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2016年05月24日

第213回 大崩れ






文●ツルシカズヒコ

 一九一六(大正五)年十一月六日、大杉と野枝は神奈川県三浦郡葉山村字堀の内の日蔭茶屋に泊まった。

 部屋はお寺か田舎の旧家の座敷のような広い十畳に、幅一間ほどの古風な大きな障子の立っている、山のすぐ下のいつも大杉が宿泊する部屋だった。

 翌十一月七日、もう秋もだいぶ進んでいるのに、ぽかぽかと温かい小春日和となった。

「今日一日遊んでいかない?」

 宿の朝食をすませた大杉が野枝に言った。

 もう帰り支度までしていた野枝は、ちょっと意外らしく言った。

「ええ、だけど、お仕事の邪魔になるでしょう」

「なあに、こんないい天気じゃ、とても仕事なぞできないね。それより大崩れの方へでも遊びに行ってみようよ」

「ホントにそうなさいましな。せっかくいらっしたんですもの。そんなにすぐお帰りじゃつまりませんわ」

 年増の女中のおげんさんまでがしきりと勧めた。

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 大崩れまで自動車で行って、そこから秋谷あたりまで、半里ほどの海岸通りをぶらぶらと歩いた。

 そのあたりは遠く海中にまで岩が突き出て、その向こうには鎌倉から片瀬海岸までの海岸や江ノ島などを控え、葉山から三崎へ行く街道の中でも一番景色のいいところだった。

 季節外れのセルでもちょっと汗ばむほどの、気持ちのいいぼかぽかする陽気だった。

 大杉と野枝はぽかぽか陽気のように、とろけるような気持ちになって、ぶらぶらと歩いた。

 正午にはいったん宿に帰って、今度はおげんさんを誘って、すぐ前の大きな池のような静かな海の中で船遊びをした。

 いい加減疲れて帰ったふたりは湯に入り、夕食を待っていた。





 そこへおげんさんが周章ててはいつて来て、女のお客様だと知らせた。

 そして僕が立つて行かうとすると、おげんさんの後にはもう、神近がさびしさうな微笑をたたえて立つてゐた。

 伊藤はまだ両肌脱いだまま鏡台の前に座つて、髪を結ひなほすかどうかしてゐた。

 神近の鋭い目が先づ其の方をさした。

『二三日中つて仰つたものだから、私毎日待つてゐたんだけれど、ちよつともいらつしやらないものだから、けふホテルまで行つて見たの。すると、お留守で、こちらだと云ふんでせう。で、私其の足で直ぐこちらへ来たの。野枝さんが御一緒だとはちつとも思はなかつたものですから……』

 神近は愚痴のやうにしかし又云ひわけのやうに云つた。

『寄らうと思つたんだけれど、ちよつと都合がわるかつたものだから……』

 と僕も苦しい弁解をするほかはなかつた。


(「お化を見た話」/『改造』1922年9月号/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第三巻』には「葉山事件」と改題所収/日本図書センター『大杉栄全集 第12巻』)





 野枝が明日帰るということで、ふたりはいろいろそうな好きな御馳走を注文してあった。

 大杉がおげんさんに、それをもう一人前増やすように言った。

 食事が出る三十分間ほど、三人はほとんど無言の行でいた。

 大杉はもうおしまいだなという予感がした。

 自分たち三人の関係が、友人や同志のそれではなく、習俗的な異性や同性の関係になりかかっていると大杉は思った。

 おげんさんが夕食を運んできた。

 おげんさんの寂しい顔が、三人の気まずい顔に交じった。

 好きなそして甘そうな料理ばかり注文したのだが、大杉も野枝もあまり箸が進まなかった。

 神近もちょっと箸をつけただけで、止した。





 伊藤は箸を置くと直ぐ、室の隅つこへ行つて何んかしてゐたがいきなり立ち上つて来て、

『私帰りますわ。』

 と、二人の前に挨拶をした。

『うん、さうか。』

 と、僕はそれを止める事が出来なかつた。

 神近もただ一言、

『さう。』

 と云つたきりだつた。

 そして伊藤はたつた一人で、おげんさんに送られて出て行つた。


(「お化を見た話」/『改造』1922年9月号/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第三巻』には「葉山事件」と改題所収/日本図書センター『大杉栄全集 第12巻』)





