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いよいよ診察 その2

このブログを読んでくださっているみなさん、こんにちは。「よそじSE」でございます。ロンドン・オリンピックも閉幕し寝不足な皆さんはやっと普通の生活に戻れると安堵されていることと思います。私は病気のこともあり最近は早寝早起きを実践しているため、ほとんどオリンピックを見ずに過ごしました。世間から乗り遅れまくりです。

では、初めて心療内科を訪れた時の話を続けましょう。

「心理検査って何だろう?」と思っていると、差し出されたのはテスト問題集とマークシートのワンセット。こんなものを目にするのは学生以来だなと思ってよく見ると、どうやら心理状態に関する質問に対し、「あてはまる」、「あてはまらない」、「どちらでもない」を答え、マークシートに記入するというものでした。
※後でネットで調べるとMMPI診断(ミネソタ多面人格目録)というものでした。

ざっと問題数を見ると軽く300問はありました。「こんなにやるの?」と軽く目眩がしました。「ゆっくりでいいから、やってみましょう。」と言われ、仕方なく鉛筆でマークシートを埋め始めました。

このMMPI診断の質問内容、細かくは忘れましたが、かなりディープで、ただでさえ「うつ」な状態の私を更に深みに陥れるようなものでした。例えば、
・誰もいない部屋の中で幻聴が聞こえることがある
・誰かが自分を殺しに来るのではないかと不安でたまらない
・人が何かしゃべっていると、自分の悪口を言われているように感じる
などなど、めちゃくちゃ暗いのです。これには参りました。読んでるだけでうつな気分が加速されます。

休み休み、時々ため息をつきながら鉛筆を進めていると、30分くらい経って先生が見かねたのか、「このラインまでで、終わりにしましょう。」と言いました。「このライン」とはマークシートの途中にラインが引かれており、そこに「簡易版はここまで」という記載がありました。問題全部やるのは辛そうなので、簡易版で許してあげようという先生の心遣いだったのかもしれません。休み休み、なんとかそのラインまで終わらせる事が出来ました。

次に先生から処方される薬についての注意点を言われました。
処方された薬はリフレックス錠15mgでした。
・毎日夜寝る前に飲むこと
・最初一日0.5錠から初めて、徐々に量を増やしていって最終的には一日3錠まで増やし、回復が見られたらまた徐々に減らしていくこと
・薬を飲んでいる間は禁酒すること
・絶対に昼寝をしないこと
などを言われ、私はただ、ハイ、ハイ、と答えていました。MMPI診断のおかげで疲れきっていました。他にも色々言われたような気がしますが、もう私の頭には入りませんでした。

「診断書、いるでしょ?次来た時に(診断書)出しておくから。」
と言われ、私は初診を終えたのです。

薬局で薬を受け取り、帰宅しました。私はもう疲れきっていました。

持ち帰ってきた領収書などの紙に混じって、薬についての注意点が書かれた紙を頂きました。そこには更に、
・コーヒーなどのカフェインを含む飲み物は脳を刺激するので出来るだけ避けること
・副作用として口が乾く、ボーっとする、頭痛がするなどがあるので、気をつけること
などが書かれていました。

「あー酒飲めないのかー。参ったなー。」
私は酒は強い方ではありませんが寝酒にウィスキーをロックでそこそこ嗜む程度の晩酌はしてました。が、精神系の薬と酒の組み合わせは本能的にヤバイと感じ、酒はもう飲まないようにしようと思いました。
(昔、ちょっとしたブームになった「完全自殺マニュアル」という本で、睡眠薬自殺の際、睡眠薬の効果を高めるためにアルコールと同時服用する、というのを読んだことがあったので、どんな事になるのか恐ろしかったのです。)

MMPI診断の結果が出るまでの3日間、私の闘病生活が始まりました。

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いよいよ診察

このブログを読んでくださっているみなさん、こんにちは。「よそじSE」でございます。ちょっと身内の葬儀がありまして急遽札幌に帰ってドタバタしておりブログ更新できませんでした。楽しみにして下さっている方々、どうもすみませんでした。帰省ついでに観戦に行ったコンサドーレ札幌−ベガルタ仙台戦で劇的な逆転勝利を目の当たりにし、私は至って元気ですのでご安心下さいませ。

