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2016年05月09日

第157回 マックス・シュティルナー






文●ツルシカズヒコ




 大杉は野枝からの手紙に返事を書かねばならぬという、義務感に責められていた。

 しかし、どうしても書けない。

 書くならば、野枝への沸騰した情熱をストレートに表明した文面にならざるを得ないが、それもできない。

 大杉は野枝とふたりだけで会いたいと思ったが、会ったときの自分の情熱も恐かった。

 辻がいてもよし悪し、いなくてもよし悪しーーとにかく、彼女の家で会おうと大杉は思った。

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 月に一回ぐらいの二度めか三度めの訪問のときだった。

「いつかの谷中村のことね、その後どうして?」

 とうとう、大杉は思い切って、しかしごく臆病に、何かの話の隙を狙って言った。

「え?」

 大杉はびっくりしたらしい辻の短い叫び声に驚いた。

「いつかあなたが話したでしょう。あの谷中村のことさ」

 大杉は辻の方は見ないで再び野枝に話しかけた。

「ええ、あれっきりよ」

 野枝はにこにこしながら、そう言ったきりだった。

 辻は黙っていた。

 大杉はもうそれ以上、話を進めることができなくなった。





 大杉は話題をマックス・シュティルナーの名著『唯一者とその所有』に戻した。

 辻はこの本を自分のバイブルだと言い、尊崇し愛読していた。

 大杉もシュティルナーが好きだった、少なくとも、その徹底さが大好きだった。


 「私は唯一者だ。私の外には何者もない。

 「私は私以外の何者の為めにも尽くさない。

 「私は人を愛する。けれどもそれは利己心からの自覚があつて愛するのだ。それが私に気持ちがいいからだ。それが私を仕合にするからだ。私は人の犠牲になろうなどとは少しも思はない。ただ冷酷な事をするよりも、温情を以てする方が、人の心を得易いからだ。

 「私も亦私の恋人を愛する。そして其の眼差しの甘い命令に服従することがある。しかしそれとても矢張り私の利己心からである。

 「私は又、感覚のある一切のものに同情する。其の苦痛は等しく又私をも痛ましめる。其の快楽は等しく又私をも喜ばしめる。私は一と思ひにそれ等のものを殺す事は出来るが、しかしぢりぢりと虐め抜くと云ふやうな事は出来ない。それは私自身の良心の平静、私自身の完徳の感じを失ひたくないからでだ。

 「私は花と同じやうに天命とか天職とか云ふものを持たない。私は私以外の何者にも属するものでない。ただ私は、私の為めにのみ生きて、世界を享楽して、そして仕合せに生活する権利を要求するに過ぎない。

 「斯くして私が取る事の出来る、そして私が維持してゐる事の出来るものは、総て私のものだ。私の所有だ。

 「そして、それが為めには、すべての手段は私にとつて正当なものとなる。しかし私の権利を創つてくれるものはただ私の力あるばかりである。

 「ここに、一匹の犬が他の犬の持つてゐる骨片を見て、もし黙つて控へてゐるとすれば、それは自分があまりに弱いと感じたからである。人は他の持つてゐる骨片の権利を尊重する。それが人道だとして通つてゐる。そしてこれに反すれば、野蛮な行為、利己主義の行為だと云はれる。

 「利己主義者団体を組織せよ。何んの、財産は臓品なりなどと、愁訴するの要があらう。


(「死灰の中から」/『新小説』1919年9月号/伊藤野枝との共著『乞食の名誉』/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第三巻』_p598~599/日本図書センター『大杉栄全集 第12巻』_p283~284)


