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2020年03月12日

ヒトラーが独裁権を握る道 第二部 ヒトラーが独裁政権を握る迄



  


 

 特別企画 緊急事態宣言 実践の具体化 ヒトラーの手法を学ぶ
 

 ヒトラーが独裁権を握る道  第二部 ヒトラーが独裁的全権を握る迄


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 ◆「全権委任法(授権法)」の提出とナチスの一党独裁によるファシズム体制の確立

 ・1933年1月30日(43歳)ヒトラーが首相に就任し、ヒトラー内閣が発足。
 ・1933年2月1日(43歳)全議会の3分の2の議席確保を狙うヒトラーの思惑によって議会が解散され、3月5日に総選挙が実施されることが決定する。
 ・1933年2月27日(43歳)選挙期間中に「国会議事堂放火事件」が発生。
 ・1933年2月28日(43歳) ヒトラーはこれを共産党による組織的犯行を決めつけると「民族と国家を防衛する為の大統領緊急令」を出させて、憲法で保障された基本的人権を停止し、反政府活動を予防拘束出来る事にし、共産党に対する弾圧を始める。
 ・1933年3月5日(43歳) ドイツ国会選挙が実施されナチスは196から288へと大幅に増加させて第一党の地位も確保したが、ヒトラー念願の全議会の3分の2を獲得する迄には至ら無かった。
 ・1933年3月24日(43歳) ヒトラーは議院運営規則を改正して野党の欠席戦術を防ぎ、共産党員は逮捕させる等した上で、残った中央党を議場に入れた突撃隊で圧力を掛けつつ協力させて議席の3分の2を確保し「全権委任法」を可決させる。
 ・1933年4月26日(43歳) ヘルマン・ゲーリングに「プロイセン秘密国家警察局」を創設させ共産勢力の一掃に乗り出す。
 ・1933年6月22日(43歳) 「社会民主党 強制解散法」を制定し120議席も有して居たドイツ社会民主党を共産党と同様解散させて議会から消滅させる。
 ・1933年7月14日(43歳) ナチ党以外の政党を禁止

 ナチスは選挙で第一党と為り、ヒトラーも首相に任命されたが、議会全体におけるナチスの議席は過半数にも及ばずその政権基盤は脆弱だった。ナチスから入閣が許されたのは首相のヒトラーと内相のフリック・無任所相のゲーリングの三人のみで、副首相にはヒンデンブルク大統領お気に入りのパーペンがお目付け役として付けられた。
 こうした状況に、ヒトラーは何と首相就任後、足った1ヶ月程で、又も解散総選挙を行う事を決断。1932年の7月と11月と立て続けて行われた総選挙から更に3ヵ月後の1933年3月5日、今度はヒトラー首相の下で行われた総選挙では、ナチスが反対派集会への殴り込みや対立候補の選挙ポスター剥がし等の不法行為が行われたが、更にこの選挙では、選挙期間中の2月27日の夜、国会議事堂が放火される事件が発生し、その犯行が共産党の仕業だと憶測された結果、共産党は前回の100議席から81議席に迄議席を急落させる結果と為った。

 ナチスは強引な選挙戦で議席を196から288へと大幅に急増させて第一党の地位も保ったが、単独では全体の45%で単独過半数には届かず、左派勢力である社会民主党を除いた他の中央党や国家人民党と連立を組んでも議会全体の64%で矢張りわずかに3分の2に届か無かった。
 与党で3分の2に達しさえすれば、ドンな法律でも通す事が出来る様に為る。ソコでヒトラーは、総選挙中に起こされた国会放火事件の黒幕を共産党だったと断定し、共産党の獲得した議席を選挙違反として無効化する事を宣言した。
 こうして全議席数が647から566へと減少し、そしてその結果、ヒトラーは連立で3分の2の議席を確保する事と為った。

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 そして3分の2の議席を獲得したヒトラーが早速に議会に提出したのが「国民と国家の窮状を除去する為の法」所謂「全権委任法(授権法)」と云う法案だった。ヒトラーが共産党に濡れ衣を着せて迄押し通そうとした「全権委任法」とは、

 第一条 立法権を政府(ヒトラー内閣)に認める
 第二条 第一条で定められた政府立法は憲法に優越する
 第三条 同じく政府立法は大統領権限に優越する
 第四条 外国と条約を締結する際、議会の承認を必要としない
 第五条 本法律は4年間の時限立法とする

 
 と云うものだった。「4年間の時限立法」とされたが、その間、ヒトラー政権は、議会も大統領もそして憲法すら無視して独裁政治を行う事が可能と為る法律だった。しかしその「時限立法」と云う建て前も、それは取り敢えず立場を決め兼ねている浮動票を味方に取り込む為の方便に過ぎず、期限が来れば延長すれば好いだけの事で、実際、彼等はその様にした。
 念願の「全権委任法」を手に入れたヒトラーは、イヨイヨ己の理想を現実に移すべく動き始めた。ヒトラーはこれまで

 「混血コソが死滅の原因である!一つの民族は、一つの国家によって構成され、一人の指導者によって導かれ、一つの政治理念・一つの体制・一つの思想を以て同質化・均一化・純血化され無ければ為ら無い!」

 と叫んで居たが、イヨイヨそれが「強制的同一化」政策として実現化する事と為った。1933年4月26日、ヘルマン・ゲーリングに「プロイセン秘密国家警察局」を創設させ共産勢力の一掃に乗り出す。
 当時のベルリンは「赤いベルリン」との異名が付く程共産主義勢力の強い地域だった。6月22日には「社会民主党 強制解散法」を作って、120議席も有してドイツ社会民主党を、何かと反発するからとの理由で共産党と同様、解散させて議会から消滅させてしまった。
 だけで無く、ドイツではウァイマール憲法が存在した状態のママ、ナチ党以外の政党が全て消滅し、
「政党新設禁止法」迄出され、こうしてドイツはヒトラー率いるナチスの一党独裁体制によるファシズム国家として変貌を遂げる結果と為ったのだった。

 又付け足すかも知れないので連載形式にして置きます。ヒトラー個人に付いての細かい考察や、ヴァイマル共和制時代のドイツの歴史に付いてのまとめに付いては、次もご参照ください。


                  以上


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ヒトラーが独裁権を握る道 第一部 ヒトラーが政権を握る迄




 




 特別企画 緊急事態宣言 実践の具体化 ヒトラーの手法を学ぶ


 管理人・・・安倍晋三政権が新型コロナウィルス感染症対策の為にと、恰も「待ってました!」とばかりにこの緊急時のドサクサに紛れる様に「緊急事態宣言」新法・改正案を提出し野党への根回しを行い既に衆院を通し、本日3/13参院での通過を図って居ます。
 この緊急事態宣言とは、戒厳令の様に「国民個人・団体」等、政権が無差別に行動を規制・指示出来る事を担保するものであり最も無定見な法律として警戒すべきものです。今回特別企画として、この悪法を強引に進め権力を手中にした、戦前のドイツ・ナチ党のヒトラーの手法を学びます。



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 【近代歴史】 ヒトラーが独裁権を握る道
 

 第一部 ヒトラーが政権を握る迄

 神野正史『世界史劇場 ナチスはこうして政権を奪取した』より・・・ヒトラーがドイツでどの様な過程を経てファシズム体制を確立するに至ったかその略歴のまとめ。

 ◆ヒトラーの誕生とドイツへの移住

 ・1889年4月20日 アドルフ・ヒトラー誕生
 ・1913年(24歳)  オーストリア=ハンガリー帝国からの兵役を逃れる為ミュンヘンへ移住
 ・1914年(25歳)  第一次世界大戦が勃発・ヒトラーはドイツ帝国軍に資源兵として応募し西部戦線で活躍。


 1889年4月20日、アドルフ・ヒトラーはドイツとの国境に近いオーストリアのブラウナウの地で、オーストリア税関事務官の家の息子として誕生。ヒトラーは幼い頃から絵を描く事が好きで画家を目指して居たが、1913年、オーストリア政府からの「召集令状」が届くと、ヒトラーは「ハプスブルク家ナンかの為に命を賭けて戦えるか!」と云って、オーストリアを出奔して南ドイツのミュンヘンへと移り住んだ。ヒトラーは「ドイツ人の統一を阻む存在」として、ハプスブルク家を毛嫌いして居た。

 そんな中、1914年に「第一次世界大戦」が勃発。ドイツはオーストリアと組みイギリス・フランス・ロシアを相手に戦ったが、ヒトラーはこの大戦にオーストリアの時とは打って変わって、直ちにドイツ帝国の志願兵として応募し、イギリス・フランス軍と塹壕線を挟んで激戦が繰り返された西部戦線へと配属される。
 ヒトラーは志願兵で5年も軍に在籍し、勇敢な伝令兵として鉄十字勲章を二度も貰う程前線で活躍したが、ヒトラーの愛する祖国ドイツは戦争に敗れ、戦後、巨額の賠償金を支払わされる結果と為った。

 ◆ドイツの敗戦と「ヴァイマール共和国」の誕生

 ・1918年11月(29歳) ドイツが降伏し第一次世界大戦が終結
 ・1919年1月(30歳)  ヴァイマール憲法に基づいて第一回総選挙の実施


 第一次世界大戦終結後、敗れたドイツ帝国は解体されて、帝国から共和国・ドイツ国と為り、ドイツ国憲法(通称ヴァイマール憲法に基づく新体制へと移行した。1919年1月、ヴァイマール憲法に基づいて実施された第一回総選挙では、社会民主党が第一党を獲得。
 但し、社会民主党は単独過半数を取れ無かった為、民主党・中央党との三派連合内閣を形成する事と為った。初代大統領はF・エーベルト・初代首相はP・H・シャイデマンが就任。当時、ヴァイマール憲法は、20歳以上の男女の普通選挙を実現する等「世界で最も民主的な憲法」と云われたが、その一方で、大統領が有して居た権限は、

 ・陸海空軍の統帥権を持つ
 ・意にそぐわぬ議会に対する解散権を持つ
 ・意にそぐわぬ首相に対する任免権を持つ
 ・イザと為れば、憲法すら停止する権限を持つ


 等、極めて絶大なものだった。ヴァイマール共和国における大統領の地位は、ドイツ帝国における「皇帝」(カイザー)と変わら無い程強い権力を持ち、もし「悪意」を持つ者が大統領に為れば、忽ち独裁国家に生まれ変わり得る大変危うい憲法だった。そして、その懸念は、後にヒトラーの登場によって現実のものと為った。

 ◆ヒトラーが「ドイツ労働者党・Deutsche Arbeiterpartei・Dap」へ入党

 ・1919年9月(30歳) ヒトラーは「ドイツ労働者党・Dap」へ入党
 ・1920年2月(31歳) Dapから「ドイツ国家社会主義労働者党・NSDAP・ナチス」へと改名
 ・1921年2月(32歳) 党内のクーデターにより、ヒトラーが第一議長に指名される。


 ヒトラーは戦後も軍に属して居たが、総選挙後、1919年9月、ヒトラーは直属の上司である国防軍第四軍団司令官カール・マイル大尉から「ドイツ労働者党・Deutsche Arbeiterpartei・Dap」のスパイを命じられる。
 「ドイツ労働者党・Dap」A・ドレクスラーを党首とした右翼政党で、その頃は未だ党員40名程度の泡沫政党の一つに過ぎ無かったが、右派政党として、ヴェルサイユ体制を否定し、ユダヤ人の抹殺や現政府の打倒を叫ぶ等過激な運動を展開して居た。

 ヒトラーはドイツ労働者党・Dapの活動内容を軍に報告する任務を与えられたが、ドレクスラーの反ユダヤ主義・反資本主義の演説に感銘を受け、正式にドイツ労働者党・Dapに入党し、翌年の1920年には軍も除隊。ドイツ労働者党・Dapに入党したヒトラーは得意の演説の才能を発揮して、党の規模を飛躍的に急成長させて行く。
 ヒトラーは、政党として党章も党旗も綱領も持た無かったドイツ労働者党Dapに「ヴェルサイユ条約の破棄」「ユダヤ人の排除」「全体主義の主張」「強力な独裁政府の要求」等と云ったナチズムの基本が結集した「25ヶ条の綱領」を定め、1920年2月24日には党名も「国家社会主義ドイツ労働者党・NSDAP・所謂ナチ」と改称。

