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システムエンジニアを志した訳

私は、システムエンジニア(正確に言うとシステムインテグレータだと自分を位置づけています・・・が、IT業界以外の方から見ると大差ないので広い意味で”SE”だと思っていただいて良いと思います。)をもう20年以上仕事にしています。
北海道札幌市生まれで札幌で育ちました。(今も自宅は札幌にあります。)

今の若い世代の方々はご存知ないかと思いますが、私が生まれた1970年代は、コンピュータ黎明期を抜け、自治体や金融機関や大手企業の業務に、徐々にではありますがコンピュータが本格的に普及してきた時代でした。
子供の頃からなんとなく「コンピュータ=(当時の)最先端の技術」というイメージから、漠然とコンピュータに対する憧れを持っていました。
小学校の卒業アルバムに「将来なりたいこと」というページがあり、他の友だちは「プロ野球選手!」「パイロット」「お菓子やさん」などいういかにも夢らしい職業を書いていた中で、私は「コンピュータの技師だったりして・・・ナハハ」と、何とも子供らしくない事をかくような有様でした。
私が小学校高学年から中学生ぐらいになると、パーソナルコンピュータのNEC PC-6800,PC-8800辺りが発売され、比較的裕福な家庭でパーソナルコンピュータを持つことが可能になりました。友達がパーソナルコンピュータを買ったと聞けば、たびたび半ば強引にその友達の家に押しかけ、簡単なゲームなどを遊ばせてもらうような日々を過ごしていました。
(恥ずかしながら私の家は残念ながらさほど裕福ではなかったので、数十万円もするパーソナルコンピュータを買うのは”夢のまた夢”、でした。)

当時1980年代前半は”8bitパソコン”というだけで「スゲー!」という可愛い時代です。(現在のPCで使用される単位であるMBとかGBの世界じゃないんです。単なるbit)記憶装置はハードディスクはおろかフロッピーディスクすらなく、外部媒体はカセットテープでした。ひとつのゲームをロードするのに30分かかるというような、今では考えられないようなシロモノでした。
その少し後になって、任天堂の初代ファミリーコンピュータが発売され、高価なパーソナルコンピュータを買わなくとも、数万円でゲームが遊べるようになり、当時の小中学生達の興味の対象が「ファミコン」に一斉に向かった時代でした。

ファミコンが発売された時はラッキーな事に発売初期に両親に買ってもらえました。特にねだった記憶もないので当時の親の気まぐれか何かは分かりませんが、随分奮発したプレゼントだったと思います。私が初めて手に入れたコンピュータ(と呼べるもの)はこのファミコンでした。最初はマリオブラザーズ(「スーパーマリオブラザーズ」ではないですよ!只のマリオブラザーズです。)やドンキーコングで遊んでましたが、やがて任天堂からファミリーベーシックが発売されます。
ファミリーベーシックとは、ファミコンにキーボードを接続し、ROMカセットにEEPROM(多分EEPROMだと思う。)を仕込んでBASIC言語のプログラミングが出来るというものでした。
マリオやルイージを使った自由なゲームが作れる!という夢を抱かせるような画期的な商品でしたが、当時中学生で英語すら四苦八苦していた私の実力ではBASIC言語を理解出来るはずもなく、雑誌に載っていたソースコードを一生懸命一字一句間違えないように丸一日かけて打ち込んでは実行エラーが出て(BASICはインタプリタ言語なのでコンパイルという概念がなく、実行してみないとソースコードの間違いが分からないものでした。数百行はあろうかというソースコードのすべてを打ち込んで、実行を意味する”RUN”というコマンドを打ち込んで初めてソースコードの打ち間違いに気がつくのです。)、ソースコードのどこが間違っているのか、雑誌とテレビ画面をにらめっこし途方に暮れるという事を繰り返していました。
そりゃそうです。まず初めて触るキーボードが打てない。当時ブラインドタッチという方法すら浸透してない時代ですから、そもそも両手の指10本全部使ってキーを打つなんて思いつきもしないので、右手の人差指一本でポチポチとアルファベットひとつひとつキーを打ちます。そして(今では当たり前な)QWERTY配列も馴染めない。アルファベットがなんでABC・・・順にキーボードに書いてないんだ!と随分理不尽な憤りを感じていました。
そして、実行エラーとなってもそのエラーの意味が分からないのです。SYNTAXエラー程度の単純なエラーであれば、そのエラーが指し示す行が間違っている事が分かりますが、それ以外の複雑な実行エラーになるとどこが間違っているかは、BASIC言語の意味が分かっていないと到底無理でした。
この時、コンピュータを使いこなすのは難しい、でも使いこなせたらカッコイイかな、いつか使いこなせるようになりたいなと幼いながらも感じていました。

そんな感じの中学生だった私は比較的真面目に勉強に取り組んでおり、札幌市内のある高校に通い始めます。その高校は偏差値を上から数えた方が早い高校で、生徒の大学進学率が9割を超えていました。それでも高校生活は世界が広がり、色々悪い遊び(遊びの内容はココではナイショにさせてください。笑)を覚えた私はだんだんと落ちこぼれていきます。
この頃、ファミコンではドラクエを始め大ヒット作品が多く発売され、私はそれにハマっていく普通の(勉強をしない)高校生でした。この頃、ゲーム=コンピュータという考えはなく、私の心はコンピュータから離れていきます。単純にゲームをゲームとして楽しんでいました。
3年生になった頃、周りの友達はみんな大学受験モードとなり、取り残されていきます。
担任の先生に「進路はどうするの?」と聞かれ、「何も考えてません。ただ大学へは行かないと思います。」というテキトーな答えをして呆れられ、「勝手にしなさい!」見放されたくらいです。
※当時の〇〇先生、本当にゴメンナサイ。

