アフィリエイト広告を利用しています

広告

この広告は30日以上更新がないブログに表示されております。
新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
posted by fanblog

足が動かない・・・

このブログを読んでくださっているみなさん、こんにちは。「よそじSE」でございます。

2012年2月になりました。
2/1(水)に「急性気管支炎で2週間の療養」の診断書を出してもらった私は、週末まで札幌の自宅で静養しました。呼吸器専門のドクターが処方してくれた薬が効いてきたのか、日々少しずつ徐々に酷い咳が治まってきました。ちょうどインフルエンザが流行っていた時期でしたので、咳き込んでいる状態で公共交通機関、特に飛行機に乗ると周りから疎まれてしまいます。(飛行機では1.5時間、その場から逃れられませんもんね。)自分の咳がインフルエンザではないのは自分では分かっていますが、他人はそんな事分かりませんので、「あの咳している人インフルエンザじゃないの〜」と思われるのがイヤでした。

※この辺り、うつの症状の一つである「他人の目を気にし過ぎる」という状態でした。今思えば。

結局、2/5(日)まで体調の様子を見て、その日の最終便の飛行機で東京に戻ります。この時、私は喉や咳以外の「症状」をはっきり自覚しました。

私の自宅からは新千歳空港へバスと電車を乗り継いで行きます。
そのバスを降りて駅に向かって歩きだそうとした時でした。その「症状」が出ました。

あれ?
足が重い。
足が前に動かない。

体は前に行こうとしているのに、足が動かないのです。
まるで、足首を誰かに両手でガッチリ押さえつけられているような感覚。
それか、昔の西洋の囚人のように、足に大きな錘を付けられているような感覚。

そんな事、本当にあったら幽霊か何かかと思うのですが、まさに自分の意志ではない何かの力が足に作用しているような状態で、前に進むことを拒んでいるのです。

錘を必死に引きずるような感じで、動かない足に一生懸命力を込めて、顔をしかめながら、電車に乗りました。

羽田空港に降り立ってからも、足には錘がついたままでした。
引きずりながら、なんとか東京の自宅に戻れました。時計はもう24時を回っていました。

「明日こそ会社に行こう。行けなかったら俺は本当にうつ病かもしれない。それだけは認めたくない。」

まだ自分を「うつ」と認めたくない、自分の中の自分が、必死に叫んでいました。

ベッドに入ると、また酷い咳が出てきて、眠れぬ夜を過ごしました。




うつ病 ブログランキングへ

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ うつ病(鬱病)へ
にほんブログ村

診断は「原因不明」

このブログを読んでくださっているみなさん、こんにちは。「よそじSE」でございます。

2012年1月末でした。
東京の内科で処方してもらった薬を飲んで、土日は札幌の自宅で過ごしました。
土日に家族のもとで安静にしていれば少しよくなるかもしれない、と考えていたのですが、喉の腫れは一向に収まる気配もなく、更に酷い咳までが出るようになりました。
これが生半可な咳じゃない、普通の風邪なら「ゴホッゴホッ」ぐらいだとすると、
「ヴグェェッッツフォォ」ぐらいな感じです。肺の奥底からすべての空気をいっぺんに吐き出すような、とても酷い咳でした。

咳って、すごく体力使うんですよね。
そんな感じで体がボロボロ。(心もボロボロ)

普通なら日曜の夜には飛行機に乗って東京に戻るのが私の帰省パターンだったのですが、これは翌月曜日も仕事にならんと諦め、そのまま札幌に残る旨の連絡を会社に入れ、翌月曜日に札幌の総合病院を訪ねました。

札幌の内科の先生は、問診しても原因が分からなかったようです。
東京の内科で処方された薬の内容を見て、強い抗生物質と違うタイプの咳止めに変えてくれました。そして、その病院に呼吸器専門のドクターがいること、その先生は明後日の水曜日に病院に来る、という事を教えてもらいました。

少なくとも、月から水曜日まで札幌に足止めです。当然、仕事は出来ません。
肺炎か何か、もしや肺がん?とか重篤な病気かもしれない・・・と不安が襲って来ました。
※私、喫煙者なので肺がんのリスクは覚悟してはいましたが・・・。


