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2016年05月07日
第149回 羞恥と貞操
文●ツルシカズヒコ
ようやく本題に戻った大杉は、野枝の書いた「貞操についての雑感」を批評し、まず野枝の思考がまだ浅いことを指摘した。
野枝さん。
……あなたは、女の一大感情たる「ほとんど本能的に犯すべからざる」、この貞操や童貞や羞恥の根本的性質について、自己のまったく無知であることを自白しています。
野枝さん。
あなたが今までに打破って来た、多くのあなたの感情をふり返って見てごらんなさい。
それらのものは、すべてかつてあなたが、「本能的に犯すべからざるものだというふうに、考えさせられて」いたのではないか。
そして今なお、多くの人々が、そう考えささ(ママ)れているのではないか。
あなたは、それらの感情と同様に、今日のあなたの貞操なり童貞なり羞恥なりの感情が、等しくまた、やがて打破られることを予想しないのか。
野枝さん。
あなたは現に、「処女とか貞操とかいうことをまったく無視することも考え得られる……」人である。
また「私がもしあの場合処女を犠牲にしてパンを得ると仮定したならば、私はむしろ未練なく自分からヴァジニティを追い出してしまう」人である。
また「私が従来の貞操という言葉の内容について考え得たことは、愛を中心にした男女関係の間には、貞操というようなものは不必要だと言う」人である。
けれどもあなたは、「何故に処女というものがそんなに貴いのだと問わるれば、その理由を答えることができない。それはほとんど本能的に犯すべからざるものだというふうに考えさされるからと答える他はない」と言うと同時に、「だから私は私のこの理屈なしの事実をすべての人に無理にあてはめるわけにはゆかない。勿論つければいろいろの理屈もつくが、無理にそういう表面的な理屈をつけたところで、根本的な道理が解らなければ、やはり駄目である」と言っている。
どうしてもあなたは、このことについての、根本的の無知な人である。
野枝さん。
あなたは、かつて僕があなたにさし上げた僕の論文集『生の闘争』の中の、「羞恥と貞操」と題する一文をお読み下すったことと思います。
(「処女と貞操と羞恥とーー野枝さんに与えて傍らバ華山を罵る」/『新公論』1915年4月号/「羞恥と貞操と童貞」と改題『社会的個人主義』/日本図書センター『大杉栄全集 第3巻』_p214~216)
「羞恥と貞操と」は、二年前に大杉が『近代思想』(一九一三年三月号・第一巻第六号)に発表した論文だった。
僕はあの文の最初にこう書き出しました。
「猫は屋根の上で、犬は道ばたで、人目は勿論猫目も犬目も憚らずに、しかも大声を立てて恋をする。何故人間のみは、あんなに恋を恥かしがるのだろう」
「男はそんなでもないのに、何故女は、ああも慎しみ深いのだろう。それに田舎のよりも都会の、いわゆる文明の優れた国の、何故ああも厳しいのだろう」
「これは一般の人々に取って、きわめて平凡な疑問であるかも知れぬ。しかしそれらの人の疑問は解釈の多くは、初めから羞恥や貞操を婦人本来の……美わしき道徳と決めてしまった上での疑問や解釈に過ぎない」
「羞恥や貞操がそんなにありがたいものか、あるいは下らないものかについては、僕は今議論をしない。ただ僕は、比較人種学上の事実を列挙して、これらの性情が必ずしも婦人本来のものでないことと、およびその起因とを、多少そこに暗示し得れば足りる」
この書き出しは、僕の貞操についての議論およびその方法をすでに大部分暗示している。
最初原始人は……餓や恋の間に、何等の道徳的区別を設けなかった。
動物界にもまったく羞恥の感はない。
そして人類の間に初めてこの羞恥の感情や……性的道徳の種が蒔かれたのは、原始の自由共産制が廃れて、財産の私有制度が萌したから後のことである。
野枝さん。
われわれのもっている多くの思想と感情とは、すべてこの厳密な比較人種学によって容易に解釈せらるべき、進化論的心理学の範囲に属するものであります。
この研究と、および現在における自己の生活そのものの忠実な観察とに耽らないものは、とうていこれらの事物の真相を握ることはできませぬ。
(「処女と貞操と羞恥とーー野枝さんに与えて傍らバ華山を罵る」/『新公論』1915年4月号/「羞恥と貞操と童貞」と改題『社会的個人主義』/日本図書センター『大杉栄全集 第3巻』_p216~218)