 辻と大杉は会うたびに、このシュティルナーの話をした。

 そして、ふたりはだんだん濃い友情に結びつけられていった。





 辻は「ふもれすく」の中で大杉について、こう書いている。


 ……あの大杉君の『死灰の中より(ママ)』はたしかに僕をして大杉君に対するそれ以前の気持ちを変化させたものであつた。

 あの中ではたしかに大杉君は僕を頭から踏みつけてゐる。

 充分な優越的自覚のもとに書いていることは一目瞭然である。

 それにも拘らず僕は兎角、引合に出される時は、大杉君を蔭でホメてゐるように書かれる。

 だが、それは随分とイヤ味な話である。

 僕は別段、改まつて大杉君をホメたことはない、唯だ悪く云はなかった位な程度である。

 僕のやうなダダイストにでも相応のヴァニチイはある。

 それは唯だしかし世間に対するそれではなく、僕自身に対してのみのそれである。

 自分はいつでも自分を凝視(みつ)めて自分を愛している、自分に恥かしいやうなことは出来ないだけの虚栄心を自分に対して持つてゐる。

 唯だそれのみ。

 若し僕にモラルがあるならば又唯だそれのみ。

 世間を審判官にして争う程、未だ僕は自分自身を軽蔑したことは一度もないのである。


(「ふもれすく」/『婦人公論』1924年2月号_p13/『辻潤全集 第一巻』_p395)





 野枝は『青鞜』一九一五(大正四)年五月号に「虚言と云ふことに就いての追想」を書いた。

 例の周船寺高等小学校四年時に体験した、Sという図画の先生の「虚言」を、六年後に活字にしたのである。

『青鞜』同号の「編輯室より」で、野枝は第十二回衆議院議員総選挙について言及している。


 此度の総選挙に婦人の運動者が多かつたと云つて首相や内相が英国の女権運動の如き運動の導火線になると困るとか何とか云つて禁止の意を仄(ほの)めかせられたと……新聞が大変なことのやうに挙(こぞ)つて報道した。

 併し日本の官憲の頑迷は今はじまつた事ではない。

 その彼等の心情は憐憫に価するけれども私は世間の人が気にする程戸別訪問の価値も認めないし、それが禁止されたとても何も大したことはあるまいと思ふ。

 また真にその禁止に向つて抵抗の出来る力をもつた婦人が幾人あるかと考へると私は到底禁止を妨害することなんか思ひもよらないことだと思ふ。

 もし真に必要にせまられた、根底のある、権威のある運動ならばどうしたつて官権の禁止位は何でも抵抗が出来る筈だ。

 併し日本の婦人の社会的な運動がそれ程までの力をもつて現はれる日がそんなに近い日であるとは私には思へない。

 その頃にはもう少し若い人たちの権威の時代であるかもしれない。


(「編輯室より」/『青鞜』1915年5月号・第5巻第5号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p213)


 当時の首相は大隈重信、内相は大浦兼武である。





 野枝は一度目の結婚からの出奔により、肉親から非難され、その肉親に反抗して辻との二度目の結婚をしたが、しかし、辻の肉親と自分の関係は他人であり、その点ではやはり今宿の家族には情愛を感じるという。


 ……私は愛する良人(おつと)の肉親に対して他人であつた。

 私は前に私が肉親にそむいた時の苦痛よりも更に幾倍も/\の苦しみをその交渉のうちにしなければならなかつた。

 けれども、私がそれ等の人々に対して不快な感を持つ程自分の肉親の愛を力強く思ひ出すことを私はぢつと眺めてすます訳にはゆかなかつた。

 良人は私が彼を愛してゐるやうに私を愛してくれる。

 さうして私が肉親を愛するやうに彼も肉親を愛するに違いない。


(「感想の断片」/『第三帝国』一九一五年五月五日・第三十九号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』p217~218)



※大杉栄「唯一者 マクス・スティルナー論

 ※辻潤『唯一者とその所有』


★大杉栄・伊藤野枝『乞食の名誉』(聚英閣・1920年5月)

★『大杉栄全集 第三巻』(大杉栄全集刊行会・1925年7月15日)

★『大杉栄全集 第12巻』(日本図書センター・1995年1月25日)

★『辻潤全集 第一巻』(五月書房・1982年4月15日)

★『定本 伊藤野枝全集 第二巻』(學藝書林・2000年5月31日)