 鉤十字の党章と党旗や党服「ハイルヒトラー!」の掛け声で有名なナチス式敬礼をムッソリーニが採用して居たローマ式敬礼を真似て導入した。又、ナチスの集会を妨害して来る敵対勢力との抗争の為に、殴り込みや宣伝活動・示威行進等を行う実行部隊として、退役軍人のエルンスト・レームを隊長に据えた「整理隊」を組織。この整理隊が1921年に「突撃隊・SAエスアー」として成長して行く。

 そして1921年7月、党内抗争でドレクスラーを名誉議長にして、ヒトラーは党の第一議長・党首に就任。自らを唯一絶対の指導者とする独裁権を確立するに至ったヒトラーは党内で、指導者を意味する「Fuhrer・フィユラー」と呼ばれる様に為る。









 ◆フランスによる「ルール出兵」とドイツでのハイパーインフレの発生

 ・1923年1月(34歳)  「パリ会議」の開催
 ・1923年1月11日(34歳) フランス・ベルギー軍による「ルール出兵」


 ドイツは第一次世界大戦時の賠償で、総額1320億マルク、年に60億マルクと云う莫大な賠償金を負って居た。ドイツはその支払いの猶予を求めるが、1923年1月に開かれた「パリ会議」で、フランスの首相ポアンカレーは頑として猶予を認めず「賠償問題は全てに優先し、現金徴収が不可能だと云うのなら、フランスは占領と征服を選ぶだけだ」と云って会議は決裂した。
 その後フランスは、同じく第一次大戦でドイツに苦しめられたベルギーを誘い、1923年1月11日、当時のドイツにおける石炭採掘量の73%・鉄鋼生産量の83%を占めて居た「ルール地方」への出兵を強行。(ルール出兵)

 しかし、フランスの強引な占領に怒ったルールの労働者達は、一斉にストライキやサボタージュで抵抗。給与を止められたルールの労働者達にドイツ政府は給与を保証し、造幣局の輪転機を回し続けて紙幣を発行し続けた結果、ドイツ国内で凄まじい「ハイパー・インフレーション」が発生。
 フランスによるルール出兵が開始された1923年1月にはパン一斤の値段が250紙マルクだったものが、その年末の12月には約4000億紙マルクに迄高騰。足った一年の間に16億倍に迄物価が跳ね上がった

 ◆国内の経済不安を背景にナチスが党勢を拡大

 ヒトラーは、フランスによるルール出兵に対する国民の怨嗟を背景にナチスの党勢を伸ばし、ヒトラーが党首と為った年の1921年1月には党員約3000名だったものが、1922年2月には約6000名、1923年3月には1万5000名に、フランスのルール出兵の一年間の間に激増し、1923年の11月には党員5万6000名に迄膨れあがった。

 ※ナチ党の勢力拡大

 1921年1月、党員約3000名
 1922年2月、党員約6000名
 1923年11月、党員5万6000名


 ◆バエルン州政府とナチスの共闘によるバイエルン州独立運動の画策

 ・1923年9月 バイエルン州で右派のグスタフ・フォン・カールが独裁権を持った州総督に任命され、州警察長官のザイサー・州駐在陸軍司令官のロッソウ等三名による「三頭政治」が成立し、ヴァイマール中央政府からの分離独立を窺う。
 ・1923年一杯に掛けてドイツ全土でハイパーインフレーションが猛威を振るい、労働者は怨嗟の声を上げ、クーノ内閣退陣要求運動が発生した結果、クーノ政権は崩壊し、1923年8月にシュトレーゼマン首相の新内閣が発足。


 ヒトラーはこの混乱時に、一気にヴァイマール中央政府を倒す事を考える。ナチスの拠点はバイエルン州の州都であるミュンヘンに在ったが、その頃バイエルン州は中央から大幅な自治が認められ、州総督のカール・州警察長官のザイサー・州駐在陸軍司令官のロッソウら三名による「三頭政治」が布かれて居た。
 そしてコノ三人は、この時の中央政府の混乱に乗じて、バイエルン州を中央から独立させ、バイエルン王家による「王国」を復活させたいと画策し始めた。

 バイエルンは元々ドイツ統一前はプロイセンに次ぐ王国で、ドイツがヴィルヘルム1世・宰相ビスマルク率いるプロイセン王国によって統一された後も、バイエルンは王国のママドイツ帝国内に残され、大幅な自治権を認められる等独立性の強いの領域だった。
 ヴァイマール共和国成立後はバイエルン州と為ったが、ヴァイマール共和国を構成する「州・ラント」もドイツ帝国時代の連邦諸国が元に為って居て、夫々が独自の警察・議会・内閣や軍を持ち、司法権も各州の管轄下に置かれる等、 大きな自治権力を有して居た。

 バイエルンでは大戦末期からの一時期、左翼勢力が政権を握るが、元々カトリック優勢の保守色の強い地域で、1920年に保守政党のバイエルン人民党によってドイツ社民党・SPDのヨハネス・ホフマン政権が打倒されると、この時にグスタフ・フォン・カールがバイエルン州の首相として選出される事と為る。
 カールはバイエルン人民党の中でも右派に属し「マルクス主義とユダヤ主義に反対する世界観闘争のドイツ的な者の代表者は私である」と演説する様な、自由主義者や社会主義者・共産主義者を嫌い、バイエルンのヴィッテルスバッハ王家の復活も視野に入れる君主制復古主義者の人物だったと云う。

 バイエルン右翼の分離主義者に支えられたカールは、バイエルン州の独立を目指した。彼等は、1923年1月にフランスとベルギーによって強行された「ルール占領」に、ドイツ共和国(ヴァイマル共和国)として取って居た「受動的抵抗」路線を放棄したシュトレーゼマン首相を批判した。
 カールは1921年9月、バイエルン分離主義者による過激な運動を警戒したフトレーゼマン首相によってバイエルン州首相の地位を追われるが、 それでもバイエルン州独立の機運が収まら無かった為、カールを逆にバイエルン州の「州総督」に任じる。
 コレによりカールにはバイエルンの立法権と行政権が付与され独裁権を握り、カールはミュンヘン駐在の第7軍司令官オットー・フォン・ロッソウ少将・州警察長官のハンス・フォン・ザイサー 大佐と共に三頭政治体勢を執る事と為った。

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 ◆バイエルン州政府との対立とヒトラーの「ミュンヘン一揆」失敗

 ・1923年11月8日(34歳) ヒトラーはムッソリーニのローマ進軍に触発されバイエルン州で政府転覆を画策した一揆を起こすが失敗し逮捕される。

 バイエルン州政府と同じミュンヘンに拠点を置くナチスは「中央政府は敵」と云う点において共闘する事と為った。バイエルン州政府の三人は、バイエルン独立の方策として、この前年に成功して居たムッソリーニの「ローマ進軍」をマネて「ベルリン進軍」を計画した。
 この頃、ドイツの中央政府では、中央軍部の上級将軍ゼークトが力を持ち、ドイツの経済の混乱に乗じて軍部独裁を狙って居たが、バイエルン州政府の三人は、このゼークト将軍の後ろ盾を得て居た。処がゼークト将軍は今回の彼等の企みに同意し無かった為、カール・ザイサー・ロッソウの三人はベルリン進行の強行に消極的に為る。

 が、ヒトラーは1923年11月8日、武装した突撃隊を動員してカール等三人が集会を開いて居たビアホールを襲撃すると、そのママそこにカール等バイエルン州政府の幹部達を軟禁状態にし決断を迫った。しかしカール等が考えて居たベルリン行進は、ゼークト将軍の後ろ盾の下、自分達が指導するベルリン行進であって、ヒトラーとナチスに指導されるベルリン行進では無かった。
 だが、ヒトラーが第一次世界大戦の英雄ルーデンドルフを連れて来て説得に当たらせると、カール等州政府の三人から要約承諾を引き出す。

 ヒトラーが予定して居た「ベルリン行進」は、600人の突撃隊を中心にしたナチスのデモ隊で街頭デモを行いつつ、市民・軍部・官僚に広くナチスの志をアピールして支持を集め、集めた人数で更にベルリン行進を行い、中央政府を圧迫してムッソリーニが国王から引き出した様な政治的成功を中央政府から捥ぎ取ろうとするものだった。
 処が、ヒトラーが一揆側に抵抗の姿勢を示して居た工兵隊を説得しにビアホールを離れた隙に、ルーデンドルフがカール等を解放してしまう。

 解放されたカール達は態度を翻(ひるがえ)して直ちに一揆の鎮圧へと乗り出した。その為ヒトラーが計画して居たベルリン行進は結局ミュンヘン州を出る事も無く、そのままミュンヘン州政府を改めて支配下に収める為のミュンヘン行進へと変わったが、ヒトラーのデモ隊は待ち受けて居た警官隊に銃撃され、メンバーは散り散りに追い立てられ、ヒトラーも2日後に州警察の手によって逮捕されると云う結末に終わった。

 ◆裁判で大演説を行うと、ヒトラーは愛国者として評価を高め、短期間での出所を果たす

 ・1924年(35歳) 禁錮5年の判決を受けてランツベルク要塞刑務所に収監。獄中で『我が闘争』を口述筆記させ、12月20日に仮釈放される。

 ミュンヘン一揆に失敗して逮捕されたヒトラー。ヒトラーは裁判に掛けられるが、その罪状は「国家叛逆罪」だった。国家反逆罪は、何処の国でも大抵「死刑」に為る程の重罪で、ヴァイマール憲法下でも最高で「終身刑」と為る重罪だった。
 しかしヒトラーは、この裁判が全ドイツに注目されて居る事を認識し、寧ろコノ裁判をナチスを宣伝する絶好のチャンスだと、得意の大演説で訴えた。

 「先の大戦、前線では我が祖国が勝って居たにも関わらず、政府は祖国を裏切り、ヴェルサイユ条約等と云う卑劣極まり無い条約に調印した!そして、我が高貴為るドイツ民族から栄誉も誇りも奪い、剰(あまつさ)えユダヤ人と結託して、我々の生活を窮地に追い遣ったのが現政府である!奴等こそ、祖国に対する反逆罪を問われるべきであろう!?
 私はドイツ国民に、現政府によって奪われた栄誉と誇りを取り戻そうとしただけである!従って私が有罪だと云うのなら”ドイツ国民に栄誉と誇りを取り戻そうとした罪”によって有罪なのだ!」


 ヒトラーの演説は、傍聴人は愚か裁判長すらも魅了し、彼の裁判での発言がドイツの新聞各紙に一面で掲載されるや、ヒトラーコソ真の愛国者と云う評価が高まり、刑の減刑を求める声が多く寄せられる結果と為った。
 そして、首謀者のヒトラーは禁固5年罰金200ゴルドマルクと、圧倒的に軽い判決が出される事と為った。しかも、刑執行の9ヵ月後には仮釈放の資格が与えられると云う、実質的には「禁固9ヶ月」の殆ど無罪に近い判決だった。

 又、実際にヒトラーが収監されたミュンヘンのランツベルク要塞刑務所での生活も、二つの応接間が用意された日当たりの良い部屋が与えられ、秘書を付ける事が許され・接見自由・差し入れ自由・中庭の散歩も自由と云う破格のVIP待遇を認められた。ヒトラーは此処での服役中に有名な『我が闘争』を口述筆記させ、1926年に出版する。









 ◆ナチスの再結成とヒトラー復帰後の党の不振

 ・1926年(37歳)『我が闘争』出版。党内左派の勢力を弾圧し、指導者原理による党内運営を確立(バンベルク会議)
 ・1928年(39歳)ナチ党としての最初の国政選挙で12の国会議席を獲得。


 1924年5月4日。ミュンヘン一揆で有罪と為ったヒトラーが不在のママで行われた総選挙で、ナチスは選挙初挑戦にして32もの議席を獲得。ミュンヘン一揆によってナチ党と突撃隊は非合法化され解散と為って居たが、残党の者達で「国家社会主義自由運動・NSFP」と云う政党を組織してドイツ国会選挙に臨んだ。
 国家社会主義自由党・NSFPとは、ヒトラーと一緒にミュンヘン一揆を起こしたルーデンドルフが無罪釈放後に率いた右翼政党のドイツ民族自由党と旧ナチ党の者達が組んで立ち上げられた政党。