水曜日が来ました。私は再び札幌の総合病院に呼吸器専門のドクターを訪ねました。
症状はまったく収まっていません。

聴診器を当てて、レントゲンを取り、血液検査してと色々検査されましたが、
ドクターの診断は、

「原因不明」

レントゲンで見て肺は影もなく綺麗、腫瘍マーカーの数字も普通。内科的にはまったく問題なし。

もうお手上げでした。また再度薬を変えてもらい、すでに1週間以上会社を休んでいた私は、ドクターに頼み込み「急性気管支炎のため2週間の自宅療養が必要」という診断書を出してもらい、帰宅しました。

とりあえず、今週一杯札幌の自宅で療養しよう。

私にはその選択しかありませんでした。

結果から言ってしまうと、この「喉の腫れ」と「酷い咳」は、この後1〜2ヶ月ほど私を苦しめました。
今思うと、「うつ」という病気が体に警告を出している「サイン」だったのではないかと思います。





うつ病 ブログランキングへ

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ うつ病(鬱病)へ
にほんブログ村

喉が痛い・・・

このブログを読んでくださっているみなさん、こんにちは。「よそじSE」でございます。

2012年1月下旬でした。
朝起きると吐き気や頭痛がする、手が震える、などの症状が出始め、いよいよ自分でも自分が何かおかしいと感じ始めていました。
どうしても会社に行く気になれない、まぁ誰しもそんな気分の日はあるものですし、私も以前何度も「今日はサボっちゃえ」的な気分の日は何日もありましたが、今回はなにか質の違う「会社に行きたくない」という気分でした。※なかなか言葉で表すのは難しいのですが。

これはもうダメだと自分でも思い、とりあえず上司にメールを打ちました。

「体が重くて動けなかったり手が震えてたりと、軽いうつ状態かもしれないと感じてます。
 精神科を受診したほうがいいかもと考え始めてますが、認めたくない自分がいて怖いです。」


概ねこんな感じの文章をメーラーで書き起こし、「あぁ、『うつ』って書いちゃった。俺、本当に『うつ』なのかもしれないな。」と自分でキーボードを叩いたPCの画面の中の文字を見ながら、いよいよ俺にもこの病気が来たのかもしれないな、と自覚し始めました。

会社の方では、以前からメンタルヘルスに対する取り組みを強化しており、うつ病とは何なのか、どういう対処が必要なのかという簡単な社内研修を実施したりしていましたし、自分の周りにも何人かうつを患った同僚がいましたので、なんとなくの知識は持っていましたが、いざ自分がそうかもしれないという疑いの目を持つのは、本当に恐ろしかったです。

メールを送信すると、急に喉の痛みが襲って来ました。
私はもともと扁桃腺が弱く、2〜3年に1回位の割合で扁桃腺炎で高熱を出し1週間ぐらい寝こむという事をしていましたが、今回はさほど高熱も出ず、その割には喉の痛みが半端じゃない、風邪ともちょっと違う症状でした。

取り急ぎ、単身赴任先である東京のある内科病院を訪ねました。
内科の先生は、症状を伝えると、喉の腫れと呼吸器の上体が酷いけど風邪とは違うかな・・・とちょっと悩みながら殺菌のための抗生物質、気管を広げる薬、うがい薬を処方してくれました。多分、その先生もハッキリとした原因は分かってなかったのだと思います。
私には為す術もなく、その日はその薬を飲んで様子を見ることにしました。
また、その日は金曜日だったので、その夕方には飛行機で札幌に戻り週末は自宅静養することにしました。心も体もガタガタでした。

自宅に戻って安静にすれば体も心も少し良くなるかな?という淡い期待もありました。




うつ病 ブログランキングへ

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ うつ病(鬱病)へ
にほんブログ村

予兆・・・なのか?

