2008年10月06日
黒田で突破!20年ぶり快挙にウルウル
![](http://joker.rgr.jp/g/200810/06-2.jpg)
歓喜の輪に飛び込んだ黒田の目は涙で光っていた。しびれるようなマウンド、5万6000人の大歓声、ナインとの熱い抱擁。この瞬間を夢見ていた。クラブハウスに戻ると、仲間からシャンパンの集中砲火を浴びた。「冷たいよ」「目が痛い」とはしゃぐ。ユニホームがこれほど重たくなるとは思わなかった。
「試合が終わる瞬間は夢の中にいるような感じがした。プレッシャーはあったけど、チームの役に立てたという気持ちがある。1回目(のシャンパンファイト)より、きょうの方がうれしい」
広島時代、優勝争いとは無縁だった右腕が、メジャー1年目のポストシーズン初先発で6回1/3を無失点。日本人初の地区シリーズ勝利を呼んだのは内角を突く勇気だった。初回2死一、二塁ではソトを94マイル(約151キロ)の内角直球でバットをへし折り三ゴロ。3回2死一、二塁でも4番ラミレスに内角を突き三ゴロに仕留めた。「前回の投球(6月6日カ軍戦で4安打完封)をマーティンと分析しながら、打者も良かったスライダーを見極めてくると思った。その分、インサイドを多めに使おうと話していた」と黒田は説明した。
だが、内角攻めはそれだけが理由ではない。シーズン後半に入って黒田は宝刀シュートを微妙に修正した。「横に動くだけでは真ん中に入った時に大ケガしやすい。少し沈ませる方がゴロになりやすい」。この日は4回2死までのアウトはすべて内野ゴロと威力は絶大だった。さらに左打者の内角を突く重要性はハニカット投手コーチに気づかされた。9月20日のジャイアンツ戦で5回途中で降板した時に「左打者には4回程度しか突いていない」と指摘された。「こういうマウンドに立つことを目指してこっちに挑戦しにきた。気持ちも高ぶっていた」。そんな大舞台で周囲の声を生かし、自分の進化を加味させての快投だった。
世界一となった88年以来のシリーズ突破。ド軍の新人がシリーズ突破決定試合で勝利投手となったのは、81年に旋風を巻き起こしたフェルナンド・バレンズエラ以来だ。グラウンドで大観衆を前に黒田はマイクを握った。「マイネーム・イズ・ヒロキクロダ。サンキュー」。ド軍の歴史を呼び起こす快投を演じた右腕の名はファンの心に確かに刻み込まれた。
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