 1924年の年の暮れの12月20日、ヒトラーは仮出所して党に復帰すると、ナチスの残党を統一し再結成の許可が出ると1925年2月27日にナチ党は再結成を果たす。処が、その後続けて行われたドイツ国会選挙では、ナチスは総選挙の度に議席を減らして行った。
 「国家社会主義自由運動・NSFP」として参加した1924年12月7日の総選挙では14議席、再結成した国家社会主義ドイツ労働者党・NSDAP・ナチス として参加した1928年5月20日の総選挙では12議席に迄議席を減らした。ヒトラーに再結成されたナチスが議席を減らして行ったのは、ドイツが外交交渉で巨額の賠償金の減額を勝ち取り、経済と社会が安定を取り戻して来た事が原因だった。

 ※ナチスの議席減少

 1924年5月4日の総選挙で32議席を獲得。
 1924年12月7日の総選挙で14議席。
 1928年5月20日の総選挙で12議席。


 ◆ドイツの賠償金交渉「ドーズ案」と「ヤング案」

 1924年7月〜8月に開催された「ロンドン会議」では、アメリカ代表のドーズによって提案された「ドーズ案」により、ドイツは年間60億ゴルドマルクの返済から、初年度に10億ゴルドマルクを払い、そして徐々にその返済金額を上げて行って、5年目にはフランスが譲歩した年間25億ゴルドマルクを支払うと云う現実に可能な返済方法へと賠償金支払いが緩和された。
 そしてそれから又5年経った1929年8月中に開催された「ハーグ会議」で、今度はモルガン系企業の財政家ヤングから「ヤング案」が出され、返済金額は年平均20億ゴルドマルクに抑えられ、賠償金総額も、59か年ローンで、ドーズ案迄の1320億ゴルドマルクから358億ゴルドマルクに迄軽減される事が決まった。
ドイツを追い詰めて返済不可能な賠償金の請求をするより、現実的に返済可能な方法が模索された結果だった。

 ◆「世界恐慌」の発生と「フーバー・モラトリアム」

 処が、ヤング案が実施される事に為ったその年の1929年10月24日「世界恐慌」が発生。ドイツは忽ち再び債務支払い不能に陥り、社会不安がドンドン広がって行った。

 ・1930年には失業者300万人 失業率14%
 ・1931年には失業者450万人 失業率22%
 ・1932年には失業者600万人 失業率29%


 突如として垂れ込めて来た暗雲は、ヒトラーに取っては恵みの雨と為った。アメリカNYウォール街の株価大暴落から始まった世界恐慌だったが、米フーバー大統領は「放って置けば治る」と言って何の対処も取ら無かった。
 しかし状況はドンドン悪化の一途を辿るばかりだった為、1931年6月20日に為って、フーバーは「フーバー・モラトリアム」を実施。コレは、ドイツに行って居たアメリカからドイツへの資本投下を一年間「凍結」モラトリアムすると云うものだった。

 アメリカからドイツに流れる富の流出を防ぐ事で国内の景気悪化を食い止め様とした政策だったが、コレは又、アメリカへ齎(もたら)される英仏からの戦費返済も滞る結果と為り、更なるアメリカの経済悪化を招いた。1924年に開催された「ロンドン会議」で、アメリカ側から提案された「ドーズ案」は、アメリカがドイツに「ドーズ公債」を発行して資本投下し、ドイツはそのアメリカからの資金援助で生産活動を行い、英仏に第一次世界大戦の賠償金を支払って行く事が決められた。

 そして英仏も又、ドイツから得た賠償金の利益で、第一次大戦時に彼等がアメリカから借りて居た借金を返済して行く事と為った。コウしてアメリカはドイツに対する援助の利益と英仏から借金返済と云う二つの利益を得る事が出来る「資本のメリーゴーランド」を形成して居たのだが、フーバー・モラトリアムによってその資金の流れを自ら遮断する結果と為ってしまった。
 フーバー・モラトリアムによってドイツは再び賠償金支払い不能に陥った為、1932年6月〜7月に掛けて、関係各国は「ローザンヌ会議」を開催。

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 この会議でヤング案は無効とされ、ドイツの賠償金総額も前回決められた358億ゴルドマルクから30ライヒスマルクに迄98%引きされて減額。又現在のドイツの経済状態から、三年間は支払いが猶予される事が決まったが、フランス側からの要求として、フランスがアメリカから大戦時の借金返済を無効にして呉れる為らばと云う条件付きだった。
 しかしこの条件にアメリカ議会が反対して条約の批准を行わ無かった為、条約は発行されず、結局翌1933年1月、政権を掌握したヒトラーによって一方的に破棄されると云う結末に終わる。









 ◆世界恐慌後のドイツ国会選挙でナチスが議席を増加させ、遂に第一党に迄躍進を遂げる

 ・1930年3月(41歳)H・ミュラーのドイツ社会民主党SPD政権が倒壊。
 ・1930年3月30日 ヒンデンブルク大統領から中央党のハインリヒ・ブリューニングが首相に指名される。
 ・1930年9月14日 ドイツ国会選挙でヒトラーの国家社会主義ドイツ労働者党・NSDAP・ナチ党が第二党に躍進。 
 ・1932年5月30日 中央党のブリューニング首相が辞任
 ・1932年6月1日 中央党のパーペンが首相に指名される
 ・1932年7月31日(43歳) ドイツ国会選挙でヒトラーの国家社会主義ドイツ労働者党・NSDAP・ナチ党が大躍進し、遂に第一党と為る。


 世界恐慌の猛威に襲われたドイツでは、国民の不満の矛先は政府へと向けられ、1930年3月、H・ミュラーの社会民主党政権が倒壊。ヒンデンブルク大統領は、次の政権担当者として中央党のブリューニングを首相に指名するが、中央党は僅か62議席(第三党)に過ぎ無かった為、比較的政見の近い民主党・人民党・経済党等との大連立政権を組む事と為った。
 が、それでもこの連立与党は、社会主義インターナショナルに加盟するドイツ社会民主党の153議席に及ば無かった為、ヒンデンブルク大統領は、再び直ちに議会に解散を命じ総選挙が実施される事為った。

 その結果、1930年9月14日のドイツ国会選挙では、ドイツ社会民主党・SPDは153議席から143議席に10議席減らす結果と為ったが、連立与党の方も132議席から118議席に14議席減少と為り、代わって議席を増加させたのがヒトラー率いるナチスと共産党だった。
 ナチスは前回の12議席から107議席の95席増でドイツ社会民主党・SPDに次ぐ第二党と為り、共産党も54議席から77議席の23議席増と云う躍進を遂げた。

 しかしナチスは「ヴァイマール共和国を滅ぼせ!」と叫ぶ様な過激な連中の集まりだった為、ヒンデンブルク大統領は中央党のブリューニング首相に命じて、ドイツ社会民主党との連立でナチスと対抗させる事にした。
 処が、ヒンデンブルク大統領は大のアカ・共産主義嫌いで、左翼嫌いの癖に左翼との連立を組ませながら、ヒンデブンルクは中央党のブリューニング首相に左翼と手を切って右翼政治を行え等と無理難題を要求した結果、ブリューニング首相は内閣を総辞職させて辞任してしまう。

 代わって同じ中央党からパ−ペンが首相に指名されるが、パーペンは中央党との関係を悪化させ党から除名されてしまう。パーペンは「パーペンは人の上に立つ器では無い」と周囲から批判される様な当時は無名の小人物だったが、ヒンデンブルク大統領に取ってはその方が「だからコソだ。人の上に立つ様な人物では困る。アイツは私の帽子様なものだ」「小者を意のママに操って実権を握り、失政でもすれば直ぐに此奴を脱ぎ捨てて、他の帽子に被り直せば好い」と云う事で、パーペンが首相に選ばれたのだった。

 しかし中央党はパーペンの首相就任に反対で、パーペンに大統領からの首相要請を受けずに辞退する様約束を取り交わして居たが、パーペンが首相の座欲しさに、党と交わした約束を反故にして勝手に首相に就任してしまったのだった。
 パーペンは中央党から除名処分にされるが、するとパーペンはヒンデンブルク大統領に求めて議会を解散させて貰い、起死回生を狙い、7月30日の解散総選挙に打って出る事にしたのだった。

 そしてその結果、1932年7月31日に又解散総選挙が行われる事と為ったが、するとナチスが今度は前回の107議席から更に議席を230議席と倍増させて大勝利を収める結果と為った。ナチスはこの選挙で、第二党に落ちた社会民主党133議席に100議席以上の差を付け、遂に全議席の38%を占める第一党に躍り出る事と為った。

 ◆ヒトラーが首相に指名され、ヒトラー内閣が誕生する

 ・1932年11月6日(43歳) ナチスの議席を減らすべく、パーペン首相の企てで前回の選挙から三ヶ月しか経って居ないにも関わらず再び解散総選挙が実施され、ナチスは前回の230議席から196議席に大幅に議席を減少させる。
 ・1933年1月30日(44歳) 選挙の度に共産党が躍進すると云う状況に、共産主義嫌いのヒンデンブルク大統領がトウトウ折れてヒトラーを首相に指名。遂にヒトラー内閣が誕生する。


 ナチスは1932年7月の選挙で大躍進を遂げたのだが、しかし過半数の304議席には遠く及ば無かった。そこで、ナチスはナチスに次いで躍進した共産党と政権の奪取を狙って手を組む事を考える。が、この動きに、ナチスを支援して居た資本家達が激怒してナチスへの資金援助をストップされてしまう。
 自分達の財産を守る事に命を賭ける資本家と、その資本家から財産を奪う事を社会の理想として掲げる共産党とは不倶戴天の敵同士だった。

 この様子を見て居たパーペン首相は、今選挙を行えばナチスの議席を減らせると思い、未だ前回の総選挙から三ヶ月しか経って居ない1932年11月6日、再び解散総選挙を断行。その結果、ナチスは前回の230議席から196議席に大幅に議席を減少させる事と為った。
 1932年11月の選挙でナチスは議席を減らしたが、共産党は前回の89議席から更に100議席へと議席を伸ばした。しかし選挙を行う度に共産党が勢力を伸ばして居る事に危機感を抱いた資本家や軍部が改めてナチスの支援に回る事と為り、ヒンデンブルク大統領も遂に諦めて、ヒトラーを首相に任命して政権を担当させる結果と為った。1933年1月30日、遂にヒトラー内閣は誕生した。


     第一部 おわり つづいて第二部「独裁権の把握」








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安倍側近の告白!コロナ&消費増税の「ダブル危機」で令和大恐慌へ・・・?




 




 安倍側近の告白!コロナ&消費増税の「ダブル危機」で令和大恐慌へ・・・?

             〜現代ビジネス 3/12(木) 7:01配信〜


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 〜元内閣官房参与として安倍首相の経済政策ブレーンも務めて居た京都大学教授・藤井聡氏の「懸念」が今現実に為ろうとして居る・・・
 藤井氏は予てより「デフレ不況下での消費増税は日本経済に壊滅的なダメージを与える」と警鐘を鳴らして来たが、日本政府は昨年10月に増税を断行。結果、予想通りの景気後退に加えて想定外のコロナウィルスが発生して居る事で、今日本経済は「令和恐慌に為りつつ有る」と指摘する。現在の日本経済の危機的状況と、今日本政府が取るべき経済政策とは・・・藤井氏が明かした〜


 消費増税だけで「実質GDP−7.1%」の衝撃

 「消費増税で滅茶苦茶に為って居る処にコロナショックが遣って来た事で『令和恐慌』とも言える状況に為って来ました」藤井氏がそう語る様に、今の日本経済は危機的状況に為り掛けて居る。
 実際、政府が発表した19年10〜12月四半期の実質GDPは年率換算で−7.1%と云う惨憺たるものだった。2月に発表された一次速報値では−6.3%。ソレでも衝撃的な数字だったが、それを更に大幅に下方修正する事に為ったのだ。

 しかも、コレは消費増税が始まった昨年10月から、未だコロナショックが及んで居ない12月迄の数字で有る。正に消費増税による悪影響の結果そのものであり、日本経済はコレから更にコロナショックの甚大な影響を受ける事に為る訳だ。藤井氏は先ず、昨年末の消費増税が「日本経済に与えた影響」に付いて明らかにする。

 「消費税は消費をする事への罰金としての機能がある」として藤井氏は先ず示すのが、下の小売販売額のグラフだ。

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 日本経済が完全に破壊され掛けて居る 藤井氏が言う。「内需を示す小売販売額は昨年10〜12月期で−3.8%でした。コレ迄過去2回の消費増税時の同時期と比較して、2倍の悪影響を及ぼして居ます。今回は過去2回の増税時よりも日本経済が弱体化して居た為影響が大きかった。その上、10%と云うキリの良い税率から来る心理的インパクトもマイナスに作用しました」
 