●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 21:42| 本文

第156回 同窓会






文●ツルシカズヒコ




 一九一五(大正四)年四月ごろ、野枝は上野高女の同総会に出席した。

 上野高女は校舎移転改築のため銀行から資金を借り、校舎の外観が整い入学者が増えるにつれて、資本主の干渉が始まった。

 その対立の末「創立十周年の記念日を期し」て多くの教職員とともに佐藤政次郎(まさじろう)教頭と野枝のクラス担任だった西原和治も上野高女を辞職した。

 同窓会も母校と絶縁し、佐藤を中心とする温旧会を結成した。

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 私の卒業した女学校に此の頃或る転機が来て頻りに動揺してゐ。

 私は学校を出てから四年の間一度もよりつかなかつたやうな冷淡な卒業生であつた。

 学校側でも同窓会があらうと音楽会があらうと、バザーがあらうと、一片の通知もよこさなかつた。

 私は全く異端視されてゐた。

 卒業生仲間でもさうだつた。

 私は学校に対しては何のつながりも感じはしなかつた。

 けれども学校の中心になつてゐる二先生丈けはどうしても学校と同一視しては仕舞へないでゐた。

 此度その先生お二人が辞職なすつたと云ふさはぎで私は突然に再三同窓会の大会に出席することをすゝめられた。

 初めて学校を出てから、同窓会の勧誘をうけたのだ。

 私は多くの人の勝手に呆れながらも先生への愛感に引きづられて、出席した。

 けれども私は、反感と侮蔑と失望でかへつて来た。


(「編輯室より」/『青鞜』1915年5月号・第5巻第5号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p214)





 野枝は前年の『青鞜』六月号に「S先生に」を寄稿し、Sという匿名ではあるが教育者としての佐藤を痛烈に批判した。

 同窓会に出席した佐藤は昂奮していたという。

 おそらく学校側の対処に激昂していたのであろう。

 佐藤のために東奔西走した人たちも、佐藤の激情に巻き込まれて昂奮していた。

 同窓生たちも母校と校長に燃えるような反感を持っていた。

 野枝もその怒りには深い同感を持てたが、佐藤の現実を無視したあまりの理想家ぶりに辟易した。

 同窓生たちの佐藤の言うことになんでも賛成さえしていればいいという態度にも辟易した。

 
 私は少しの間にすつかり退屈してしまつた。

 そうして今更ながらあまりにひどい思想の懸隔が気味わるくも思はれるのであつた。

 そして先生の十年の努力の結果がこれ丈けのものにしか現はれなかつたと云ふことを考へて私はかなしくなつた。


(「編輯室より」/『青鞜』1915年5月号・第5巻第五号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p214)


 佐藤は上野高女を退職した翌年秋、函館に渡り(その際に新井奥邃から在寛の号を贈られる)、以後、函館で活動し、一九五六年(昭和三十一年)十月、八十歳で死去した。





 野枝は『第三帝国』に「自覚の第一歩」を書いた。


「自分の考えの上に努力しない人」と云ふ言葉は現在及び過去の日本婦人の大方の人に対して用ゐらるべき言葉である。

 私はそれを按じて日本婦人の一大欠点と切言し得るのである。

 自分の考へを自分で仕末する事の出来ない人々とは何たる情ないことであらう。

 何故にかうもすべての婦人が一様に悲しむべき欠点を持つに到つたであらう?

 勿論これを日本婦人が過去幾十代幾百代にわたつて持つた、たつた一つの非常なる屈辱の生活の賜物である。

 私はかほどまでに彼女等が物を考へまいとする恐ろしい力をもつた習俗を平気で無意識に持つてゐると云ふことが如何に多くの苦しい努力と多くの時間を費やしたかを考へると、私達の先祖なる婦人達が如何に盲目で唖者であることを必要としたかゞ解る。

