2018年11月24日

拓馬篇後記−*3

 シズカは自分の身の上を「複雑な事情」だと稔次に表現された前提で、「そんなところ」と言葉を返す。
「でも拓馬くんとおれは、自信をなくした理由がちがう」
 かの少年は生来の異能力に苦悩させられているが、両親健在かつ家庭円満。そこがシズカとは異なる。
「おれは災害孤児で、ここは親戚の寺」
 この出自は稔次も拓馬も知っている。シズカみずからが教えたことだ。
「おれの兄が寺の娘と将来結婚して、跡取りになるから、弟のおれは厄介者……そんなふうに、むかしは思ってた」
 シズカが疎外感を感じた原因は自分の心の有りようにある。寺の者は親を亡くした兄弟との接し方に差をつけたことがない。兄弟二人共を、実の家族のごとく遇してくれた。その情愛はシズカが成人したいまも変わらない。にも関わらず、少年時代は親戚の厚意を純粋に受け止められなかった。
「ヘンに頭を使って……おれは自分で自分をおとしめてた」
 ただの被害妄想だと言っていい。その精神的な自傷行為はシズカが異界へ行くときまで、心の奥底でひっそりと続いた。拓馬もそれと同種の、不必要な自責の念を抱えている。
「トシは知ってる? 拓馬くんは人でないものが生まれつき見える体質だって」
「うん、異界へ行ってないのに異界の生き物が見える、って話は聞いた」
「彼は見えるだけだ。人でない生き物に対抗する力がないのを、ずっと気にしている」
「どういうこと? バケモノが見えることを気にしてるんじゃなくて?」
「ああ、それも彼をひかえめな性格にさせた一因だろうね。見るものすべてをしゃべっったら他人から『狂人』だと思われてしまう」
「そこはオレもわかる。異界の生き物たちが見えててもだまってなきゃいけないから」
 稔次は腕を組み、シズカの主張の理解に頭を悩ませる。
「そいつらが見えなくなってほしい、という問題じゃない?」
「ああ、拓馬くんの場合はね、お父さんが見える人なんだ。だから霊視自体は受け入れてる。でもその人は異形を退散させられるらしくて」
「バケモノを追いはらう力をもってないのが、くやしいってこと?」
「そう」
「そのお父さんに退治してもらうんじゃ、ダメ?」
「拓馬くんだけの身を守るんなら、それでいい。でも彼は幼馴染の子を心配してるんだ」
 その子はヤマダと呼ばれる女子。シズカの記憶では彼女のねむる顔こそが真新しい。二人が直接会話をしたことはなく、ともに拓馬を通じることでたがいの人柄を知るのみ。彼女の存在を稔次が知らないだろうとシズカは思ったが、旧友は「近所の女の子だっけ」と簡単に話を合わせてくる。
「うちの兄貴から聞いた」
「ああ、拓馬くんとは親友なんだ」
「兄貴も『拓馬くんと仲良い』と言ってたな……その子には拓馬くんを婿にもらっていいっていう許可は取ったとか」
 シズカは苦笑いする。婚姻に関して、親類ではないまったくの第三者の許可を得る発想におかしみを感じたせいだ。
「よその子に許可をもらったって、本人の気持ちがわからないんじゃ……」
「そこはほら、女の子のほうに恋心があるのに、勝手に縁談をすすめたらその子を傷つけるだろう、という気遣いだ」
「紳士的な配慮、感服するよ」
 話が脱線した。シズカはすぐに本筋へもどる。
「それで……その女の子が人外に好かれやすいタチでさ。彼女を守りたいのに、守れるだけの力がない現実が、拓馬くんを苦しめてた」
「べつに恋人じゃないんだろ?」
 男が懸命に守ろうとする異性とは、男にとっての家族か恋人──その考えのもと、稔次はシズカの説明に不足を感じているらしい。友だちだから、という理由では説得力に欠けそうだとシズカは判断する。
「そう。だけど二人は兄弟みたいなものだ。ちっちゃいときから一緒にいて、家族みたいに思ってる……」
「家族か……そう言われたら、弱い自分を追いつめるのもわかる気がする」
 稔次は自身の妻子に思いをはせたようで、太ももに片ひじをつきながら頬杖をした。視線はどこか遠いところにある。
「なにかいい方法あるかな……?」
「じつは解決の目途が立ってるんだ。さっき言った異界の先生、その人が拓馬くんたちを守ってくれる」
 稔次は傾いた姿勢をたもったままシズカを見る。さびしげだった表情は明るくなっている。
「そうだったか。なら、なんであの子はまだあんな感じなんだ?」
「その先生が異界の人だと知ったのが、最近のことで……そんなすぐには変われないよ」
「じゃ、もうすこし時間がたてばいいのか」
 そのような楽観視をシズカは肯定しかねた。異形対策とは別種の、拓馬の自尊心が得られぬ事情を思い出す。
「そうとも言い切れないんだな、これが……」
「え、なんで?」
 この反応を見たシズカは、やはり恵まれた者には察しがつかないことなのだと悟る。