 大杉と神近がふたりきりになると、神近はここに来たときに言った言葉をまた愚痴っぽく言訳っぽく繰り返した。

 大杉もやはり先刻言った言葉を繰り返した。

 そして、大杉は帰ってきたおげんさんにすぐ寝床を敷くように言った。

 朝、秋谷で汗をかき風に吹かれたりして、その上に湯に入ったせいか、大杉は少し風邪気味の熱を感じた。

 肺を患っていた大杉には、感冒は年中のつきものであり、そしてまた大禁物だった。

 大杉はちょっとでも風邪の気配を感じると、すぐ寝床につくのを習慣にしていた。

 もっともこのときは、神近と対座して何か話をしなければならないことが、何より苦痛だった。

 彼女がこの部屋に入ってきて、野枝の湯上がり姿に鋭い一瞥を投げて以来、大杉は彼女の顔を見るのも嫌になっていた。

 神近も疲れたからと言って、すぐに寝床に入った。

 大杉は少し眠った。





 夜十時頃になつて、もうとうに東京へ帰つたらうと思つてゐた伊藤から電話がかかつて来た。

 ホテルの室の鍵を忘れたから、逗子の停車場までそれを持つて来てくれと云ふのだ。

 僕は着物の上にどてらを着、二人(※筆者註/「一人」の誤記か?)で十幾かある停車場まで行つた。

 彼女は一人ぽつねんと待合室に立つてゐた。

『一旦汽車に乗つたんですけれど、鍵の事を思ひ出して、鎌倉から引返して来ましたの。だけどもう今日は上りはないわ。』

 彼女はさう云つて、一人でどこかの宿屋に泊つて明日帰るからと云ひだした。

 僕は彼女を強ひて、もう一度日蔭に帰らした。


(「お化を見た話」/『改造』1922年9月号/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第三巻』には「葉山事件」と改題所収/日本図書センター『大杉栄全集 第12巻』)

 



 大杉は三人でめいめいの気まずい思いを打ち明け合って、それでどうにでもなるようになれと思った。

 しかし、野枝が戻ると、三人の空気は前よりもさらに気まずくなった。

 そして、三人ともほとんど口をきかずに、床を並べて寝た。

 神近も野枝もほとんど眠らなかったが、大杉は風邪を引いた上に夜更けに外出したため、熱が高くなりうつらうつらと眠った。

 ときどき眠りから覚めるたびに、大杉は彼女たちの方を見た。

 神近は大杉のすぐそばに、野枝はその向こうに寝ていた。

 野枝は顔まで蒲団をかぶり、背中を大杉の方に向けてじっとして寝ていた。

 大杉がふと目を開くと、神近が恐ろしい顔をして野枝を睨んでいるのがちらっと見えた。

「もしや……」の疑惑が大杉の心の中に湧き、眠らずにいようと決めたが、いつのまにか熱が大杉を深い眠りに誘った。

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 ちなみに、野枝が「鍵を忘れた」件に関して、栗原康『村に火をつけ、白痴になれ 伊藤野枝伝』には、こう記されている。


 野枝は、あまりに気まずかったので、「わたし帰る」といって大急ぎで宿をでた。

 しかしテンぱっていて、鎌倉まででてきてから、部屋のカギをもってきてしまったことに気がついた。

 しまった。

 宿に電話をかけて、大杉にとりにきてもらう。

 大杉がきてカギをわたしたが、もう夜もおそく終電もないので、野枝も日蔭茶屋にもどることにした。


(栗原康『村に火をつけ、白痴になれ 伊藤野枝伝』_p91)


 この記述に従えば、野枝が日蔭茶屋の「部屋のカギ」をうっかり持って来てしまったという文意になるが、彼女は菊富士ホテルの部屋の鍵を(日蔭茶屋の部屋に)忘れたのであり、それを大杉に持って来てほしいと電話したのである。

 そもそも、純和風旅館である当時の日蔭茶屋には「部屋のカギ」は、なかったのではないだろうか。



★『大杉栄全集 第三巻』(大杉栄全集刊行会・1925年7月15日)

★『大杉栄全集 第12巻』(日本図書センター・1995年1月25日)

★栗原康『村に火をつけ、白痴になれ 伊藤野枝伝』(岩波書店・2016年3月23日)




●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 19:38| 本文

第212回 抜き衣紋






文●ツルシカズヒコ




 一九一六(大正五)十一月六日、大杉と野枝は茅ケ崎経由で葉山に向かった。

 近藤富枝『本郷菊富士ホテル』によれば、この日の野枝は近くの髪結で銀杏返しに結い、縞のお召の着物を着て白粉も濃く、何やら浮き浮きしたようすだったので、菊富士ホテルの女中はびっくりしたという。