 そしてそれを必要とする婦人の生活が如何に不安で矛盾が多くて、普通に目が明き口をきけることが恐ろしかつたかゞ想像し得られる。

 私達はさうした境遇におかれた婦人に対して出来る丈けの同情をよせる事は惜しみはしない。

 併(しか)し私達の先祖はあやまつてゐた。

 彼等には勇気と決断とが与へられてゐなかつた。

 彼等はそうした唖者になることや盲目になることが如何に不幸なものゝ数々を出来(しゆつたい)さすかを決して思はなかつた。

 彼等はたゞ現在に媚びつゝ時に引きづられつゝ単調な何の栄もない万遍なき記録を残した。

 けれども彼等の記録によつて模倣を強ひられた後継者達は模倣を意識しなくなつた。

 彼等は生まれながらの唖者や盲者であつた。

 彼等はだん/\彼等が唖者たり盲者たらねばならぬ理由からは遠くなつていつた。

 併し遠ざかられ忘れられた理由や原因は決して時のたつたが為めに消失はしなかつた。

 時々彼等の前には二つの道が展(ひら)かれてあつた。

 彼等はそのどれかをえらばなくてはならなかつた。

 鈍なる者は苦もなく撰ぶことが出来る。

 やゝ敏なる者は迷ふ。

 併し考へることは許されない。

 彼等は迷つて先輩の意見を仰いてわづかにその迷ひからのがれる。

 そうしてずつとつゞいて来た。

 一糸乱れぬーー乱すことの出来ない厳密な科学の原理ーーさう云ふ正しい理屈を学んだものすらこの恐ろしい習俗の力にかつことはむづかしかつた。

 女学校や程度の低い女子大学を出た位でと云ふが併しかうも意気地(いくじ)のないものであらうかと私は思ふ。

 彼等は何の為めに学科を学んだのであらう。

 自分のことも他人にきめて貰はねばならぬ程ならば無学無智の女と何処にかはりがあらう。

 自分のことではないか、自分のこと、本当に考へねばならぬことを人に考へて貰つてきめるとは実に情ないことだと私は思ふ。


(「自覚の第一歩」/『第三帝国』1915年4月15日・37号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p194~195)


 そして、野枝は前年『青鞜』誌上で『読売新聞』の「婦人附録」を批判しているが、「自覚の第一歩」でも「婦人附録」の人気コーナーである「身の上相談」の相談者に苦言を呈している。





 野枝は『第三帝国』三十八号に「婦人の反省を望む」を書いた。

 女賢(さか)しうして牛売り損ふ』……『女の智恵は猿智恵』等と昔から日本の婦人は……侮辱され続けて来ました。

 そして昔とちがつて今日では婦人も相当な教育の道が開かれて多くの教養ある婦人が輩出するに至つてもなを……私共は……この侮辱を否定する訳けにはまゐりません。

 今日婦人の為めに新聞雑誌など云ふものが幾種類も出来てゐます。

 そしてこの後もずんずん殖えて行くでせうがその殆んどすべてを通じてどんな内容をもつてゐるかと申しますと、それは大方の人々が知つてゐるやうにそれは低級な子女の何の訓練も加へられない情緒を猥(みだ)りに乱すやうなのや、それでなければ善良な家庭の主婦達の安価なよみものに過ぎません。

 日本の婦人雑誌で一番多数の読者を持つてゐると云はれる『婦人世界』はその最も安つぽさを振りまはしてゐる点では恐らく矢張り一番であらうと思はれます。

 その内容は一目見ても何の思慮も分別もなしに吐き出され『何々夫人の経験談』『何々夫人の苦心談』『某夫人の夫を助けて何々せし談』等がかずかぎりもなく記載されてあります。


(「婦人の反省を望む」/『第三帝国』1915年4月25日・38号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p198)





 野枝は子供の教育についてこう言及している。


 私は小学校から女学校を卒業する迄十年余の長い間の学校でうけたいろ/\な気持ちや印象やを思ひ出す度びに身ぶるいが出ます。

 ……自分たちの子供をあの無遠慮な……頑迷な無自覚な教育家たちの群れに法律によつてきめられた強制的な義務によりて五年なり六年なり托さねばならぬと云ふことについてどうしたならば私の大切な子供達に愚劣な教師たちの手をふれさせないですむかと云うことばかり考へてゐます。

 子供の本当の教育は子供自身にしか出来はしないと私は思ひます。


(「婦人の反省を望む」/『第三帝国』1915年4月25日・38号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p200)



★『定本 伊藤野枝全集 第二巻』(學藝書林・2000年5月31日)



