とのこと。全ての道には、適用範囲、良い点、悪い点、注意する点、いろいろな視点から見て欲しい。見れないのであれば、、適用範囲を絞ってほしい、と思いました。得るところを多々ありましたが、非現実的な御指導にやや残念。
4.節操なきオプション講座による集客
〜特訓、〜ゼミといろいろな講義名をつけて、小人数授業をしている。とにかく、やれば成績は上がる。と親御さんの不安を煽って、子どもを参加させる。具体的になにをどの様に教えるか、を考える前に、まず集客する。いろいろな子がなんとなくやってくる。普通に考えれば、ただ参加するだけで成績は上がることはありえない。でもそこそこの人数の生徒は集まる。子供を分析し、その子にはどういう指導が必要かを明示しなくても、それなりに生徒は集まる。そこそこの子が気分転換を兼ねて勉強にくるのはよいが、そうでない生徒が多く含まれている。具体的な内容・狙い・効果を説明せずに、一般論だけで、そこそこよく集まる事自体に驚いている。とりあえずの集客に残念。
5.指導レポートは自分を守ることである。
確かに、指導レポートは、子供の様子、講習の進捗、講師の引き継ぎため、など必要不可欠です。子供の成績不振などの要因を考える上で効果的です。しかし、得てして塾管理者からの講師に対する管理目的になってしまっている。内容より、書く事そのものが重要となっている。実際にレポートをつかってみんなで話し合うこともなく、挙句の果はこれで、”クレームがきた時に講師を守るための証拠”と言われる。目的が歪んで、ちょっと残念。
6.宿題を出すこと優先。
塾の教材はよくできている。特に当面のテストの点数アップには効果があります。点数をとるテクニックを明示して、そのテクニックを練習し、さらにそのテクニックを定着するため、そのテクニックに関する宿題を出す。上手くまわれば、点数アップを期待できます。しかし、このサイクルでできる子ばかりではありません。一回の講義でわかった様にみえてわかっていない。わかった、としても宿題をやらず、一週間経つと元のもくあみ。形式を意識して、また宿題を出す。宿題を出すこと自体が目的となっている。子どもとしては、学校の宿題と重なって、面倒くさくなる。生徒はわからなくても、適当に埋めるか諦める。成績が下がっても、宿題をやらない子がわるい、との論理が成立します。クレームに対する言い逃れのための宿題に残念。
7.塾にくることそのものが目的。
親に言われて、とにかく塾にはくる。しかし、子は勉強をしようという気持ちがない。家にいれば親がうるさいから塾にくるだけ?高いお金を払っているのにその見返りを得ていない。なぜ塾に通ってきているかわからない。大袈裟にいえば、詐欺の片棒を担いでいる様の気持ちで残念。
8.まずは集客
まずは、大風呂敷で生徒を集める。、その後の教育は講師まかせ。プロなんだから考えて、とか経営として成り立たなければ、とか当然の様に言ってくる。確かに教え方のノウハウは教える側自身で修得すべきでしょう。人に教える能力はその人自身で磨かないといけません。経営側としては人を育てるより、育った人を雇うことを考えるでしょう。しかし塾側では人件費を抑えるため、アルバイトを雇う。それでは育った人を雇えない。おや?それぞれの言い分はその通りですが、全体を通してみると、どうも方針とそのやり方に一貫性がみえない。それでも大方の子には効果があると思っていますが、ある生徒には効果は期待できないことが受ける前からわかります。申し訳ない気持ちになって残念。
9.PDCA(計画->実施->分析->行動)なき運営
PDCAは子供の成績ではなく、経営の観点からのPDCA中心。確かに現実は経営が成り立つことが前提で、人の教育・育成となりがちです。ある程度仕方ないでしょうが、ちょっと気が引けます。理想と現実のギャップにちょい残念。
10. すでにある教材を使いきれていない。
よくみると、学校の教科書、塾教材はよくできている。教科書は子供に考えさせる、という気持ちが現れた表現・図・写真などが意識的に載せられていて感心させられる。塾教材はそこそこの点数を手っ取り早く取れる様に、問題解法のテクニック、間違いやすい点など手際よく編集されていて感心させられる。しかし、それらは上手く活用できていない。解法のテクニックはこの塾教材で、なぜを教える時、教科書を見せるのですが、教科書を理解していない。点数至上主義となって、当面の定期テスト対策だけになり、テストさえできればいい、となっている。その結果、定期テストはいいが、実力テストがだめな子ができてしまう。小手先の授業になってしまって残念。
講習用にテキストが用意されていた。しかし、みてくれ、と言われた生徒の学力は低く、とてもそのテキストの内容では適さない、と思い。この子はこのテキストでは難しくてすすまないので、別の基本問題をやりました。と塾長に報告しました。そうすると塾長からお叱りの言葉をもらった。”このテキストでやりなさい。このテキストを親御さんがみたら、どう思うか、だ。考えなさい。”講師のやり方が塾のやり方と違って、お叱りを受けることそのものはいいですが、理由がどうも露骨で残念。
2. ほどほどが一番
あるやる気のある子がいました。やる気のある子を教えることは、私にとっては面白いことです。そこでついつい長く教えました。通常の授業時間の2倍以上教えてみました。なんども続けているうちにお叱りを受けました。”度を超える長時間の指導はするな。程度を考えてやりなさい。あまりやりすぎると他の塾生との手前、まずい。適当に打ちきれ。”とここまでは一理あると思い、考えようとした時に、追加の御言葉を頂いた。”あの子の親はこれ(お金の支払い)が渋い。あんまり長くやるとそれで満足しちゃうから、ダメだよ。” ごもっともですが、理由が下品で残念。