「拓馬くん……背が低いだろ?」
「まあ、高くはなかったと思う」
「トシはわかんないだろうけど、そこがけっこうな難点なんだよ」
 稔次はまた腕組みをして、大きな上体を左右にゆらす。
「チビって言うほど小さくはなくないか?」
「それがね、一七〇センチいかないのはちょっとこたえるんだ。おれもそうだったから」
 シズカは現在一七一センチあるが、拓馬の年頃だと一六〇センチ台だった。だからこそ拓馬の劣等感には共感でき、敏感にもなる。しかし高校生以前から高身長だという稔次は不思議そうな顔をしている。
「ほんの数センチのちがいだろ? そんなもんで男の価値が変わってくるの?」
「変わるような気がするんだよ、あれぐらいの年齢の男子は」
「オレだったら身長と引き換えにバカを直したいけどなぁ」
 稔次は学校の勉強が大の苦手だったという。成績のわるさをコンプレックスに感じているところは変化がないようだ。
「シズカや拓馬くんぐらいに物わかりがよくなりたいよ」
「それは努力次第でだいぶよくなると思うけど……やる気は、ある?」
「ううん、ない」
「だったらバカでいるっきゃないね」
 シズカは大げさに言い放った。稔次が年甲斐もなくむくれ面になる。
「ひとごとだと思って〜」
「いいじゃない、改善しようがあることを不満に思ってるんなら。勉強は何歳になってもできるよ」
「そうは言うけどね──」
 稔次は自身が勉学に向かない人間であることを滔々としゃべりはじめた。シズカは彼の言い分に相槌を打ちながら、旧友の性質は若かりしころと同じであることを再確認する。
(そうか……トシも拓馬くんたちのちかくにいてくれるか)
 その現況に安堵をおぼえるかたわら、稔次の就業場所がまことに実家付近で決まるのかという疑問も生じる。
「あ、そうだ。仕事する場所は道場のあるあたりにしぼってるのかい?」
「え? それは決めてない。ぜんぜん知らない土地で働いてもいいと思ってるし……」
「そっか……そうなったらちょっと残念だな」
「な〜に? オレがそばにいてほしいの?」
 稔次が冗談混じりに言った。シズカは笑顔で首を左右に振る。
「そんなんじゃない。トシにも拓馬くんたちを任せられたらいいな、と思ってさ」
「異界の先生だけじゃ不安?」
「その人が力不足なわけじゃないんだ。先生は体がいっこしかないから、もし拓馬くんとその友だちに同時に危険がせまったらと思うと──」
「心配性だな〜。そんなにあぶないことがいっぺんに起きるもん?」
「起きるかもしれない。あの二人はキールと接触したし、たぶん、目をつけられてる」
 稔次が背すじを伸ばした。事の次第が飲みこめたようだ。キールは異界で名の知れた悪党。そいつがとある人物の面影を捜し続けていることを稔次も知っている。
「どっちが、あいつの捜しもの?」
「女の子のほう。ジュートと顔が似てるんだ」
 ジュートとはシズカたちと同じく異界へ行った少年のあだ名だ。こちらの世界では再会を果たせていない。彼はどちらの世界においてもシズカたちの年下であることが確定している。それがわかったきっかけは、彼の知る有名人が異界へ行ったばかりのシズカでは知り得なかったことに由来した。
「あ〜、魔王さんの体への乗りうつり実験につきあわされた子だったね」
 その魔王はとっくの昔の異界で討たれた悪者だ。おとぎ話の英雄譚に出てくるやられ役でしかないが、体は朽ちずに現存している。古びた伝承が作りものではないという証拠が存続するせいか、魔王の魂さえ呼びもどすことができれば生き返る、などと信じる輩がいる。キールという名の邪悪な存在も、その酔狂な仮説を心の拠りどころにしている。
「顔が似てる人を連れてきただけじゃ、復活なんてムリだ……だいたい、魂と肉体の造詣が連動していないことはキールだってわかってるはずなんだ。本人、飛竜なのに普段は人間の姿ですごしてるんだしさ」
「わかってても、ワラにすがりたいんだろう。まったく、ヒマ人だね〜」
 稔次は言葉では邪竜の盲目ぶりをかるく批難するが、その目つきにはあわれみが浮かんでいた。邪竜にとっての魔王とは、生まれてはじめて慕った主人。その思いは主人を想い続ける忠犬に似ていた。
「……そんなわけで、警戒態勢を強化しておきたいところなんだ。でもトシの生活を優先してくれていいからね」
「わかった。あの町に残れるように努力はしてみる」
 なんなら拓馬くんの学校の職員をねらおうか、と稔次がにこやかに宣言する。その目標がかなう保証はあまりない。そうと知りながらシズカは「そうだね」と旧友の申し出をありがたく頂戴した。
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2018年11月23日