では、続けましょう。


いよいよ心療内科を受診する日がやってきます。なにせ初めての事ですので朝から緊張しまくっており吐き気が止まりません。咳も相変わらず酷い状態でした。正直、病院に行くどころか外出もできそうになく、やっぱり行くのやめようかと思ったくらいでした。
が、なんとか体を奮い立たせ、身支度をして出掛けたのです。
その心療内科は、単身赴任先の自宅から徒歩7,8分のところにあります。駅から流れてくる人混みをかき分けるように、ゆっくりと歩を進めていきます。

「あぁ、みんな普通に元気に生活しているなぁ・・・。俺はこれから心療内科に行くんだ。」と言いようのない焦燥感に襲われます。

その病院は駅からほど近い雑居ビルの中にありました。私は予約した時間の10分前にそのビルに到着してしまいました。あまり早く病院に入ってもなぁ、他の患者さんと鉢合わせるかもしれないし・・・と、やることもなくただそのビルの前に突っ立って、時間が過ぎるのを待ちました。

予約していた時間が来て、私は意を決して病院に入りました。

私はそれまで、心療内科って何となくプライバシーが保護されるような、パーティションで区切られたような待合室をイメージしていたのですが、入ってみた待合室は普通の病院と変わりがなく、受付を中心に半円状にソファーが置いてある、まったくオープンな場所でした。内科と何も変わりがありません。ただ、内科特有の薬臭さがまったくなく、あまりにも病院らしくない普通の空気が流れていました。他の患者さんが2,3人順番を待っていました。みんなどんな病気なんだろう?みんなもしかしてうつなのかな?でも見た目みんな普通そうだなぁと思いました。

受付で問診票を書くように言われ、記入しました。何を書いたのか覚えていません。
ただ、書いていると物凄く酷い咳が出てきました。あまりに酷かったため、インフルエンザかと思われたのか受付の女性から「これ、付けて下さい。」マスクを渡されてしまいました。
※私は、先週までかかっていた内科で原因が分からないと言われていたので病原性ではないと判断しマスクをしないで行動していたのですが大失敗でした。
これ以降、私はマスクを買い込み、咳が完全に治まるまで心療内科を訪れるたびに必ずマスクをして行くようになりました。


しばらく待合室で待っていると診察室に通されました。最初は20代に見える若い先生でした。
私は咳が酷いこと、朝起きるといつも具合が悪いこと、足が動かないこと、会社に行くのが困難になっていることなどの症状を、ひとつずつ、ゆっくりと話しました。すると、

「分かりました。では、院長先生に伝えますので、少し待っていて下さい。」

と言われました。程なくして隣の診察室に入ると、院長先生が待っていました。

院長先生は、
「聞いた症状によると、多分うつ病だと思うんだよね。ただ咳が出るっていうのはなんだろうな?うつが原因で咳が出て治療とともに治ったという事例もない事もないけど、すごく稀なんだよね。当クリニックでは分からないかも。」と言われました。

「なんだよ、内科でも原因不明で心療内科でも原因不明じゃどうすりゃいいんだよ。」
と思いましたが、とにかく呼吸器の重篤な病気ではないというのは分かっていましたので、もう咳のことはどうでもいいや、とにかく心の病を治そう、と考えていました。

すると先生は小冊子を使ってうつ病の説明を私にし始めました。

・うつ病は6人に1人の割合で発生する、ありふれた病気であること
・脳の中のシナプスから放出されるセロトニンやノルアドレナリンが減少しているのが原因であること
・薬を飲んでいれば必ず治る病気であること
・治すには、とにかくゆっくり休むこと

などを、早口で説明し、「ウチ(のクリニック)では、最先端の米国治療をやっているので、他の心療内科よりいいと思うよ。」と半分自慢気な事を聞かされました。正直、そんな話はどうでもいいよ、何様のつもりよ?俺はこの苦しみから早く脱出したいんだ、なんとかしてくれよ。

と、半分憤りながら説明を聞いて、
「あぁ、この先生は、この説明を何度もやってるんだろうな。早口で面倒くさそうに話しているもんなぁ。」と感じました。
そして、「とにかくゆっくり休むこと」と書かれたページに描かれていた、女性がゆったりと横たわって眠っているような絵を見ながら、「ゆっくり休むってどうやって休むんだろう?」と考えていました。

院長先生は「一応、心理検査しましょう。検査結果は3日後に出るので、3日後にまた来て」と言われました。院長先生の診察は、ものの5分で終了しました。

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原因が分からない・・・

このブログを読んでくださっているみなさん、こんにちは。「よそじSE」でございます。昨日は友人と食事をしてきたのでブログ更新できませんでした。楽しみにしてた方ごめんなさい。なるべく毎日更新できるように頑張りますので、どうぞ気長にお付き合い下さい。