3. 形式的な講師への指導
講師のための研修として、偉そうな先生がやってきた。塾用に作られた教材用のビデオをつかってわかりやすく解説してくれた。なるほどいい方法である。教え方も比較的楽で、その通りできれば、生徒によってはうまくいきそうである。ビデオに出てくる生徒は素直でよくできる子の様だ。しかし、実際はいろいろな子を扱う。原則があって、例外があってしかるべき。いろいろな場面が発生してそのトラブルシュートの連続である。その辺りは?と思って聞いているとその話しはなかった。あらかじめ塾長が分析し、ビデオに出てくる子の様な方だけを担当させてもらえるのであれば、よいのですが、実際はいろいろな子を担当する。この研修の中の講師のコメントとして”特にベテランの人はこの様にやってない。”とのこと。全ての道には、適用範囲、良い点、悪い点、注意する点、いろいろな視点から見て欲しい。見れないのであれば、、適用範囲を絞ってほしい、と思いました。得るところを多々ありましたが、非現実的な御指導にやや残念。
4.節操なきオプション講座による集客
〜特訓、〜ゼミといろいろな講義名をつけて、小人数授業をしている。とにかく、やれば成績は上がる。と親御さんの不安を煽って、子どもを参加させる。具体的になにをどの様に教えるか、を考える前に、まず集客する。いろいろな子がなんとなくやってくる。普通に考えれば、ただ参加するだけで成績は上がることはありえない。でもそこそこの人数の生徒は集まる。子供を分析し、その子にはどういう指導が必要かを明示しなくても、それなりに生徒は集まる。そこそこの子が気分転換を兼ねて勉強にくるのはよいが、そうでない生徒が多く含まれている。具体的な内容・狙い・効果を説明せずに、一般論だけで、そこそこよく集まる事自体に驚いている。とりあえずの集客に残念。
5.指導レポートは自分を守ることである。
確かに、指導レポートは、子供の様子、講習の進捗、講師の引き継ぎため、など必要不可欠です。子供の成績不振などの要因を考える上で効果的です。しかし、得てして塾管理者からの講師に対する管理目的になってしまっている。内容より、書く事そのものが重要となっている。実際にレポートをつかってみんなで話し合うこともなく、挙句の果はこれで、”クレームがきた時に講師を守るための証拠”と言われる。目的が歪んで、ちょっと残念。
6.宿題を出すこと優先。
塾の教材はよくできている。特に当面のテストの点数アップには効果があります。点数をとるテクニックを明示して、そのテクニックを練習し、さらにそのテクニックを定着するため、そのテクニックに関する宿題を出す。上手くまわれば、点数アップを期待できます。しかし、このサイクルでできる子ばかりではありません。一回の講義でわかった様にみえてわかっていない。わかった、としても宿題をやらず、一週間経つと元のもくあみ。形式を意識して、また宿題を出す。宿題を出すこと自体が目的となっている。子どもとしては、学校の宿題と重なって、面倒くさくなる。生徒はわからなくても、適当に埋めるか諦める。成績が下がっても、宿題をやらない子がわるい、との論理が成立します。クレームに対する言い逃れのための宿題に残念。
7.塾にくることそのものが目的。
親に言われて、とにかく塾にはくる。しかし、子は勉強をしようという気持ちがない。家にいれば親がうるさいから塾にくるだけ?高いお金を払っているのにその見返りを得ていない。なぜ塾に通ってきているかわからない。大袈裟にいえば、詐欺の片棒を担いでいる様の気持ちで残念。
8.まずは集客
まずは、大風呂敷で生徒を集める。、その後の教育は講師まかせ。プロなんだから考えて、とか経営として成り立たなければ、とか当然の様に言ってくる。確かに教え方のノウハウは教える側自身で修得すべきでしょう。人に教える能力はその人自身で磨かないといけません。経営側としては人を育てるより、育った人を雇うことを考えるでしょう。しかし塾側では人件費を抑えるため、アルバイトを雇う。それでは育った人を雇えない。おや?それぞれの言い分はその通りですが、全体を通してみると、どうも方針とそのやり方に一貫性がみえない。それでも大方の子には効果があると思っていますが、ある生徒には効果は期待できないことが受ける前からわかります。申し訳ない気持ちになって残念。
9.PDCA(計画->実施->分析->行動)なき運営
PDCAは子供の成績ではなく、経営の観点からのPDCA中心。確かに現実は経営が成り立つことが前提で、人の教育・育成となりがちです。ある程度仕方ないでしょうが、ちょっと気が引けます。理想と現実のギャップにちょい残念。
10. すでにある教材を使いきれていない。
よくみると、学校の教科書、塾教材はよくできている。教科書は子供に考えさせる、という気持ちが現れた表現・図・写真などが意識的に載せられていて感心させられる。塾教材はそこそこの点数を手っ取り早く取れる様に、問題解法のテクニック、間違いやすい点など手際よく編集されていて感心させられる。しかし、それらは上手く活用できていない。解法のテクニックはこの塾教材で、なぜを教える時、教科書を見せるのですが、教科書を理解していない。点数至上主義となって、当面の定期テスト対策だけになり、テストさえできればいい、となっている。その結果、定期テストはいいが、実力テストがだめな子ができてしまう。小手先の授業になってしまって残念。
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