 後藤新平から金を入手できたが、それだけでは雑誌を始めるにはまだ少し足りない。

 大杉は単行本の翻訳をひとつと雑誌の原稿をふたつ抱えて、一ヶ月ばかり常宿の葉山の日蔭茶屋に出かけることにしたのである。

 これを機に大杉と野枝は別居をする心づもりでいた。

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 大杉がこの別居計画を神近に話すと、非常に喜んだ神近が言った。

「葉山へひとりで?」

「もちろん、ひとりだ。みんなから逃げて、たったひとりになって仕事をするんだ」

 神近は「たったひとり」ということにしきりに賛成し、ゆっくりと、たくさん仕事をしてくるようにと大杉に勧めた。

 そしてさらに彼女はねだるような口調で、こう言った。

「それじゃ、たったひとつ、こういうことを約束してくれない? あなたが出かけるとき私を誘うこと、そして一日葉山で遊ぶこと。ね、あなた、いいでしょう、いいでしょう」

 そんなことは大杉にとってなんでもないことだったが、そのころ、大杉は神近がことあるごとにしつこく追及したり要求したりすることを、だいぶ煩く感じ始めていた。

 そして、こんななんでもない願いでも、そのあとに「ね、あなた、いいでしょう、いいでしょう」という、その「いいでしょう、いいでしょう」が煩くてたまらなかった。

 それを拒絶すればことがますます煩くなるだけなので、大杉はいい加減な返事をしておいた。

「うん、うん……」





 十一月五日、大杉が葉山に出かけようとしていた日の前日のことだった。

 野枝がふいに大杉に言った。

「私、平塚さんのところまで行きたいわ」

 らいてうはこの年の二月から奥村が入院中の南湖院近くの借り間に長女・曙生と住み始め、奥村が自宅療養になった晩夏に、やはり南湖院近くの「人参湯」という銭湯の離れ座敷を借りて親子三人の生活をしていた。

 野枝はあらゆる友人から棄てられる覚悟で辻の家を出たが、らいてうには葉書で知らせ、野上弥生子には直接会って話をした。

 野枝にとってらいてうと弥生子は大事な友人だったが、らいてうも弥生子も子供を棄てて辻の家を出た野枝を厳しく批判した。

 野枝はふたりの反応に失望したが、やはり彼女たちとの関係を途絶してしまうことはさびしいことだった。

 彼女たちとのかつての友情を懐かしむ野枝の言葉を、大杉も聞いていた。

「よかろう。それじゃ茅ケ崎まで一緒に行って、葉山にひと晩泊まって帰るか」

 大杉が野枝の心中を推しはかって言った。





 大杉と野枝が茅ケ崎のらいてうを訪ねたのは、十一月六日の昼下がりだった。

 らいてうはなんの前ぶれもない、突然のふたりの来訪に驚いた。

 戸口に秋の陽射しを浴びて立っていたふたりは、葉山に行く途中、奥村の見舞いに寄ったと言った。

 らいてうは突然の訪問にも驚いたが、野枝の風体の変わり方にも驚いた。


 野枝さんが、日本髪を結ったのは、前にも見て知っていますが、いま目の前に見る野枝さんは、下町の年増の結う、つぶし銀杏返しとかいう、世話にくだけた髪を結い、縞お召しの着物を、抜き衣紋に着て、帯をしめた格好はーー野枝さんが、満足に帯をしめたのは、このときはじめて見ましたーーどう見ても芸者ほどアカぬけしたものでなく、お茶屋の女中というところです。

 思わず、「変わったわね」と連発するわたくしに、野枝さんはニヤニヤ笑うばかりでした。


(『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』_p605)





 らいてうが大杉に直接会ったのは、後にも先にもこれ一度きりだった。


 ……この日の大杉さんは、痩せた、けれど、がっちりしたからだに大島かなにかの飛白(かすり)の着流しで、色黒のきびしい顔に、クルクルと大きな目の印象が、なにより先にくる人でした。

 それは、人相がわるいといえばいえますが、態度にこせついたところがなく、陽気で、気のおけない話しぶりに、好感がもてるのでした。

 初対面にもかかわらず、お互いに、もう以前から知っているので、旧知のような調子で、野枝さんをさしおいて、遠慮なくしゃべります。


(『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』_p605~606)