では続けましょう。


「・・・自分は、どうして、うつになったんだろう・・・?」

「原因」という、病気に対する一番根本的な疑問が湧き上がりました。


私は自問自答を繰り返しました。いくつか仮説を立てて、それぞれ考えてみました。

(仮説1)残業、休日出勤等で長時間労働していたから
システムエンジニアという仕事の性質上、長時間労働はある程度あります。
このブログの「SEという仕事」の中でも触れた通り、私は20代、30代の頃は長時間労働は幾度となくやってきました。
しかし、40代を迎えた頃から、時々無茶な仕事をすれば、どこか代わりに手を抜く、
つまり長時間労働明けは意図的に(例え半日でも)休みを取るようにしないと体力的にもたないと本能的に分かっていましたので、ちょくちょく休みを取るようにしていました。ですので、週平均や月平均で残業時間を見ると、さほど多く残業していたとは言えない状態でした。この仮説は「No」でした。

(仮説2)会社の人間関係に疲れていた
上司・部下・同僚などの関係に悩み、心を病んでしまうケースはよく見聞きします。
「自分は人間関係に悩んでいただろうか?」と考えてみると、上司は20年来の気心の知れた間柄でしたし、同僚も多様な人々で様々な関係はありましたが、「誰それがイヤ」というような感情はまったくなく、原因が思い当たりませんでした。むしろ、自分は人当たりのよい方とされ、人当たりが良いと周りの人からも良くしていただける事が多かったように思います。ですのでこの仮説も「No」でした。

(仮説3)大きな山場を越えた後にがっくりと力が抜ける、いわゆる「燃え尽き症候群」だった。
これも「No」です。私の参加しているプロジェクトはまだ進行中であり、残り1年弱を残していました。まだ山場を越えたとは言えない時期でした。燃え尽きている場合ではなかったのです。

(仮説4)単身赴任の生活に疲れていた
これも「No」です。私は単身赴任をもう4年以上続けており、症状が出始めたのはごく最近でした。家族と離れる寂しさは当然あるものの、逆に(こんな事を言うと妻には大変申し訳無い気になりますが)一人の気楽さというものも正直あります。
また、寂しさはほぼ毎週末札幌に帰り家族とのコミュニケーションを取る事で埋めていました。
「毎週東京と札幌を往復する移動に疲れたんじゃないの?」という声も聞こえてきそうですが、私、もともと飛行機が大好きなので慣れていましたし、むしろ楽しんでました。
私はJALやANAの多頻度利用旅客に与えられる高待遇、いわゆる「エリート会員」になるのが楽しくてしょうがない、そういう性分だったのです。

このように、二日間、いくら自問自答しても原因らしいものを私は見つけることができませんでした。


そんな時、今の上司とは違う、かつての古い上司だった方から連絡を頂きました。私のただならぬ状況を聞きつけ、食事に誘ってくれたのです。わざわざ、私の単身赴任先の自宅近くまで来ていただき、ご馳走してくれました。(あいにく体調が悪かった私は大して食べられませんでしたが。)
久しぶりに会うかつての上司とテーブルを囲み「原因は何なの?」と聞かれ、私は困ってしまいました。

「分からないんです・・・自分ではまったく、思いつきません・・・。」
と私が言うと、意外な反応が返ってきました。

「そうなんだよなぁ、そういう(心の病を負った)奴って、みんな原因分からないって言うんだよなぁ〜。」
とおっしゃったのです。

私は、それまで原因が分からず悩んでいたのが、少しバカバカしい気持ちになりました。「そうか、みんな原因ってなかなか分からないものなんだな、じゃあいいや別に原因で悩む必要なんてないや。」と少し気持ちが軽くなりました。

そしていよいよ、精神科の門をくぐる日がやって来ます。

※結果から言うと、私の場合は、原因は後で自然と分かるようになりました。(それはまだ明かしません。)もし今、病気かな?と思われている方、療養中の方で「原因が分からない」という方がいらっしゃいましたら、