このブログを読んでくださっているみなさん、こんにちは。「よそじSE」でございます。

2011年の12月も半ばを過ぎ、私はプロジェクトの中の「ある小さいゴール」を乗り越えた直後でした。そのゴールには、準備に何ヶ月も費やし、だいたい朝10時に出勤して夜10時くらいまで仕事をするという毎日でした。それまでは充実感はあったものの、徐々に自分の中でもモチベーションダウンしている事が分かるようになり、夜は頑張りきれずに早めに帰る(と言っても19時くらいでしたが。)日が多くなって来ました。
「ある小さいゴール」の最後の2週間は同僚とシフト勤務を組み、日勤と夜勤を交互に繰り返すような生活を送る事になりました。それまで徹夜はなるべくしないように心掛けていましたが、夜勤は完徹になりますので肉体的にも精神的にもゴッソリ削られたように思います。

その「小さなゴール」は、多くの方の努力でなんとか成功を収め、無事に年末年始休暇を取ることが出来ました。
私も札幌の自宅に戻り、家族と元旦を迎えることができたのです。
どこか「小さなゴール」を乗り越えてホッとした部分があったのかもしれません。

年が明けて2012年、1月4日からまた仕事始めとなりました。
正月明けの1週目ぐらいまではまだアイドリング状態で仕事を進めていましたので特に問題ありませんでしたが、2週目に入った途端、体調に変化が現れます。

とにかく、朝起きると、具合が悪いのです。

体がだるい。
頭痛と吐き気がする。
お腹も痛い。下痢ぎみ。
胸のあたりが痛い。
食事を摂る気力もない。


会社に連絡して一日休ませてもらって、次の日は会社に行って、翌日はまた朝具合が悪い。
2,3日出勤しては一日休む、という事を繰り返すようになりました。
自分では、なんでこんなに具合が悪いのか分からない。
風邪かな?と思ったのですが具体的な風邪の症状があまり出ないので、自分でも何が何だか分からず、時間だけが過ぎていきます。
1月の下旬にさしかかった頃、会社でPCの前に向かうと、手が震え始めました。
こんな事は初めての経験でした。
食欲もありません。

私はもともと「ブルーマンデー」いわゆる「サザエさん症候群」の自覚は20代の頃からありました。しかし、これは気分的な落ち込みとは違って、月曜日の不調が胃腸に現れ、朝食はおろか昼食も食べられない(食べたくないし、胃が受け付けない。)という状態がずっと続いてました。火曜日にはケロッと治るので、まぁこういう体質だし、たいてい日曜の夜はなかなか眠れないので、単なる寝不足なんだろうなと思っていました。

が、今回の症状は明らかに違います。

いよいよ、自己診断ながらメンタルヘルスに問題があるのかもしれないと思い、ネットで情報を漁ると、自分にピッタリな症状がいくつも出てきました。

「うつ」なのか・・・?この俺が・・・?

そんな訳ない、俺がメンタルを壊すなんて考えられない・・・。
認めたくないまま、更に2日ほど会社を休んでいると、猛烈な喉の痛みが襲って来ました。




うつ病 ブログランキングへ

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ うつ病(鬱病)へ
にほんブログ村

SEという仕事 その6

このブログを読んでくださっているみなさん、こんにちは。「よそじSE」でございます。

東京に通院に行ってまして、今日戻って参りました。また間隔があいてしまってスミマセン。
では早速続けます。

2007年9月でした。東京転勤を決心します。子供の教育を考え無闇に転校するのは良くないと思い単身赴任する事にしました。
家族と離れる寂しさはありましたが、それよりも東京の超巨大プロジェクトにチャレンジしたい気持ちが上回っていました。一人暮らしも独身時代にさんざんやっていたのであまり苦ではありませんでした。とにかく、チャレンジしたかったのです。
Jリーグで例えると、J2からJ1に昇格したような気分で、東京の仕事は仕事の規模も大きくそこに集まるメンバもとても優秀な精鋭であり、勉強になる事がたくさんあります。
私は赴任早々、アジア某国に長期出張させてもらい、現地のスタッフを支援する役割を任されました。慣れない国での仕事は戸惑いもありましたがいい経験になりました。

プロジェクトは巨大なだけに組織の中で苦しむことも多く、ストレスもそれなりにありましたが、仲間に恵まれたおかげで辛いながらも楽しくやれてました。プロジェクトが進むにつれて自分の役割もどんどん変わり、要件定義からコードレビュまで色々な事を担当し、それに伴うプロジェクト内調整、問題提起と解決に知恵を絞り続ける毎日が続きます。