●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 20:30| 本文

第155回 婦人の選挙運動






文●ツルシカズヒコ




『青鞜』一九一五年四月号「編輯室より」に、野枝はこう書いた。


 ●先月は随分つまらないものを出したので大分方々からおしかりを受けました。

 そのうめ合はせに今月は特別号にして少しよくしやうかと思ひましたけれど何しろちつとも準備が出来てゐませんから来月にしやうと思つてゐます。

 ●平塚さんは今長篇執筆中です。

 いよ/\発表される日のはやく来るのを待ちます。

 ●かつちやんは寺島村の白(しら)ひげ様の横町にこんど越しましたと昨日通知が来ました。

 ●岩野清子氏はお家で皆様で修善寺へ行つてゐられます。

 ●雑誌が続かないのぢやないかなど御心配の方もあるやうですがこればかりはどんなことがあつても続けます。

 何卒私を信用なすつて下さい。

 先月あんなにつまらないものを出したからなおあやぶまれたのかもしれませんが併し私は決してさうつまらなくはないと思ひます。

 かなりいゝものがあの中にあつたことを信じます。

 たヾ私がなまけた事だけはどうも申訳けのないことに思ひます。

 これからは決してあんなことのないやうにします。


(「編輯室より」/『青鞜』1915年4月号・第5巻第4号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p192~193)

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 野枝が渡辺政太郎(まさたろう)から谷中村の話を聞いたのは一月末だったが、それ以来、『青鞜』の編集の仕事はおろそかになっていたのかもしれない。

「平塚さんは今長篇執筆中です」とあるが、これはらいてうが『時事新報』に連載した塩原事件をテーマにした小説「」のことであるが、妊娠中のつわりによる体調不良などのために、連載途中で打ち切りになり、結局、完成することはなかった。





『青鞜』同号に野枝は「最近の感想二つ」を書いた。

「与謝野晶子氏の『鏡心燈語』について」と「生田花世氏に」である。

 三月に第十二回衆議院議員総選挙が行なわれたが、与謝野晶子が雑誌『太陽』の連載「鏡心燈語」で、戸別訪問によって婦人が選挙運動に参加したことを評価し、それを非難した女子教育家を批判した。

 晶子は「女は外で働くものではない」とする女子教育家を批判しているが、野枝はこれには同意している。

 しかし、野枝は婦人たちの戸別訪問を評価した晶子を、こう批判している。


 氏はもの/\しく婦人の選挙運動ーー多くの人もまたさう云つてゐるーーと云つてゐられるがそれが果たして氏が仰云(おつしや)る程価値のある仕事であらうか、たか/″\有権者の戸別訪問位のことが何程のことであらう。

 不服を云へばもう根本から違つてゐる。

 代議政体と云ふことすらもはや問題にもならないがそれを先づそれとしても例えば夫が候補にたつたとしても思想にも政見にも何の理解も同情もない人達の許に迄一々頭を下げてたのまなくては仕方がないやうな貧弱な背景しか持たないと云ふことは堪えられない屈辱ではないか。


(「最近の感想二つ」ーー「与謝野晶子氏の『鏡心燈語』について」/『青鞜』1915年4月号・第5巻第4号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p185~186)