「原因を探すことに躍起になってもすぐには見つからない。いつか自然に分かるようになる。それが、必ず復調のキッカケになる。」

という言葉を贈りたいと思います。


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受診前に症状を整理する

このブログを読んでくださっているみなさん、こんにちは。「よそじSE」でございます。昨日はロンドンオリンピック、サッカーU23日本代表やりましたね!ベスト4入りおめでとうございます。あと2つ、なんだか行けそうな気がしています。
我が愛しのコンサドーレ札幌は、0-4の乾杯でした。あぁ鬱だ。(笑)


では、続けましょう。

初めての精神科を受診するまでの二日間、私は自分の症状を考え始めました。

・強い咳が出る。(内科で原因不明と言われたまま治っていない。)
・朝、起きると(吐き気、頭痛など)具合が悪くて会社に行けない。
・歩こうとすると(まるで錘が付いているように)足が前に出ない。
・会社に行こうとする、あるいは会社が近づいてくると激しい動悸がある。

などが、すぐに思いつきました。


その後、よくよく考えてみると、もっと色々と思い当たる点がありました。

・吐き気があり朝食が食べられない。月曜日は特に昼食すらも食べられない。
もともと、私は普段朝食を食べる習慣がなかったです。朝食べようとすると吐き気がすので食べなければ吐く物がないので大丈夫だろうというのがずっと続いていました。更に月曜日は昼食も食べられない。なぜか月曜日(要するに休み明けの日)は、必ず具合が悪いというのは20代後半からありました。

・仕事上、生活が不規則である。例えば夕食を食べる時間は早くて20時、遅い時は24時とか。
システムエンジニアという仕事の性質上、どうしても仕事量のメリハリが大きいので、早く帰れる日と残業で遅くなった日とで夕食を食べる時間がマチマチでした。
また、寝る時間も早くて24時、遅い時は午前2時か3時ですし、起きる時間は7時から9時の間ぐらいで滅茶苦茶な生活をしていました。しかも、朝昼食べてない分、つい多めに食べてしまう。

・夜、寝入りばな30分ぐらいで目が覚めてしまって、眠れなくなる時がある。
これもかなり以前からあったのですが、寝付いたなと思ったらすぐ目が覚める。時計を見るとベッドに入って30分くらいしか眠ってないのですが、なぜか脳がすっきりしてしまってそのまま眠れなくなる。ちょうど、昼寝をした後すっきり仕事が出来るような感覚と同じ状態が夜に現れるのです。眠れなくとしょうがないのでいっそ起きてDVDなどを見ながらひたすら眠たくなるのを待つ。結局眠れたのは朝方5時とかだったりしました。

・スリープ・オン・セット・レム、いわゆる「金縛り」の状態に時々なる。
眠りには「レム睡眠」と「ノンレム睡眠」の2種類があり、寝入りばなは「ノンレム睡眠」つまり「脳は寝ているが体内はまだ起きている状態」であるのが通常です。
スリープ・オン・セット・レムは、この逆で「レム睡眠」が寝入りばなに現れる、つまり「脳は起きているが体内が寝ている状態」となります。
こうなると、脳は夢を見ていて体を動かそうとしますが、体が(寝ているため)動かない、つまり「金縛り」という現象になります。
私はこの状態を寝ながらに認識していて、「あぁ、またスリープ・オン・セット・レムになってる。体動かないんだよなぁ〜これ。」と冷静に考えていました。
ベットに入る時間が午前2時、3時など遅くなればなるほど、この状態になる確率が高かったように思います。

・一晩、ぐっすり眠れた事がほとんどない。必ず1,2回夜中、朝方に目が覚める。(トイレに行きたい訳ではない。)
朝必ず目覚ましをかけているのですが、目覚ましが鳴る前に必ず目が覚める。で、時計を見て「まだ寝られるじゃん」ともう一回寝る。そして目覚ましが鳴ると眠たくて起きてられず、目覚ましを止めてもう一回寝る。それで普通に目覚めてやっと起き上がれるという事がほぼ毎日続いていました。


こんな事を考えているうちに、ふと、疑問に思ったのです。
それは最も大切な事でした。

「・・・自分は、どうして、うつになったんだろう・・・?」

そうです。うつの症状はいくつも思いつくのに、「原因」が分からなかったのです。

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病院決定

このブログを読んでくださっているみなさん、こんにちは。「よそじSE」でございます。今日の夜はロンドンオリンピックのサッカー日本−エジプトと、J1リーグの試合がありますので早めの更新です。しかしなんで時間かぶってるんですかね。しょうがないんでテレビとスカパー!オンデマンドを駆使して両方同時に見てやります。(笑)
そんな訳で今日は早めの時間に更新です。