この頃の私は、朝10時に出社し、曜日ごとに組み込まれた様々な会議に顔を出し、様々なメンバの作業を後方から支援し、だいたい、22時くらいまで残業するという生活でした。
終電ギリギリの23:30まで残業する事もありましたし、「今日は疲れたな」という時は早めに切り上げて仲間と飲みに行く、という感じでした。自分なりにメリハリ付けて仕事を進めていたように思います。周りに若手が多く、自分のこれまでの経験を活かして様々なアドバイスを送っていました。もともとそのプロジェクトの分野の業務知識があり、テクニカルな部分も自分の経験が活かせる分野だったので、周りから便りにしてもらえる存在だったのです。

そんな毎日を過ごして、転勤時の約束だった3年を過ぎてもプロジェクトに終わりが見えてきません。私には「プロジェクトを途中撤退する」というオプションはありませんでした。必ず最後まで見届けてやる、という気持ちで毎日を過ごしてきました。

そして転勤から丸4年が過ぎ去った2011年の末。

少しずつ、病魔の影が、私の背後に迫っていました。




うつ病 ブログランキングへ

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ うつ病(鬱病)へ
にほんブログ村

SEという仕事 その5

このブログを読んでくださっているみなさん、こんにちは。「よそじSE」でございます。

30歳の時にリーダーとなって担当した販売・在庫管理と会計のシステム開発プロジェクトは、1年6ヶ月かかって仕上げることが出来ました。
最後の6ヶ月はいわゆるデスマーチとなり、かなり危機的な状況に陥りました。毎日午前2:00ぐらいまで仕事してから帰宅し、また朝10時くらいには出社するという生活が続いていました。完徹も何度かありました。
しかし、体力的にはシンドい部分もありましたが仲間の支えもあって、不思議と辛いと思った事は割りと少なかったように思います。いま思えば、まだ若さという馬力があったんでしょうね。
なんとか納期通りにシステムを納め、お客様のご好意で打ち上げパーティーにご招待頂いた際に、普段から懇意にしていただいていたお客様の役員の方に

「おい、やればできるんだなぁ。よく頑張った!」

とお酒を飲みながらお褒めの言葉を頂いた時は、本当に良かったという事と、自分が確実に成長できたという事が実感できた瞬間でした。どんな形であれ、最後には

「(収めたシステムに対して)お客様に感謝していただける」

というのは、SEとしての最高の喜びであり、成長の証であります。

さてそのデスマーチプロジェクトが一段落した後も、私は小さいプロジェクトをいくつか経験します。北海道内のお客様だったり、東京本社の仕事を手伝ったり、大阪支社の仕事を手伝ったりと、Java/Oracleを中心としたシステム構築技術と、そこそこレベルアップしてきた業務知識を武器にあちこちから社内オファーを頂いてはこなしていく、とういう日々を5年ほど過ごしました。SEというとあまり外に出歩かないイメージがあるかと思いますが、私はその対極でした。
日本中、あちこち仕事に出向いて行く事は、もともと旅好きで飛行機乗るのが大好きな私には楽しくてしょうがない事でした。

そんな事を続けて37歳を迎えた頃、東京に出張した際にたまたま機会がありお酒をご一緒させていただいた上司の上司に当たる方から、これまでと比べ物にならない巨大プロジェクトのオファーが舞い込みます。

「東京で超大型プロジェクトを立ち上げるから、参加せよ。期間は3年くらい。」

「マジっすか?転勤しなくちゃならないじゃないですか。」


すでに結婚もし幼い子供がいた自分にとって転勤となると一大事です。
ただ、私はどうしてもその仕事がしたかった。今までのキャリアから考えてもこれほどの超巨大プロジェクトに参加できるチャンスは滅多にない。しかも自分のキャリアを大いに活かせる分野であり、個人的に大好きな分野だったのです。(詳細はちょっと言えないので伏せさせて頂きます。)