 らいてうは久しぶりに対面した野枝が、以前のようなふっくらした精力あふれる感じがなくなり、どことなくすさんだ感じが漂っているように見えた。

 らいてうがもう大杉と一緒に暮らしているのかと聞くと、野枝は曖昧な返事をした。

 野枝はらいてうに非難されるのではないかと思い、どこかよそよそしかった。

 らいてうはかつてのようなピチピチした野枝とは、うって変わった感じがした。


 子ども好きらしい大杉さんは、小さな顎髭のある顔をほころばせながら、曙生を抱きあげ、自分の膝の間に入れて「子どもはいいな、可愛いいものだなあ」と、あやしつづけています。

 それを見ながら、野枝さんが連れて家を出たときいている、曙生より四月(※筆者註/「一月」の誤り)ほど前に生まれた赤ちゃんのことをたずねると、「ええ」と無表情でひとこといったきりでした。


(『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』_p606)





 三月以降、休刊が続いている『青鞜』に触れられることも、野枝にとっては辛いことだった。

 らいてうが「あんまり無理なことをしない方がいいわ」と言うと、野枝は「もっと小さなものにでもして続けたい……」と元気なく話した。

 午後の日が傾きかけたころ、これから逗子に行くというふたりを、らいてうは道に立って見送った。

 着流し姿の大杉の後ろを、小柄な野枝がチョコチョコと歩いていた。

 らいてうには、どこかの旦那とお茶屋の女中の二人連れのように見えた。

 遠ざかっていくふたりの後ろ姿を眺めながら、らいてうはふたりの飛躍を願いつつも、胸にわびしい失望のような思いが広がった。

 このとき、大杉と野枝にはふたりの尾行がついていた。

 らいてうは「いまなおおかしく思い出される」エピソードとして、こんなことも書いている。


 ……(尾行が)おもてで張り番をしているのを見た近所の人たちが、人参湯の囲いのなかへ、泥棒が逃げこんだといって、板塀の隙間や節穴から、声をひそめて庭先をのぞきこんでいたのだそうです。

 とんだ泥棒さわぎの一幕でした。


(『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』_p607)





 大杉はらいてうを訪問したことについて、こう書いている。

「彼女」は野枝のことである。


 ……らいてうの家では、僕等はひる飯を御馳走になって二三時間話してゐたが、お互いに腹の中で思つてゐる問題にはちつとも触れずに終つた。

「いいわ、もう全く他人だわ。私もう、友達にだつて理解して貰はうなどと思はないから。」

 彼女は其の家を出て松原にさしかかると、僕の手をしつかりと握りながら云つた。

 彼女は其の友人に求めてゐたものを遂に見出す事が出来なかつたのだ。


(「お化を見た話」/『改造』1922年9月号/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第三巻』には「葉山事件」と改題所収/日本図書センター『大杉栄全集 第12巻』)



★近藤富枝『本郷菊富士ホテル』(中公文庫・1983年4月10日)

★『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』(大月書店・1971年9月6日)

★『大杉栄全集 第三巻』(大杉栄全集刊行会・1925年7月15日)

★『大杉栄全集 第12巻』(日本図書センター・1995年1月25日)




●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 14:39| 本文

第211回  菊富士ホテル






文●ツルシカズヒコ




 一九一六(大正五)年十一月二日ころ、五十里(いそり)幸太郎が本郷区菊坂町の菊富士ホテルを訪れた。

 五十里は大杉の面前で野枝を殴ったり蹴ったりした。

 五十里は野枝に好感を持っていたが、同時に彼女が時として見せる才気が勝ちすぎるところや妙に姉御ぶるところを嫌悪していた。

 五十里が野枝に暴力を振るったのは、後者の感情が爆発したからだった。

 しかし、野枝と五十里のつき合いは途絶えることはなかったという。


 僕と野枝さんとは随分喧嘩もし、悪口も云ひ合つた。

 けれどもそれは其の場限りで済んで了つて、次に会つた時にはもう和解をしてゐた。

 こんな具合で二人の交友は、九月十六日の彼女の横死の直ぐ前まで、相変らずに続いて居(を)つたのである。


(五十里幸太「世話女房の野枝さん」/「婦人公論」1923年11月・12月合併号_p32~33)

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 この五十里と野枝の一件は『東京朝日新聞』(十一月十日)の記事になった。