拓馬篇後記−*2

 稔次は自身の子に会いたがっている。そうすることで彼の区切りがついたとき、シズカに真相を明かしてくれるのだろう。シズカは稔次の計画を後押しすることに決める。
「じゃ、おれがお子さんを捜すのを手伝おうか?」
「捜さなくてもわかる。オレの兄貴が知ってるはずなんだ」
「『はず』? 教えてもらってないってことか」
「まだ、聞くタイミングをはかってる。知ったらすぐに会いに行ってしまいそうで」
「どうしたら準備がととのう?」
「身の回りのことが落ち着けば……」
「落ち着くって? 仕事のこと?」
「そう、それがけっこう気になってるんだ。ムショ関係の人にも口すっぱく言われてるしね」
 シズカは首をかしげる。稔次ならすでに紹介を受ける機会があったと思ったためだ。
「出所後に就く仕事の紹介は、なかった? このあたりの県一帯、ある企業のえらい人がそういう支援に力を入れてると聞いたんだけど」
「あ〜、一個あったね……」
「蹴ったんだ?」
「そう。ちょっとハードなガードマンの仕事、みたいだった」
「トシは強いんだからちょうどよかったじゃないか」
「二十代だったらやれたかもしれないけど、もう四十路ちかいからね〜」
 そう言ってかなしげに笑む稔次の風貌は若々しい。シズカは思った以上に歳がはなれている友をじっと見る。
「もっと普通な仕事がいい?」
「そうなんだよ。他人を痛めつけるのは、ヤだな」
「トシらしいな。でも、おれのツテをあてにするのは……」
 シズカは身近な職場を思い出した。まず第一に自身が在籍する警察署。しかしこれは犯罪歴のある者には就けない就業場所だ。第二に大学以来の親友の職場。こちらは専門性のある職務だ。勉強の不得意な稔次ではついていけそうにない。
「……いいところはないなぁ。おれは警官をやってるんだが、この仕事は前科者だとお断りされる」
「この寺の人手もいらない?」
「ああ、わるいけど、おれの周りじゃトシにあっせんできる仕事は思いつかない」
 稔次は肩を落とし、わかりやすく意気消沈した。しかしシズカは彼の失望をぬぐいさる自信があった。シズカの周辺には職場の候補がなくとも、よそにある。
「うまく取り入ってくれそうなのは……拓馬くんの周りかな」
「あの子が、どんな人と関わりがあるんだ?」
「彼のかよってる学校。あそこに、異界の住民が教師として勤めてる」
 稔次は興味深げに前のめりになる。彼とて異界の者が長期間この世界に滞在するのはむずかしいと知っているのだ。
「よくバレないな、それ」
「ああ、その異界の人は頭が回るほうでね。いまはうまくごまかせてる」
 シズカは「いまは」の部分を少々強調した。それはシドの偽装がボロを出しかねないイベントが将来ひかえていることを承知していたためだ。が、この会話には不要な情報なので、稔次に益のありそうな情報を伝える。
「それに、あそこの校長さんは他人の過去にこだわらない人らしいんだ」
「でも、オレじゃ先生には……」
「用務員とか事務員とか、先生の資格がなくてもやれることはあるだろ?」
「んー、まあ考えておく。ほかにはどっかない?」
 シズカが提示できる就業場所はのこっている。従業員の後ろ暗い経歴を不問とするお好み焼き屋が一件。そのような逸話を拓馬づたいに聞いたためしがある。
「あとはあのへんのお好み焼き屋さんが──」
 店長の懐が広いという噂をシズカが言おうとしたところ、稔次が頭をぶんぶんと左右に振る。
「お好み焼きは、ちょっと……」
「苦手だっけ?」
「あ、まあ、料理全般がそんなに得意じゃないし……」
「その店はお客が自分で焼いて食う形式だそうだよ。料理の腕の良し悪しはあんまり関係ないんじゃ?」
「そう、か……うん……」
 稔次は釈然としないふうに冷茶の入ったコップを口につけた。お好み焼き屋には因縁があるのだろうか。あまり深追いしてはいけない内容だと見たシズカはべつの話題に誘導する。
「道場のほうはどう? それで生活費は稼げるのかな」
 稔次はパっと笑顔にもどる。
「それだけで食ってくのはムリだ」
「やっぱり副業どまり?」
「そのとおり。それに、お金だけが目当てじゃない。いまのうちにあの道場を盛り上げておきたかった」
 シズカは道場の経営状況を拓馬からそれとなく聞いている。あまり門下生が大勢いる道場ではないらしい。稔次がいる間に客寄せしたい、という目論見(もくろみ)はもっともだと思い、シズカはうなずく。
「拓馬くんが言うには生徒さんが多くないところなんだってね」
「宣伝をやらないせいだ。そんなんじゃ、あたらしい門下生はなかなか増えない」
「お客が増えたら増えたで、人手がいるようになるんだろ?」
 その道場はおもに師範代とひとりの指導員の二人だけで指導役をこなしているという。門下生がすくないゆえに小規模な運営ができている側面もある。
「現に拓馬くんはそのせいで手伝いをやるって言うし、そこんとこはいいのかい」
「有無を言わさず巻きこんじゃったもんね〜」
 稔次は口では「ちょっとわるかったかな」と言う。本気でわるいとは思っていないようで、茶目っ気いっぱいに笑っている。
「でもオレの勝手な見込みだと、それがあの子のためになりそうだと期待してる」
「拓馬くんのためって?」
 稔次は持っていたコップを床にあるコースターに置いた。空いた両手のひらを膝小僧にのせる。
「あの子を見てると、むかしのシズカを思い出す」
「おれと、拓馬くんが?」
 シズカは拓馬のような空手家でなく、運動神経のよい少年でもなかった。能力の差異の大きさゆえに、腑に落ちない。
「おれは肉弾戦がヨワヨワだったと知ってるだろ?」
「戦いの強さじゃない。オレが言ってるのは、自信のなさだ」
「自信、か……」
 そこが拓馬と共通する部分だ。シズカ自身、前々からわかっていた。己に価値を見いだせない、そんな卑屈な思考が拓馬と自分の人格形成の根底にあるのだと。だがあまり他者との論題にする内容ではないと思い、意図的に避けていた。
「他人に誇れるものをもっているのに、自分に自信がない。あの子がそんな子だ」
「ああ、よくわかる」
「道場で格下の子に技を教えていけば『自分はすごいんだ』っていう自信がつくんじゃないかと」
「そうなったらいいな……」
「そうならない複雑な事情がある?」
 稔次はいたわるような目でシズカを見る。その情けは拓馬のみならず、シズカにもそそがれていた。

