2015年05月01日
「事故多発現場の観世音菩薩」を動画化
旭川−深川間の道央自動車道で多発する自損事故の謎を「事故多発現場下の慰霊碑」として、昨年ブログに取り上げた。この背景には、事故多発地点の真下に建立されている、交通安全を祈願した観世音菩薩が鍵を握っているのではと、その謎を追った。
今回、事故の多発する道央自動車道・旭川−深川間の音江パーキング付近と、この直下の国道12号線沿いに建てられた観世音菩薩を動画に納めた。
道央自動車道でのこの場所の事故は、旭川方向に向かう下り車線では、下り坂の右カーブを曲がりきれずに路側帯に衝突。また札幌に向かう上り車線は、左カーブの上り坂でスピードを出し過ぎて路側帯に衝突するケースが圧倒的。冬はこの場所で毎週のように事故が発生して、その都度通行止めとなった。
音江パーキング付近で道央自動車道と並行して走る国道12号線も、交通事故の多発現場として知られる。この道央自動車道下の国道12号線は、見通しの良い追い越し禁止の直線道路。
ここでは死亡事故が相次いでいる。例えば、平成18年から22年にかけては3件の死亡事故が発生。いずれも無理な追い越しが原因だ。この音江地区の国見峠と内園間は、以前から事故が相次いで発生。事故に巻き込まれた霊を慰めるため、昭和38年5月に深川地区交通安全委員会と音江村の手で、観世音菩薩が道路脇の高台に建立された。つまり、今から51年前にも事故が多発していたということだ。
こうした12号線や、その上を走る道央自動車道で多発する事故の原因のひとつとして、このブログで取り上げたのが、道路建設の歴史にまつわる怨霊の話。
この国道12号線は、明治19年に岩見沢から旭川(音江)間の上川仮道路として完成した。仮道路工事には多くの囚人が投入され、過酷な環境の下で多数の犠牲者を出して、90キロメートルの区間を僅か95日間で開通させた。
また、明治20年から三笠−滝川−旭川間の改修工事を開始。この道路建設を進める改修工事にも、囚人が大量投入された。樺戸・札幌・空知の監獄から動員された囚人は延べ17万7660人といわれ、こうした囚人労働力が改修工事の主要労働力となった。
旭川から北見、網走に抜ける別名”囚人道路”といわれた工事と同じく、犠牲になった囚人は数知れない。昭和44年にようやく、工事犠牲者の霊を慰める「上川道路開さく記念碑」が砂川の空知太神社の敷地に建立された。上川道路(国道12号線)は囚人道路とは言われないが、実態は家畜以下の扱いしかされなかった、旭川−網走間の333号線中央道路の囚人と何ら変わらなかったようだ。上川道路工事の終点となった音江町のこの場所に、犠牲となった囚人の怨霊が祟っていても不思議はない。
岩見沢を基点とした工事の終点が、交通事故の多発する現在の音江地区の国道12号線。それも、観世音菩薩が建立されたこの場所に集中する。さらに、その上を走る道央自動車道も事故の多発する場所。これが偶然として片付けられない。
写真上左:音江の国道12号線沿いに建立されている観世音菩薩。昭和38年に建てられた、下はyoutubeに投稿した「事故多発現場の観世音菩薩」動画
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今回、事故の多発する道央自動車道・旭川−深川間の音江パーキング付近と、この直下の国道12号線沿いに建てられた観世音菩薩を動画に納めた。
道央自動車道でのこの場所の事故は、旭川方向に向かう下り車線では、下り坂の右カーブを曲がりきれずに路側帯に衝突。また札幌に向かう上り車線は、左カーブの上り坂でスピードを出し過ぎて路側帯に衝突するケースが圧倒的。冬はこの場所で毎週のように事故が発生して、その都度通行止めとなった。
音江パーキング付近で道央自動車道と並行して走る国道12号線も、交通事故の多発現場として知られる。この道央自動車道下の国道12号線は、見通しの良い追い越し禁止の直線道路。
ここでは死亡事故が相次いでいる。例えば、平成18年から22年にかけては3件の死亡事故が発生。いずれも無理な追い越しが原因だ。この音江地区の国見峠と内園間は、以前から事故が相次いで発生。事故に巻き込まれた霊を慰めるため、昭和38年5月に深川地区交通安全委員会と音江村の手で、観世音菩薩が道路脇の高台に建立された。つまり、今から51年前にも事故が多発していたということだ。
こうした12号線や、その上を走る道央自動車道で多発する事故の原因のひとつとして、このブログで取り上げたのが、道路建設の歴史にまつわる怨霊の話。
この国道12号線は、明治19年に岩見沢から旭川(音江)間の上川仮道路として完成した。仮道路工事には多くの囚人が投入され、過酷な環境の下で多数の犠牲者を出して、90キロメートルの区間を僅か95日間で開通させた。
また、明治20年から三笠−滝川−旭川間の改修工事を開始。この道路建設を進める改修工事にも、囚人が大量投入された。樺戸・札幌・空知の監獄から動員された囚人は延べ17万7660人といわれ、こうした囚人労働力が改修工事の主要労働力となった。
旭川から北見、網走に抜ける別名”囚人道路”といわれた工事と同じく、犠牲になった囚人は数知れない。昭和44年にようやく、工事犠牲者の霊を慰める「上川道路開さく記念碑」が砂川の空知太神社の敷地に建立された。上川道路(国道12号線)は囚人道路とは言われないが、実態は家畜以下の扱いしかされなかった、旭川−網走間の333号線中央道路の囚人と何ら変わらなかったようだ。上川道路工事の終点となった音江町のこの場所に、犠牲となった囚人の怨霊が祟っていても不思議はない。
岩見沢を基点とした工事の終点が、交通事故の多発する現在の音江地区の国道12号線。それも、観世音菩薩が建立されたこの場所に集中する。さらに、その上を走る道央自動車道も事故の多発する場所。これが偶然として片付けられない。
写真上左:音江の国道12号線沿いに建立されている観世音菩薩。昭和38年に建てられた、下はyoutubeに投稿した「事故多発現場の観世音菩薩」動画
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