2018年09月25日
しあわせの3原則 森信三先生 言霊10選 第3
森信三先生 言霊10選 第3。
しあわせの三原則
1、比較しない。
2、足るを知る。
3、できるだけ感謝の念を持つ。
「しあわせ」という定義というものは有史以来いろんな言葉があり、いろんな宗教で言われてました。
ただ、しあわせの原則というものを明確に簡単に三原則というものを言った偉人はすくないと思います。
1、比較しない。
現代は比較のしっぱなしであります。何でも比較をします。
比較することが仕事のように。
比較という統計データー的に数値がすることは現代は最も重大な尺度かもしれません。
それは経済活動としては金銭の尺度でもあるからでしょう。
でも、それがしあわせでしょうか?
お金持ちがしあわせでしょうか?
比較されてしあわせでしょうか?
比較されて一番勝っていることがしあわせでしょうか?
比較する立場になって優越を決めることがしあわせでしょうか?
財の尺度、物事の優越の尺度の中では比較は大切です。
ただ、しあわせという尺度の中には比較は不幸になります。
なぜなら、人の価値に上も下もないし、人間のしあわせの価格表もありません。
しかも、しあわせの定義は人によって異なり、人は時と場によってしあわせ感は異なります。
ですから、比較対照はできないのです。
それをすることによって囚われて、数値目標を絶対尺度とし、何のための目的が阻害され、金銭だけを追う。勝つことだけに執着してしまうのです。
そういったもののみ目標達成しても達成感の喜びは一瞬であり、その達成のために弊害や失ったものが多いはずです。
すべての不幸は比較からはじまります。
他人と比較しないこと。
過去の自分と比較しないことです。過去は今を良くするための経験です。
比較して良き発想も良き事もありません。
比較しないことです。
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2、足るを知る。
不足とおもわないことです。現状に不満におもわないことです。
現状をしっかり理解すること。現状把握をすることです。
問題が起こった時、現状分析をすれば、8割方解決策がでるでしょう。
そして、現状に感謝することです。
不足と思うと「必要」「期待」「嫉妬」が生まれます。
「必要」と思うと買わないといけないと思います。誰かに頼まないと思います。
他人の時間やものを使うことは不幸のはじまりです。
それに代価を支払うのはともかく、言葉のみ迫るというのは自分ができないことならしかたありませんが、ただ、面倒だから、嫌な目を逢いたくないから、自分の部下だから、自分の子供だからという理由で人にやらせます。
そして、やってもらってその人が、その子が失敗したら責任を捕らせます。これが「期待」の正体です。
人は時に前向きな言葉で「期待」という言葉を言いますが「罰」もワンセットになっている言葉です。
他人に期待する人ほどしあわせから遠ざかります。他人に依存しますから。
自分に期待するのです。自分にできないことは依頼されません。自分ができるから依頼されます。または出会います。
その人ができることしかその人の前に現れません。例え、絶望的な境遇であったり、悲惨なことでも現状の中で解決ができるから表れます。
それに気付くことが人間の使命かもしれませんね。必ず自分で解決できます。
現状に感謝し、現状のことを精根込めてやる。
しあわせの近道です。
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3、できるだけ感謝の念を持つ。
人はともかく、物にも感謝の念を持つことです。
人と人の出会いは確率的にはとてつもない確率です。大きな尺度で考えます。目の前の人が存在した確率をその人の先祖の生存の確率をだします。
それだけでも1兆を超える確率だし、今、出会っている確率もこれも数字ではとてつもない数字になります。
この奇跡的な出会いの中で、今を感謝すること。
感謝が「不幸」を鎮火させる最善の念いでしょう。
今年、自分のお客様でコンピューターのネットワーク障害で原因がよくわからないことがありました。いろいろ検証しても問題点がないのですが障害が発生する。
その時、お客様がふと「こういったことに出会ったことにも感謝しないと」と私に語ってくれました。
それから障害がまったくなくりなりました。感謝の念はものにも如実にあらわるのでは。偶然かもしれませんが。
できるだけ感謝の念を持つように心がけたいものです。
↓押して頂くと励みになります。

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しあわせの三原則
1、比較しない。
2、足るを知る。
3、できるだけ感謝の念を持つ。
「しあわせ」という定義というものは有史以来いろんな言葉があり、いろんな宗教で言われてました。
ただ、しあわせの原則というものを明確に簡単に三原則というものを言った偉人はすくないと思います。
1、比較しない。
現代は比較のしっぱなしであります。何でも比較をします。
比較することが仕事のように。
比較という統計データー的に数値がすることは現代は最も重大な尺度かもしれません。
それは経済活動としては金銭の尺度でもあるからでしょう。
でも、それがしあわせでしょうか?