さて、続けましょう。


東京の病院をインターネットで探し始めました。
2/11(土)、2/12(日)と二日間病院選びで悩み、2/13(月)を待ちました。
アタマで日曜日は精神科と言えども病院は「休み」と決めつけてしまっていて、月曜日を待ったのです。(後で考えれば日曜日に診療しているクリニックは結構多いので、無駄な時間でした。)
通う手間暇を考えると単身赴任先の自宅から近い方がいいだろうと、最寄り駅の近くに徒歩7,8分で行けそうな病院を見つけました。ウェブサイトが比較的綺麗だったので、ここでいいやと予約の電話を入れてみます。どこの病院も一杯らしいという事を聞いていたので、予約が取れたとしても多分2,3週間先だろうと覚悟して携帯電話のボタンをプッシュしました。

「はい!○○クリニックです。」

「あの・・・初診で・・・予約を取りたいんですけど・・・。」

「はい、少しお待ちください・・・えーっと、今だと、2/15(水)の○時なら取れますが?」

へ?あ、あぁ・・・じゃあ、その日で・・・お願いします。(滝汗)」


あっさり二日後の予約が取れてしまいました。

あまりにもあっけなく、これで病院決定。

会社に予約が取れた事を報告し、私は少し肩の荷が下りたような気がしました。
とりあえず、会社は理由をいちいち言わなくても、休める。
今の体の調子とか、今日は会社に行けるとか行けないとか、報告しなくていい。
まずは病院に行くこと。

少し、ホッとしました。


次に頭の中を駆け巡ったのは、病院で何を聞かれるのか、どう言わなくてはいけないか。初めて行く精神科の病院では、どんな診察、治療を待っているのか。

不安だらけです。

まずは、自分の今の状態を整理しよう、と考え始めました。
初診までの二日間、自問自答が始まります。

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そもそもの大問題

このブログを読んでくださっているみなさん、こんにちは。「よそじSE」でございます。
ロンドンオリンピックで盛り上がっている昨今ですが、このブログには無関係なのでどんどん行きます。

短時間出勤の果てに私はいよいよ精神科を受診する決心を付けましたが、そこで私には「大問題」がありました。

それは、病院選びです。

私に選択肢は2つありました。

(案1)本来の自宅である札幌市内の病院を選ぶ
(案2)単身赴任先である東京都内の病院を選ぶ


仕事を休職する事を前提に考えれば、(案1)の普段の生活として自宅のある札幌に戻り、家族のもとで過ごす方が良いに決まっています。食事や掃除・洗濯などは妻がやってくれますから。
ただ、同じ病気になった先輩や上司の話などを総合すると、たとえ仕事に復帰したとしても通院は暫くの間は続く、というように聞いていましたので、仕事の復帰を前提に考えると、(案2)の東京の病院を選んだほうが仕事との両立がしやすいと思われます。
しかし、休職中に東京の病院を選ぶということは、普段は札幌で生活し、通院のタイミングでその都度東京に通うという事になります。往復航空機の経済的負担もさることながら、移動にかかる肉体的・精神的な負担も重い事が想定されます。

休職中は(案1)とし、仕事に復帰したら(案2)に転院する、という折衷案も考えられます。

この「大問題」に、私は一晩苦悩しました。

結局、誰にも相談せず、私は(案2)を選びました。
理由は以下の通り列挙してみます。

(案2)を採用した理由

@実は私、体が不調になる前にもずーっとほぼ毎週末札幌に帰っており、毎週の航空機移動は別に苦にしていなかったこと。

(東京から札幌までドアtoドアで約4.5時間であり、どういうリズムで肉体的・精神的負担を軽くするかの方法論を自身で確立していました。)

Aこれまでもほぼ毎週帰省していた実績から考えて、航空機代等の交通費の費用負担は耐えられる(自身の収入に対する)支出枠を確保できていたこと。

(毎週、東京−札幌を往復している、と他人に言うと、必ず「大変だねぇ〜大丈夫なの?」と心配されましたが、私の感覚では、支出枠をキチンと確保していたので全然大変ではありませんでした。また、どの航空会社・航空便を選ぶのかが最も安いのかというノウハウは、元々の飛行機好きが幸いして、我ながらかなり高いと思います。もちろんマイレージプログラムも活用して、です。普通の人の感覚だと毎週往復するのは月数十万円かかってるんじゃないの?という感じのようですが、私はどんなに高くても月十万円は絶対に超えない程度です。)

