2017年12月14日

拓馬篇前記−美弥7

「あ、あの……」
 美弥はぎこちなく声を出した。普段の声量に調整したつもりだが、のどがうまく開かない。スーツの男性は野良猫に夢中なままだ。
 ふたたび声掛けをしようと口を動かす。だがまごついてしまって声が出ない。まるで引っ込み思案な反応だ。美弥が異性を苦手とする影響か。そうは言っても、ここまで意志疎通に難儀することはなかった。性別以外にも原因がある。
(この人……一八〇センチはある)
 美弥は相手の風体を恐ろしく感じた。この男性はアスリートのように良い体格をしている。その頭髪は不品行を匂わせる灰色だ。
(いきなり、言いがかりをつけられたり──)
 この男性の発達した身体で暴力的な行為を振るわれれば、美弥たちは対抗しえない。美弥は姉の課したトレーニングを中止する言い訳を考えた。
 美弥が黙っていると律子が妹の手を握りなおす。無言の「がんばれ」というエールだ。美弥は姉のいる手前、引き下がってはいけないのだと自分をいましめる。
「あの、このアパートに住んでる人ですか!」
 不快感と緊張感を過剰に抑えつけたせいで、怒ったような口調になった。美弥は内心「しまった」と罪悪感に見舞われる。
(やだ、八つ当たりみたいになってる……)
 この呼びかけでは、見ず知らずの小娘が当たり散らしていると誤解される。美弥は相手の表情がくもるのを覚悟した。
 灰色のスーツ姿の男性は猫ののどをなでている。その手が止まった。彼が振り返る、と思うと美弥の息がつまった。
 男性は美弥とそのとなりにいる律子に視線を落とした。三人のはじめての対面だ。男性は若く見えるものの、立ち居振る舞いは三十代以上の落ち着きがあった。目元に黄色のレンズのサングラスをかけている。サングラスは髪の色とともに、通常人とは異なる要素だ。しかし美弥はあまり怖さを感じなかった。彼の顔つきが優しそうだったからだ。
 ただし信用はできなかった。男性の目鼻立ちが異様に整っている。体も大きすぎず筋肉のつきすぎない、理想的ないでたちだ。彼は肌が焼けており、白人至上主義者以外の女性が放っておかない風貌だろう。そのため女ったらしではなかろうか、と別の懸念が瞬時に浮上する。懸念が的中した場合は、美弥たちが堅固な意思でつっぱねればよい。浅い交流で済ませるぶんには害がなさそうだ。
「はい、そうです」
 男性はうっすら笑んでいた。美弥の話し方をなんとも感じていないらしい。美弥は自身の語勢を悪く受け取られなかったことに安心した。
「貴女も、こちらに住んでいらっしゃるのですか?」
 男性が丁寧な会話を続けている。美弥はすべり出しの不調を気に病み、発声しない肯定の仕草をする。美弥のうなずきを見た男性は「では才穎高校の方ですね」と言う。
「私はデイルと申します。このたび才穎の教員として配属しました。以後お見知りおきを」
 デイル、という名前は外国人のそれだ。高い鼻は西洋人らしくもある。美弥は彼の髪が天然のものでないかと思いはじめる。
「え……外国の人、ですか?」
 今度は普通に声が出た。相手に自身への反感がなく、むしろ親切心があるのだと知ると、彼への抵抗がうすまったようだ。
「はい。国籍は日本ですが、この国の血は流れていません」
「じゃあ、その髪も……」
「地毛ですよ。よく、染めた髪だと勘違いされます。こういう髪は高齢の方以外、あまり見かけませんからね」
 彼は塀の上の猫に目を向ける。
「猫だと普通の毛色なんですがね」
 彼が愛でた猫は全身灰色の毛皮をまとっている。首輪がない野良猫のようだが、のんきに両目をつむっていた。人に馴れた猫らしい。
「いっそ黒く染めたらよいのかと思うのですが……貴女はどう思われます?」
 会ってまもないにもかかわらず、悩み相談をされるとは。美弥は返答に窮する。自身も同じ誤解をしたがゆえに、否定の余地がない。本当の問題は髪の色ではないのだ。そんな奇妙な髪の色に変えると、浮ついた心の持ち主だという悪印象を他者に持たれる。それがまずい。だが、他人の目を気にする生き様は正しいのだろうか。
「……あなたの好きな、髪の色がいいんじゃないですか?」
 口調次第では「そんなの勝手にしてよ」と冷たい印象を与えかねない言葉だった。しかしそれ以外に言いようがない。美弥は自分の主張がデイルへの無関心からくるものでないことを強調する。
「髪を染めるのだって、自分が満足できるならどんなのでもいいと思います。私もあなたが言うように、はじめは不良じゃないかとビビったけれど、話してみて、ぜんぜんちがうんだとわかったし……」
「やはり、怖かったですか?」
 彼は第一印象に重きを置く。「実際に話してみると」などという印象の変化より前の段階を気にしているのだ。美弥の実体験は、デイルがそのままであればいいとする勇気づけにならない。
(髪の色のせいだけじゃないってことを言えれば──)
 美弥は彼が改善しようのない原因を思いつく。
「でも、その体格がいちばんこわいと思う。なでようとした犬や猫が逃げちゃわないですか?」
 動物には人間の頭髪の色など関係ない。彼らはみずからの生存本能のままに生きているはずだ。デイルは頭を縦にゆらす。
「たまにありますね。女性や子どもにはおとなしく触られるのに、私には……ということが」
 デイルは灰色の猫の丸々した背をなでつつ「体はどうにもできませんね」と独りごちた。背を触られた猫がパチリと目を開ける。猫は緑色の瞳をしていた。その目の色はレンズ越しに見えるデイルの目と似ている。
 猫が伸びをする。前足をぐぐっと伸ばしたかと思うと、さっと塀を下りる。またたくまに走り去ってしまった。
「おや、背中はお気に召さなかったようです」
 デイルが名残惜しそうに分析した。彼は美弥たちを見下ろす。
「よろしければ、私の部屋でもうすこし話をしましょうか?」
 彼は猫に触りたいがために外に出ていたようだ。猫が去ったいま、立ち話を終了するつもりでいる。
 美弥は姉の顔をうかがう。正直なところ、デイルとの会話を続けることに拒否感はない。あとは姉の判断次第だ。
「どうする?」
「うーん、若い男性の部屋には……」
 デイルは律子の不安を知り、「これは失礼しました」と答える。
「貴女方がうら若きレディであることを失念しておりました。この申し出はなかったことに」
 彼から笑顔が消え、失言を発した悔いが顔に表れた。この男性は性別を問わない客として美弥たちを迎えようとしたらしい。
(女に興味ない人?)
 美弥はデイルの言動が演技だと思えなかった。男性による女性への期待──男女の仲に落ちるか、といった下心はまったく感じない。
 美弥は色目には敏感だ。恋仲を期待されるまでもなくとも、自身の容姿を鑑賞する異性の目は気に入らない。美弥も姉ほどではないが端麗な部類だ。そういった視線が美弥の男性不信を助長させる一因でもある。それが目の前の男性には皆無。めずらしいことだ。
(この人は安全そう……)
 律子もデイルの無害さが伝わったようで、「いえ」と言う。
「余計な心配でした。だって、美弥の学校の人ですもんね」
 美弥には学校の知り合いがいない。会ったのは転入試験の時に関わった教師だけ。美弥と気心の知れた学校の者が一人でも多くいれば、律子の心が休まる。その目論見をもとに、美弥たちはデイルとの対話を継続することにした。

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