半世紀後に思想界を席巻することになる、文化人類学的思考をすでに視野に入れていた大杉は、さらにらいてうの思考にも言及した。
氏はすべての議論を自分の頭の中でこね上げる習慣から、とかくに純理論に陥る悪いくせがあります。
らいちょう氏は言う。
「すべての女子は……処女を、それを捨てるにもっとも適当な時に達するまで、大切に保たねばならぬ。さらに言えば、不適当な時において処女を捨てるのは罪悪であるごとく、適当な時にありながら、なお捨てないのもまた等しく罪悪である。」
しからば「処女を捨てるにもっとも適当な時」はいつかと言えば、「各自の内的な生活の経験から見る時は、それは恋愛の経験において、恋人に対する霊的憧憬(愛情)の中から官能的要求を発し、自己の人格内に両者の一致結合を真に感じた場合ではあるまいか。」
「こう考えてくると処女の価値はまことに大きい。婦人の中心生命である恋愛を成就させるかさせないか。婦人の生活の中枢である性的生活の健全自然な発達を遂げしめるかしめないか、ひいては婦人の全生活を幸福にするかしないかの、重要な第一条件がここにあるのである。」
そして最後に氏は「この点を外にして、どこにも処女それ自身の真価値、処女を重んずる根本的理由を見出し得ない」と言う。
野枝さん。
あなたはらいちょう氏のこの根本的解釈をどう考えますか。
いかにも筋の通った、きわめて明晰な、理論ではありますが。
けれどもあなたはこれが単なる純理論であると考えられませんか。
あなた自身およびあなたの親しい友人の生活に顧みて、こんな天使のような処女の捨てかたのみ想像し得られますか。
また反対に、天使のような捨てかたであっても、それが甲でもよし乙でもよしあるいは丙でもよかったとというような場合を想像し得られませんか。
甲でもよし乙でもよしという外に……甲と乙と同時でもいいという場合を想像し得られませんか。
また単なる娯楽のためのそれすらをも想像し得られませんか。
つぎにあなた自身のおよびあなたの親しい友人の生活に顧みて、恋愛が女の中心生命であるという、このドグマを受け容れることができますか。
野枝さん。
もうとうに夜が明けて、いま朝飯のしらせが来ました。
これで筆をおきます。
(「処女と貞操と羞恥とーー野枝さんに与えて傍らバ華山を罵る」/『新公論』1915年4月号/「羞恥と貞操と童貞」と改題『社会的個人主義』/日本図書センター『大杉栄全集 第3巻』_p218~220)
一九一五(大正四)年、三月二十六日。
神田西小川町の印刷所・大精社で野枝が来るのを待った大杉だったが、三時になっても四時になっても彼女は来なかった。
もう少し待ってみようかと大杉は思ったが、夜更けて葉山に着くと寒さで風邪を引くのが恐かった。
そして、恋人でもを待っているようなじりじりした感覚が、大杉の野枝に対する情熱を刺戟して、彼女に会うことまでが恐ろしくなった。
大杉は野枝が来たら渡してくれと言って、ちょっとした置き手紙をして印刷所を出た。
しかし、電車の停留所まで来た大杉はもしやと思いながら、彼女の家の方から来る電車を三、四台、無駄に待ってみた。
葉山の日蔭茶屋に着いたときには、はたして大杉は風邪を引いていた。
※日蔭茶屋2
●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index
第148回 新貞操論
文●ツルシカズヒコ
『新公論』四月号が「性欲問題(其壱)新貞操論」を特集したが、大杉は「処女と貞操と羞恥とーー野枝さんに与えて傍らバ華山を罵る」という原稿を書いた。
大杉は貞操に関する持論を展開、生田花世、原田皐月、野枝、らいてうらの貞操論に参入したが、それは野枝に話しかけるスタイルの公開状だった。
野枝さん。
僕はまだ、あなたとお互いに友人とよび得るほどに、少なくとも外的には親しくなっていませぬ。
もっともどれほど内的に親しいのかということもはっきりとは言えませぬ。
けれども私の今つきあっている女の人の中で、もっとも親しく感ぜられるのは、やはりあなたなのです。
そしてこのことは、僕が今貞操を論ずるに当って、ことにあなたに話しかけることが、もっとも僕の心を引きたたせる理由であろうと思われます。
勿論貞操ということは、男の問題というよりも、むしろ女の問題です。
したがって男に話しかけるよりも、女に話しかけるのが至当だと思われます。
しかもその問題がきわめて困難なかつ微妙な問題であるだけ、それだけ僕は、自分がもっとも自分に親しいと感ぜられる人に、ことに話しかけたいと思うのです。