B途中転院というのは、どんな病気であれリスクがあるということ。

(特に精神科は先生によって治療方針や判断基準にバラつきが大きそうだ、というのは肌感覚で感じていました。
現在、うつに関する本が大量に、しかも色んな角度から照らした内容で毎月多く出版されている事がそれを物語っています。そのリスクは回避すべきと考えました。)


C札幌の病院を選ぶという事は、自分から仕事を完全に遠ざけるという事を意味するということ。

(うつ病の治療過程では「仕事を完全に遠ざける」事が必要というは何となく理解していましたが、私はそこまで開き直れませんでした。とっとと治してとっとと復帰する、という状態に自分を置いておきたかったのです。)

東京であれ、札幌であれ、現在精神科の病院は患者で満タンというのはマスコミ報道等で分かっていましたので、とりあえず東京で探して、もし見つからなかったら札幌で探してみればいいやという気持ちで、(案2)を選んだのです。

東京の病院を探すと言っても、病院はゴマンとあります。とりあえず最寄りの病院をインターネットで探し始めました。


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短時間の出勤

このブログを読んでくださっているみなさん、こんにちは。「よそじSE」でございます。
どんどん続けます。


2/7(火)朝になりました。
8:00頃ベットから起き上がり、椅子に座ると、もうそこから動けません。
立ち上がろうとすると、動悸が激しくなります。

そこから、何をしていたのか、あまり覚えていません。
多分、ただひたすら、ボーっとしていたのだと思います。
会社にちょっとだけでもいいから行かないと、と思っても体が動きません。

15:00になり意を決して会社に行く事にしました。
家を出て歩き出すと、また足が前に出ない、まるで足に錘がついているような上体でした。
なんとか気力を振り絞って電車に乗り、会社の最寄り駅まで着いて歩き出すと、更に足の錘が重たくなりました。一歩一歩が、ものすごい重く、ゆっくりとしか歩けません。
それでもなんとか会社に16:00頃到着し、2週間ぶりに自分の席に座ると、私はゼーゼーと喘いでいまた。まるで短距離走で全力疾走した後のようです。

とりあえず自分のPCを立ち上げ、溜まっていたメールを読み込みます。
ロクに仕事は出来ませんでした。ただただ、溜まっている未読メールを眺めることだけ。
キーボードの上に両手を上げていることすら、シンドいと感じていました。
1つ2つ、最重要なメールだけ返信を返し、後はボーっとしていたと思います。

17:30になり、私は帰宅することにしました。出勤時間はたったの1時間半。
重たい足を引きずって自宅になんとか辿り着きました。

次の日も、その次の日も、同じように1,2時間だけ出勤する事を続けました。

ある日、何も出来ずボーっと席に座っていると、同僚がある案件で困っているのが聞こえてきました。
私はその答えの在り処を知っていました。

「〇〇の資料を調べたら答えが分かるはずだ。あのフォルダに資料が入っているはず・・・。」
頭の中では、同僚を助けてあげたい気持ちで一杯なのですが、右手がまったく動きません。右手はマウスを握る事を拒むように、だらりと肩から垂れ下がっているだけでした。

「調べてあげたいけど・・・助けてあげたいけど・・・ごめん。無理だ。本当にごめん。」
私は心のなかで、そっと同僚に謝りました。


2/10(金)になりました。
私はまた夕方1時間だけ出社しました。
席に座っても、力が出てこない。腕すら上がらない。なんとか体に力を入れようと全身を強ばらせようとすると、顔がしかめっ面になります。それでも、力が入りませんでした。
それを見ていた私の上司は、業後に会議室に来るように促しました。

会議室に入ると、上司は、
「お前、やっぱりメンタルの病気だと思うよ。今週出来る範囲で出勤してもらったけど、やっぱり辛そうだよ。ちゃんと専門の先生に診てもらった方がいいよ。こんな事になったのは(上司の)マネジメントの責任だよ。すまん。とにかく仕事より体のほうが大事だ。体のほうを大事にしないと。」
と諭してくれました。

私は話を聞きながら、会議室で号泣してしまいました。
会社で、仕事で泣いたことなんて、これまで一回もありません。
最後に泣いたのはいつだったか思い出せないくらい、久しぶりの事です。
自分でもびっくりするぐらい、涙が溢れて止まりません。
泣きながら、私はひたすら謝りました。

