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八幡浜Diving
ダイビングを初めて40余年になります。ダイビングに関することは何でも紹介します。人生において役に立つことも紹介したいと思います。
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2024年10月25日

「流行」は最終フェーズ

 ファッションへの熱が冷めたと言うより、ファッション感覚の重心が、服から顔とか身体、装着品などにじわじわずれてきていると言う事じゃないかと思います。
それともう一つ、今何が流行っているかを意識して、その先端を皆が追い掛けると言う構造が、もはやファッションの基本形ではなくなってきていると言う事もあるかと思います。
ファッションって、資本主義と一緒に歩んできたものです。
情報格差や地域格差と言った差異に付け込み、そこから搾取すると言うのが資本主義の構造戦略ですが、それを言わば時間的な地平で動かすのが「流行」と言う現象。
新しいもの、時代遅れじゃないものと言う差異を、強迫観念の様に植え付け、絶えず商品を買い替える様煽り続けてきたのです。
要はお金さえあれば幾らでも演出できる。
その意味では資本主義下での「流行」と言う現象も、愈々最終フェーズに入ってきているのかも知れません。
ファッションって元はと言えばカムフラージュ、「擬態」です。
その両極の間の、どの辺りを落し処にするかと言うゲームに過ぎない。
ファッションは今、「アフター・ファッション」と言う地点に差し掛かっている。
人々が今「探し求めて(シーク・アフター)」いるのは「ファッション以降(アフター)」だと言えそうです。
 鷲田 清一  哲学者
                                   愛媛新聞 稜線の思考から
ファッションに何かの時代文化を読み取ろうとするのは、人々の意識を煽る効果はあるでしょうが、意味がないらしい。

失われる「面影」求めて

 面影とは、例えば、久し振りに会った幼馴染に「昔の面影がある」などと言い、母親を失った子供に「母親の面影がある」と言う様に、今はなきものの記憶を呼び覚まして昔のイメージを喚起する、と言った意味合いを持っている。
この場合、必ずしも記憶ははっきりしたものでなくともよい。
大事な事は、それがもう存在しないにも関わらず、その存在しないものが、微かに、朧気に、今ここにおいて透かし見る事ができる、と言う事だ。
母親の姿はここには「ない」のに、子供を通して、今ここに「ある」かの様に思えてくる。
過ぎ去って既に「ない」ものが、今「ある」ものの中に浮かび上がってくる、と言う様な現実感覚が日本文化の重要な特質だと言ってよいだろう。
この事は又、言い換えれば、我々日本人は、現在この場に現実に存在するものの内に、過ぎ去って消えてしまったものを見ようとする、と言ってもよい。
ぞの時、我々は過ぎ去ったものを愛おしみ、移り行く時を感じる。
 京大名誉教授  佐伯 啓思
                                     愛媛新聞 現論から
日本は益々「面影」を失いつつあるらしい。
「地方を守る」と言う政治家の言葉も空しく響くらしい。