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posted by 三利実巳 at 23:30 | Comment(0) | 拓馬篇後記

2018年11月22日

拓馬篇後記−*1

 シズカは実家として表向き称する寺にいた。今日は囲炉裏のある部屋をひとつ、客人の応接間として間借りし、ひとりの男性をまねく。男性客の送り迎えには特殊な方法をとる。シズカが異界で仲間にした鳥の怪物が送迎を担当するのだ。もちろん鳥も搭乗者も常人には見えないように配慮した。空中遊泳を経てきた男性は開口一番「たのしかったね〜」と言い、まるで主目的がシズカとの会合ではなく飛行にあったかのようにお気楽な反応を見せた。その言動はシズカをほっとさせる。
(歳は食っても、中身は変わってないな)
 知人の少年の紹介どおり、男性の外見年齢は三十代。かつての友はシズカと世代がずれていた。しかし会話の調子は以前と同じようにできそうだった。
 男性はシズカの案内を素直に聞き、囲炉裏のそばにある座布団に座った。あぐらをかいて、シズカがすすめた冷茶と茶菓子を遠慮なく飲み食いする。甘い菓子のほかに彼の好物だという醤油せんべいを用意しておいたら、案の定その好物の消費量が激しい。本当にただ遊びにきただけといった雰囲気を出していた。このまま客人の食べっぷりを鑑賞していてもどうにもならないので、シズカから話を持ちかける。
「トシ、おれに話したいことってあるの?」
「そりゃ〜あるよ」
 そうは言うが彼の視線と手はコップと茶の入ったポットにあり、空になったコップに冷茶を注いでいる。
「過去をほじくり返されない職場はない? とかね〜」
 声の調子は明るい。だがその言葉には深刻な経緯がうかがい知れた。シズカは積極的に疑問をぶつけにいく。
「そもそも、いままでどうしてたんだ?」
 シズカが異界からこの世界へもどってきて以来、こちらでの稔次の消息はまったく知れなかった。彼の住所がシズカの行動圏内から外れていたのならば気付かなくとも当然であるが、そうではないことがはっきりわかっている。
「拓馬くんの周りにはときどきシロやウーちゃんを派遣させていたけれど、トシのことはちっとも引っ掛からなかったぞ」
 シロとは老人口調の猫、ウーちゃんはその相方の猫の愛称だ。その名のことを稔次は知っているので、シズカからはとくに説明をくわえなかった。稔次はポットを床に置く。
「あの町には長いこといなかった。最近になって、帰ってこれたんだよ」
「どこにいた?」
「ムショ」
 ぽつんと出た言葉には重みがある。そして彼のなごやかな表情とは大いに差があった。
 ムショとは刑務所の略語だ。稔次が長年監獄にいたとなるといろんな辻褄は合う。彼の居場所をシズカが気付けなかったこと。彼のほうがさきに異界へ訪れ、それから十年以上経過しているのに、彼からのアクションがこれまで一切なかったこと。
「どうしてだ? だれかに罠にはめられた?」
 シズカは稔次がみずから罪を犯す人間ではないと信じている。彼はめったなことでは怒らない、やさしい男だ。短慮を起こして他者を傷つけることはまずない。考えうる欠点は人がよすぎるところ。そこに付け込まれたのではないかとシズカは推測した。
 稔次は首を横にふって「罠じゃない」と言う。
「オレの意思で……そうしたことだ」
 彼の顔からは苦悶が見えた。具体的になんの罪を被ったのか言わない様子を察するに、服役したという告白までが稔次の言える事実なのだとシズカは感じる。
「どんな理由があって、犯罪をやった?」
「それを知って、どうなる?」
「おれの気持ちがおさまる」
 シズカは利己的な思いをさらけ出した。かつての仲間が好きこのんで人倫に外れる行為をするとは認めがたい。その気持ちに整理をつけるための問いなのだと正直に答えた。しかし稔次は応じず、「言いたくない」とそっけなく返した。
「おれが信用できない?」
 シズカは考えうる稔次の秘匿理由をさきんじて言う。
「おれに言ったら、拓馬くんにバラすかもって──」
「そうじゃない。言い訳がましくなると思うから、言いたくないんだ」
「言い訳のなにがわるい?」
「見苦しいだろ?」
「言うとカッコわるくなるっていうのか?」
 シズカが微量な憤りをあらわにする。稔次が友情よりも見栄を優先していると思うと、落胆が生じる。
「トシはそんなカッコつけ方をするやつじゃないと思ってたぞ」
「すまない。オレは自分のわがままばっかり言ってるね……」
 稔次はうなだれた。彼の大きな体が急にちぢこまる。謝罪の念が明確になったいま、シズカの憤怒も委縮する。
「……どうしても言えないのか?」
「いまは、まだ……最初に教えたい人がいる」
 彼の中に物事の順序があることをシズカは知り、さきほどの傷心が一気に吹き飛ぶ。
「なんだ、それを言ってくれてよかったのに」
「でも、その気持ちがなくてもきみに言う気になったかどうか……」
「こまかいことはいいさ。いったい、だれにいちばんに言いたいんだ?」
「オレの子ども」
 シズカは驚愕と納得とを同時に感じた。相手は人のよい男前なのだ。特定の異性と親しい関係をきずけていて、当然である。
「結婚、してたのか」
「もう別れた。『犯罪者の家族』だなんて他人に責められたら、かわいそうで。オレが離婚を言い出した」
 稔次は家族を守るための離別を果たした。その悲愴な決断に対する感想をシズカはどうとも言えず、押しだまる。
「あのときは一生子どもに会わないと決めていたが……いまは子どもにだけは会おうかと思ってる」
「その子に、父親が犯した罪を教えると?」
「そう……言うつもりだ。『知らなきゃよかった』と後悔されてしまうかもしれないけど……オレの子なら、きっとわかってくれるんじゃないかって、思うんだ」
 彼の子どもであれば親同様に度量が大きいだろう、という予想をシズカは自然と立てた。