「こんな事になってすいません。マネジメントの責任だなんて思ってません。自分のどこか弱いところがあったんだと思います・・・。」

謝りながら、これでどこか気持ちが吹っ切れていきました。もう精神科を受診するしかないんだと。

自分の意志で初めて精神科を受診する事って、かなりハードルが高い事だと思います。
少なくとも私は、自分の意志では決められませんでした。
もし自分で、うつかな?と思ったら、それを言ってもらえるような間柄の方に「病院行ったほうがいいかな?」と相談すると良いと思います。会社の上司でもいいですし、同僚でも家族でもいいと思います。私の場合、単身赴任していたので家族はあまり気付いてなかったのだろうと思います。妻は何も言いませんでした。幸いなことに上司がメンタルヘルスについて知識を持っていたので、上司が背中を押してくれたのです。本当に背中を押してくれた上司に感謝しています。


「やっぱり俺、病気なんだ。認めたくなかったけど、やっぱりうつなんだ・・・。」

と深く深く理解し、明日、精神科の病院を探そうと決心をつけました。


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緊急の上司面談

このブログを読んでくださっているみなさん、こんにちは。「よそじSE」でございます。

およそ半年前の出来事を追っかける内容になっているこのブログですが、始める前に「できるだけ明るく書こう!」と決めてあったものの、どうしても発症期の辺りはダークな文体になってしまいますね。でもしょうがないです。どうかご容赦下さいませ。


2/6(月)の朝になりました。
久しぶりの東京の自宅のベットで眠ったのか眠ってないのかよく分からない体で起き上がると、軽い頭痛と胃のあたりがムカムカする状態で、ロクに動けません。心臓の鼓動がバクバクしてます。(これが「動悸」というやつかと後になって気付きました。)
咳も酷い状態から脱しつつあるものの、まだありました。

これはやっぱり会社に行けそうにないと自分で判断し「まだ具合が悪いのでとりあえず様子を見させて欲しい」という旨を会社に連絡しました。

食事もロクに取らず、かと言ってベットに寝ている訳でもなく、ひたすら椅子に座ってボーっとしているという状態です。

動こうとしても、動けない、動きたくない。

すると、その日の夕方、心配した上司二人が自宅近くまで会いに来てくれました。
結局、この日も会社には行けませんでした。

自宅近くのファミレスで上司から「着いたよ。早くおいで」というメールをもらった瞬間、早く行かなきゃという焦りなのかプレッシャーなのか分かりませんが、台所で思いっきり胃の中のものをリバースしてしまいました。

「やっぱり俺、なんかおかしい。絶対普通じゃない。

やはり精神的な病気かもしれないな、と自分中で少しずつ認め始めまてきました。

ファミレスで向かい合った上司は、私が差し出した「急性気管支炎で2週間自宅療養」という診断書を受け取り、私のことを大変心配していただきました。
単身赴任だから色々大変だろうとか、仕事の面で今どんな変化(私にとってそれは仕事面でとても好意的な変化でした。)を付けようとしているか、色々気遣っていただき、

「とりあえず明日から、
 (出勤が)何時でもいいから、
 どんなに短い時間でもいいから、
 たとえ1時間でもいいから、
 会社においで。」

と、言ってくださりました。本当、ありがたいことです。


この時私は、はっきり「まだメンタル(に問題がある)とは認めたくない。だから頑張ります。」と上司に向かって強がっていました。上司から見れば、多分その時の私は「うつ」なんだろうなと感じていたと思います。ただその状態がどれくらい悪いのかは見当がつかない、という感じだったろうと思います。

小一時間話をして、
「(単身赴任で大変だろうけど)飯だけはちゃんと食えよ。じゃあ明日会社で(会おう)。」
という言葉をかけていただき、その上司面談は終わりました。

明日こそ、ちょっとでもいいから会社に行ってみよう、と決め、その日が終わりました。




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足が動かない・・・

このブログを読んでくださっているみなさん、こんにちは。「よそじSE」でございます。

2012年2月になりました。
2/1(水)に「急性気管支炎で2週間の療養」の診断書を出してもらった私は、週末まで札幌の自宅で静養しました。呼吸器専門のドクターが処方してくれた薬が効いてきたのか、日々少しずつ徐々に酷い咳が治まってきました。ちょうどインフルエンザが流行っていた時期でしたので、咳き込んでいる状態で公共交通機関、特に飛行機に乗ると周りから疎まれてしまいます。(飛行機では1.5時間、その場から逃れられませんもんね。)自分の咳がインフルエンザではないのは自分では分かっていますが、他人はそんな事分かりませんので、「あの咳している人インフルエンザじゃないの〜」と思われるのがイヤでした。