なお僕は、公開状を書くことを少しも失礼と思っていませぬので、今ことにあなたに話しかけることについては、ただこれだけの理由を述べれば、外に言うことはありませぬ。
(「処女と貞操と羞恥とーー野枝さんに与えて傍らバ華山を罵る」/『新公論』1915年4月号/「羞恥と貞操と童貞」と改題『社会的個人主義』/日本図書センター『大杉栄全集 第3巻』_p206)
という書き出しで始まり、花世、皐月、野枝、らいてうの「貞操論」を批評しつつ、大杉の筆は本題から外れてしまう。
僕はらいちょう氏自身の議論には……ふだんから敬服しない多くのものをもっているのですが、氏の他人に対する批評には、ふだんからまったく敬服しています。
ことにかつてあなたの「動揺」事件に対するらいちょう氏の批評を読んだ時には、僕はあんなに理解の細かいしかも同情に溢れた姉さんをもっているあなたが、つくづくと羨ましく思われたくらいでした。
少し話がよこへそれますが、あの時のあなたは、まだずいぶん子供だったのですね。
……あの頃から今日に至る、きわめて短い間のあなたの生長は、恐らく何人にも驚異に値することと思われます。
……あなた自身の素質に大部を負うのでしょうが、同時に辻君によほど負うところあるとともに、またらいちょう氏の指導もはなはだ与って力あることと思われます。
(「処女と貞操と羞恥とーー野枝さんに与えて傍らバ華山を罵る」/『新公論』1915年4月号/「羞恥と貞操と童貞」と改題『社会的個人主義』/日本図書センター『大杉栄全集 第3巻』_p208)
大杉の筆はさらに横道に外れ、「バ華山」こと茅原華山に罵声を浴びせている。
野枝さん。
男の、もっとも僕も男の一人ではありますが、女に対する態度ほど、どうかすると実に醜いものはありませぬ。
例の茅原バ華山の『第三帝国』におけるあなに対する態度のごときは、あなた自身もずいぶん嗤っていましたが、あれは男という外にバカと野心とが手伝った仕業なのです。
……あのバ華山は、非常に巧妙な、お世辞屋です。
そこで大概の人は、蔭ではバ華山バ華山と言いながらもせめては彼の空っぽを黙っていてやることになるのです。
野枝さん。
あなたの「貞操についての雑感」を批評するつもりなのが、ついとんでもない方に筆鋒が向かい(ママ)て来ました。
(「処女と貞操と羞恥とーー野枝さんに与えて傍らバ華山を罵る」/『新公論』1915年4月号/「羞恥と貞操と童貞」と改題『社会的個人主義』/日本図書センター『大杉栄全集 第3巻』_p210~211)
大杉の筆はさらに中村狐月に言及している。
けれども男の女に対する醜態は、多くはその助平根性から出ます。
かの茅原バ華山を主盟と仰いでいる中村狐月氏の、あなたのあの文章に対する批評(『第三帝国』第三十四号所載)のごときも、恐らくこの助平根性から出たものと思われます。
……僕は助平根性そのものを非難するのではありませぬ。
ただこの助平根性から出る醜態を、心にもない虚偽の言葉や行為に出ることを、非難したいのです。
……バ華山の部下として似合わない、聡明な人達がいます。
中村狐月氏もその一人です。
この中村狐月氏が、ただまったくの助平根性からあなたを激称したものとするのは、はなはだ酷評であるかも知れませぬ。
……あなたを理想的に見たてて、野枝さんはこうあらねばならぬと、煽てあげたのかも知れませぬ。
恐らくはこの方が真に近いのでしょう。
……狐月氏のあの文も、理想的野枝さんのすき間もない解剖にはなるのですが、しかし理想的野枝さんと現実的野枝さんとはあまりにかけ離れています。
野枝さん。
たいぶ余計なおしゃべりをしたので、もう予定の枚数も残り少なくなりました。
それにもうあけがたも近い三時を過ぎましたので、急いで本論にかかることにします。
(「処女と貞操と羞恥とーー野枝さんに与えて傍らバ華山を罵る」/『新公論』1915年4月号/「羞恥と貞操と童貞」と改題『社会的個人主義』/日本図書センター『大杉栄全集 第3巻』_p211~213)
★『大杉栄全集 第3巻』(日本図書センター・1995年1月25日)
★『社会的個人主義』(新潮社・1915年11月)
●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index
第147回『三太郎の日記』
文●ツルシカズヒコ
『青鞜』一九一五(大正四)年三月号「編輯室より」が、野枝の『青鞜』二代目編集長としての孤軍奮闘、いや悪戦苦闘を伝えている。