私は一晩考えて、やっぱりチャレンジすることを選びました。
しかも、家族に対する迷惑を最小限に留めるため、単身赴任を選びます。

こうして、初めての単身赴任生活と共に、その超巨大プロジェクトにのめり込んでいくのです。




うつ病 ブログランキングへ

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ うつ病(鬱病)へ
にほんブログ村

SEという仕事 その4

このブログを読んでくださっているみなさん、こんにちは。「よそじSE」でございます。

30歳になるまで、汎用機、CS/S、Webシステムと順調にステップアップしてきた私ですが、上司の
「〇〇の販売・在庫管理と会計のシステム開発、プロジェクト立ち上げるからリーダーになってくれない?」
という一言で、大きいプロジェクトを任されることになりました。

その時の上司が言った

「オマエの中で(今回のプロジェクトは)いい経験になるよ。」

という一言が忘れられません。いま思えば、本当にいまの自分の血肉になった経験でした。

その時の私はIT技術のスキルは順調に磨いてきたものの、販売管理、在庫管理、会計管理のシステムはそれ独特のビジネススキルが必要になる事は自分なりに理解していました。
その分野とはまったく関わって来なかった私を見かねた上司がある社外研修を薦めてくれ、私は1週間の研修で東京に赴きました。

その時の1週間というのは、専門学校時代にオマケのような簿記の授業と、ついでに取っておいた簿記3級はまったく無力である事を私に思い知らせるには充分でした。
研修内容はまるで「チンプンカンプン」教えられる内容のどこが分からないのか分からない。要するに全部分からない。なんて自分はまだ未熟なんだと思い知ります。

札幌に戻った私は焦って勉強を始めます。とにかく本を読むことしか考えられませんでした。

Amazonで何かテキトーな本がないかと探していた私が見つけたのが、

「ITエンジニアのための【業務知識】がわかる本」翔泳社

ITエンジニアのための【業務知識】がわかる本 第3版

新品価格
¥2,604から
(2012/7/21 22:27時点)



でした。その名前の通り、SEが必要とするレベルの下記の業務知識が広くまとめられた良書です。
・財務会計
・管理会計
・人事給与
・販売管理
・生産管理
・物流・在庫管理
・貿易取引
・店舗管理
・情報連携(当時流行したERPなど)

私が必要としたスキルは財務会計、管理会計、販売管理、物流・在庫管理だけでしたが、この本はそのうち、販売管理、在庫管理に関して充分にその価値がありました。多少足りない部分はお客様との会話(要件定義)を進める中で埋めることが出来ました。
現在は改訂され「第3版」が出版されています。若手のエンジニアはこの本を一冊持っていれば、世間一般の大抵のビジネスモデルに対するシステムには充分対応出来るのではないかと思いますので、是非お手元に一冊おいて頂ければと思います。

会計に関する本はこれ以外にもかなりたくさんあります。が、私が本を探していた当時は書かれている方向性がどちらかといえば経営者の観点か、「財務諸表を読み解く!」という類が多く、SEが必要とする実務会計内容を表したものはなかなかありませんでした。仕方ないので片っ端から読みますがどうしても理解できないまま、プロジェクトに突入していきます。
ようやく分かりかけてきたのは、

「さおだけ屋はなぜ潰れないのか?」山田 真哉 著

さおだけ屋はなぜ潰れないのか? 身近な疑問からはじめる会計学 (光文社新書)

新品価格
¥735から
(2012/7/21 22:30時点)




という本に出会った時でした。この本を読んで「そうか!だから会計が必要なんだ!」と目が覚めたような気分でした。

2012年のいま、あらためて探してみると、

「SEがはじめて学ぶ会計」広川 敬祐 著

SEがはじめて学ぶ会計

新品価格
¥2,205から
(2012/7/21 22:31時点)