お金持ちがしあわせでしょうか?
比較されてしあわせでしょうか?
比較されて一番勝っていることがしあわせでしょうか?
比較する立場になって優越を決めることがしあわせでしょうか?
財の尺度、物事の優越の尺度の中では比較は大切です。
ただ、しあわせという尺度の中には比較は不幸になります。
なぜなら、人の価値に上も下もないし、人間のしあわせの価格表もありません。
しかも、しあわせの定義は人によって異なり、人は時と場によってしあわせ感は異なります。
ですから、比較対照はできないのです。
それをすることによって囚われて、数値目標を絶対尺度とし、何のための目的が阻害され、金銭だけを追う。勝つことだけに執着してしまうのです。
そういったもののみ目標達成しても達成感の喜びは一瞬であり、その達成のために弊害や失ったものが多いはずです。
すべての不幸は比較からはじまります。
他人と比較しないこと。
過去の自分と比較しないことです。過去は今を良くするための経験です。
比較して良き発想も良き事もありません。
比較しないことです。
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2、足るを知る。
不足とおもわないことです。現状に不満におもわないことです。
現状をしっかり理解すること。現状把握をすることです。
問題が起こった時、現状分析をすれば、8割方解決策がでるでしょう。
そして、現状に感謝することです。
不足と思うと「必要」「期待」「嫉妬」が生まれます。
「必要」と思うと買わないといけないと思います。誰かに頼まないと思います。
他人の時間やものを使うことは不幸のはじまりです。
それに代価を支払うのはともかく、言葉のみ迫るというのは自分ができないことならしかたありませんが、ただ、面倒だから、嫌な目を逢いたくないから、自分の部下だから、自分の子供だからという理由で人にやらせます。
そして、やってもらってその人が、その子が失敗したら責任を捕らせます。これが「期待」の正体です。
人は時に前向きな言葉で「期待」という言葉を言いますが「罰」もワンセットになっている言葉です。
他人に期待する人ほどしあわせから遠ざかります。他人に依存しますから。
自分に期待するのです。自分にできないことは依頼されません。自分ができるから依頼されます。または出会います。
その人ができることしかその人の前に現れません。例え、絶望的な境遇であったり、悲惨なことでも現状の中で解決ができるから表れます。
それに気付くことが人間の使命かもしれませんね。必ず自分で解決できます。
現状に感謝し、現状のことを精根込めてやる。
しあわせの近道です。
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3、できるだけ感謝の念を持つ。
人はともかく、物にも感謝の念を持つことです。
人と人の出会いは確率的にはとてつもない確率です。大きな尺度で考えます。目の前の人が存在した確率をその人の先祖の生存の確率をだします。
それだけでも1兆を超える確率だし、今、出会っている確率もこれも数字ではとてつもない数字になります。
この奇跡的な出会いの中で、今を感謝すること。
感謝が「不幸」を鎮火させる最善の念いでしょう。
今年、自分のお客様でコンピューターのネットワーク障害で原因がよくわからないことがありました。いろいろ検証しても問題点がないのですが障害が発生する。
その時、お客様がふと「こういったことに出会ったことにも感謝しないと」と私に語ってくれました。
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