●毎月校正を済ますとほつとしますけれども直ぐ後からいら/\して来ます。何故こう引きしまつたものが出来ないのだらうと情なくなつてしまひます。自分の無能が悲しくなります。でも兎(と)に角(かく)出来る丈よくしたいと努力はしてゐます。二カ月三カ月と進んでゆくにしたがつてだん/\苦しくなつて来ます。然し私は何時迄も/\その苦しみに堪へてゆかうと思ひます。
●前号この欄に私が生田花世さんが雑誌を出されるといふことに就いて一寸(ちよつと)したムラ気からヒヤカシを書きましたら時事新報紙上でゼラシイからのけんかだと嘲笑されました。ウツカリ口のきけない世の中だとおもひました。
●今月はボンヤリしてゐたものですからすつかり何も出来ないで日が経つて仕舞ひました。生田長江(ちようこう)氏の「超人の哲学」、阿部次郎氏の「三太郎の日記」は来月号できつと紹介いたします。あしからず。
(「編輯室より」/『青鞜』1915年3月号・第5巻第3号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p178)
らいてうが『新公論』三月号に「処女の真価値」を書き、野枝は『第三帝国』に「らいてう氏の『処女の真価値』を読みて」を書いた。
「青鞜」二月号に私は処女の価値については全然わからないと明言して置いた。
実際私には何(ど)うしても処女そのものにそんなに重大な価値を見出すことは出来ないでゐた。
そのくせ私自身は殆ど「本能的」としか答へられないその処女を矢張りどうして大事がらずにはゐられない。
私はその矛盾について可なり考へさゝ(ママ)れた。
併しそれは結局いくらいろ/\な理屈を考へて見ても自分の真の愛人との中にお互い自身より他の何物も交へたくないと云ふ気持ーー即ち神経的な潔癖から、みだりに自分自身にとつて薄弱なものゝ為めに汚されたくないとい云ふ気持が一番本当の深い理由であつた。
もう一度私は断つて置くこれは決して処女の価値ではなく神経的に私が処女を大切にしたがる奥底の理由である。
(「らいてう氏の『処女の真価値』を読みて」/『第三帝国』1915年3月20日・第35号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p179)
野枝は自分がいくら考えてもどうしても論理的に説明できない「処女の価値」を、らいてうがどう説明するのかを興味津々で「処女の真価値」を読んだが、野枝を納得させるようなものは見出せなかったので、らいてうをこう批判している。
氏は生田花世氏、原田皐月氏及び私の云つた事に対して「何等の根本的な確実なそれ自身の真価値を提供してゐないと云ふ点に於いて一致してゐる。」と云つてゐられるが私は氏に対しておなじ言葉をお返して矢張りあなたも私達と一致してゐらつしやると云ひたい。
(「らいてう氏の『処女の真価値』を読みて」/『第三帝国』1915年3月20日・第35号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p179)
『第三帝国』は茅原華山と石田友治が一九一三年に創刊した旬刊雑誌である。
大杉は葉山で原稿を片づける算段をしていたが、その前に一度、野枝に会いたいと思った。
それも是非彼女一人だけと会ひたいと思つた。
『もう雑誌も校正の頃だ。』
僕はふとさう思ひついた。
(「死灰の中から」/『新小説』1919年9月号/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第三巻』_p566~567/日本図書センター『大杉栄全集 第12巻』_p254)
大杉豊『日録・大杉栄伝』によれば、大杉は神田西小川町の印刷所・大精社に行き、いつ野枝が来るか尋ねると、明日午後二時には来るはずだという。
一九一五(大正四)年、三月二十六日。
この日は大杉が葉山に行くことに決めていた日だった。
大杉は旅支度をして大精社に行った。
そして『青鞜』四月号の校正のために来るはずの野枝を待った。
大杉の野枝に対する思いは募るばかりだった。
※時事新報2
※阿部次郎『三太郎の日記』
★『定本 伊藤野枝全集 第二巻』(學藝書林・2000年5月31日)
★大杉豊『日録・大杉栄伝』(社会評論社・2009年9月16日)
★『大杉栄全集 第三巻』(大杉栄全集刊行会・1925年7月15日)
★『大杉栄全集 第12巻』(日本図書センター・1995年1月25日)
●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index