 その記事を参照した大杉豊『日録・大杉栄伝』は、こう記している。


 五十里は二人の部屋に入ってくると、大変な剣幕でいきなり野枝の頭を殴り、保子から頼まれてきたと言ったらしい。

 野枝も負けていず、取っ組みあいになり、ついには五十里のほうが負けて、男泣きに帰ったという。

 大杉はこの間、拱手(きょうしゅ)傍観。

 あとで野枝がかっかとするのを、しきりになだめる役だった。

 野枝は保子や神近から非難されるのは、余儀ないことと思ったにせよ、突然殴られる乱暴に怒り、大杉は責任を感じて、低頭するほかないという図だった。


(大杉豊『日録・大杉栄伝』_p194~195)





 大杉とが野枝が菊富士ホテルで同棲していたころについて、五十里はこんな回想も残している。


 彼が野枝さんと菊富士ホテルに居た時分には、よく僕に羊羹の土産を催促したものだ。

 彼は魚よりも肉が好きだつた。

 しやれた果物と落花生、駄菓子を好んだ事を未だに覚えてゐる。


(五十里幸太「大杉くんのこと」/『自由と祖国』1925年9月号)


 大杉は甘党で酒はほとんど飲めなかった。

 大杉がワインを少し飲めるようになったのは、フランスから帰国してからである。





 近藤富枝『本郷菊富士ホテル』によれば、菊富士ホテルの風呂は一階玄関の後ろ側にあり、四、五人は入れる広さだった。

 大杉と野枝はいつもいっしょに風呂に入っていたので、その間、風呂番は女性が入浴している印の札を入口にかけていた。

 買い物にもいつもふたりで出かけていた。

 当時を知る菊富士ホテル関係者は、野枝についてこう述懐しているという。


「野枝さんてどんな人でしたか」

 と聞くと、申し合わせたように、

「飾らない人でしたねえ。髪なんて結ったことなし、白粉一つつけるじゃあなし、小柄でそんなに綺麗な人だとは思わなかった。大杉さんはいったい野枝さんのどこが気に入ったんだろうなんて思ったものでした」


(近藤富枝『本郷菊富士ホテル』_p65)





 日蔭茶屋事件が起きる前、村木源次郎が菊富士ホテルの部屋を訪れると、野枝がひとり涙ぐんでいたという。


 さすがの彼女も、子の愛に引かされて、独りで淋しい時には想ひ出して沈んでゐた。

 早く母親に生き別れた俺は、子供は成人の後きつと母親の行為と気持ちを充分了解するものだと話し合つた。


(村木源次郎「彼と彼女と俺」/『労働運動』1924年3月号_p48)





 十一月三日、青山菊栄の満二十六歳の誕生日のこの日、山川均と菊栄は結婚し麹町区三番町の借家に新居を構えた。

 十一月五日、大杉と野枝が山川夫妻の新居に結婚祝いに訪れた。

 菊栄はこう記している。


 その秋、私共が結婚すると二三日して、夜分大杉さんと野枝さんが私達の新居を訪(と)ふた。

 それは十一月の始めであつたが、野枝さんは例のお召し羽織をゾロリと着流して見事な果物の盛籠をお祝ひにもつて来て呉れた。

 確か其翌日、二人は葉山へ向ひ、そこで日蔭の茶屋の事件を呼んだのだつた。


(山川菊栄「大杉さんと野枝さん」/『婦人公論』1923年11月・12月合併号_p16)


 それから(※結婚してから)二、三日すると野枝さんがくだもの籠をもって訪い、

「大杉といっしょに旅行するので急ぎますから」

 と玄関だけで上がらずに帰りました。

 それからまた二、三日して山川がひどく帰りがおそいと思っていると、夜中にくたくたに疲れて帰って来ました。

 その日、大杉さんが日蔭の茶屋で神近さんに刺され、そちらに見舞いにいって来たのだそうでした。


(山川菊栄『おんな二代の記』_p237)




★大杉豊『日録・大杉栄伝』(社会評論社・2009年9月16日)

★山川菊栄『おんな二代の記』(岩波文庫・2014年7月16日)



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posted by kazuhikotsurushi2 at 13:20| 本文
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1955年生まれ。早稲田大学法学部卒業。『週刊SPA!』などの編集をへてフリーランスに。著書は『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)『秩父事件再発見』(新日本出版社)など。
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