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SEという仕事 その6

このブログを読んでくださっているみなさん、こんにちは。「よそじSE」でございます。

東京に通院に行ってまして、今日戻って参りました。また間隔があいてしまってスミマセン。
では早速続けます。

2007年9月でした。東京転勤を決心します。子供の教育を考え無闇に転校するのは良くないと思い単身赴任する事にしました。
家族と離れる寂しさはありましたが、それよりも東京の超巨大プロジェクトにチャレンジしたい気持ちが上回っていました。一人暮らしも独身時代にさんざんやっていたのであまり苦ではありませんでした。とにかく、チャレンジしたかったのです。
Jリーグで例えると、J2からJ1に昇格したような気分で、東京の仕事は仕事の規模も大きくそこに集まるメンバもとても優秀な精鋭であり、勉強になる事がたくさんあります。
私は赴任早々、アジア某国に長期出張させてもらい、現地のスタッフを支援する役割を任されました。慣れない国での仕事は戸惑いもありましたがいい経験になりました。

プロジェクトは巨大なだけに組織の中で苦しむことも多く、ストレスもそれなりにありましたが、仲間に恵まれたおかげで辛いながらも楽しくやれてました。プロジェクトが進むにつれて自分の役割もどんどん変わり、要件定義からコードレビュまで色々な事を担当し、それに伴うプロジェクト内調整、問題提起と解決に知恵を絞り続ける毎日が続きます。

この頃の私は、朝10時に出社し、曜日ごとに組み込まれた様々な会議に顔を出し、様々なメンバの作業を後方から支援し、だいたい、22時くらいまで残業するという生活でした。
終電ギリギリの23:30まで残業する事もありましたし、「今日は疲れたな」という時は早めに切り上げて仲間と飲みに行く、という感じでした。自分なりにメリハリ付けて仕事を進めていたように思います。周りに若手が多く、自分のこれまでの経験を活かして様々なアドバイスを送っていました。もともとそのプロジェクトの分野の業務知識があり、テクニカルな部分も自分の経験が活かせる分野だったので、周りから便りにしてもらえる存在だったのです。

そんな毎日を過ごして、転勤時の約束だった3年を過ぎてもプロジェクトに終わりが見えてきません。私には「プロジェクトを途中撤退する」というオプションはありませんでした。必ず最後まで見届けてやる、という気持ちで毎日を過ごしてきました。

そして転勤から丸4年が過ぎ去った2011年の末。

少しずつ、病魔の影が、私の背後に迫っていました。




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