 更に、藤井氏によると今回の増税による景気悪化の深刻さは過去2回とは質が異なると云う。そして「卸売り総額」のグラフを示した。

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 「卸売りは内需だけで無く、外需に対しても行なって居ます。詰まり『小売販売額』では内需の増減を見る事が出来ますが『卸売り総額』は内需と外需を合わせた増減を見る事が出来るのです」

 結果は何と「8%のマイナス」である。

 「これ迄2回の増税に比べて実に5倍もの落ち込みです。過去2回は輸出が冷え込んで居なかったので、内需の落ち込みを或る程度カバーして呉れて居た。しかし、今回は2018年の後半からズッと輸出が冷え込んで居る状況下での増税だったので、内需に加えて外需迄もが大きく冷え込んだ。これは途轍も無い事です。正に日本経済が完全に破壊される様な状況に有ります」

 その「日本経済が破壊されて居る」事を端的に示すのが次のグラフだ。これは「名目GDP」の推移である。

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 「実質GDPが−7.1%だったと云う結果が衝撃を以て報道されましたが、より注目すべきは、名目GDPが−5.8%と極端に落ち込んで居る事です。過去2回の消費増税では微増若しくは微減でした。詰まり簡単に言えば、増税前に100万円使って居た人は増税後も100万円使って居たと云う事です。
 だから実質GDPは下がるが、名目GPDの落ち込みは余り無かった。処が、今回は増税前に100万円使って居た人が増税後には94万円しか使って居ないと云う事です。これは恐ろしい事です」


 このママではサラリーマンの給与が1割も減る

 こうした経済状況では当然、実質賃金も下がる一方だ。藤井氏は続ける。

 「サラリーマン給与は安倍政権が始まる迄105.7だったものが、2019年時点で99.2に為り、6.4ポイント下落して居ます。今年は通年で消費税10%に上がった影響が出るので最低でも更に2ポイント近く下がるのは確実で、最早安倍政権下で8%も賃金が下がる事はホボ確定でしょう。その上、今回のコロナショックとデフレスパイラルですから、賃金の下げ幅は10%にも及ぶ可能性が有る。残念ながら安倍内閣は日本を貧困化させて居るのです
 
 処が、政府見解は「景気は緩やかに回復して居る」との強弁を繰り返して居る。これには藤井氏も怒りを隠さ無い。

 「科学的に見ても明らかな嘘。最早犯罪的ですら有ります」

 その上にコロナショックである。百貨店は今年2月の売り上げで大丸松坂屋が21.8%減、高島屋で11.7%減、三越伊勢丹で15.3%減。大丸心斎橋店に至っては、45.5%減と云う凄まじい落ち込みだ。旅行や出張の需要が大幅に減少した事から飛行機や新幹線等の交通機関・宿泊施設も大幅に売り上げが減る事は明らかだ。
 他にも大相撲が無観客試合に為り、Jリーグは開幕延期。大学の卒業式等の催しは中止と為る等経済的な悪影響は甚大である。

 消費税実質0%と20兆円規模の緊急経済対策をすべき

 コロナショックの一時的な影響だけで有れば、リーマンショックの時同様にその後は回復する可能性がある。しかし、今回はそれだけで無くて「消費増税」と云う恒常的なものも有る為、景気回復の見通しは厳しさを極めると云う。
 では、そんな消費増税とコロナショックのダブルパンチにどう遣って対処すべきなのか。藤井氏は取るべき経済対策は主に2つだと語る。

 1.「全品目に軽減税率10%を適用する」

 軽減税率を全品目対象として10%にすると云う事は事実上の消費税撤廃である。藤井氏は消費税を一時凍結すべきだと主張する。「消費税の減税と云うのは全ての消費に対して補助金を提供するのと同じ。そう為って初めて消費が喚起される。消費税減税が最も効果的な経済対策に為る。最低でも5%にはすべきです」

 2.「徹底した失業、倒産対策」

 個人や企業への休業補償・損失補償。又、企業に対して特別な融資を行う等徹底した下支えが必要だと説く。「普通の融資では無く、無利子・無担保・長期返済の特別融資を行うべきです。こうした景気対策は20兆円規模の予算があれば出来ます」

 政治判断で遣ろうと思えば遣れる

 藤井氏が続けて言う。 「これ等を実現する為には『プライマリー・バランス・PB黒字化目標』と云うPB規律の規制を撤廃する事が最低限必要です。これ等の経済対策の財源は全て国債です。経済が悪くて対策をするので、税収を財源にしたら全く意味が有りません。国債を沢山発行する訳ですから、先ずはプライマリー・バランスの制約を無くさ無いと先ず出来ません」

 政府与党は「財政健全化」を基本方針として居るが、今ソレよりも壊滅的な日本経済を何とかして好転させる事を優先すべきだと云う。

 「これは政治家が政治判断でコレだけ遣るんだと云えば出来るんです。例えば、リーマンショックの時の麻生政権ではPB規律を撤廃し、15兆円規模の経済対策を実行して居ます」

 3月5日、藤井氏は自民党若手議員が中心と為って立ち上げた議員連盟「日本の未来を考える勉強会」で講演し、こうした内容を語った。この危機的な状況に自民党内からも藤井氏の主張に賛同する声が上がった。議員連盟の会長を務める安藤裕衆議院議員は次の様に語る。

             3-12-19.jpg 安藤裕衆議院議員

 「今は正に国難。大規模な経済対策を打た無いと日本経済は沈没してしまう。その為には消費税の減税を必ずすべきだし、それも含めて20兆円規模の経済対策を遣るべきだ。それで個人に対する休業補償や企業に対して失われた粗利を確りと補償すべきです。
 その為にもプライマリー・バランスの黒字化目標を凍結し無いといけ無い。中途半端な事に為ってしまっては意味が無い。国民に安心感を持って貰える様な大規模な緊急対策が必要です」


 「令和恐慌」を回避する為に

 安藤氏によると「日本の未来を考える勉強会」では消費税の一時凍結を含む20兆円規模の緊急対策を実施する事を盛り込んだ提言書をまとめ、3月11日に政府や自民党本部に対して渡した。提言書には議員連盟に入会して居る20人を含む、40人以上の自民党議員が賛同した。
 一方、野党でも国民民主党の玉木雄一郎代表が3月4日に行った安倍首相との党首会談で「消費税減税を含む総額15兆円規模の緊急経済対策が必要」との考えを伝えて居る。コノ危機的な経済状況を前に、大規模な経済対策を打つべきだと云うのは与野党の枠を超えて合意出来るのではなかろうか。

 今コソ「令和恐慌」を回避する為の「政治決断」が求められて居るのかも知れない。


          小川 匡則 週刊現代記者     以上









 浜矩子 「コロナウイルス対策を『世の為』で無く『我が為』にする安倍政権は許され無い」 

            〜〈AERA〉 AERA dot. 3/12(木) 16:00配信〜

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 浜矩子(はま・のりこ) 1952年東京都生まれ。一橋大学経済学部卒業。前職は三菱総合研究所主席研究員。1990年から98年まで同社初代英国駐在員事務所長としてロンドン勤務。現在は同志社大学大学院教授で、経済動向に関するコメンテイターとして内外メディアに発して居る。

 〜経済学者で同志社大学大学院教授の浜矩子さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、経済学的視点で切り込みます〜
 
 世の為人の為・・・これを言い換えれば、我が為では無いと云う事だ。我が為には為ら無い事でも、我が為には反するコトでも、他者の為ならそれを行う。これが世の為人の為に徹する事が意味する処だ。
 新型コロナウイルスの猛威が地球を覆う中、今、政治と行政に求められるのが、世の為人の為に徹する事だ。徹底的に利他の構えで対応を考え、進むべき方向を決め無ければ為ら無い。

 政策責任者達が危機管理に当たる時、ソコには微塵も利己の構えがあっては為ら無い。自分に取って、ドンな不都合が発生するのだとしても、世の為人の為に必要な事ならそれを実施する。自分に取って、ドンなに好都合な事であっても、それが世の為人の為には不要な事ならそれを決して実施しない。この危機の最中に有って、政権を担う者達には、只管、この精神が不可欠だ。

 処がどうだ。今この時、日本の現政権はこの精神から最も遠い処で考え行動して居る。何処まで行っても、我が為我が為だ。初期対応が曖昧でモタモタして居たのは、先走って失点する事を恐れてキョロキョロと様子見を決め込んで居たからだ。
 次第にモタモタが指摘され、それが失点に繋がりそうに為ると、今度は姿勢が俄然、前掛かりに為る。充分な検討を経たとは思われ無いのに、小中高の全国一律休校要請を唐突に繰り出す。新型コロナウイルス対応だと云うので、新型インフルエンザ特別措置法の改正を持ち出す。その意図する処は「緊急事態宣言」を発令する事が出来る様にする事らしい。

 全国一斉休校には、様々な疑念や問題指摘が出て居る。今ココで「緊急事態宣言」を発令する事が、どの様な意味で世の為人の為に為るのか。
 我が為我が為の原理で行動する者達は、直ぐパニックに為る。今、直ぐ何かし無ければ失点する。今、ココに直ぐ出来る事が有る。だから、コレが今直ぐ遣るべき事だ・・・この短絡の中で動く。世の為人の為の慎重吟味は抜け落ちる。怖い・・・本当に怖い。


           ※AERA 2020年3月16日号   以上









 使い方誤れば「猛毒」にも為り兼ね無い特措法 「違憲の疑い」と専門家

          〜〈週刊朝日〉AERA dot. 3/12(木) 11:52配信〜

 新型コロナ対策が後手に回ったとの批判を挽回(ばんかい)する為、安倍首相は“指導力”のアピールに躍起だ。3月9日から中国と韓国からの入国を大幅に制限。両国向けの発行済み査証(ビザ)の効力を停止し、入国者には2週間の待機を要請した。
 唐突な措置に自民党内からも「初動は失敗して居り、効果は疑問」との声が漏れる。インバウンド需要に支えられて来た観光業や小売業は更なる打撃を受ける事に為る。これに対し韓国側は強く反発。対抗措置として日本からのビザ無し渡航を禁止し、発行済みビザの効力を停止した。日韓関係は又してもギクシャクして居る。

 一方、政府は10日、新型インフルエンザ等対策特別措置法の改正案を国会に提出、13日にも成立する見通しだ。改正特措法が施行されると、首相は個人の権利の制限が伴う「緊急事態宣言」を出す事が出来る。発令の要件は「国民の生命・健康に著しく重大な被害を与える恐れ」が有ると判断した場合などだ。
 首相が宣言すると、都道府県知事は住民の外出自粛要請や学校等の施設の使用制限・催し物の中止を指示する事が出来る。臨時の医療施設を開設する為に、所有者の同意を得ずに土地を使用する事も可能に為る。ウイルス封じ込めの為のカンフル剤と云う訳だが、使い方を誤れば当然「猛毒」に為り得る。

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 福島瑞穂参院議員(社民)が懸念する。

 「安倍首相は全国一斉休校を要請した時も専門家の意見も求めず、国民への説明責任も果たさず、強権的に決めました。ソンな安倍政権の下での緊急事態宣言は非常に危険です。宣言するに当たり、事前に国会の承認も必要ありません。自らの無策振りを吹き飛ばす為に、戒厳令の様な事態に為る事を警戒します」

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 独協大学名誉教授の右崎正博氏もこう指摘する。

 「人権の制限が必要最小限に留まら無ければ、違憲の疑いが出て来ます。催事の中止指示は集会の自由を規定した憲法21条に違反する可能性も有る。土地の使用は、29条が保障する財産権を侵し兼ねません」

 安倍首相は緊急事態宣言をする為の科学的根拠を示す事は出来無いだろう。未だにPCR検査が行き届いて居らず、感染者の実態把握が困難だからだ。2009年の新型インフルエンザ対策を総括する形で、当時の民主党政権は専門家約40人から意見聴取。PCR検査体制の強化等の提言を報告書にまとめた。民主党政権時代を「悪夢」と言って憚ら無い安倍首相が、こうした蓄積を生かせ無かったのは痛恨の極みである。