なんてピッタリな本が出版されていますね。これから会計を学ぶSEが羨ましいです。

という訳で、30歳そこそこの私は、IT技術以外にも少し軸足を置き始めるのです。

SEという仕事 その3

このブログを読んでくださっているみなさん、こんにちは。「よそじSE」でございます。

心療内科の通院にちょっと東京まで2泊3日で行ってきたものですから、日が開いてしまいました。どうもスミマセン。

では、昔話に戻ります。

1995年、Windows95が発売された事を機に、あっという間にIT業界も変貌し大型汎用機からPCを使ったCS/S(クライアント/サーバシステム)にシフトチェンジしました。
VisutalBasicあるいはDelphiでクライアントアプリを開発し、サーバ側としてOracleWindowsNTまたはSun Solarisで動かすというモデルが大流行します。この時、初めてUNIXに触れた私は急速にそのUNIX文化に染まっていき、同時にOracleでD/Bが驚くほど簡単に作れる面白さにのめり込んでいきます。この頃はまだ技術も確立されてなく、インターネットという情報源も少なかったものですから、困ったときは当時流行っていたパソコン通信「NIFTY-Serve」のフォーラムで見ず知らずの方に質問する、というスタイルでした。
分からないことだらけで苦労しましたが、新しい技術を吸収する楽しさが完全に上回っていました。

1990年代が終わりに近づいてくると、世間インターネットが爆発的に普及し、プログラミング言語としてJavaが登場します。
私たちエンジニアが作るシステムもCS/Sの二層構造から、真ん中にアプリケーションサーバを挟んだ三層構造に変化していきます。クライアントはブラウザ(当時はNetscapeの独擅場でした。)でHTMLJavaScriptを実行し、アプリケーションサーバでJavaを実行するというシステム構成が大流行します。
私は、ある先進的なプロジェクトの実験部隊としてこのJavaHTML/JavaScriptと格闘する1ヶ月を過ごします。そして自分で体験したノウハウを、プロジェクトのメンバにフィードバックするという役割を果たすことが出来ました。
今ではもう見かけませんが、当時はブラウザはウィンドウ分割で表示したほうが見栄えがいい(というか見た目珍しかっただけ、と言えます。冷静に考えればウザいだけ。)ので、そのウィンドウ分割で必要とされるHTMLのノウハウを研究したりしました。
サーバサイドで動作するJavaも当時はまだJDK1.xでしたから、非常に動作が遅かった。だからどうすれば動作が速いプログラムになるかを研究して(例えば、「String同士の加算はしてはいけない」というようなTipsです)メンバに伝え、コードレビューするという「エバンジェリスト」的な仕事をしていました。その結果、プロジェクトは一定の成功を収め、私はその時のノウハウを社内論文にまとめ、ちょっとしたご褒美もいただけました。

その頃同時に、私はD/B設計の面白さにも目覚めます。どうしたらアプリケーション開発しやすいD/Bが作れるか、どうしたらSQLのパフォーマンスが良くなるか、運用中にデータの論理矛盾が起こらないような構造に出来るか、という観点でD/Bを設計するという事を突き詰めると、お客様が要望するシステムで実現しようとしている業務内容を出来るだけ正確に把握する必要があります。自ずとお客様により近くなり、たくさんの会話をしながら設計を進めることになります。エンジニアとして持っている技術をフル活用しながら、お客様に最善の解とシステムを提供する、というのが楽しくて仕方ないという事が分かりかけてた頃でした。

そうなんです。楽しいんですよシステムエンジニアっていう仕事。

Appleのスティーブ・ジョブズがiPhone片手に、「いいでしょう?これ。」と自慢げにプレゼンするのは、そのiPhoneをエンジニアリングしてきた過程が楽しくて仕方なかった事の表れではないかと思います。
私とスティーブでは雲泥の差ですが、その時の気持ちは、多分、同じようなものだと思います。

そんな感じで時代の変化と共に変わりつつある技術をどんどん吸収していって、私の20代は過ぎ去ります。

30歳になってまもなく、上司が声をかけてきました。

「〇〇の販売・在庫管理と会計のシステム開発、プロジェクト立ち上げるからリーダーになってくれない?」

「え゛〜っ!?」

字数が足りなくなりました。(笑)続きは次回へ。




うつ病 ブログランキングへ

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ うつ病(鬱病)へ
にほんブログ村

SEという仕事 その2

このブログを読んでくださっているみなさん、こんにちは。「よそじSE」でございます。

「お前はいつまで延々と昔話をしとるんじゃ?ブログのテーマと合っとらんだろう!」
というお叱りのお言葉がそろそろ聞こえてきそうな展開ですが、もう少し気長にお付き合いください。