進路の決定に困った私はどうしたものかと思案していた時に、親戚にコンピュータの仕事をしている少し上の従兄弟がいた事を思い出したのです。思い切ってその従兄弟の母(つまり叔母さん)に相談したところコンピュータの専門学校に通うという選択肢があることを教えてもらいました。また、専門学校は学費がかなり高いですが、特待生制度があり選抜試験に合格すれば学費免除になるという事を教えてもらいました。
私は「これだ!」と天にも昇る気持ちでした。子供の頃から憧れていたコンピュータの事が勉強できる、しかもそれを仕事に出来る可能性が高い、これこそ私の進路だと妙に確信めいた気持ちを持ちました。しかし問題は特待生選抜試験です。高校でまったく勉強してなかったので多少の不安がありましたが、不思議となぜか選抜に落ちるわけがないという根拠のない自信もあったのです。だって憧れていたコンピュータの勉強が出来るんですから、きっと受かると。

その特待生の選抜試験の結果はと言うと・・・何とラッキーな事に、合格しました。
そして私はその専門学校に通い始めました。
学校に通い始めてから、コンピュータの基礎概念から始まってプログラミング練習などの勉強の他に、ソフトウェア工学でプログラマとシステムエンジニアという仕事の違いを教わります。最初は誰しもプログラムを書くプログラマから始まるが、プログラムを設計するシステムエンジニアという上流の仕事に就ける、という事を。

当時の私はプログラミングは大の得意でした。中学生の頃に分からなかったBASICプログラムが読み書き出来るようになった永年解けなかった謎が解けたような感動です。きっと「フェルマーの最終定理」の証明に成功したアンドリュー・ワイルズもたぶん私と同じような気分だったでしょう。(私とワイルズとでは「雲泥の差」以上の差があったと思いますが。)

プログラミングを得意とする一方で、システムエンジニアという上流の仕事にも興味を持ちました。プログラムはロジック(論理)ですから、物事を論理的に思考しないと作れません。現在でこそロジカル・シンキングという考え方がビジネスパーソンに広く浸透し論理的に思考する事が求められていますが、当時は論理的に思考する方法論が明確でなく、システムエンジニアの創造力にかかっていた、と思います。もちろん一般的に必要とされるロジックパターンを示したソフトウェア工学という学問はありましたが、そのロジックパターンをどう組み合わせて目的のプログラムを実現するか、あるいはまったく新しい発想でロジックを産み出すか、という技術はシステムエンジニアの”腕”に掛かっているのです。

この創造性の高さに惹かれ、就職活動を始めた頃、私はシステムエンジニアを志したのです。

「ご挨拶」と「ブログ内容」について

はじめまして。「よそじSE」と申します。
このブログにお越し下さり、ありがとうございます。

その名の通り、私は北海道札幌市在住40代のシステムエンジニア/インテグレータを生業にしている極々普通のサラリーマンです。

ある日体調がおかしくなり、精神科を訪ね「うつ病」と診断されました。

そんな私のうつ病になったきっかけや、闘病記をこのブログにまとめてみたいと思います。
同じ病気の方々や、「あれ?もしかして俺(私)って、うつかも?」と感じている方々の少しでもお役に立てればと考えていますが、実はなにより「自分自身のため」に自分の病気に関すること、感じたこと、考えてきたことをあらためて文章に書きおこし、自分自身の心に問いかけるためにブログを書こうと考えました。

本来、ブログは日記的性質を持っているため、その記事内容は投稿日とほぼ同等である媒体だと私は考えています。
ですが、このブログは過去の出来事を順番になぞらえていく事になりますので現在進行形ではありません。もしかしたら現在のことと過去のことが入り混じった文体になるかもしれません。このあたりできるだけ分かりやすく書こうと思っていますが、なにとぞご容赦くださいませ。

また一気に大量の文章を書きおこすという作業は、どんな人でもかなりハードルが高いことだと思います。
様々な著書のある作家さんでも「1日2ページが限界」と聞いたことがあります。

さらに「人間は基本的には怠け者である。」と著名な方々がおっしゃってますが、その通りです。
私も「怠け者」なのです。
その怠け者がたくさんの文章を一気に書くという事にチャレンジすると、完成まで何年先になるか分かりません。
文章を少しずつ書き溜めていくには「小さいハードルを少しずつクリアしていく」ブログ形式が一番良いと考え、当ブログ開設に至りました。
なのでどんなペースになるか、はたまた最終回がいつになるのか、私自身まったくわかりません。今のところ原稿のストックはゼロです。(笑)
どうか気長にお付き合いいただければと切に願っております。

タイトル「うつは薬じゃ治らない」というのは、ちょっと極論ではありますが、私がいま現在実感している事です。これの本質については、ゆくゆくブログの中でご説明したいと思います。

私は精神科医でもプロのメンタルヘルスカウンセラーでもありません。
ごくごく普通のサラリーマンであり、一人のうつ病患者です。
その普通の患者の目線で、この病気についてお話したいと思います。

繰り返しになりますが、どうぞ気長にお付き合いくださいませ。
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