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 元厚生労働相の長妻昭衆院議員(立憲)がこう語る。

 「検査体制の充実化と、重症化した人のベッドの確保等、政府はヒト・モノ・カネを掛けて早急に対応すべきです。これは政治的な関係抜きで取り組ま無ければ為りません」
 
 安倍政権が更に暴走し兼ねない瀬戸際にある。


   本誌・亀井洋志 ※週刊朝日  2020年3月20日号に加筆   以上









 山尾氏が造反表明 緊急宣言の承認 党執行部を痛烈批判

              〜朝日新聞デジタル 3/12(木) 16:32配信〜


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 新型インフルエンザ等対策特別措置法改正案への反対を表明する立憲民主党の山尾志桜里氏2020年3月12日 今野忍撮影

 立憲民主党の山尾志桜里衆院議員は12日、同党等で作る野党統一会派の会合で、新型コロナウイルスの感染拡大防止の為、首相による「緊急事態宣言」を可能とする改正案の採決で反対する事を表明した。同日の衆院本会議で同党は賛成する方針で、山尾氏が造反を宣言した形だ。

 新型インフルエンザ等対策特別措置法の改正案が採決予定。「緊急事態宣言」を巡って、野党は、権限行使に一定のハードルを設ける必要が有るとして、改正案に「国会による事前承認」(緊急時は事後承認)を明記する修正を求めて居た。
 だが、与野党の断続的な協議を経て、立憲や国民民主党は改正案の付帯決議に「国会に事前に報告する」と云う文言を盛り込む事で妥協。党としては賛成に回る事を決めた。

 立憲の安住淳国会対策委員長は11日、賛成に回る理由として、少数で有る野党に法案をヒックリ返す力が無い以上、賛否を採決する「事前承認」も、只報告するノミの「事前報告」も事実上同じだと云う趣旨の発言をして居る。
 コノ日の山尾氏は、枝野幸男代表や安住氏を前に「承認が有ってもヒックリ返せ無いと云うなら、私達は殆どの法案でヒックリ返せる事は無い」と指摘。更に「それでも真摯(しんし)に質疑に立って、必要が有れば与党を説得し頑張って修正を勝ち取ろうと努力する・・・その結果が可笑しければ、反対する事で問題点を今と未来に残す。それが野党の大事な仕事だ」と訴えた。

 その上で「野党議員が承認に加わってもどうせ覆ら無いと言ったら、野党議員の居る意味は無い」と痛烈に執行部の対応を批判した。党の法案審議の有り方に付いても「民主的だとは思わ無い」と語った。


               朝日新聞社     以上






 【管理人のひとこと】

 山尾志桜里衆院議員の云う事は尤もな事だと思う。衆参共に圧倒的多数の与党の提出する法律が、全て罷り通るのが現実だが、その法律を吟味し更に完全な形に近付け様とするのが野党の大きな使命だ。無論、最後には数で押し切らるのではあるが、それ迄の国会での議論が広く国民に知れ渡るには、先ずは国会の委員会や多くの機会を利用して法律の中身を機論し、国民に判る様に賛否を問う態度が無ければ為ら無い。
 特に個人・団体の行動を規制する重要な法律なのだから、これは大いに議論すべき国民的な重要な法律なのだ「どうせ最後には数で押し切られるのだから賛成に廻る・・・」とは、野党自らの存在を否定すると同じで、決して言っては為ら無い言葉だろう。
 枝野氏は「根っからの善人」なのだろう「安倍政権はそんな卑怯な事はしない・・・」と多寡を括って居るだろうが・・・安倍政権の今迄為した事を考えると、ソンな「信頼」に値するかは承知の事だ。この様な無定見な悪法は、ハッキリと反対した事を大きく国民に知らせる義務も有る筈だ。コレは、数で無く議員の体力を使った「肉体を賭けた」戦いへと進むべき重要な法律なのだから。



 




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東京オリンピックが延期に為れば 日本経済に光明が差す理由とは




 




 管理人・・・新型コロナウィルスによる日本・世界の経済危機に対する記事を取りまとめました・・・無策な安倍政権に何が問われ何を期待出来るでしょうか・・・




 東京オリンピックが延期に為れば 

 日本経済に光明が差す理由とは


        〜中原圭介 経営アドバイザー 経済アナリスト 3/12(木) 11:01〜


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 新型コロナで脚光を浴びる働き方とは

 新型コロナの感染拡大が、日本の経済・社会を揺るがして居ます。感染拡大が5月迄に止まら無ければ、オリンピックの開催が延期に為るのではないかと云われて居ます。
 しかし私は、新型コロナがオリンピックを延期させる程長引く事に為れば、日本経済に取って「災いを転じて福と為す」大きなチャンスに為ると考えて居ます。何故なら「テレワーク」と云う働き方がヤッと多くの人々に認知される契機と為ったからです。

 テレワークの普及は、日本の生産性を大幅に引き上げるポテンシャルを秘めて居ます。人口減少が加速度的に進む日本では、今の経済規模を維持する為に最も有効なツールの一つに為る筈です。

 テレワークは生産性を2割〜3割引き上げる

 2019年1月24日の記事『自由な働き方が広がれば、出生率は上がって行く筈だ』でも申し上げた事ですが、テレワーク(主に在宅勤務の場合)を導入する企業の生産性は、少なくとも2割〜3割程度は上がると考えられます。何故なら、日本の会社員に取って毎日の「通勤」は「痛勤」と表現される程肉体的及び時間的な負担が大きいからです。
 総務省の最新の統計によれば、都道府県で1日の通勤時間が長いのは神奈川県(1時間45分)をトップに、千葉県(1時間42分)埼玉県(1時間36分)東京都(1時間34分)と続いて居ます。この様に東京圏(一都三県)の通勤時間は、全国平均(1時間19分)と比べて取り分け長く為って居るのです。

 神奈川県にしても千葉県にしても飽く迄平均の時間ですから、通勤に2時間程度掛かって居るケースも決して珍しくありません。又、東京圏に次いで大都市圏である大阪圏に通勤して居る人であれば、通勤に1時間30分以上を費やして居るのは当たり前の状況と為って居ます。そう云った通勤の負担が無く為るだけでも効果が大きいのは、誰にでも容易に理解出来る事でしょう。

 在宅勤務の最大のメリットは、通勤時間が無く為る事です。会社勤務より早い午前7時〜8時に仕事に取り掛かり、午後3時〜4時には終わらせる事が可能と為ります。満員電車による通勤で体力を消耗する事も無く、最初から仕事に集中出来ると云うメリットもあります。その結果として、仕事における生産性を高める一方で、残業時間を減らす事が出来ると云う訳です。

 給与が「時間給」から「成果給」へと変わる環境を後押し

 2018年の日本の1時間当たりの労働生産性は46.8ドルであり、データが取得可能な1970年以降、先進7カ国の中で最下位の状況が続いて居ます。実にアメリカの74.7ドルの6割強の水準に迄落ち込んで居り、2017年と比べても両国の差は3.4ドルも拡大して居るのです。

 2019年11月25日の記事『日本の生産性が低いのは、日本人の価値観の問題だ』において、日本の生産性が低いのは企業全体に占める中小企業(中規模企業と小規模企業)の割合、取り分け小規模企業の割合が最も高いからだと申し上げましたが、その他の要因としてはホワイトカラーの非効率な働き方や企業の古いシステム等も生産性向上の足枷に為って居ます。
 ホワイトカラーの働き方が柔軟なアメリカでは、企業のテレワーク導入割合が7割を超えて居ます。日本では2割をヤッと超えた程度であり、矢張りこの差は大きいと云えるでしょう。現状では大企業の導入割合が増え続けて居るものの、中小企業への導入は一向に広がって居ません。

 確かに、全ての仕事を在宅で行うのは不可能なので、或る程度の出社は必要だと思います。しかし、企業の中で好く言われている「労働時間の管理が難しい」と云った懸念は杞憂です。労働時間は原則1日8時間として、開始時と終了時に会社や上司にメールで報告するだけで十分です。
 と云うのも今後は日本でも、雇用契約が職務や勤務地が限定され無い「メンバーシップ型」から、限定される「ジョブ型」へと大きく変わって行くからです。

 「ジョブ型」での給与は年齢では無く職務に対して支払われるので、日本型の「終身雇用」「年功序列」の制度が崩れて行くのは不可避な情勢なのです。(2019年12月13日の記事『AIG損害保険への就職希望者が10倍に増えた理由とは』参照)
 これは、私達の働き方の意識が「時間」から「成果」へと変わって行くと同時に、給与が「時間給」から「成果給」に変わると云う事を意味して居ます。

 成果を効率的に発揮出来る人に取っては、会社に通勤するメリットが少無く為り、会社の外で自由に働くメリットへの関心度が高まって行く筈です。

 日本企業の古いシステムを刷新する契機にも

 全社で在宅勤務が出来るかどうか検討した大企業の中には、社内システムに外部から大量の接続があるとパンクすると云う理由から、テレワークを見送ったと云う処があります。 日本の低生産性の原因のひとつに、ITの分野で可成り遅れて居ると云う事情があります。
 日本企業は、IT投資の8割を既存の古いシステムの維持や運用に使って居るからです。IT投資の額が米欧に比べて少ないばかりか、その多くは運用コストが高く生産性の低いシステムの維持費に使用されて居るのです。 特に経団連に加盟する大企業では、サラリーマン社長故に大型のIT投資に踏み切る事が出来ないで居ます。コレでは遅かれ早かれ、多くの大企業が競争力を失ってしまうのでは無いかと危惧して居る処です。

 そう云った意味でもテレワークの導入は、大企業が減損を伴う古いシステムの除去に躊躇する事無く、システムをクラウド型に切り替えると云う決断をする契機にも為ります。勿論、これ迄システムを導入して居ない割合が高い中小企業でも、減損が生じ無いと云うメリットを生かして、業務のクラウド化によって効率化を推し進める事が出来ます。
 テレワークは又、大規模な地震や大型の台風等自然災害が起こって公共交通機関が麻痺した時に、会社員が安心して自宅で働く機会を提供するツールに為り得ます。企業は活動が停止するリスク、会社員は通勤出来ないリスクを抑える事が出来るのです。

 働く人が元気に為れば、日本の未来は明るい

 グーグルやヤフーで「会社」と検索すると「辞めたい」「行きたく無い」と云う言葉が上位に出て来ます。残念ながら今の日本では、働いて居る人の5割以上がストレスを感じ、3割以上が疲れて居ると云います。その上、日本人は他の先進国と比べて睡眠時間が短く、運動不足の割合が多いと云われて居ます。
 例えば、東京圏で勤める人がテレワークの積極的な利用によって毎日の通勤時間を1時間でも短縮出来れば、1年間で240時間(年間240日勤務を想定)即ち、1か月の勤務時間分を節約する事が出来ます。その節約出来た時間を運動や睡眠の時間に充てる事が出来れば、ストレスや疲れを軽減するだけで無く、仕事に集中する事も期待出来ます。

 今回の新型コロナ騒動を発端として、将来的に日本人が働き方を「週2日は会社勤務、週3日は在宅勤務」と云った形に変える事が出来れば、働く人が元気に為るので生産性は間違い無く上がります。そう云った意味では、日本の将来はソンなに悲観するものでは無いのかも知れません。


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 中原圭介 経営アドバイザー 経済アナリスト 「アセットベストパートナーズ株式会社」の経営アドバイザー・経済アナリスト。「総合科学研究機構」の特任研究員。大手企業・金融機関・シンクタンクなどへの助言・提案を行う傍ら、執筆・セミナーなどで経営教育・経済教育の普及に努めている。経営や経済だけでなく、歴史や哲学、自然科学など、幅広い視点から経済や消費の動向を分析し、予測の正確さには定評がある。ヤフーで『経済の視点から日本の将来を考える』、マネー現代で『経済ニュースの正しい読み方』、東洋経済オンラインで『中原圭介の未来予想図』を好評連載中。著書多数。2019年12月に新刊『定年消滅時代をどう生きるか』を上梓。

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  エコノミストが

 「コロナショックはリーマンショックより厄介」と考える理由


          〜プレジデントオンライン 土田 陽介 3/12(木) 15:16配信〜


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 パンデミックを前に対応が後手に回る各国政府

 新型コロナウイルスの大規模な流行を受けて、世界経済への悪影響が深刻化して居る。当初は感染の拡大が見られ無かった欧米でもコロナウイルスの感染者が急増して居り、米ジョンズ・ホプキンス大学がリアルタイムに公表して居る特設サイトによれば、日本時間3月11日正午時点で世界の感染者数は11万8000人を超えた様だ。