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2018年11月18日

拓馬篇後記−21

 拓馬は年長の知人との音声通話を開始した。決まりきった挨拶ののち、シズカがすぐに本題に入る。
『えーっと、異界絡みの人のことをおれに確認してほしいんだったね?』
「はい。トシツグっていう男性、知ってますか?」
『うん、その名前の人には向こうで会ったことがあるね』
 稔次とシズカが顔見知りである可能性が浮上した。拓馬は俄然二人の関係性が気になりだす。
「シズカさんが知ってるトシツグって人は、何歳くらいの人だったんです?」
『おれがはじめて会ったときは……ギリギリ十代だったっけな』
 十代──シズカもその年代で異界へ迷いこんだという。そして現在のシズカは二十代半ば。両者の実年齢には十歳ばかしの開きがあることになる。
『あのときはおれのすこし年上のお兄さんって感じだったんだが……きみが見た人はどうだった?』
「歳は聞いていませんけど、三十代くらいに見えました」
『うん、そうか』
 シズカはごく普通に相槌を打った。シズカが会ったトシツグは十代の若者で、拓馬が会った稔次は三十代の壮年。この世界の常識で考えると、両者はまったくの別人である。しかしシズカはそのように判断していない。この問答はあくまで異界の出来事を過去のものとして語れるかどうかを知る年齢確認だ。拓馬はいまひとつ完全に理解することはできないが、異世界は実世界と時間の感覚が異なるもの、とぼんやり認識している。
「年齢だけじゃ、同じ人かどうか特定できませんよね?」
『そうだね。見た目の特徴を教えてくれるかい?』
「体が大きかったです。一九〇センチあるかも」
『顔はけっこうな男前?』
「はい、カッコイイですね」
『性格はどう?』
「俺に気さくに話しかけてくれて、感じのいい人だと思いました」
『そうか……』
 シズカは歓喜とも悲嘆とも知れないため息を吐く。その反応に拓馬は不安をおぼえる。
「トシさんとは知り合い……で合ってますか?」
『うん、きっと同じ人だ。実家が空手の道場を経営してると言っていたし』
「え? 実家?」
 シズカが発した情報は拓馬の前提になかった。シズカは拓馬の反応におどろいて『ちがった?』と質問してくる。
『拓馬くんが言ってる人は、空手家なんだろ?』
「そうなんですけど……」
 大畑の道場が稔次の実家のものである、とくれば、稔次は大畑一家の親戚ではなく、直近の家族ということになる。年齢的には四十代である大畑の兄弟が妥当だ。稔次が大畑姓だという告白と、彼が大畑の母親に顔が似ている事実とも合致する。拓馬はようやく稔次が大畑の弟なのだと確証をつかんだ。そういった家族構成を稔次が隠匿していることを、シズカは知らない。
「あの道場の経営者とトシさんの関係って、はっきりしてなくて」
『ありゃ、トシが隠してることをバラしちゃったな』
 シズカは情報漏えいをしたらしい。しかし拓馬もうすうす勘付いていた事実だ。そのことをなぐさめがわりに告げる。
「気にしなくていいです。トシさんは師範代の弟なんだろうな、と俺は思ってたんで」
『んー、そうか。きみの察しがよくて助かったよ』
「それも向こうの規則に関係あるんですか?」
『いや、これはちがうね。トシの……というか、おれの気持ちの問題だ。彼が家族のことを隠したがる理由があるだろうから』
「はい、なんでも『師範代たちに迷惑をかけたくない』とか」
 拓馬はその発言に納得しがたい部分があった。あのような偉丈夫が身内にいて、なんの迷惑がかかるというのか。むしろ自慢の対象になりうるのではないか──表面上のことだけを見ると、そんな発想に至ってしまう。ところがシズカはそのような疑問を口にせず『訳ありみたいだね』と瞬時に稔次の背景に理解を示す。
『それで……トシはおれの正体を知って、なにがしたいって?』
「もし会う気があるなら会いたい、みたいなことを言ってました」
『男二人で顔見せ、か……』
 シズカは稔次の要求を飲むかどうか考えている。その決定を急ぐ必要はないので、拓馬は目下の行動案を提示する。
