2012年07月22日
SEという仕事 その5
このブログを読んでくださっているみなさん、こんにちは。「よそじSE」でございます。
30歳の時にリーダーとなって担当した販売・在庫管理と会計のシステム開発プロジェクトは、1年6ヶ月かかって仕上げることが出来ました。
最後の6ヶ月はいわゆるデスマーチとなり、かなり危機的な状況に陥りました。毎日午前2:00ぐらいまで仕事してから帰宅し、また朝10時くらいには出社するという生活が続いていました。完徹も何度かありました。
しかし、体力的にはシンドい部分もありましたが仲間の支えもあって、不思議と辛いと思った事は割りと少なかったように思います。いま思えば、まだ若さという馬力があったんでしょうね。
なんとか納期通りにシステムを納め、お客様のご好意で打ち上げパーティーにご招待頂いた際に、普段から懇意にしていただいていたお客様の役員の方に
「おい、やればできるんだなぁ。よく頑張った!」
とお酒を飲みながらお褒めの言葉を頂いた時は、本当に良かったという事と、自分が確実に成長できたという事が実感できた瞬間でした。どんな形であれ、最後には
「(収めたシステムに対して)お客様に感謝していただける」
というのは、SEとしての最高の喜びであり、成長の証であります。
さてそのデスマーチプロジェクトが一段落した後も、私は小さいプロジェクトをいくつか経験します。北海道内のお客様だったり、東京本社の仕事を手伝ったり、大阪支社の仕事を手伝ったりと、Java/Oracleを中心としたシステム構築技術と、そこそこレベルアップしてきた業務知識を武器にあちこちから社内オファーを頂いてはこなしていく、とういう日々を5年ほど過ごしました。SEというとあまり外に出歩かないイメージがあるかと思いますが、私はその対極でした。
日本中、あちこち仕事に出向いて行く事は、もともと旅好きで飛行機乗るのが大好きな私には楽しくてしょうがない事でした。
そんな事を続けて37歳を迎えた頃、東京に出張した際にたまたま機会がありお酒をご一緒させていただいた上司の上司に当たる方から、これまでと比べ物にならない巨大プロジェクトのオファーが舞い込みます。
「東京で超大型プロジェクトを立ち上げるから、参加せよ。期間は3年くらい。」
「マジっすか?転勤しなくちゃならないじゃないですか。」
すでに結婚もし幼い子供がいた自分にとって転勤となると一大事です。
ただ、私はどうしてもその仕事がしたかった。今までのキャリアから考えてもこれほどの超巨大プロジェクトに参加できるチャンスは滅多にない。しかも自分のキャリアを大いに活かせる分野であり、個人的に大好きな分野だったのです。(詳細はちょっと言えないので伏せさせて頂きます。)
私は一晩考えて、やっぱりチャレンジすることを選びました。
しかも、家族に対する迷惑を最小限に留めるため、単身赴任を選びます。
こうして、初めての単身赴任生活と共に、その超巨大プロジェクトにのめり込んでいくのです。
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30歳の時にリーダーとなって担当した販売・在庫管理と会計のシステム開発プロジェクトは、1年6ヶ月かかって仕上げることが出来ました。
最後の6ヶ月はいわゆるデスマーチとなり、かなり危機的な状況に陥りました。毎日午前2:00ぐらいまで仕事してから帰宅し、また朝10時くらいには出社するという生活が続いていました。完徹も何度かありました。
しかし、体力的にはシンドい部分もありましたが仲間の支えもあって、不思議と辛いと思った事は割りと少なかったように思います。いま思えば、まだ若さという馬力があったんでしょうね。
なんとか納期通りにシステムを納め、お客様のご好意で打ち上げパーティーにご招待頂いた際に、普段から懇意にしていただいていたお客様の役員の方に
「おい、やればできるんだなぁ。よく頑張った!」
とお酒を飲みながらお褒めの言葉を頂いた時は、本当に良かったという事と、自分が確実に成長できたという事が実感できた瞬間でした。どんな形であれ、最後には
「(収めたシステムに対して)お客様に感謝していただける」
というのは、SEとしての最高の喜びであり、成長の証であります。
さてそのデスマーチプロジェクトが一段落した後も、私は小さいプロジェクトをいくつか経験します。北海道内のお客様だったり、東京本社の仕事を手伝ったり、大阪支社の仕事を手伝ったりと、Java/Oracleを中心としたシステム構築技術と、そこそこレベルアップしてきた業務知識を武器にあちこちから社内オファーを頂いてはこなしていく、とういう日々を5年ほど過ごしました。SEというとあまり外に出歩かないイメージがあるかと思いますが、私はその対極でした。
日本中、あちこち仕事に出向いて行く事は、もともと旅好きで飛行機乗るのが大好きな私には楽しくてしょうがない事でした。
そんな事を続けて37歳を迎えた頃、東京に出張した際にたまたま機会がありお酒をご一緒させていただいた上司の上司に当たる方から、これまでと比べ物にならない巨大プロジェクトのオファーが舞い込みます。
「東京で超大型プロジェクトを立ち上げるから、参加せよ。期間は3年くらい。」
「マジっすか?転勤しなくちゃならないじゃないですか。」
すでに結婚もし幼い子供がいた自分にとって転勤となると一大事です。
ただ、私はどうしてもその仕事がしたかった。今までのキャリアから考えてもこれほどの超巨大プロジェクトに参加できるチャンスは滅多にない。しかも自分のキャリアを大いに活かせる分野であり、個人的に大好きな分野だったのです。(詳細はちょっと言えないので伏せさせて頂きます。)
私は一晩考えて、やっぱりチャレンジすることを選びました。
しかも、家族に対する迷惑を最小限に留めるため、単身赴任を選びます。
こうして、初めての単身赴任生活と共に、その超巨大プロジェクトにのめり込んでいくのです。
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