 今後も感染者数の増加は続くと見込まれる。各国で検査体制が整えば、それだけ感染者数の発見が進むと考えられるからである。又これ迄の世界的な流行の経緯を振り返ると、局所的なホットスポットが有るにせよ、可成り前から新型コロナウイルスは世界的に拡散して居たと考える方が自然な見方ではないだろうか。
 感染が発覚した11万人程度の内死者は4000人程度、それもその多くが発症元とされる中国の武漢での惨事である。中国の場合、地方都市では医療へのアクセスが未だ悪く、気が付いた頃には重篤化して居た事例が多い様だ。

 言い換えれば、新型コロナウイルスは、発症しても適切な対処療法が行われれば十分に完治が見込めると云う事だろう。それに新型コロナウイルスの予防対策も、従来のインフルエンザ等と同様に、手洗いの徹底等オーソドックスなもので有る様だ。
 適切に対処出来て居ればそれ程恐れる必要は無さそうだが、近年稀に見るウイルス感染症の世界的流行・パンデミックを目の前に、各国とも対応が後手に回ってしまって居ると云うのが実情と言えよう。

 国土の全面封鎖でイタリア景気は腰折れ

 筆者が専門的にウオッチして居る欧州の場合、代表的なホットスポットは北イタリアと為る。感染者は既に1万人を超えて居り、残念ながら600人以上の死者が出て居る模様だ。
 連立与党の一翼を担う民主党のジンガレッリ党首も、新型コロナウイルスに感染した様だが、幸いな事に容態は安定して居り、自宅静養に努めて居るそうだ。

 イタリア政府は3月8日、コロナウイルスの封じ込め対策として商業都市ミラノを含むロンバルディア州や世界的な観光都市ベネツィアを初めとする14県を封鎖した。更に10日には、封鎖の対象をイタリア全土に拡大する措置に踏み切った。
 イタリア経済は実質的に機能不全に陥り、景気は腰折れを余儀無くされた模様だ。元々イタリア経済は、北部の製造業が米中貿易摩擦に伴う世界景気の減速や自動車産業の不調を受けて低調であり、最新19年10〜12月期の実質GDPが前期比0.4%減と他のEU諸国と比べても景気停滞が顕著だった。

 それに今回のコロナウイルス流行による悪影響が加わり、1〜3月期の成長率は記録的なマイナス成長に為ると予想される。
 こうした状況を受けて、イタリア政府による財政拡張観測も燻り始めた。今財政を拡張した処で、経済の中心である北イタリアの経済が動か無ければ望ましい効果等得られ無いだろうが、生活費の補償等も不可欠である。欧州連合・EUの執行部である欧州委員会も、理由が理由なだけにイタリアの財政赤字拡大を容認する方向だ。

 ヒトとモノが回ら無く為った経済危機

 新型コロナウイルスの流行が経済に与える悪影響を2008年秋に生じた米投資銀行大手リーマンブラザーズの経営破綻に伴う世界的な金融危機と準(なぞら)える向きもあるが、アノ危機は、カネが回ら無い事による現象で在った。しかし今回の場合は、イタリアのケースが端的に物語る様に、ヒトとモノが回ら無く為った経済危機と言え様。
 その為、金融緩和や財政拡張でカネ回りを良くしても、ヒトとモノが動か無い限り経済が息を吹き返す事が見込み難い。米国の中央銀行であるFRB・連邦準備制度理事会が3月に政策金利であるFFレートを0.5%も引き下げ、金融緩和を強化したものの相場が好転し無かった事は、或る意味当然だったと言える。

 新型コロナウイルスのパンデミックと云う非常時の危機管理を行う上で、ヒトとモノの流れを或る程度制限する事は致し方が無い事だろう。とは云え、それで経済活動そのものがクラッシュしてしまえば元も子も無い。収束の時期が見え無い事は確かであるが、言い換えればコロナウイルスの存在を前提に経済を回す必要も有るのではないか。

 最も重要な事は正確な情報の提供だろう。日本ではトイレットペーパーが無く為った様に、ドイツではパスタがパニック買いの対象に為った。緊急事態に直面した人々は、世の東西を問わず根も葉も無い情報に踊らされ勝ちである。各国政府や企業、それに報道機関は正しい情報提供に努め、そうした人々の不安心理を和らげる必要がある。

 求められる徹底的な検証
 
 なお欧州でもパニック買いが生じたと云う事実は、欧州経済を専門に見て来た筆者に取っても或る意味で新鮮に映った。今回の新型コロナウイルスの流行の様な経験を欧州が余り経験して来なかった事の証左と言えるだろう。又ドイツ人は合理的で有り冷静沈着で有ると云うイメージを持つ人々に取っても、衝撃的だったかも知れない。

 日々情勢は変わるが、小中学校の閉鎖や国境を跨ぐ移動の制限等の諸政策がどの程度の医療的メリットをもたらし、一方で経済的デメリットをもたらして居るのかと云う分析も可能な限り同時進行で進めて行く必要が有るのでは無いか。然したる医療的メリットが無く経済的デメリットが顕著と為った対応策も有ると考えられる。
 例えばイベント自粛の要請を考えると、閉鎖的な屋内でのイベントは中止でも、開放的な屋外でのイベントは継続しても良いのかも知れない。観光施設に付いても同様の事が言えるのではないか、そうした事を検証すべきなのだろう。一律に自粛を要請する様では、それこそマインドが徒に悪化し景気の命取りと為る。

 株安と円高に歯止めを掛ける条件

 それに、今生じて居る世界的な株価の暴落や円高は、世界経済の停滞が何時まで続くか分から無い事への不安を反映した現象だ。逆を言えば、世界経済が再び回り始めそうだと云う認識が広がって初めて、株安と円高に歯止めが掛かる。金融市場の動揺を鎮める為にも、過度な行動制限を見直し経済への負荷を解いて行く必要があるのではないか。
 医療面と経済面のバランスをどう取るかは難しい話だが、後者も重視し無ければ、我々の日々の生活が回ら無く為ってしまう。今回のコロナウイルスの流行は、総合的な便益・ベネフィットと費用・コストの観点から、今後も生じる世界規模での感染症予防対策の有り方を考える良い切っ掛けかも知れない。

 世界経済が持続的に成長する上では、ヒトモノカネの自由な移動は不可欠である。感染症のパンデミックが意識されても、それ等の流れを完全にシャットアウトする事等出来ない。新型コロナウイルスの流行も何時かは収束し、経済も平常運転を取り戻す。根拠無き楽観と同様に、過度な悲観も又禁物では無いだろうか。


 土田 陽介(つちだ・ようすけ)三菱UFJリサーチ&コンサルティング 調査部 研究員 1981年生まれ。2005年一橋大学経済学部、06年同大学院経済学研究科修了。浜銀総合研究所を経て、12年三菱UFJリサーチ&コンサルティング入社。現在、調査部にて欧州経済の分析を担当。

 三菱UFJリサーチ&コンサルティング 調査部・研究員 土田 陽介   以上



 





 コロナ禍でウソがバレた 「アベノミクス」と云う大失敗

       〜プレジデントオンライン 小宮 一慶 3/12(木) 15:16配信〜

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        小宮コンサルタンツ代表取締役会長CEO 小宮 一慶氏

 〜新型コロナウイルスが日本経済に深刻な影響を及ぼしつつ有る。しかし、日本経済の不調はその前から明らかだった。経営コンサルタントの小宮一慶氏は「アベノミクスの所為で、日銀は身動きの取れ無い状態に在る。政府は大胆な財政出動を決断すべきだ」と云う〜


 アベノミクスからの「消費増税+新型コロナ」で日本経済は瀕死の状態

 新型コロナウイルスが日本経済に深刻な影響を及ぼしつつ有ります。感染の広がりが何時抑え込まれるか全く不透明な中、何処まで経済が落ち込むかが心配です。景気指標はドンドン落ち込んで居ます。

 私は経営コンサルタントとして、顧客企業に対して、普段より可成り多目の「手元流動性」を持って置く様アドバイスして居ます。手元流動性は、自身でコントロール出来る現預金等の資金の事。普通大企業は、月商の1カ月分、中堅企業は1.2〜1.5カ月分、中小企業は1.7カ月分位持って居れば資金繰りに問題無いと言えます。
 しかし、先行きが不透明な為、今は通常より可成り多目に確保して置いた方が好いと考え、そう伝えて居ます。企業にも万が一に備えてと云う緊迫した空気を感じます。

 経済学では「ショック」と云う言葉を「不連続な断絶」が起こった時に使います。1970年代の「オイルショック」や2008年の「リーマンショック」が好く知られて居ますが、2020年は正に「コロナウイルスショック」と云う状況に為ってしまいそうです。

 急激に落ち込む景気指標

 今、新型コロナウイルスの影響で多くの人が集まるコンサートやイベントが軒並み中止・延期と為って居ます。明らかに経済にマイナスです。只、此処で大事なのは、日本経済はその前から下降気味であったと云う認識を持つ事です。
 2019年は景気が徐々に悪化して居た中で、10月1日に消費税が10%に上がり一気に減速感が増して居たのです。更に、ソコへ新型コロナが遣って来たと云うのが正しい認識です。
        
 「日銀短観業況判断」ですが、これは景気が「良い」と答えた企業から「悪い」と答えた企業の差をパーセントで表したものです。全員が「良い」と答えると「プラス100」全員が「悪い」と答えると「マイナス100」と為ります。
 その大企業・製造業の数字を見ると、2018年位迄は「プラス20」前後でした。「どちらでもない」と云う答えもある為に「プラス20」と云うのは、マズマズ良い数字です。それが、2019年の3月調査頃から落ち込み始め、消費税増税前の9月調査では「プラス5」迄落ちて居て、増税後の12月調査では「0」です。6年7カ月振りの水準迄落ちてしましました。
 国全体の経済の規模や伸びを表す国内総生産も、消費税増税後の2019年10〜12月の数字は、実額を表す「名目」も、インフレを調整した後の「実質」も大きく落ち込みました。特に実質国内総生産は年率でマイナス7.1%と云うトテモ大きな落ち込みです。

 ここ迄は或る程度想定して居た事ではありますが、新型コロナ騒動が始まる前から景気は落ち込み始めて居たと云う認識が必要なのです。

 2020年2月の「街角景気」は東日本大震災以来の低い水準

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 一部には、未曽有の新型コロナ不況の到来だと言う人も居ますが、新型コロナが経済に与えるダメージはどの程度の大きさなのか実態は未だ判りません。そんな中、多くの人を驚かせたのが「街角景気」でした。内閣府が毎月実施して居る「景気ウォッチャー調査」は、タクシーの運転所、ホテルのフロント係、小売店の店頭の販売員、中小企業経営者等2000人余りに各地で聞き取り調査をして指数化したものです。
 「50」が良いか悪いかの分かれ道ですが、2018年から「50」を切る様に為り、2019年にはその数値が更に落ちて行き、10月の消費税増税後は低迷が続いて居たのですが、ウイルス騒動発生後の2月25〜29日に調査した結果ではそれが一気に14ポイント以上落ち「27.4」と東日本大震災以来の低い水準と為りました。

 株式市場・為替市場も大混乱

 新型コロナウイルスが、イタリアを初めとする欧州や米国にも感染を拡大した事から、世界の株式市場もパニックと為りました。NYダウが2月半ばには2万9000ドルを超えて居たのが、3月9日、終値は2013ドル安と過去最大の下げ幅と為り、1年2カ月振りに2万4000ドルを割り込む水準迄下落しました。
 同じ3月9日、為替もそれ迄は1ドル110円程度で比較的安定して居たのが、一時101円台まで突っ込み、2016年11月以来、約3年4カ月振りの円高水準と為りました。その後に少し戻すと云う展開に為って居ます。

 欧米等での新型コロナウイルスの感染拡大から、世界経済への懸念が強まり、比較的安全とされる円が買われて居る事に加え、米国の更なる利下げへの期待も、円買いの動きを加速させて居る様です。円高化は日本経済に痛手と為ります。
 こうした動きに合わせ日経平均株価も2万4000円近く迄上昇して居たのが、コチラも一気に1万9000円を切る水準まで急落しました。

 こう云う状況において、米国の中央銀行であるFRBは政策金利を0.5%緊急利下げし、誘導ゾーンを1.0%から1.25%に下げました。これに伴い、10年物の長期金利は1%を切る水準に迄下がり、一時は過去最低の0.3%台に迄下がりました。しかし、それでも市場は動揺を続けました。