 なお、晶子の夫・与謝野鉄幹も故郷の京都府郡部選挙区から無所属で出馬したが、落選した。





『定本伊藤野枝全集 第二巻』の解題によれば、『青鞜』同号に花世が寄稿した「懺悔の心よりーー平塚様、伊藤様、原田様に寄せて」が掲載された。

 この原稿の最後で花世は論争相手の原田(安田)皐月に謝罪し、貞操論争から退いた。

 姑問題に苦悶している花世に対して、野枝は「生田花世氏に」で自分の経験を踏まえてアドバイスをした。


 無頓着でゐると云ふことが一番いゝのです。

 私は元来あまり細心な方ではないから無頓着と云ふことが苦しくありませんけれどもあなたのやうなデリケートな方にはそれは大変骨折りであるかもしれません。

 いゝ人に見て貰はうと云ふやうな……欲望をおこすのは苦悶の種をまくやうなものだと私はおもつてゐます。

 自分のいゝとこ、また悪いとこはかまはずさらけ出してしまふことです。

 私は世間のすべてありとあらゆるこんぐらがりは醜いものの価値をば誰もが認めまいとして覆はふとしてゐるからだと信じてゐます。

 ……私は幸ひに最初から……自分をさらけ出して……道を歩かねばならないやうに余儀なくさせられました。

 これは私の一生を通じて感謝すべき点だと思つてゐます。

 それですら始終不純な感情に悩まされてゐます。

 悪くおもわれたくないと云ふ欲望は何時でも私の頭のすみで目を光らして居ります。

 あなたは……きつと姑様のなさることや考へなさることについていろいろ心配をなさるのでせう。

 私はそれを云ふのです。

 それをほつておいて勝手にさせ勝手に考へさせるのです。

 もしそれがこちらに及ぼしさうになつたら知らん顔をしてゐるのです。

 その代りこちらでも出来る丈け自由に振舞つたらいゝぢやありませんか。

 私はさうしてゐます。

 あなたは愛しやうとしてゐらつしやるらしいがそれはます/\あなたの苦悶を増すのみだと思ひます。

 夫の母だとか義理だとか……考へると圧迫を感じます。

 普通の同居人と思つて御覧なさい何でもありません。

 いろいろな場合にしかし……苦しまなければなりません。

 ……その苦痛は夫に対する又は夫から受くる愛によつて償はれなければならないと思ひます。


(「最近の感想二つ」ーー「生田花世氏に」/『青鞜』1915年4月号・第5巻第4号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p189~191)



★『定本 伊藤野枝全集 第二巻』(學藝書林・2000年5月31日)



●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



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第154回 死灰の中から






文●ツルシカズヒコ




 大杉が野枝の第一の手紙に非常な興味を持ったのは、もうひとつの大きな理由があった。

 当時の大杉は内外に大きな不満を持っていた。

 外に対する不満というのは、個人主義者らの何事につけても周囲への無関心であり、そして虐げられたる者に対する同情や虐げる者に向ける憤懣に対する彼らの冷笑だった。

「結局、それがどうなるんだ。同情してもその相手にとってなんの役にも立たず、憤懣する相手にはそれがために自分までが虐げられることになる。馬鹿馬鹿しいにもほどがある。そんな余計なおせっかいをするよりは、黙って自分だけの仕事をしているがいい」

 これが彼らの言葉である。

 大杉は無関心だけならまだ許せたが、冷笑する冷血漢を当の敵よりも憎むほどにまで、彼らに対する嫌悪感を激昂させていた。

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 大杉らへの冷笑嘲笑は、外からばかりではなくサークルの内からも来た。

 堺利彦と大杉とは、もうよほど前からお互いの主義や主張にだいぶ懸隔があり、お互いの運動の方針にだいぶ緩急の差があった。

 堺やその周囲の者の思想や行動への大杉たちの無遠慮な批判は、彼らを不愉快にさせたのは事実だったろう。

 彼らの集会とは別に、大杉たちが始めた集会が盛大になるのを見て、彼らが気持ちのよかろうはずもなかった。

 荒畑寒村や大杉が多少、社会的に知られるようになり、文壇の一部でも彼らより多少歓迎されたことは、少なくても大杉なぞがいい気になっていたことは、堺はともかく、彼らは不満であり苦々しく思っていた。

『近代思想』の文壇的運動に嫌気がさして、大逆事件以来の迫害の恐怖が漲る中、乾坤一擲(けんこんいってき)的『平民新聞』を創刊したときにも、彼らはやはり冷笑の眼で見ていた。