と言うのも、今現在、思うことがあって、わざとこういう展開にしております。

うつという病気についての自分なりの結論として思っている事があり、それを伝えるためには、この「私」という人間を出来るだけより正確に把握していただきたい、と考えているのです。
私は、特別な人間ではありません。単に生業をシステムエンジニアとしている普通の40代のサラリーマンです。そういう人間が、うつを患ったのです。
たぶん、多くの方は、「システムエンジニアがうつになった?あーあれでしょ?徹夜ばかりで長時間労働してるからうつになっちゃったんだよね?あるある、やっぱりね〜。」という印象を持たれるだろうと思います。
でも私は考えに考えた結果、そんな単純な問題じゃないと言うことに気付いたのです。
それを少しでも伝えてたくて、ブログを書き始めました。

どんな人にでもこの得体のしれない病気を患う可能性は潜んでいる、しかも内容は千差万別、病気と病気じゃない状態に明確に先の引けない、非常に曖昧な病気なのです。
なので「私」というのを一つの事例として、この病気に立ち向かうノウハウの一部に加えていただければ幸いだと感じています。

ところで、そのSEという仕事について。
私、フリーライターのきたみりゅうじさんが好きです。(こちらで「キタ印工房」というサイトを開設されていますので、ぜひ見てみて下さい。)
きたみりゅうじさんは、若い頃にはシステムエンジニアをされていて、その後フリーランスとしてライター兼イラストレーター兼漫画家としてご活躍されています。
私とほぼ同年代であり、新しもの好き、二人のお子さんを持ったパパであるという点も、私と同じで共感できるところが多いのです。
私と違うのは、きたみさんが大変絵がお上手で、ほのぼのとしたタッチで漫画をかけるという才能をお持ちなことと、フリーでお仕事をされているという点ぐらいでしょうか。

きたみさんに私個人的が好意を持っていることがあります。
私のいるIT業界というのは、現在では不可欠となった社会インフラを支える大変重要な仕事であるにも関わらず、内部の仕事ぶりが語られることがあまり多くなく、語られてもどこかしら3Kのようなネガティブな印象を与えるものが少なくありません。
そんな中、きたみさんはその著書「SEのフシギな生態」「SEのフシギな職場」などの中で、ほのぼのとした漫画を差し込みながら、明るく楽しく、時には辛く悲しいことも笑い飛ばせるような、そんな本をたくさん出版されている事で、ネガティブなイメージを吹き飛ばしてくれるからです。
最近は、ITパスポートなどの資格本を執筆が多くなって、「またこの業界の事を面白おかしく書いて欲しいなー」とファンの一人としてはちょっと残念に思っているのですが、キタ印工房のブログは、時々チェックする大事なサイトです。

「SEのフシギな生態」「SEのフシギな職場」は現在文庫となって発売されていますし、「会社じゃ言えないSEのホンネ話」などもオススメです。この業界の方もそうでない方も、ちょっとお手にとって見て下さいませ。

SEのフシギな生態―失敗談から学ぶ成功のための30ヶ条 (幻冬舎文庫)

新品価格
¥600から
(2012/7/16 21:52時点)




SEのフシギな職場―ダメ上司とダメ部下の陥りがちな罠28ヶ条 (幻冬舎文庫)

新品価格
¥600から
(2012/7/16 21:53時点)




あぁ、今日は、きたみりゅうじさんの紹介で終わってしまいました。すみません。
次回からまた昔話に戻ります。

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ うつ病(鬱病)へ
にほんブログ村
にほんブログ村 IT技術ブログへ
にほんブログ村

SEという仕事 その1

このブログを読んでくださっているみなさん、こんにちは。「よそじSE」でございます。

「どうか気長にお付き合いください。」と宣言しながら、出来れば早め早めにブログをアップしたいなと考えてはいるのですが、今、色々チャレンジしていることのバックログが溜まってまして、案の定3日も開いてしまいました。どうもスミマセン。
ここで敢えてうつのNGワードを吐いておきます。「頑張ります!