「どうします? とりあえずトシさんには、俺の知り合いがシズカさんだと伝えましょうか」
『そうだね……拓馬くんのほうからおれのことをトシに伝えてくれれば、あとはおれたちでなんとかするよ』
「あとは二人で話す……んですか」
 拓馬は彼らの異界事情があまり聞けずにおわるのを残念に感じた。するとシズカは『トシのことを聞きたい?』とたずねてくる。拓馬は一も二もなく「はい」と答えた。
『そうだなぁ……おれが勝手に教えてもトシが嫌がりそうにないこと……』
「なにかあります?」
『そうだ、ついでだからシド先生と関係のあることを教えておこう』
「先生とトシさんが、どう……」
『二人の武芸の師匠は同じ男なんだ。トシはもともと格闘家だったけれど、その男にしごかれて、剣術も得意になったそうだ』
「へー、剣術も得意……」
 拓馬はその説明に引っ掛かりをおぼえた。だが次なるシズカの説明のインパクトが強かったために、違和感が押し流される。
『でもトシから見たら師匠っていう大層なもんじゃないだろうな。悪友がピッタリだよ』
「その『悪友』って、わるいことを一緒にする友だち、のことですか?」
『うん、その意味だ』
「トシさんはわるい人には見えないけど……」
 だが稔次は過去、他者に口外できぬことをしでかしたという。若いころと現在の稔次は人格が変わっているのかもしれず、拓馬は稔次の悪行が明かされるのを覚悟した。
『二人ともちょいちょい女の人をひっかけてて、まあ気が合ってたね』
「え、女好き?」
 想定を下回る平和的な悪癖だと拓馬は思った。拍子抜けした拓馬に対し『そうだよ』とシズカがあっけらかんと答える。
『とはいってもトシの女癖は師匠ほどわるくなかったね。だいたい師匠が女性に声かけて、そのお伴にトシがついてくって感じだったかな』
「その師匠がかなりの女好きなんですね……」
『そういうこと。今日のところはこんなもんでいいかな?』
「あ、はい。もういい時間だし……」
 拓馬は眠気を感じていた。夜更ししていると言えるほど夜おそい時間帯ではないものの、体に疲労をおぼえている。その原因は、今日の研修にあると思った。日常と変わった体験をしてきて、気が張っていたからだと自己判断する。そのことをシズカに言うと『大人の階段のぼってきてるね』と言われた。これまで拓馬がバイトらしいことをしてこなかったのをシズカは知っており、その変化についての感想が「大人にちかづく」なのだろう。だが拓馬は道場の手伝いを正規の就労とは見做せていない。このバイトは習い事の延長上にあることだと思っている。それゆえシズカの言葉をやんわり否定する。
「あんまり仕事してるとは思えてないですけど……」
『今日は仕事の内容を教わってきたところだもんね。きっとこれからだよ、労働者の自覚が芽生えるのは』
 シズカは『おやすみー』と言い、拓馬との通信をおえた。拓馬はさっそく就寝支度をする。照明を落とした自室で、ベッドに横たわる。目を閉じて、シズカとの会話を振り返る。
(シズカさんがトシさんと会ったとき……トシさんは十代だった)
 拓馬の聞くところ、シズカも十代後半で異形との関わりを持った。二人はそのときに見知った仲なのだろう。
(ほんのちょっと歳がちがってた人が、こっちの世界じゃ一回りもちがう……)
 二つの世界を行き来する者にとって、その差はあって当たり前のことのようだ。中にはこちらの世界ではとっくに死没した人が、異界で元気にすごすこともあると言う。この世界の生死の感覚が異界では通用しないのだ。
(ややこしい話だよなぁ……)
 現地に行ったことのない拓馬には実感しがたい知識だ。しかし今日、二人の異界放浪経験者に出会え、その一端を知ることができた。貴重な体験だ。
(ほかにも、どんな人が向こうに行ってるんだろ)
 まだ会ったことはなくとも、その存在は聞いた者がいる。それは現在シドのことを探っているという人物だ。拓馬はその人のことをシズカに聞きわすれてしまった。また次の機会にたずねよう、とおぼろげに考えながら、拓馬の意識が混濁していった。

