2012年07月31日
足が動かない・・・
このブログを読んでくださっているみなさん、こんにちは。「よそじSE」でございます。
2012年2月になりました。
2/1(水)に「急性気管支炎で2週間の療養」の診断書を出してもらった私は、週末まで札幌の自宅で静養しました。呼吸器専門のドクターが処方してくれた薬が効いてきたのか、日々少しずつ徐々に酷い咳が治まってきました。ちょうどインフルエンザが流行っていた時期でしたので、咳き込んでいる状態で公共交通機関、特に飛行機に乗ると周りから疎まれてしまいます。(飛行機では1.5時間、その場から逃れられませんもんね。)自分の咳がインフルエンザではないのは自分では分かっていますが、他人はそんな事分かりませんので、「あの咳している人インフルエンザじゃないの〜」と思われるのがイヤでした。
※この辺り、うつの症状の一つである「他人の目を気にし過ぎる」という状態でした。今思えば。
結局、2/5(日)まで体調の様子を見て、その日の最終便の飛行機で東京に戻ります。この時、私は喉や咳以外の「症状」をはっきり自覚しました。
私の自宅からは新千歳空港へバスと電車を乗り継いで行きます。
そのバスを降りて駅に向かって歩きだそうとした時でした。その「症状」が出ました。
あれ?
足が重い。
足が前に動かない。
体は前に行こうとしているのに、足が動かないのです。
まるで、足首を誰かに両手でガッチリ押さえつけられているような感覚。
それか、昔の西洋の囚人のように、足に大きな錘を付けられているような感覚。
そんな事、本当にあったら幽霊か何かかと思うのですが、まさに自分の意志ではない何かの力が足に作用しているような状態で、前に進むことを拒んでいるのです。
錘を必死に引きずるような感じで、動かない足に一生懸命力を込めて、顔をしかめながら、電車に乗りました。
羽田空港に降り立ってからも、足には錘がついたままでした。
引きずりながら、なんとか東京の自宅に戻れました。時計はもう24時を回っていました。
「明日こそ会社に行こう。行けなかったら俺は本当にうつ病かもしれない。それだけは認めたくない。」
まだ自分を「うつ」と認めたくない、自分の中の自分が、必死に叫んでいました。
ベッドに入ると、また酷い咳が出てきて、眠れぬ夜を過ごしました。
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2/1(水)に「急性気管支炎で2週間の療養」の診断書を出してもらった私は、週末まで札幌の自宅で静養しました。呼吸器専門のドクターが処方してくれた薬が効いてきたのか、日々少しずつ徐々に酷い咳が治まってきました。ちょうどインフルエンザが流行っていた時期でしたので、咳き込んでいる状態で公共交通機関、特に飛行機に乗ると周りから疎まれてしまいます。(飛行機では1.5時間、その場から逃れられませんもんね。)自分の咳がインフルエンザではないのは自分では分かっていますが、他人はそんな事分かりませんので、「あの咳している人インフルエンザじゃないの〜」と思われるのがイヤでした。
※この辺り、うつの症状の一つである「他人の目を気にし過ぎる」という状態でした。今思えば。
結局、2/5(日)まで体調の様子を見て、その日の最終便の飛行機で東京に戻ります。この時、私は喉や咳以外の「症状」をはっきり自覚しました。
私の自宅からは新千歳空港へバスと電車を乗り継いで行きます。
そのバスを降りて駅に向かって歩きだそうとした時でした。その「症状」が出ました。
あれ?
足が重い。
足が前に動かない。
体は前に行こうとしているのに、足が動かないのです。
まるで、足首を誰かに両手でガッチリ押さえつけられているような感覚。
それか、昔の西洋の囚人のように、足に大きな錘を付けられているような感覚。
そんな事、本当にあったら幽霊か何かかと思うのですが、まさに自分の意志ではない何かの力が足に作用しているような状態で、前に進むことを拒んでいるのです。
錘を必死に引きずるような感じで、動かない足に一生懸命力を込めて、顔をしかめながら、電車に乗りました。
羽田空港に降り立ってからも、足には錘がついたままでした。
引きずりながら、なんとか東京の自宅に戻れました。時計はもう24時を回っていました。
「明日こそ会社に行こう。行けなかったら俺は本当にうつ病かもしれない。それだけは認めたくない。」
まだ自分を「うつ」と認めたくない、自分の中の自分が、必死に叫んでいました。
ベッドに入ると、また酷い咳が出てきて、眠れぬ夜を過ごしました。
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