「向こう見ずめが、今に見ろ」

 堺だけは、逸(はや)りに逸る大杉たちの将来を真面目に心配してはくれたが。





『平民新聞』が発禁の連続で一回だに満足に出すことができず、六号で廃刊になったときには、堺だけはそうではないだろうが、彼らは勝利の微笑さえ浮かべていた。

「出せるものを出したらどうだろう」

 荒畑や大杉の周囲にいる者も、こんな言葉を口にするようになった。

 この言葉ほど大杉の癪にさわったものはなく、そんなことを言うやつは同志でも友人でもないとすら思うほど激昂した。

『平民新聞』が没常識で無茶なものであったところで、そうしたものを作らざるを得なかった心情を理解してくれるのが、真の同志や友人だと大杉思った。

 大杉はまたこうも考えた。

 彼には『平民新聞』がそんなに無茶なものとはどうしても思えなかった。

 それでいて禁止になるのは、される側が悪いのか、する政府が悪いのか。

 彼にはどちらも当然のことをしていると思えた。

 しかし、そんな場合に最も悪質なのは編集者を責めて、政府の味方をすることだ。

 そんなやつらがいるから、いつまでも政府は遠慮なくその権威をふるうことができるーー大杉はそう考えていた。





 いつか堺も、同志の集合について、大杉にこんなことを言ったことがある。

「いわば、まあ、どこかの旦那が自分免許の義太夫を聞かせるために、親類縁者を寄せ集めるようなもんだからな……」

 これには多くの同志に対する不満、軽い自嘲、そして大杉らに対する嘲笑が含まれていた。

 大杉はむっとしたが、しかしまた、うまいことを言うなあとも思った。

 そして、多くの同志に対する不満には同意をするほかはなかった。

「まるで暖簾と腕押しをしているようなもんだなあ」

 荒畑も大杉によくこんなことを言った。

 いわゆる同志と称する者の多くは、ただ以前から同志の列に加わっているというだけのことで、大逆事件以来の迫害の恐怖と無為無能の習慣から、まったく惰性に陥っていた。

 大杉と荒畑が『平民新聞』を創刊したのは、彼らの惰眠を覚ますためであり、入獄でもすれば彼らの刺激にもなろうかと思ったからだった。

 しかし、政府のやり方は以前のように司法処分ではなく、行政処分という新手の手法で対抗してきた。

 荒畑と大杉は、

「仏の顔も三度と言うんだから、いわんや……」

 などとふざけながら、すっかり入獄の準備をしていたが、不本意ながら無事にすんでしまった。





 かくして外から内へと進んだ不満は、ついに大杉自身に対する不満になった。

 ことに野枝の手紙は大杉に深い反省を与えた。

 野枝が感激した谷中村の事件に対して、大杉は何もしないどころか、村民が溺れ死んでしまえば面白いと思った。

 助けられるのではつまらないと思った。

 なまじっかな社会学などの素養から、虐げる甲階級と虐げられる乙階級が存在するのは自明の理と決めていて、それも少しも不思議としない感情が大杉の中に生まれていた。

 しかも、甲階級と乙階級の認識は事実から得た実感ではなく、書物の中で学んだ理屈にすぎなかった。

 大杉は幼稚なセンチメンタリズムを取り返したいと思った。

 憤るべきものにはあくまで憤りたい、憐れむべきものにはあくまでも憐れみたい。

 そして、いつでも虐げられたる者の中へ、虐げる者に向かって、躊躇なくかつ容赦なく進んでいきたいと大杉は思った。





 N子がY村の話から得たと云ふ興奮を、其の幼稚なしかし恐らくは何物をも焼き尽くし溶かし尽くすセンテイメンタリズムを、此の硬直した僕の心の中に流しこんで貰ひたい。

 僕が彼女の手紙によつて最も感激したと云ふのは、要するに僕が幻想した彼女の血のしたたるやうな生々しい実感のセンテイメンタリズムであつたのだ。

 本当の社会改革の本質的精神であつたのだ。

 僕はY村の死灰の中から炎となつて燃えあがる彼女を見てゐたのだ。


(「死灰の中から」/『新小説』1919年9月号/伊藤野枝との共著『乞食の名誉』/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第三巻』_p596/日本図書センター『大杉栄全集 第12巻』_p281~282)



★大杉栄・伊藤野枝『乞食の名誉』(聚英閣・1920年5月)

★『大杉栄全集 第三巻』(大杉栄全集刊行会・1925年7月15日)

★『大杉栄全集 第12巻』(日本図書センター・1995年1月25日)




●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



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1955年生まれ。早稲田大学法学部卒業。『週刊SPA!』などの編集をへてフリーランスに。著書は『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)『秩父事件再発見』(新日本出版社)など。
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