 原油価格の下落は米国のシェールオイル産出企業の財務を悪化させる

 私を含め多くの人が驚いたのは、日本の株式市場や円ドルの為替市場の動揺だけではありませんでした。新型コロナの影響は原油市場をも揺るがしました。
 ドバイ原油は今回のウイルス騒動迄は1バレル50ドル前後で比較的安定して居ましたが、一気に20ドル台迄下落。ニューヨーク原油先物が日本時間9日昼の時間外取引で1バレル29.71ドルを付けた。2016年以来の低い水準に落ち込みました。

 原油価格急落の直接的な原因は石油輸出国機構・OPEC加盟国とロシアによる追加減産協議の決裂によるものですが、新型コロナ騒動による世界経済への減速懸念も背後には在ります。その後30ドル台に戻しては居ますが、この事は、原油に財政の多くを依存するサウジアラビア初め中東諸国やロシア、ベネズエラ等の信用不安を煽り、更に世界経済の減速懸念を強める事と為って居ます。
 又、原油価格の下落は、米国のシェールオイル産出企業の財務内容を悪化させる懸念もあります。これ等の案件は何等かの形で日本経済へのダメージと為るリスクがあります。

 「躊躇せず行動する」と豪語して居た日銀は身動きが取れない状態

 日本政府は現在、新型コロナ感染拡大を止める事に躍起に為って居ます。又、資金繰りが厳しい企業に対しては、政策金融公庫等を通じての融資や保証の拡充を決めて居ます。苛立たしいのは、日銀です。今(3月11日時点)の処全く動きを見せて居ません。
 これ迄「緊急時には躊躇(ちゅうちょ)せず取りうる行動を取る」と明言して居た日銀・黒田東彦総裁ですが、どう云う事なのでしょうか。新型コロナ倒産と呼ぶべきニュースが日々聞こえて居るのに、これ以上、企業を見殺しにする積りでしょうか。

 とは云え、日銀は繰り出せる策は限られて居ます。考えられるのは、精々「マイナス金利の深掘り」でしょうか。しかし、コレは「理論上」は実施可能ですが、どれだけの効果があるかは全く不明。寧ろ、それで無くても収益環境が悪く為って居る銀行の収益を更に悪化させる事に為り兼ねません。
 3月18日・19日の政策決定会合に注目だが、結局の処、金融政策で今回の「ショック」を乗り越えるのは無理だと私は考えます。政府は財政出動等を機動的に行って欲しいものです。繰り返しますが、企業は、保険の意味も含めて手元流動性を普段より多めに持って置いてください。


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 小宮 一慶(こみや・かずよし) 小宮コンサルタンツ代表取締役会長CEO 京都大学法学部卒業。米国ダートマス大学タック経営大学院留学、東京銀行などを経て独立。『ビジネスマンのための「発見力」養成講座』など著書多数。

       小宮コンサルタンツ代表取締役会長CEO 小宮 一慶   以上



 





 管理人注 これは、現況の新型コロナウィルス禍のパンディミック宣言発生前のレポートです・・・

 3兆円投入のツケ 「東京五輪の失敗」で大不況が遣って来る
 
 1964年五輪と同じ轍を踏むことに


     〜PRESIDENT Online 磯山 友幸 経済ジャーナリスト  2020/02/07〜

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 SARS終息宣言は発生から8カ月後だった

 新型コロナウイルスへの感染者が日本国内でも広がって居る。潜伏期間とされる2週間以内に中国に渡航した事が無い国内在住の人の感染が確認された他、発症して居ない人からも感染が広がって居る模様で、日本の「水際対策」では十分に防御出来て居ないとの見方も出て居る。死亡率は高く無いとされて居るが、中国・湖北省武漢市では死者が相次いで居り、不安が高まって居る。

 そんな中で、米国は保健福祉省が緊急事態を宣言。直近で中国に渡航歴の有る外国人の入国を停止した他、英国は中国に滞在する自国民に退避勧告を行った。焦点はコノ感染拡大が、何時終息するかだ。
 日本は今年夏に東京オリンピック・パラリンピックを控えて居り、7月末には開会式を迎える。SARS・重症急性呼吸器症候群が集団発生した際は、2002年11月16日に中国で始まり、WHO・世界保健機構が終息宣言を出したのは2003年7月5日だった。
 仮に今回の新型コロナウイルス蔓延(まんえん)の終息宣言が7月迄ズレ込むと、オリンピックを目当てに世界から遣って来る観光客の数に大きな影響を及ぼす可能性も出て来る。

 ズバ抜けて多い「中国人旅行者の買い物代」

 世界から日本に遣って来た訪日旅行客は、日本政府観光局・JNTOの推計によると、2019年に3188万人と過去最多を記録した。政府はオリンピックが在る2020年に4000万人の目標を掲げて来たが、その達成に黄色信号が灯って居る。
 2018年に初めて3000万人を超えた時には、2020年の4000万人到達は十分に有り得る数字だったが、日韓関係の冷え込みで韓国からの訪日客が激減、2019年は前年比2.2%増と云う僅かな伸びに留まった。そんな中で、大きく伸びたのが中国からの訪日客。前の年よりも14.5%多い959万人に達した。何と全体の30%が中国からの観光客・ビジネス客だったのだ。

 彼等が日本国内で落としたお金も大きい。観光庁の「訪日外国人消費動向調査(速報)」によると、2019年に訪日外国人客が日本国内で消費した金額は4兆8113億円。前の年に比べて6.5%増えた。それを支えたのが中国からの旅行客の増加だった。
 推計によると、前の年より14.7%多い1兆7718億円に上ったと見られて居る。外国人の消費額全体の37%に達する。

 「爆買い」に象徴される様に、中国からの旅行者が「買い物」に使う金額は他の国々からの旅行者に比べて一際多い。一人当たりの消費額は21万2981円と、全体の平均15万8458円を大きく上回る。消費額が最も多いのはオーストラリアからの旅行客の24万9128円だが、彼等が使った「買い物代」は3万1714円に過ぎない。モノの消費を担って居るのは中国人旅行者だと云う事が分かる。

 「世界一コンパクトな大会」の筈が巨額の支出に・・・

 そんな最中に起きた新型ウイルスの蔓延である。中国からの来日客が減少し、日本の百貨店での春節期間(1月24日から30日)の免税売上高は前年比2ケタのマイナスに為ったと発表されて居る。当然、中国以外の地域、特に欧米からの観光客が中国や日本等アジアへの旅行を忌避する可能性は高まって居り、今後も日本経済への打撃は深刻だ。特にオリンピックへの来場者が減れば、大会前後の関連消費が期待外れに終わる可能性が出て来る。

 オリンピックが期待通りの経済効果をもたらさ無かった場合、日本経済は大会後にそのツケを払う事に為る。誘致した際には「世界一コンパクトな大会」にするとして居たが、関連予算は大幅に膨らんで居る。会計検査院が昨年12月4日に公表した集計によると、オリンピック・パラリンピックの関連事業に対する国の支出は、既に約1兆600億円に達している。
 政府と大会組織委員会が「国の負担分」や「関係予算」として公表して来た額は2880億円だが、既にそれ以外に7720億円が使われたとして居るのだ。

 国の支出以外にも、東京都が道路整備等も含め約1兆4100億円、組織委員会が約6000億円を支出する事に為って居り、検査院の検査結果を加えるとオリンピックの関連支出は3兆円を超す巨額に上る事が明らかに為った。

 組織委員会の支出を支える「スポンサー」企業

 大会組織委員会が支出する6000億円に付いては、スポンサー料収入が最大の「財源」に為って居る。4段階あるスポンサーのカテゴリーのうち最上位の「ワールドワイドオリンピックパートナー」は国際オリンピック委員会(IOC)と直接契約して居り、1業種1社に限られて居る。
 契約料は高額でトヨタ自動車は10年で2000億円の契約金を支払ったと言われて居る。このカテゴリーには14社が加わって居り、日本企業では、トヨタと並んでブリヂストンやパナソニックが名を連ねて居る。

 次のカテゴリーは、日本オリンピック委員会・JOCと契約し、日本国内でのみオリンピックのスポンサーと名乗る事が出来る「東京2020オリンピックゴールドパートナー」これには国内企業15社が名を連ねる。スポンサー料は4年契約で100億円程度と見られて居る。
 通常、オリンピックの企業スポンサーは「1業種1社」が常識だが、今回の東京オリンピックでは、国内スポンサーに限って「1業種1社」の枠組みを外した。みずほ銀行と三井住友銀行、NECと富士通等の同業種が並んでスポンサーに為った。横並び意識の強い日本ならではの「商法」だった。

 前回の東京オリンピック後に訪れた「40年不況」

 組織委員会の6300億円の収入予算のうち、チケットの売り上げが900億円、ライセンス収入が140億円、IOC負担金が850億円等と為って居る。IOCの負担金の原資は、IOCに直接入るスポンサーからの収入やテレビ放映権料だ。
 IOCは東京大会で過去最高の3倍に当たる30億ドル・約3300億円超のスポンサー料を日本国内の企業から集めたと公表して居る。IOCとしてはビジネスとして成功が約束された大会と云う事だろう。

 オリンピックは過つて国の威信を賭けて行う国際大会と云う色彩が強く、巨額の国家予算が投じられた。その結果、大会後に深刻な不況に見舞われるケースが頻発した。前回の1964年(昭和39年)の東京オリンピックでも、その後「40年不況」と呼ばれる景気悪化に見舞われ、山一証券は事実上破綻して日銀特融を受け、山陽特殊製鋼などが倒産した。
 過剰な投資を行えば、そのツケが回って来るのは当然である。その反省から昨今のオリンピックはお金を掛けずにコンパクトに済ませる様に為った。日本はその国際的な流れを無視し、巨額の資金を継ぎ込んでしまった訳だ。

 そうで無くてもその反動が大会後の日本を襲う事が懸念される処に、新型コロナウイルスの蔓延である。消費増税も有り国内消費が冷え込んで居る中で、オリンピック関連のインバウンド消費に期待が集まって居たが、万が一そのアテが外れる事に為った場合、不況に直面した前回東京大会の轍を踏む事に為り兼ね無い。


                 以上







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新型コロナウイルスによる「緊急事態」の宣言 起こり得る「人権の停止」に抗う為に




 





 新型コロナウイルスによる 「緊急事態」の宣言
 
 起こり得る「人権の停止」に抗う為に


           〜HARBOR BUSINESS Online 3/11(水) 8:33配信〜


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              文 ドイツ思想史 北守 藤崎剛人

 はじめに・・・突然の学校休業

 2月27日、安倍晋三首相は、新型コロナウイルス感染症対策の為として、全国の小中高校に対して、3月2日からの臨時休校を要請した。この決断は唐突に行われたもので、与党議員ですらその多くが事前に知らされては居なかったと云う。
 学校や教育委員会も寝耳に水であった。増して現場の教員達は、その日の夜、ネットやテレビのニュースで初めて知ると云った有様であった。

 只でさえ学期末で成績評価や行事等が立て込んで居るこの時期の事である。テストはどう為るのか。卒業式はどう為るのか。学校は短期間に判断を迫られる事に為り各地で混乱が起こった。問題は山積みである。
 例えば非常勤の教員の給与保障はどう為るのか。非常勤の教員はコマ当たりで給与が支給される為、学校が休業すると為ると生計が成り立た無く為ってしまう。既に発注してしまった分の給食の食材はどう為るのか。大量の牛乳は廃棄するしか無いのか。給食が無く為った場合、それ等を貴重な栄養源にして居る様な子供の食事はどう為るのか・・・

 共働き世帯やシングルペアレント世帯で、子供に留守番をさせる事が出来無い親達は、学校の代わりに子供を預ける事が出来る場所を急遽探さねば為ら無く為った。生活に余裕が有れば最悪仕事を休む事で対応可能だろうが、ギリギリの生活で仕事を休む事が出来ない一人親家庭はそれも困難である。
 29日、安倍首相は改めて記者会見を開いたが、この臨時休校に至った経緯に付いての具体的な説明は無く、又、臨時休校によって困難な立場に立たされてしまう人々に付いて、具体的な支援策を述べる事は無かった。

 休校要請の法的根拠?