では、参りましょう。前回SEを志した訳までお話しました。

専門学校を卒業した私は、とあるベンダー系ソフトウェアハウスに就職のために上京しました。世は1990年代に入りバブル景気まっさかり。売り手市場で就職活動にはまったく困りませんでした。
私はまだ新入社員でしたのでバブル景気の恩恵はあまり受けることが出来ませんでしたが、覚えているのは、先輩と飲みに行った帰りにタクシーを捕まえるのが新入社員の私の仕事でしたが、手を上げてもタクシーが全然捕まらずアッチコッチと走り回った事です。当時はタクシー側が客を選べる状態で、(例えワンメーターの距離でも)1万円札を手に持ってヒラヒラさせないと止まってくれなかった、という都市伝説があったくらいです。
今では手を一本あげたら3台のタクシーが争うように同時に止まった、というあながち嘘とも言えなさそうな状況ですから、バブル景気は本当に異常な感覚でした。

仕事の方はと言うと、90年初頭のIT技術業界はまだ大型汎用機が幅を利かせており、
COBOL/FORTRANでのプログラミングが中心でした。
最初に配属された部署ではFORTRAN文化が根強く、配属時たまたま新しく導入するシステムがCOBOLも30%程度使用しようという方針になっており、先輩方がCOBOL初心者で戸惑っておられる中、学生時代からCOBOLにも親しんでいた新人の私は、「あいつCOBOL出来るらしいでぇ」と先輩たちの間で瞬く間に噂になり、あっちこっちのお手伝いに駆り出され大変重宝されていました。
3年目くらいになるとリーダ補佐ぐらいになり、5年目くらいには本当のリーダは形だけで「実質リーダ」を任せていただき、順調にステップアップしました。

ちょうど世間でWindows95が発売された頃、「もうこれからはPCの時代だ。ホストはレガシー化していく。俺もPCの仕事がしたい!Windowsのスキルアップをしたい!」と上司に直談判し、ちょうどプロジェクトの切れ目に当たる幸運もあり、Windowsでの開発を扱う部署に異動させてもらいました。
最初はVisualBasic、その後Delphi(当時Delphiはいち早くオブジェクト指向を取り込んだ画期的な言語でした。Pascalベースだと言うのも言語体系がスッキリしていてBasicに比べたら開発効率が良く、実行スピードも速いので大好きでした。Borlandのゴタゴタで見放され、今では見る影もありません。残念です。)をベースにしたWindowsアプリケーションの開発に従事し、少人数プロジェクトのリーダを任されたりしていました。
この頃、私は日本各地を飛び回り地方の小さなお客様にSEサービスするという貴重な経験を積ませてもらいました。

SEという仕事は、かつて3K(きつい、きたない、危険)などと呼ばれており、長時間労働の代名詞のような仕事でした。今でもそうかもしれません。
私も月200時間ぐらい働いていた事もありましたし、徹夜徹夜が連続する事もありました。
残業代が月の基本給を超えてしまう、というおかしな現象になったことも何度もあります。
そんな中でも、私はタフに仕事をこなしてこれました。まだ若かったから、というのもあるかもしれません。

SEという仕事がどういうものか、他の業界や一般の方だとよく分からないと聞きます。
私の両親の世代ですと、「どうせパソコンの前で一日中座ってんだろ?けっ!そんな仕事よくやってられんな!」ぐらいの認識しかありません。見えない「システム」を設計するという概念が理解できないようです。また、パソコンのハードウェアそのものを設計してるんだろ?という意味のことも言われました。ソフトウェアの概念がどうしても理解できないので、説明にいつも苦労します。

ところ「ブラック企業に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない」という2ch発のお話があり、映画化もされましたが、あのお話は中小ソフトウェアにはじめて勤めた元ニートだった青年が奮闘し、個性豊かな周りの人たちと色々関わりあいながら仕事を成功させていくストーリーです。多少誇張はあるもののIT業界の方なら「あるある」と思える内容ですので、SEという仕事(と言っても描かれてる仕事内容は少しプログラマ寄りなお仕事のようです。)がどういうものか興味がある方や、家族親戚に説明する必要のある方は、一度ご覧になる事をおすすめします。


ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない [DVD]

新品価格
¥3,405から
(2012/7/15 22:52時点)



ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない

新品価格
¥1,470から
(2012/7/15 22:56時点)





にほんブログ村 メンタルヘルスブログ うつ病(鬱病)へ
にほんブログ村
にほんブログ村 IT技術ブログへ
にほんブログ村
<< 前へ     >>次へ
×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。