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2018年11月16日

拓馬篇後記−20

 拓馬は帰宅後、すぐに自室へ行った。大畑からもらった紙幣入りの封筒を机の引き出しにしまう。こういった大事な紙類は不用意に放置しないことに決めている。居間などの家族の目につくところに置いておくと、飼い犬か姉が手をつけかねない。自衛のため、大切に保管した。
 自室にきたついでに電子機器を操作する。シズカに話がしたい旨をメールで伝えた。今回の用件は稔次のことだ。シズカの知人かもしれない人を見つけた、といまのうちに知らせておき、シズカの都合のよいタイミングで通話する。あとはシズカの反応待ちだ。
 次に拓馬は使用した道着を洗いにかかる。洗濯機の洗濯完了には二、三十分かかるので、その待機時間は居間ですごす。居間では母がくつろいでいた。この場にいない姉は入浴中で、父は犬の散歩に出かけたという。
 拓馬は母にすすめられて、自分の分の夕食をとる。このように自分の夕食時間がおくれる状況は最近なかった。
(小学生のころ……こんなふうに食ってたな)
 かつての門下生時代、幼年の部から少年の部へ移行したときのことを拓馬は思い出した。少年の部は今日と同じ時間帯の開催だ。当時の夕飯も道場の練習がおわったあとに食べていた。学校でとる昼食と自宅での夕食まで時間がかなり空くので、練習前には軽食をとったおぼえもある。つまり一日四食とっていた。拓馬なりに体によいものを選んで摂取したのだが、あまり成長は促進されなかった。
(けっこう食ってて、この身長なんだもんな)
 拓馬の両親は体格に恵まれていない。やはり遺伝は努力ではいかんともしがたいのだ。小学生当時はまだその真実に気付かず、未来に希望を持っていた。
(もう伸びないよな、高二にもなりゃ……)
 どこぞの噂では高校入学後に急成長した男子がいたという。その人は丈が合わなくなった制服を着続け、卒業していったとか。拓馬はそれと似た事象が自身にも起こりうるかもしれないという淡い期待を抱いていた。今年の身体計測の結果を見て、ようやくあきらめがついてきた。
(一七〇センチはほしかった……)
 と、自身の成長具合に不満をもらすのは拓馬だけではない。ヤマダもまた「一六〇センチ台にいきたかった」とぼやいたことがある。そう言う彼女の身長は日本人女性の平均値と似たりよったり。低身長だと気にするほどではないと拓馬は思っている。
(一七〇あったって、もうちょっと背がほしいって思うんだろうな)
 平均値に達している友人がそうなのだから、自身も例外ではないと感じた。人間の欲は深い──そんな哲学めいたことを思いふけっているうちに父が散歩からもどってきた。居間に父と犬が入ってくる。リードを外された白黒の犬は真っ先に拓馬のもとへやってきた。食卓の椅子にすわる拓馬の足に体をこすりつけ、尻尾をぱたつかせている。
(俺に会うだけでこんなによろこんで……)
 犬はひとしきり歓迎の行動を行なった。最終的に拓馬の足にもたれかかって、横になる。飼い犬は拓馬のコンプレックスをまったく気にしていない。拓馬の背が伸びようがちぢもうが、動物には関係のないことだ。
(トーマはもっと大きくなりたい、なんて思うことがあるのかな)
 この飼い犬は中型犬サイズ。どうにか室内で飼える大きさだ。これより大きいと日々の世話が大変になってしまう。人間の都合を考慮すると、いまのサイズがちょうどよい。
(トーマに足りてないところはないな)
 この犬は名目上雑種だがなかなか優秀だ。同じ犬の中では充分に身体能力が高く、愛嬌者で、知性がある。血統書付きであれば上流階級の家庭に愛育されるのに申し分ない。また、作業犬としてもやっていけそうな能力を持っている。しかし平凡な家庭で飼われていてはそのすぐれた能力をぞんぶんに活かせず、その愛らしさに見合う待遇を満足に受けられない。この日常を物足りなく感じているのではないか、と案ずることが拓馬にはときどきあった。それでも根岸一家が目にするトーマは毎日をたのしそうにすごしている。
(毎日が、しあわせか……)
 トーマは現在与えられている以上のものをのぞんでいるようには見えない。ただ人間が餌を用意して、寝床をきれいに掃除して、共に散歩しに出かけて、ときどき遊びに付き合いさえすれば、きっと満足なのだ。日々に充足感を持ちえている飼い犬を見ていると、拓馬は自分の悩みが取るに足らぬことだと思えてきた。
(俺も、見習おう)
 洗濯機のアラーム音が鳴る。かの機械が仕事をしおえた合図だ。拓馬は空になった食器を流し台に置いた。そのほかにも道着を干す、入浴するといった所用をすませる。その間にシズカからの連絡が届いていた。彼は今夜、拓馬と話せるという。
(よし、部屋に行こう)
 拓馬はさっそく自室にこもった。冷房をつけた室内で、パソコンを起動させる。シズカとの会話を他者に聞かれないよう、ヘッドホンの準備をした。そうしてすでに拓馬を待っていたシズカとの通信をはじめた。