 ソモソモ、今回の首相の要請には、如何なる法的根拠が有るのか。学校保健安全法第20条は、学校の感染症予防上の臨時休業を可能にして居る。但し、それが出来るのは学校の設置者である。例えば公立の小中学校において、その設置者は地方公共団体の教育委員会に当たる。詰まり、首相には臨時休業を決定する権限は無い。

 2012年、民主党政権の時代に制定された新型インフルエンザ等対策特別措置法を援用すれば、内閣総理大臣は「新型インフルエンザ等緊急事態宣言」を行う事が出来る。しかし、それでも直接的に臨時休校を命じる事が出来るのは都道府県知事等であって首相では無い。
 ソモソモ政府は現時点で特措法の適用を行って居らず、新法の制定を急ぐとして居る。従って、2月27日時点での首相の臨時休校要請は「法の外」において為されたものと考える他は無く、少なくとも政府の方でもそれを認識して居るからコソ、表現が「要請」に留まって居るとも云える。

 にも関わらず、首相の「超法規的」要請は、事実上の法として機能した。この要請を受けて、3月2日若しくは初週からの臨時休業に踏み切る自治体が殆どであったのだ。
 教育行政は理念としては地方分権を原則とするとは云え、自治体の教育委員会が国家の要請を跳ね付けるのは困難である。増して、旧教育基本法を改正して中央政府が各地の教育により干渉し易くしたのが、他ならぬ第一次安倍政権である。その様な背景の下で、首相が公に発表した「要請」は単なる要請でしか無いのだから、休校を決定する権限は未だ各自治体に留保されて居ると考えるのは、飽く迄も建前でしか無い。

 自己拘束無き行政権力

 確認して置か無ければ為ら無いのは、現代の肥大した行政権力が、現行の法秩序の頭越しに権力を行使する事は、遣ろうと思えば難しくは無いと云う事だ。勿論近代民主主義国家は、三権の分立を憲法上の基本原理として居る。立法府が法を制定し行政府がそれを執行する。立法府が憲法に従って法律を制定して居るか、行政府がそれを正しく執行して居るか。それを審査するのは、独立した第三の機関である裁判所である。

 処が20世紀に入り、国家が担うべき役割が増加するに連れて、近代民主主義国家は執行権に権力の重心が集まる行政国家と為った。特に議院内閣制においては、行政府と立法府の多数派が(通常は)一致する仕組みに為って居る。立法府と行政府の緊張関係は希薄化する。
 それ処か、立法府は行政府の必要に応じて法律を制定する上意下達機関と化してしまう。立法府の最後の砦と為るのは、政権の腐敗や法案の問題点に付いて、政府与党を厳しく批判する野党なのであるが、その役割の重要性は残念ながら日本社会において十分認知されて居るとは云え無い。

 最高裁判所は「憲法の番人」と呼ばれる。しかし日本の場合は、最高裁判所長官の任命権と云う形で、行政府は司法権に介入する事が出来る。国民審査による最高裁判所長官の罷免権は、殆ど換骨堕胎されて居る。
 最高裁判所の違憲立法審査権は、所謂統治行為論によって事実上の制限がある。ソモソモ違憲審査制を充実させる事によって、有権者によって選ばれては居ない裁判官が事実上の立法機関と為る(司法国家)事に付いても議論がある。

 ソコで、最高裁判所の代わりに内閣に対する「法の番人」と為って来た内閣法制局で在ったが、第二次安倍政権は人事慣例を破り、法制局出身者以外の長官を据える事で、その番人を骨抜きにしてしまった。
 更に又、人事院を屈服させ、政権に近い検事長の定年を延長する事によって、検察庁をも完全に支配下に置こうとして居る。国家機関の外部から権力を監視する役割を担うのがマスコミである。しかしコレも安倍政権は、NHK会長や経営委員への「お友達」の起用や、新聞やテレビ局トップとの会食によって、懐柔に成功してしまって居る。現在の日本の行政府は、対抗権力によるコントロールを全く望め無い状況に有る。

 こうした安倍政権による一連の動きは、日本における現行法秩序に対する挑戦である。19世紀ドイツの国法学者G・イェリネックは「一般国家学」にて、国家は制定された法に自己を義務付けると云う国家の自己拘束説を唱えた。
 後にコノ学説は君主権を正当化する為の欺瞞的な説だと自由主義勢力の批判を浴びるが、憲法学者の石川健治の様に「寧ろソレをカントの義務論的に解釈する事によって、国家は自らを法に義務付け無ければ為らぬ」現状の日本においてソレを再評価しようとする動きもある。

 (※1)この観点から云えば、安倍政権は自己拘束亡き行政権力である。









 「緊急事態」の正統性
 
 規範主義的に云えば、日本の行政府が持つアラユル権力は、全て日本国憲法に由来する。裏返せば、憲法や制定法を無視した権力の行使は、如何なる正当性も持た無いと云う事である。しかし現実的には、コントロールが効か無い政権の自由気ママな振舞いは追認されて居る。これを法規によって抑制する事は難しい。
 「他のアラユル秩序と同様、法秩序が基づいて居るのは決断であって規範では無い」(※2) コレは20世紀ドイツの公法学者であるカール・シュミットの言葉である。シュミットは『政治神学』において、法学的思考からなるべく人間の意志を取り除こうとする規範主義的な法学を批判し、現実の世界に対して秩序を与えるのは規範では無く決断であるとした。

 シュミットによれば、規範主義の無力さは「例外状態」と云う状態に付いて考察する事によって明らかと為る。「主権者とは例外状態において決断を下す者の事である」(※3) これは『政治神学』の冒頭に有る有名な一文である。
 日本国憲法では、国民が主権者であると定められて居る。しかしシュミットがココで述べて居るのはそうした政体論上の主権者では無く「例外状態」において権力を振るう者は誰なのかと云う事である。規範主義の考え方では、この「例外状態」と云う状態を上手く扱う事が出来ない。

 緊急事態に付いて、憲法や法律で定める事が出来たとしても、今正に現実に起こって居る事態が緊急事態なのかどうかは、規範によっては判断出来ないからである。と云うのは「緊急事態」とは価値命題だからである。
 法規範は「緊急事態」の際に国家が取り得る行動を定める事が出来ても、何時何処で何が起こった場合が「緊急事態」に当たるのかを、全て列挙する事は出来ない。仮に新型インフルエンザやコロナウイルス等の感染症に限定した特別立法であっても、政府は遣ろうと思えば、それ以外の事態に付いても「緊急事態」だと拡大解釈する事が出来る。

 荒唐無稽な話では無い。安倍政権によれば、例え3人の専従職員を引き連れて居たとしても、首相夫人は「私人」なのだし「桜を見る会」招待者名簿のバックアップデータは「行政文書では無い」のである。「緊急事態」は規範それ自体からは導く事は出来ない。
 「今は正に緊急事態だ」と主権者が言った場合、主権者は事実を記述して居るのでは無く「我々は今のコノ現実を緊急事態だと見做す」と云う決断をパフォーマティブに行って居るのである。

 この決断は「緊急事態」を宣言する事によって、その為に定められた法規範の適用を求めるものであるのと同時に、その決断自体が法規範と同等の効力を持つ事を求めるものである。インドの叙事詩的映画『バーフバリ』(S・S・ラージャマウリ監督)で、マヒシュマティの最高権力者である国母シヴァガミは、自分自身が何か命令する際、最後に「私の言葉を法と心得よ!」と付け加える。
 主権を持つ指導者の言葉は単なる言葉では無く、それ自体が法と為るのだ。ホッブズは「真理が法を造るのでは無く、権威が法を造る」と述べた。主権者が現状を「緊急事態」と定めたのである。為らば、人民も、現状を「緊急事態」であるものとして行動せよ!

 「例外状態」における人間疎外
 
 「例外状態」とは本来、法規範とその適用の間に有る、換言すれば当為と事実の間に有る、ドチラとも付か無いアノミーの地帯の事を指して居た筈だ。しかし『政治神学』におけるシュミットの様に、決断主義を採用する事で「例外状態」を法規範の内に取り込んでしまった途端「例外状態」は途端に物象化し、人民の思考を支配する。

 月曜日からの休業を、木曜日の夜に決めるナンてどうかしてる?確かに普通為らば。だが今は緊急事態なのだから仕方が無いだろう。学校を休校すると子供を預ける先が無い?為る程それは大変だ。しかし今は緊急事態なのだから何とか耐え忍んで呉れ。
 イベントを休業すると収入が無く為る?可哀想に。しかし今は緊急事態なのだ。何とか協力して呉れ。野党はイチイチ政府の批判をするな。今は国難だ、戦時下と同じだ、一致団結せよ・・・「緊急事態」の宣言は、それ迄の法や制度を一気に破砕するだけで無く、国家が人民に対して負うべき責任や義務をも破砕する。そしてそれは、それを法として理解してしまった人民にトッテモ、仕方が無いものとして受け止められてしまうのである。

 シュミットの「例外状態」をミシェル・フーコーの「生権力」論によって読み解くジョルジョ・アガンベンの試み(※4)の様に、これを人間の権利の側面から見てみると「例外状態」において主権者は、法や権利を停止させ、人間の生を宙吊りにした上で、人間と人間の間に線引きを行って居ると云える。
 もしテロリストの攻撃を止められるなら、アブグレイブ刑務所の様に捕虜に拷問する事も許される。「子どもの安全」と云う抽象的な大義の為なら、学校を休業して困る人が出たとしても仕方が無い。「中国人お断り」は差別では無く、公衆衛生の為の当然の処置である・・・

 「例外状態」において、普遍的な人権は停止され、新たな境界線が引かれる。勿論そ子で人間的なものの恩恵を受けられ無いのは、常に弱い者の側である。非正規、貧困、シングルマザー・・・そして「緊急事態」の宣言が、主権者の決断に根拠を置くのであれば、理論上、こうした人権の停止は何時でも起こり得る事に為る。
 「例外状態」と「通常状態」の境界は消滅し、私達は何時でも、宙づりにされた生(アガンベン的に言えば「剥き出しの生」)を生きる事に為るだろう。

 しかし、一時期盛んに主張された「決められ無い政治」から「決められる政治」へと云うスローガンが示す様に、我々の社会では決断コソが指導者の為すべき事と見做されている。「例外状態」において、寧ろ弱者を排除する様な「苦渋の決断」をすればする程、彼は「優れたリーダー」と見做される事に為るのである。コレは安倍晋三に付いてだけ述べて居るのでは無い。大阪府知事や北海道知事に対しても当て嵌る。

 おわりに

 3月9日、安倍首相は、今回の状況を「歴史的緊急事態」とした。13日には、緊急事態条項を盛り込んだインフルエンザ法を援用したコロナ新法が制定される予定である。同法では私権制限に付いての政府の行動は極めて限定されて居る。しかし上述の通り「緊急事態」において、政府の無し得る行動は事実上歯止めは無いのである。

 私達は、コロナウイルスによる危機に立たされて居る。勿論感染症のパンデミックは恐ろしい。しかし――或る意味ではそれ以上に恐ろしいのは、コロナウイルスが人権に代わる新たな価値尺度として「緊急事態」における法秩序の王冠・coronaと為る事である。それは、日本国憲法が事実上改憲されたのと同じ効果をもたらす。

 だから「緊急事態」を煽り、人間の生を「剥き出しの生」へと切り詰め様とする言説に対しては、抵抗して行か無ければ為ら無い。全国的な学校の休業は、もし必要であったとしても、超法規的な方法によってのみ可能と為る訳では無い。
 例えば休校のデメリットを予測し、必要な支援策を「事前に」定めて置く事で、各自治体の教育委員会に自然と休校の決断を促す事は可能だった筈である。「今は緊急事態なのだから黙って居ろ」と云う圧力に抗して、こうした批判を続けて行く必要がある。

 目に見え無いウイルスによって、我々の生命は脅かされて居る。しかし、如何に生命の危機だからと云って、我々の生命そのものを国家に売り渡す必要は無いのである。


 【参考文献】

 ※1 石川健治「すべての人が負けたのだ―安保法制「一億総活躍」思想の深層を探るー佐々木惣一が憲法13条を読む」WEB論座 2016年2月23日付
 ※2 Carl Schmitt, Politische Theologie, Duncker & Humblot, 2009(2. Aufl., 1934), S.16
 ※3 Ebenda, S.13
 ※4 ジョルジョ・アガンベン(上村忠男・廣石正和訳)『アウシュヴィッツの残りもの――アルシーヴと証人』月曜社、二〇〇一年

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  文 北守 藤崎剛人 【北守(藤崎剛人)】ほくしゅ(ふじさきまさと) 非常勤講師&ブロガー ドイツ思想史 公法学 ブログ 過ぎ去ろうとしない過去 note:hokusyu Twitter ID:@hokusyu1982

            ハーバー・ビジネス・オンライン      以上



 



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