日本が外敵から武力攻撃を受けた時、必要最小限度の武力でこれに対処する、所謂個別的自衛権の行使も、その為の組織(自衛隊)の保持も、憲法9条は禁止していない。
この事を正々堂々と主張すれば良いのであって、自衛隊違憲論を気にする必要はない筈である。
気にし過ぎた挙げ句、自衛隊を9条に明記すべきだと言うのが自民党の主張の様である。
然し「自衛隊の明記」は簡単な事ではない。
自衛隊は日本独特の組織である。
「自衛隊を保持する」と憲法の条文に書いただけでは、誰に指揮権があり、何を任務とするどの様な組織なのかは分からない。
何処の国にもある「裁判所」や「内閣」とはそこが違う。
「自衛隊」の保持を明記しただけでは、任務も組織の仕方も不明なので、「自衛隊の組織及び権限については、法律でこれを定める」と憲法に書いておけば良いのだろうか。
そうはいかない。
それでは、国会の多数派で議決できる法律で、自衛隊の規模や権限がどんどん拡大していくリスクがある。
現在の政府解釈でも認められていないフルスペックの集団的自衛権も、法律で定めれば認められ、地球の裏側まで出かけて武力を行使する事に成り兼ねない。
そうすると、現在、自衛隊の組織や任務について事細かに定めてある自衛隊法の条文を全て憲法に平行移動させる事になるのだろうか。
それでは、自衛隊に関する条文だけがやたらと幅を利かせる、如何にもバランスの悪い憲法典になってしまう。
平和憲法の筈なのに、相当部分を自衛隊の条文が占める事に成り兼ねない。
自衛隊を憲法に明記しても現状は変わらないと言われる事があるが、そんな保証がない事は今までの説明からお分かり頂けるであろう。
国会の会派間で改正について合意がある訳でもなく、抑々不必要な憲法改正である。
止めておいた方が良い。
寧ろそれまでの政府の憲法解釈を筋の通った説明もなく変更して、集団的自衛権の行使を「部分的」に容認すると言う「解釈壊憲」を行った2014年の閣議決定を見直すべきであろう。
日本の防衛の為に如何しても集団的自衛権の行使が必要だと言うのであれば、国民にその理由を十分説明した上で、正面からその旨の憲法改正をすべきである。
早稲田大教授 長谷部 恭男
愛媛新聞 現論から
「自衛隊の明記」は簡単な事ではないらしい。
自衛隊を憲法に明記すると現状が変わるらしい。
抑々不要な憲法改正は止めておいた方が良いらしい。
自民党や改正しようとしている人の嘘に騙されない様に。
憲法学者が一番よく知っている。
2024年10月12日
気にし過ぎた違憲論:1
退任した岸田前首相は、憲法9条に自衛隊を明記する事に拘った。
自衛隊の憲法への明記は必要だろうか。
結論から言えば不要である。
自衛隊は9条2項で保持を禁じられている「戦力」に当たるので違憲だとする議論があるが、この議論は誤りである。
戦力とは、戦争を遂行する能力である。
戦争は同条1項に言う「国際紛争を解決する手段」、詰まり、国家間の紛争を解決する手段として遂行される。
私人間の紛争と異なり、国家間の紛争を公正に解決してくれる裁判所は簡単には見付からない。
そこで伝統的に、国家間の紛争は決闘で決着を付けてきた。
それが戦争である。
決闘である以上、勝った方が正しい。
敗者は勝者の言い分を受け入れざるを得ない。
この考え方からすると、各国は決闘で勝つ為、限りない軍備拡張競争に陥る事になるし、戦火が開かれれば、双方に甚大な犠牲を齎す。
そこで1929年に発効した不戦条約は、国際紛争を解決する手段である戦争を禁止する事にした。
この考え方を受け継いで「国際紛争を解決する手段」としての戦争を放棄したのが、憲法9条である。
だから、戦争を遂行する能力である「戦力」の保持も禁止されている。
外敵から不正な武力攻撃を受けた場合に国民の生命や財産を守る為、必要最小限度の武力でこれに対処する自衛権の行使は、決闘ではない。
街中でいきなり暴行を受けた時に身を守ろうとするのと同じ正当な実力の行使である。
不戦条約も、自衛権の行使を否定するものではなかった。
9条も同様である。
早稲田大教授 長谷部 恭男
愛媛新聞 現論から
自衛隊の憲法への明記は不要らしい。
自衛隊違憲論を気にする必要はないらしい。
自民党が気にし過ぎた挙句らしい。
安倍元首相も言っていたが、安倍氏も岸田氏も石破氏も自民党も勉強不足の様だ。
自民党は可笑しくなっている。
交代が必要だと思う。
自衛隊の憲法への明記は必要だろうか。
結論から言えば不要である。
自衛隊は9条2項で保持を禁じられている「戦力」に当たるので違憲だとする議論があるが、この議論は誤りである。
戦力とは、戦争を遂行する能力である。
戦争は同条1項に言う「国際紛争を解決する手段」、詰まり、国家間の紛争を解決する手段として遂行される。
私人間の紛争と異なり、国家間の紛争を公正に解決してくれる裁判所は簡単には見付からない。
そこで伝統的に、国家間の紛争は決闘で決着を付けてきた。
それが戦争である。
決闘である以上、勝った方が正しい。
敗者は勝者の言い分を受け入れざるを得ない。
この考え方からすると、各国は決闘で勝つ為、限りない軍備拡張競争に陥る事になるし、戦火が開かれれば、双方に甚大な犠牲を齎す。
そこで1929年に発効した不戦条約は、国際紛争を解決する手段である戦争を禁止する事にした。
この考え方を受け継いで「国際紛争を解決する手段」としての戦争を放棄したのが、憲法9条である。
だから、戦争を遂行する能力である「戦力」の保持も禁止されている。
外敵から不正な武力攻撃を受けた場合に国民の生命や財産を守る為、必要最小限度の武力でこれに対処する自衛権の行使は、決闘ではない。
街中でいきなり暴行を受けた時に身を守ろうとするのと同じ正当な実力の行使である。
不戦条約も、自衛権の行使を否定するものではなかった。
9条も同様である。
早稲田大教授 長谷部 恭男
愛媛新聞 現論から
自衛隊の憲法への明記は不要らしい。
自衛隊違憲論を気にする必要はないらしい。
自民党が気にし過ぎた挙句らしい。
安倍元首相も言っていたが、安倍氏も岸田氏も石破氏も自民党も勉強不足の様だ。
自民党は可笑しくなっている。
交代が必要だと思う。