タグ:拓馬
posted by 三利実巳 at 23:57 | Comment(0) | 拓馬篇後記

2018年11月14日

拓馬篇後記−19

 拓馬は道場の研修に参加した。年少の門下生たちは新参者の指導員を興味深そうに見てくる。彼らの視線はどれも歓迎の意がこもっていた。拓馬と背格好の変わらぬ中学生でもそのような反応だ。拓馬は自身の小柄な体型ゆえに、自分と体格がちかいかそれ以上にすぐれる者からあなどられるのではないかと少々危惧していた。そうではなさそうだとわかり、前途が良好だと感じた。
 研修にかかった時間は都合三時間ほど。最初の指導対象は未就学児から小学三年生までの部、その次に小学四年生から中学三年生までの部があった。門下生ひとりあたりの練習時間は一時間程度でおわる。拓馬は二部続きでくわわった。練習前後の支度と合間の休憩時間込みで三時間かかる計算だ。拓馬が担当する時間も同じくらいなのだと、同じ研修生の稔次が言った。同時に彼は「今日はすぐに帰らないでね」と拓馬に忠告した。体験会に参加した謝礼を大畑が本日の研修後に渡すという。ここで受け取らねば大畑が根岸宅にやってくる。そのような手間を大畑にとらせる意義はないので、拓馬は素直にしたがった。
 道場の練習がおわったころには日が落ちていた。暗がりの中を門下生が帰宅していく。その姿を見送ったあと、拓馬は更衣室へ向かった。着替えをすませたのち、道場に居残る。現在大畑は道場にいない。彼は本日、門下生に指導していたが、いまは一時帰宅している。拓馬のための報酬を取りにもどったのだ。道場内での金銭紛失をおそれて、そのような段取りをとったらしい。
 拓馬は道場の玄関で待ちぼうけた。まだ着替えていない稔次がそのとなりに立つ。
「師範代はもうちょっとでくるはずだから」
「はい」
「お金をもらったらなにに使う?」
 稔次は無邪気に聞いてきた。拓馬はそれまで思いつきもしなかったことを一考する。
(なにに……なんだろう?)
 すぐに出てくる使い道はなかった。そもそも頂戴できる金額がわからない。決まった予算もなしに使用用途を決められるはずもない。
「いくらもらえるのか知らないんで、わからないです」
「うーん、そう? 知らないいまだからこそ、夢をふくらませて答えてくれるかと思ったんだけど」
「夢? ……『宇宙旅行に行きたい』とかですか」
「デッカイ夢だね〜。でも道場の稼ぎじゃあとても行けないね」
 拓馬もその経済事情はわかっていた。しかるに、稔次が夏季日程で得られる収入はどうなるのかと拓馬は気になりはじめた。当初の予定では彼ひとりで午前の部を担当するつもりだったのが、拓馬もくわわることになる。当然、儲けは減る。
「あの、俺が指導員をやったらトシさんの稼ぎって──」
「単純計算で半分こになるね」
「それでいいんですか?」
「うん。そのほうが結果的にもうかるんじゃないかな」
「『もうかる』?」
 余分な人件費がかさむために利益が下がるのだ。それなのに奇妙な発言だと拓馬は思った。
「もしオレがヘマやって、客をにがしたら、どうなると思う?」
「それは、月謝が入らなくなって……」
「月謝もそうだけど道場の評判だっておちる。それじゃ今後の門下生が増えにくくなるだろ?」
「へる一方、ですか」
「そう。目先のもうけよりもリスクを下げたほうがいいと思うんだ。ここはオレだけの道場じゃないからね」
 この道場は子々孫々と受け継がれているそうだ。一度ついた汚名は現在の師範一家がかぶるだけですまず、末裔にも影響をのこすかもしれない。その連綿とつづく歴史に若輩者が参与することで、まことにリスクを下げられるのか疑問である。
「そんな大事なこと……ホントに俺に任せていいんですか?」
「拓馬くんはしっかり者だからヘーキだよ。肩肘はらずに付き合ってくれればいい」
 稔次の言葉は拓馬の不安を軽減した。
 ガラス戸の向こうから道着姿の人物があらわれる。それを見た稔次は「じゃあ服を着替えてくる」と言って更衣室へ入った。玄関に入ってきた大畑は下足をぬがないまま封筒を差し出してくる。
「これが体験会の駄賃だ」
「あ、はい。ありがとうございます」
「いちおう、中を確認してほしい」
 拓馬はさっそく封筒の中身を拝見した。紙幣数枚が入っている。その総金額は、拓馬が想定した数字の倍に相当する。
(半日を二日間で……?)
 時間を合計すれば一日分の給与。最低賃金ではない普通の仕事ではそれが日当の相場だとは聞く。しかし縁故ある個人からの依頼で、しかも職務内容は重要度の低いアシスタント役だ。相場を下回っても致し方ないかと拓馬は思っていた。
「どうだろう?」
「もっと安いかと思ってました」
「そうか、じつは今回は特別だ。約束どおり色をつけさせてもらったからな」
「門下生が予想より増えたら、手当てをつけるってやつですか」
「そうだ。なんと体験会に参加していない人からも申し込みがあってな! 体験会に出た人の口コミでひろまったらしい」
 拓馬たちが参加した体験会が好評だった結果なのだろう。その要因はおそらく拓馬よりは稔次にありそうだ。彼の風貌が人々、とくにご婦人方の会話にあがりやすい素材なのだ。
(そのへんは言わなくていいか……)
 拓馬が引き起こした成果ではない、と言ったところで、大畑はよろこばない。これが正当な対価だというならそのまま受け取っておくことにした。
「夏休みの指導の報酬はこれより単価が下がるが……わるく思わないでほしい」
「それはわかってます。トシさんの稼ぎを横取りするつもりはありませんから」
「うむ、どうかトシが独り立ちできるまで補佐してくれ。一ヶ月の辛抱だ」
 本当に夏休みで契約が切れるのだろうか、と拓馬はひそかに思う。
(最初は二日間だけ、って言われて、次が一ヶ月で……)
 体験会、夏季日程と徐々に契約が延長している。夏休みがおわるころには「放課後の夕方も」と大畑が言い出すのではないか。その可能性を感じたが、藪蛇をつつく真似はしたくない。拓馬は大畑に別れのあいさつを交わし、早々に家路についた。

タグ:拓馬
posted by 三利実巳 at 00:00 | Comment(0) | 拓馬篇後記
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