※この辺り、うつの症状の一つである「他人の目を気にし過ぎる」という状態でした。今思えば。

結局、2/5(日)まで体調の様子を見て、その日の最終便の飛行機で東京に戻ります。この時、私は喉や咳以外の「症状」をはっきり自覚しました。

私の自宅からは新千歳空港へバスと電車を乗り継いで行きます。
そのバスを降りて駅に向かって歩きだそうとした時でした。その「症状」が出ました。

あれ?
足が重い。
足が前に動かない。

体は前に行こうとしているのに、足が動かないのです。
まるで、足首を誰かに両手でガッチリ押さえつけられているような感覚。
それか、昔の西洋の囚人のように、足に大きな錘を付けられているような感覚。

そんな事、本当にあったら幽霊か何かかと思うのですが、まさに自分の意志ではない何かの力が足に作用しているような状態で、前に進むことを拒んでいるのです。

錘を必死に引きずるような感じで、動かない足に一生懸命力を込めて、顔をしかめながら、電車に乗りました。

羽田空港に降り立ってからも、足には錘がついたままでした。
引きずりながら、なんとか東京の自宅に戻れました。時計はもう24時を回っていました。

「明日こそ会社に行こう。行けなかったら俺は本当にうつ病かもしれない。それだけは認めたくない。」

まだ自分を「うつ」と認めたくない、自分の中の自分が、必死に叫んでいました。

ベッドに入ると、また酷い咳が出てきて、眠れぬ夜を過ごしました。




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診断は「原因不明」

このブログを読んでくださっているみなさん、こんにちは。「よそじSE」でございます。

2012年1月末でした。
東京の内科で処方してもらった薬を飲んで、土日は札幌の自宅で過ごしました。
土日に家族のもとで安静にしていれば少しよくなるかもしれない、と考えていたのですが、喉の腫れは一向に収まる気配もなく、更に酷い咳までが出るようになりました。
これが生半可な咳じゃない、普通の風邪なら「ゴホッゴホッ」ぐらいだとすると、
「ヴグェェッッツフォォ」ぐらいな感じです。肺の奥底からすべての空気をいっぺんに吐き出すような、とても酷い咳でした。

咳って、すごく体力使うんですよね。
そんな感じで体がボロボロ。(心もボロボロ)

普通なら日曜の夜には飛行機に乗って東京に戻るのが私の帰省パターンだったのですが、これは翌月曜日も仕事にならんと諦め、そのまま札幌に残る旨の連絡を会社に入れ、翌月曜日に札幌の総合病院を訪ねました。

札幌の内科の先生は、問診しても原因が分からなかったようです。
東京の内科で処方された薬の内容を見て、強い抗生物質と違うタイプの咳止めに変えてくれました。そして、その病院に呼吸器専門のドクターがいること、その先生は明後日の水曜日に病院に来る、という事を教えてもらいました。

少なくとも、月から水曜日まで札幌に足止めです。当然、仕事は出来ません。
肺炎か何か、もしや肺がん?とか重篤な病気かもしれない・・・と不安が襲って来ました。
※私、喫煙者なので肺がんのリスクは覚悟してはいましたが・・・。


水曜日が来ました。私は再び札幌の総合病院に呼吸器専門のドクターを訪ねました。
症状はまったく収まっていません。

聴診器を当てて、レントゲンを取り、血液検査してと色々検査されましたが、
ドクターの診断は、

「原因不明」

レントゲンで見て肺は影もなく綺麗、腫瘍マーカーの数字も普通。内科的にはまったく問題なし。

もうお手上げでした。また再度薬を変えてもらい、すでに1週間以上会社を休んでいた私は、ドクターに頼み込み「急性気管支炎のため2週間の自宅療養が必要」という診断書を出してもらい、帰宅しました。

とりあえず、今週一杯札幌の自宅で療養しよう。

私にはその選択しかありませんでした。

結果から言ってしまうと、この「喉の腫れ」と「酷い咳」は、この後1〜2ヶ月ほど私を苦しめました。
今思うと、「うつ」という病気が体に警告を出している「サイン」だったのではないかと思います。





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